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2009.07.07

本物の聖典

新約聖書は分かりやすいだろうか?
解釈に関する多くの議論や、際限もなく解説が次々出てくるところを見ると、決してそうではないと思う。
しかし、イエス自身は、本当は大変に分かりやすく話したはずなのだ。
ましてや、お釈迦様が、仏典のような難解至極なことを語ったはずがない。

いずれも、長い年月の間に、歪められ、難解に改変され、いまでは何の役にも立たないものになったに違いない。
それは、宗教団体や学者が権威を持つのに必要なことと思えるので、そうなった理由は推測できると思う。

だが、神話や伝説、あるいは、もともとが象徴として書かれた聖典は、歪められないまま残っているものだ。
日本で言えば、「古事記」である。
そして、世界各地には、必ず代表的な神話がある。
古代の賢者達は、神話の中に真理を封じ込めた。
でないと、表面的にはただのお伽噺であるこれらのお話が、これほどまでに根強く残るはずがない。
より面白い神話のようなものなら、いくらでも作れたはずなのだから。

中国の「老子」や「荘子」すら、かなり改変されていると思う。
特に、やたら重々しく書いてしまった「老子」はそうで、比較的軽い調子の「荘子」はまだ被害が少ないと思う。
「神仙伝」「列仙伝」「列子」のような、学者には評価され難いが、庶民に愛されるお話の方に真理がある。
我が日本には、沢山の素晴らしい昔話がある。そして、なんと言っても「古事記」がある。
これらこそ、至高の真理の書なのだ。

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