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2009.08.14

幼児期に原因のある精神の歪みは改善不能である

幼児期を始め、成長期に原因のある精神的逸脱というものは、後での修正は困難であり、大方においては改善不能であると思う。

例えば、私に関して言うなら、人と上手く付き合えないことと、仕事にやりがいを感じないことがある。
これらは、慣れや成長してからの訓練不足という場合もあろうが、幼児期の家庭環境、そして、必要なしつけや訓練の欠如により、生涯改善不能なことも多いと思われ、私の場合は確実にそうであると断言できる。

しかし、いかに人付き合いが出来ないとか、仕事にやりがいを感じなくても、人付き合いせずに、また、働かずに生きていくことはできない。
よって、いかに苦痛であれ、人付き合いをし、働く必要が絶対にある。

だが、大切なことは、人付き合いが上手くできるようになる方法があるとか、いつか仕事が楽しくなるなんてことを信じず、諦めてしまうことなのだ。そんな希望が虚妄であることは私は今なら分る。
土台、いくらなんでも二十歳くらいになって人付き合いが、下手というのではなく、苦痛であるのなら、一生、人付き合いは苦痛であるし、1年も働いて仕事を全く楽しめないなら、一生、仕事は苦痛である。

仕方がないと諦め、義務感で働く以外に方法はない。働かずに食べていくことは赦されない。
しかし、神は、そのような運命を与えた者に、同時に宝剣を与えることもある。
アンデルセンが良い例だ。
彼は、人付き合いも働くことも出来なかったが、特別な才能が与えられていた。
ニュートンもそうだ。彼は、「神に才能を預かった」と言った。
彼らは、ハイエナの群に投げ込まれたが、宝剣を持っていた。
しかし、そうでない者もいる。いや、ほとんどの者がそうだ。
ハイエナの中に投げ込まれ、いかに嫌でもハイエナの機嫌を取って生きるしかない。
それが、私や、多くの引きこもりの運命であるが、そこから逃げれば逃げるほど運命は悪くなるのである。
これを修行と言うのかもしれない。

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Comments

そうですね。誰しも、幼児期の満たされない思いのようなものがあります。それを何かで満たそうとするより、その生きにくさを引き受けて生きていくのが修業だと思います。

Posted by: 亜美 | 2009.08.14 at 11:37 PM

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