「ありがとうございます」と「ありがたい」
感謝が開運の、ひいては幸福の秘訣だとよく言われます。
私もその通りと思います。
それで、「ありがとうございます」という言葉を呪文のように頻繁に唱える人もいると思います。それを薦める聖人のような人もいると思います。
しかし、「ありがとうございます」を唱える人を見ていると、どこか妙なものを感じることがよくあります。
「ありがとうございます」というのは、言う対象があるように思われます。
その対象は、神仏かもしれませんし、八百万の神々、あるいは、あらゆるものかもしれません。
しかし、そこに何か分離があるのです。
神仏に「ありがとうございます」と言うとき、神仏と自分の間に分離があります。
あるいは、「感謝するのだから、福を下さい」という取り引き、あるいは、命令を感じます。
私なら、「ありがたい」、あるいは、「ありがたや」と言います。
神仏と一体であるはずの、本当の自分に感謝するわけです。
それに、「ありがとうございます」なんて気取り過ぎと私には感じられます。こちとら、ど庶民です。アニメの昔話で、山奥なんかに住むおじいさんやおばあさんが、特に理由もなく「ありがたや、ありがたや」といって手を合わせている姿に親近感を感じるのです。
また、いつ感謝するかですが、1日中でないといけません。いつでも、どこでもということです。
良いことがあった時だけではありません。すべって転んで頭を打ったり、脚を折った時でもです。
「良い方に解釈せよ」という意味ではありません。どんなことでも「本当に」ありがたいのです。
「有難いと思わないといけない」ではありません。「本当に」有難いのです。
普通の人には、そのあたりが全く分かりませんので、常に感謝するわけです。そうすると、やがて分かってきます。
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Comments
23日を中日として
お彼岸の時期ですね v(^-^)v
平安でありますように
Posted by: 祈り | 2009.09.22 02:22 AM