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2009.07.07

人生に崇高な目的がないと少食はできない

少食を実践できるのは、人生に崇高な目的を持つ者だけである。
つまり、人生に崇高な目的を持たない者に、少食を薦めても意味がないだろう。
人生に崇高な目的を持たない者は、たとえ健康のためとかダイエットのためであっても、よほど危機的な状況にでもならない限り、少食を実践することはない。彼らは、お腹一杯食べて、健康増進やダイエットをしたいと思うだろう。その結果、取り返しが付かないくらい、身体にダメージを与えることになる。
しかし、彼らを救う方法はない。

逆に、こんなことは確実に言える。
もし、少食を実践できるなら、自分では気付かなくても、人生に崇高な目的を持っているのだ。
逆に、立派な人に見えても、少食を実践できないなら俗物である。もちろん、俗物でも良い人はいるが、賞賛されるような成功者ではあっても、所詮は先祖の徳などでエネルギーが大きいだけの、理屈と自己満足優先の人間なのである。
さて、少食の基準であるが、1日、1食か2食で、間食をほとんど、あるいは、全くしないこと。そして、食後でも、その気になれば、もう一度同じ食事を美味しく食べられるくらいであれば良いのではないだろうか?

私は、誰もが今、少食を実践しないと、そろそろ手遅れになると思う。そして、確かに、少食を実践する人が確実に増えてきている。
食事の量や内容で、人類の選別は始まっている。
今後は、1日1食の人間は、驚くほど増えていくと思う。これまでは、そのような者は笑われたり、馬鹿にされることが多かったが、今後は大食、美食の者が苦しむ世の中になるだろう。
大食者は哀れではあるが、人生に崇高な目的が無い者は、どうやっても食を慎むことができないのだ。彼らは、「食べることを楽しまずに生きている意味があるのか」「美味しいものをいっぱい食べてこその人生だ」と常に主張する。彼らを変える術は無い。説得しようとするだけ無駄である。
もう、彼らを見捨てるしかない時期に来てしまっている。
取り立てて彼らを攻撃することもなく、穏やかに接し、なるたけ好きなようにさせてやるしかない。家族にそのような者が居る場合は辛い面もあるだろうが、残り少ない時間を、出来るだけ幸福に過ごさせてあげようと思う。それで、彼らがあまり恨みの気持ちを持っていないなら、事故やなるべく苦しまない病気で、短い時間で死ぬものであると思う。
我々に出来る最大限がそれである。

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