目が覚めたら王だった
あなたが目を覚ます。
そして、自分が恐ろしいほどの豪華なベッドで寝ていることに気付く。
布団もまくらも最高級品で、贅の限りを尽くしている。
いや、ベッドだけではない。
部屋は途方もなく広く、調度品も含め、何もかも芸術的な造形のものばかりで、しかも全てピカピカに磨き上げられている。
さらに、それだけではなかった。
周りには、上品な執事やメイドが沢山控えている。
「ここはどこだ?」
とあなたが問うと、執事長らしい男性が言う。
「あなた様のお部屋でございます。ご主人様(あるいはお嬢様、若旦那様等)は、長い間、重い病気でうなされておられました。悪い夢でも見ておられたのでしょうか?」
西洋人はこんなお話が好きなようだ。
アメリカ最大の思想家ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、こんな話が人気があるのは、これが実際の我々についてのことであるからと言う。
自分がいかに偉大であるかを、皆、知らずにいるのだと。
インドの偉大な聖者、ニサルダガッタ・マハラジは、師の「あなたは至高の実在である」という言葉を忘れなかったおかげで、何の努力もなしに真我の実現(悟りを開くという意味)を果たしたと言う。
真我とはアートマンであり、宇宙神ブラフマンと一体のものだ。即ち、真我の実現とは、自分が神であるという本来の姿に目覚めることだ。
ラマナ・マハルシは言う。
「あなたは真我(神と一体のもの)なのだ。悟ろうが悟るまいが、あなたは真我以外の何者でもない。真我であろうとしてならない。真我でありなさい」
神道黒住教の開祖である偉大な神道家、黒住宗忠は言った。
「人は、天照大神と一体である」
天照大神は、神話の女神であると共に、根本神である。
我々は自覚があろうがなかろうが、やはり神である。それであろうとしてはならない。それであらねばならない。
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