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2009.07.02

食の慎みにも楽しみはある

少食を行うには、精神的な楽しさのようなものが励みになるのではないかと思う。
高貴で美しいことをしているというすがすがしさ。
神秘なことをしているという喜び。
徳を積んでいるという満足といったことを感じても良いと思う。
そして、これらは、全くその通りなのだ。

食を慎むこと以上の高貴なことはないし、食を慎んでいる者以上の美しい存在もない。
食を自らの意思で慎むことは神秘であるし、食を慎むことに優る徳はない。

よって、食を厳しく慎む者には、あらゆる福寿が与えられるし、天もこれを守護するのである。
また、食を慎むと、苦しみと同時に不思議な感動が沸いてくる。

時には、大きな力が与えられることもあるが、それはない方が幸福であると思う。
与えられた力に応じた魔も降りかかるからである。
魔に対抗するには、さらに大きな力が必要であるが、それには、食の慎みに加え、更に自らに制限を加える必要がある。
食の慎みもそうであるが、人の力というのは、自己に加えた制約(掟)に応じて顕れるものなのである。
力となる制約を加えるべきものは、まずは食、そして、その他のあらゆる欲望である。
力ある者は、あらゆる欲を捨てなければ破滅するのである。
秘密裏に存在する、強力な術者の集団に厳しい掟があるのは当然のことなのである。

参考程度に述べるが、仙人という者の中には、美味しいものを食べ、美しい乙女を抱き、心地よい住居を得、幽玄な音楽を聴き、素晴らしい自然を堪能するという、個人的満足に撤する者もいる。だが、それらとて修行の成果であり、ごちそうや酒を存分に楽しんでいるかと思うと、何年も食を絶って過ごしたりもするのである。
御殿のようなところに住んでいるかと思うと、次の日には乞食になっている。
風流なプレイボーイとして、毎夜、乙女の吐息を聞いているかと思えば、禁欲的な僧侶になることもある。
そのような自由自在な存在でなければ、最下級の仙人である氷解仙にすらなれない。
いずれにしても、まずは食の慎みであり、同時に特別な心の修養を重ねることで仙人になれることもあると思う。
尚、仙人そのものにならずとも、仙人の術を授けられるという例は時たまあることを述べておく。

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