« 七夕の願い | Main | 憧憬の力 »

2009.07.05

水野南北の道中差し

水野南北は、道中差しを肌身離さなかったようだ。
道中差しというのは、日本刀の一種である。刃渡りが2尺(約60cm)以上の刀の帯刀は町人や農民には許可されなかったので、それよりも短いものを道中差しと呼んだのである。
水野南北が持っていた道中差しは1尺2寸7部、約48cmである。
水野南北は、生涯、よく旅をした。江戸や大阪といった都市は、取締りが厳しく、牢屋敷にでもいれられたら生きて出られないことも珍しくなかったせいか治安は良かったのだが、やはり都市を離れると、危ない場所もあったのであろう。それに南北は、元々はハンパ者とはいえヤクザである。人間の危なさをよく知っていたはずだ。

ただ、水野南北が、その道中差し以外のものを何か持っていたという話も聞かない。
天下に鳴り響く観相家で、大金持ちであったが、厳しく食を節し、あらゆることに質素であった南北に必要だったのは、この1本の道中差しだけだったのかもしれない。

あるマタギの首領が、コヨリと呼ばれる小刀を、肌身離さず身に付けていたという話を聞いたことがある。やはり護身の目的が強い。
宮本武蔵もまた護身のために、いかなる時も木刀を手元から離さなかった。
彼らも、モノには執着しなかったと思う。

1つの武器は、モノへの執着を絶ったことを示す証にも思える。

不思議なことに、私は水野南北の教えに傾倒し始めた頃から、南北を想像でイメージすると、腰に短い刀(道中差しであろう)を付けている様子が浮かんだ。そして、最近、上に書いたように水野南北が、道中差しを常に身に付けていたことを知り驚いた。
水野南北の道中差しの名は池田鬼丸国重。
この道中差しは、南北の死後、八助という男の手に渡っていた。
八助は、元武士である。それが、ヤクザ時代の南北の弟分で、南北が観相家になった時もヤクザ者を続けていた男の手下になっていた。
南北は、この元弟分に足を洗うよう薦め、死相が出ていることを告げるが、元弟分は聞き入れず、南北にすらすごんでみせる始末であった。元弟分は殺された。
ところが、その遺体をわざわざ寺まで運んだ八助の人の良さに惚れこみ、南北は八助を弟子にしたのだ。
しかし、八助は、観相の才能は全くなかった。
それでも、南北は、「南北相法手引き」の序文を八助に書かせ、八助を感激させた。
時が過ぎ、南北の弟子が増えていく中で、才のない八助は肩身が狭かった。
そんな中、南北は、汁屋1件に家財道具を付けて買い整え、おまけに可愛い女中まで付けて、八助に渡す。八助は、観相は下手でも料理は上手かったのだ。その女中は、最初から八助の女房にさせるつもりだったのだろう。そして、実際に八助はそうした。八助の店は繁盛し、幸福な一生を送ったようだ。
~以上、神坂次郎著「だまってすわれば 観相家・水野南北一代」より~

水野南北の人柄を知る良い話と思う。
私は、ますます、南北の教えを貴び、食を慎もうと思った。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

|

« 七夕の願い | Main | 憧憬の力 »

Comments

神坂次郎著「だまってすわれば」

読みましたよぉ~。
Lastは、ウルウルでした

> 水野南北の道中差しの名は池田鬼丸国重

これは、知らなかったです。
φ(..)メモメモ

食のお話しとは関係がないし、Kayさんならお読みになっている可能性は高いけど、
もしまだなら高木彬光の『 大予言者の秘密 』(高島嘉右衛門の生涯)もお勧めです~。

お2人とも、牢屋に入ってるんですよね。。。
なんか運命学の巨匠に必要な、人生条件なんでしょうかね??

Posted by: 桃太 | 2009.07.06 01:18 PM

★桃太さん
桃太さんも読まれましたか!?
私は、あれを書いた著者の神坂氏の想像を絶するご苦労、努力、熱意を思うと、かたじけなさに涙溢るる思いでした。
『大予言者の秘密』は読んでおりません。縁があれば読むでしょう。

Posted by: Kay | 2009.07.06 09:35 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 水野南北の道中差し:

« 七夕の願い | Main | 憧憬の力 »