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2009.08.26

死にたい人へ

死にたいって?
全く同感だね。
他の国のことは知らないが、経済発展を至上目的としてきた、この欲望だらけの国で生きる意味など見出せないからね。

でも、飛び降りや、首吊りなんてのはやめたがいい。
どうでも良いことかもしれないが、回りに迷惑をかけるし、あまり格好良いものでない。
いじめた相手への仕返しが少しできるかもしれないが、トータルで言えばやはり愚かとしか思えないことなのだ。まあ、そんなこと、どうでも良いかもしれないけどね。

それよりも、立派に楽しく死ぬというのはどうだろうか?
だいたい、死ぬってことがどういうことか分かるだろうか?
死んだって、生きてるのとそんなに変わらないとしたら馬鹿みたいじゃないか?
実際、古代の人は、自分が死んだことに気付かなかったんだ。
我々は皆、生きている立場での死をイメージしているに過ぎないのだ。それは本当の死ではなく、死に対する単なる幻想だ。

死ぬっていうのはね、身体と心を手放すことだ。
それは分かるよね?
でも、飛び降りをしたって、身体や心を抱きしめたままなんだ。
本当の意味で、身体や心を手放さないといけないんだ。
古代の人は、生きていることと死んでいることの区別が付かないって言ったよね?
彼らは、ある程度の年齢までは身体と心を育てるのだけれど、ある時期を過ぎると、身体や心に関心がなくなったのだ。
そうなると、死んでも、ちっとも変わらないんだ。

身体や心の影響を受けないことが死ぬことだ。
身体や心がどんな状態でも、超然として距離を置くのだ。
ただ、それらを無関心に見ているがいい。
それが、身体や心を手放すことだ。
そうしてみると、我々の存在自体に関する、これまで押し付けられてきた観念と全く違うことを発見して驚嘆するはずだ。
身体も心も私ではないのだ。私は、身体でも心でもない。
自分が全くの自由で幸福であることも分かるようになる。
おかしなことに、そうなると、身体も心も、そして、それを取り巻く世界も、案外に良いものになる。望んだとおりのことは起こらないかもしれないが、全てうまく治まっていく。
だからといって、身体や心、あるいは、世界に執着することもなくなる。それは単なるショーか学芸会みたいなものにしか感じなくなる。子供の学芸会が楽しいものであったとしても、その内容をそう深刻に受け取らないはずだ。世界はその程度のものだ。

人生や世界に本当にうんざりするというのは、過去世も含め、あなたが成長してきた成果だ。
あなたは、いつまでも学ぶばかりではないのだ。
それに、世界はもうすぐ終わる。本当の意味で死に、それにより、本当の意味で生きなければいけない時が来つつあるのだ。

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Comments

体の痛みや、心の叫びや動揺に煩わされない境地に居れたらどんなに素晴らしいかと思います。
マハトマ・ガンジ-は盲腸の時、麻酔を拒んで手術に臨んだけれど、手術中、弟子達と元気に会話をしていて笑みを絶やさず、殆ど体の痛みから心を切り離すことが出来ていたそうです。自身の身の上には傍観者の様でありたいけれども、死人のような無関心ではなく"湧きいずる喜び"や"安らぎ"の中での観照者で有りますように

Posted by: 祈り | 2009.08.26 01:36 PM

★祈りさん
痛みを切り離そうなんて都合の良いことを考えてはいません。
痛みに悶え苦しみながら、それに無関心でいるのです。
湧きいずる喜びや安らぎも、痛みや苦しみも全く同等に扱うのです。いずれも期待せず、いずれも避けません。
選り好みをしていては、ずっと苦しいままです。

Posted by: Kay | 2009.08.26 09:49 PM

私はこの記事が大好きです。
コメントのやりとりもまた、神妙な深さを感じて何度も見てます。

特に出だしのところ、心底うんざりした様子が伝わってきます。至動無難禅師の言葉、「いきながら 死人になりて なりはてて おもひのままにするわざぞよき」の指す境地が、この記事を読むたびに伝わってきます。

最近、生きることに嫌気が差してきたので食を絶っています。食禄を考えれば良くないことだと思うんですが。。何せ心底うんざりしたもので。。「より良く生きよう」なんてつまんないことを考える自分に、お前は消えてくれと願いつつ。。

Posted by: R | 2010.03.31 08:56 AM

★Rさん
とはいえ、生きていくしかないのですね。
なるで人生から嫌がらせを受けているのではないかと感じることも実はあります。
でも、何か良いことが起こると、ずっと生きていたいなんて思う。やはり私も凡人だなあ。

Posted by: Kay | 2010.03.31 09:37 PM

凡、非凡の定義は難しいですが、Kayさんはずっと深くまで体験してらっしゃいますから、いろいろ勉強させてもらってます。私は思うがままのあの世を実際に見て帰ってきたはずなんですが。。。こちらのブログの記事を読ませて頂くと、ほんとに自分が浅く感じらることが多いです。臨死体験何回分でここまで思えるのかな?とか、思うこともあります。

はぐらかされては突き落とされて、白旗を揚げて助けを求めてみたら、さらに惨めな目に遭い、いつの間にか、またいい思いをさせられて。。。せっかく思うがままの素晴らしい世界に行ったのに、自分は何でこんなところに帰ってきたのか。。と何度も思いながら生きてます。ちなみに、私の見たあの世は日本のどこか片田舎を感じさせるような、不思議なところでした。多くを覚えてはいないのですが、ただこの世のものとは何か違う、とても暖かくて、空気がきらきらしてて、美しく快適、しかもそこは初めて来た場所でもない、といったことが記憶に残ってます。さらさら水が流れる綺麗な浅くて広い川に立って、こう叫んでしまったんです。「やっぱりまだ死にたくない!」、そしたら叫んだ通りに戻ってきました。自分の体は心臓マッサージをされてる状態で、苦しいどころではない状態なのに、最初は「苦しむふり」から始めたのを覚えてます。

そういえば、「死ぬ時節には死ぬがよく候。。」の良寛さんが、死に臨んで「死にとうなし」と仰ったくらいですから。とにかくこの世はよっぽど価値があることに間違いなさそうです。苦しんだり絶望することがそんなに楽しいのか、とか、はたまた、幻の中で演じるているというのは真実で、それがよっぽど楽しいのかとか。いろいろ思うのですが。どうも、どちらも正解ではない気がしなくて。。そんな今日も、いろいろうんざりすることだらけで、参ったもんです。

Posted by: R | 2010.04.01 08:20 PM

★Rさん

Rさんの臨死体験のお話は、内海康満さんが弟子入りしようとした竹内満朋さんの「魂の幽霊界行脚」という本を思い出します。内海さんは、結局、竹内さんに友人になってくれと言われて、弟子にはならなかったようですが。
非常に、生々しく感じますよ。
私は、最近、電車の中等で、一瞬、うたた寝したような時、結構な時間、別の世界に行ったりします。でも、あまりよく憶えていないのですね。

気が合いますね。私も、いろいろ参っています。
ただ、そんな中で、外界の出来事に私の気分に影響を与えさせることを拒否することとしました。それは良いことのように思います。

Posted by: Kay | 2010.04.01 11:04 PM

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