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2009.07.16

頭の中の会話を止める

高藤聡一郎さんは、仙道の世界では知られた人だ。
かつて、比較的若年層向けと思える仙道の本を多く書かれていて、現在もいくつかは出版され続けている。
自らも仙人のような存在であると著書の中で述べられていたように思うが、単なる学問的な研究者ではなく、超実践派である。

仙道に強い興味を持つ私は、彼の本を何冊か読んでいるが、どれも非常に面白い。その中で、どの本だったかは忘れたが、頭の中でのおしゃべりをやめれば精神の力が飛躍的に向上するといったことを書かれていたと思う。
そして、最近読んだ、メキシコのナワール(シャーマン)である、ドン・ミゲル・ルイスの「パラダイス・リゲイン」という本でも、我々の不幸の根源が、頭の中の会話であると書かれていたが、彼の説明は驚くほど納得できた。
頭の中の会話を止めれば、我々は驚くべき力を得ることができる。その方法は、ドン・ミゲル・ルイスの世界的ベストセラー「4つの約束」に書かれているが、多少の訓練は必要である。

心の中の会話を止めるには、一時的なものであれば、しばらく何も考えないとか、心を別のものに集中させれば良い。
つまり、マントラを唱えたり、呼吸制御に集中している間は心は静かである。しかし、それが終ると心が再び立ち現れ、その心は迷い、悩んで動き回る。
行というのは、1日中、どんな時でも行うのが良い。
ラマナ・マハリシは、「私は誰か?」と問い続けることを教え、ニサルダガッタ・マハラジは、存在の感覚に常にしがみつくよう教えた。
般若心経や大祓詞を1日中上げることは難しいが、般若心経の最後の呪文や、神道の短い祝詞であれば可能かもしれない。
法然上人は、1日中、念仏を唱えていたし、岡田虎二郎は1日中、腹に力を入れるよう教えている。岡田虎二郎は、「岡田式静坐法」を考案し、普及させ、その中で、人の根源の力である腹の力をつけさせようとした。もちろん、本当に座る静坐は、1日1~2回で、1回30分ほどになると思うが、虎二郎は、「法然は、生活しながら念仏したのではない。念仏しながら生活したのだ。生活しながら静坐しているのでは駄目で、静坐しながら生活するようでなければならない」と説いた。
行とは、1日中行うものであるのだ。

これらの霊的な行は、心に火をつけて燃やし尽くしてしまうようなものである。
ただ、そのためには、心が成熟している必要がある。
いったんは強い個性を育て上げ、堅く乾燥した木のように燃えやすくしておかないといけない。
そのためには、世間で鍛えるしかない。
そして、そのために、子供の頃から寺などで修行ばかりしているのは、前世においてそのような縁を作った者以外は良いことではなく、ヒンズー教では、世間での義務を果たした後に修行生活に入ることを推奨している。
つまり、壮年期までは社会で働かなければならない。
世間を騒がすような事件を起こした若者の部屋を調べたら、宗教書や霊的な教えの書でいっぱいであったということがあるが、この若者はニートであった。彼は、そのようなものを読むより先に、働くことで学ばなければならなかったのである。
若年者も霊的修行をしても良いが、あくまで主体は社会的な活動、即ち仕事でないといけない。ニートであれば、精神を磨く機会を得られないのであるから気の毒である。

社会で働く力が無いのは、脳幹を鍛えておらず、生命力が弱いからであると思われる。
このような若者のために、戸塚ヨットスクールがあるが、とりあえず自分でできる方法としては、不快な状態に耐えること、つまり、我慢をすることである。
エアコンを使わず、車に乗らずに歩き、常に姿勢を良くし、何よりも食を慎んで空腹に耐えることに効果があると思う。

私も暇になると、頭の中で会話が始まり、それはほとんど嘘や妄想である。学校、大企業の宣伝、テレビ、マスコミによって植えつけられた観念が心の中に巣食っているのだ。それらのことに猛反発してきた私でさえである。
少し前の私は、思い出すたびに、般若心経の真言を唱えたり、念仏を唱えたり、「私は誰か?」と問うたり、存在の感覚に浸った。どれか1つにすれば良いとは思うが、どれも面白くて止められなかった。また、毎日、「大祓詞」を必ず上げることにしている。
数息観(すううそくかん)という禅の修業も面白い。
単にゆっくり呼吸しながら、その数を数えるのである。私の場合、吐く息を数える。10まで数えたら、1に戻る。
すると、頭の中で会話が起こった時などは、数が20とか、ひどい時は百までいっていて気付かないことがある。ある禅僧は、最初から10できっちり1に戻せる人はむしろ少ないと言う。

頭の中の会話を止めることができれば、人生は自由なアートとなる。
H.G.ウェルズの「ポーリー氏の物語」で、ポーリーが言ったように、「人生が気に入らないなら、気に入るように変えてしまえばいい」のである。
しかし、頭の中の会話が続く限り、潜在意識の法則も引き寄せの法則も効果は少ない。
なんとしても、まずは頭の中の会話を止める必要がある。

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Comments

「頭の中の会話を止める」
これは鈴木秀子さんの著書にもありました。
彼女が修道院生活で課されたものだそうです。
「沈黙はもっとも大切な修行のひとつなのです」
とあります。
あらゆる宗教で「頭の中の会話を止める」のは
重要なことであることが認識されているものと思われます。

「頭の中で会話が始まり、それはほとんど嘘や妄想」
なるほど!
そうした思考になりやすいですよね。
せめて、楽しい会話ができればいいのですが、
わたしはいまの生活状況の愚痴を頭の中でぐるぐる巡らせていることに気づきました。

Posted by: りす | 2009.07.18 12:34 AM

★りすさん
頭の中の会話は、無理に止めようとして止まるものではないでしょうね。
まあ、それがあらゆる宗教や精神医学の最重要課題なのですから当然ですが。
会話の元を断つというのが確実ですが、その確実な方法と実践が大切でしょうね。

Posted by: Kay | 2009.07.18 09:45 AM

 頭の中の会話を消す簡単な方法で、「今自分が何を考えているかをひたすら問い続ける」という方法がありますよ。あと視覚の一点を凝視し続けるのも集中力の鍛錬として有効かもしれません。

 疑問に思ったんですが、ドン・ミゲル・ルイスの説明ってどんなものなんですか?

Posted by: Nola | 2009.07.18 11:02 PM

★Nolaさん
その方法を行っている間は有効かもしれませんが、また頭の中の会話は始まります。
ただ、それも、集中力を高める訓練としては良いかもしれず、本当に有益な行のための補助にはなるかもしれません。
しかし、本当に必要なのは、頭の中の会話を永遠に止める方法です。

ドン・ミゲル・ルイスに関して知りたければ、「4つの約束」など、彼の著作を読んで下さい。

Posted by: Kay | 2009.07.18 11:10 PM

頭の中の会話がストップしたことこそ、彫刻から得た最大の恩恵でした。それまで難しい専門書、特に心理学系のものを読んでいたので、思考分析のループにはまっていました。

それがノミを持ち、ハンマーを振り続けたときに、雲散霧消してしまいました。

何も考えないことの心地よさ、それが彫刻の悦楽です。

Posted by: 石彫人 | 2009.07.20 02:28 AM

★石彫人さん
彫刻とまではいかなくても、身体を使って何かを作るのは良いことでしょうね。
定年退職して、畑で作物作りを始めたおじさん達、生き生きしてますからね。

Posted by: Kay | 2009.07.20 08:40 AM

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