« やってみることが大切だ | Main | 日本人には大祓詞があるという有り難さ »

2009.08.21

幸福な死者

幸福な死者とはどんなものだろう?
それは、「現世に未練、執着、心残りがない」ことであると思う。

「新世紀エヴァンゲリオン」で有名なガイナックスのアニメ「まほろまてぃっく」で、一度だけ幽霊が登場した印象深いお話があった。
中学生の男女2人の幽霊だったが、2人は別々に全く同じことを言う。
「ねえ、何か心残りなことがあって、そこを離れられないことって・・・ない?」
2人は、放課後の教室で待ち合わせをしていた。少女は少年に告白するつもりだった。しかし、少年は事故で死に、少女は飛び降り自殺をする。長い年月が経ち、少女はいまだ少年を待ち続けるが、少年は死んだ場所から動けないと思い込んでいる。
まほろは、少年の霊を引っつかんで少女のところに連れて行く。少女はうまく告白できなかったが、心は通じ、2人は一緒に天に昇る。
2人は、現世に心残りのない、幸福な死者になったのだ。

蝶を死者の魂と考える神話が世界中にある。
蝶のゆらゆらとした飛び方や、その優雅な美しさ、儚げな雰囲気が、いかにもそのように感じさせるのかもしれない。
それに、蝶は意外に謎の多い生き物だ。海を越えて旅をする蝶すらあるが、なぜそんなことをするのかは分らないらしい。

昔の日本では、蝶を「ひひる」と言ったらしいが、語源は分らないようだ。
尚、蛾のこともひひると言った。つまり、昔の日本では、蝶と蛾は区別されていなかった。これは珍しいことではなく、フランスやドイツでは、今でも蝶と蛾を区別しない。
勝手なことを言えば、「ひる」は虫の意らしいので、最初の「ひ」は、霊(ひ)であると考えれば、いかにも死者の魂のようだ。

さて、最初に、幸福な死者とは、現世に執着のないことと書いたが、これは生きた人間でも同じだ。
この世の一切に執着がないことほど幸福なことはない。そんな人は自由に生きることができる。
「荘子」では、道(タオ)と一体になった至人(最高の境地に達した人)は、生死にことさらに区別を付けないと書かれている。
エマニュエル・スウェーデンボルグなどの書では、古代の人々には生死の区別というものがなく、自分が死んでも気付かなかったという話がある。だから、誰もが、霊と自由に交流していた。おそらく、一切のものに執着なく過ごしていた人間の黄金時代であったのだ。

死者は本来、幸福である。
この世の執着とは、つまるところ、身体と心への執着であるからだ。人のあらゆる苦難や不幸も、身体や心の問題なのだ。
しかし、死者に身体が無いことは分っても、心がないことを疑問に思う向きもあるかもしれない。
だが、死者があの世の者となる時、心は浄化されて純粋になる。仏教では、これを成仏と言う。成仏した者が幸福であることは間違いない。だから、我々は、死者が迷わず成仏することを祈るのである。
「チベットの死者の書」や「エジプトの死者の書」には、死者の魂が純粋な霊となっていく様子が描かれているように思う。

そして、実に、ここにこそ、この世における人の幸福の秘訣もあるのである。
それについて、今後、易しく書いていければと思う。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

|

« やってみることが大切だ | Main | 日本人には大祓詞があるという有り難さ »

Comments

肉体やこの世の柵に縛られる事のない世界には憧れます。(*^∇^*)

Posted by: 祈り | 2009.08.21 12:45 PM

最近、かげろう(真っ黒のフワフワした蜻蛉みたいな昆虫)が毎日飛んでます。高く飛ばずユラユラと悪い魂のようで気持ち悪いです。

未知だからか、『死』が物凄く怖いです。この世に絶対があるならば死が当てはまります。誰もが経験するならば何故に怖がる人が多いのでしょうか?死刑も筋が通らなくなりますね。死が罰となるから怖い概念がうまれるのかも。

Posted by: カナリア | 2009.08.21 06:34 PM

★祈りさん
憧れていないで、そうなればいいのですよ。


★カナリアさん
死が恐いものだというのは、生きている人が勝手に作った幻想に過ぎないと、メーテル・リンクが「死」という著書の中に書いています。
実際、私には、死が恐いものとは全く思えません。

Posted by: Kay | 2009.08.21 09:55 PM

kayさん、
今日突然ある瞬間を境に心が消えてしまいました。
その瞬間までは心が幸せになることを願っていたんです。
でも今は心の幸せを求めていた感情すら無くなりました。
本当に何も沸いてきません、何も求めたいとも思いません。
多分間違っているんだと思いますがそれすらも分かりません。
傷つくようなことがあったわけではないんです。
ただ今抽象的な自分の心を定義できる言葉を持ち合わせていないだけかもしれません。
ただ今はじっと観察だけしてゆきます。
苦しみも不安も無いですが、愛や希望という言葉も見つかりません。
心がないのでしょうか、ただ定義できる言葉が無いだけかもしれないですね。

Posted by: Lily | 2009.08.25 11:46 AM

★Lilyさん
さあ、何でしょう?
世界が現れている間は、心は存在しています。
心が消えれば、世界も身体も消滅します。
心が無くなれば、尋ねる相手もありません。

Posted by: Kay | 2009.08.25 11:24 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 幸福な死者:

« やってみることが大切だ | Main | 日本人には大祓詞があるという有り難さ »