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2009.06.20

人生で一番楽しかったこと

オーソン・ウェルズの初監督作品で、24歳のウェルズ自ら主演、脚本を行った傑作映画「市民ケーン」で、新聞王ハーストが死の直前に、「バラのつぼみ」という謎の言葉を残す。
その言葉の謎を探るが、まるで分らない。
ある老人は、「きっと大したことじゃないのさ。人間はつまらないことを憶えているものだ」と言い、ずっと昔に見た、白いパラソルを持った少女の思い出を語る。ほんの一瞬見ただけ。向こうは自分を見てもいなかったのに、なぜか忘れられないと言う。

野口悠紀雄さんは、エッセイ集「天使の出現」の中で、そのようなものを「天使の出現の瞬間」と言っておられた。
(この本は、エッセイの大傑作だと思う)

私は、いかなる出来事も必然であり、それは内なる神が、何らかの意図を持って我々に見せたものであり、知的には理解できなくても、内なる心が非常に重要なことを理解することがあるのだと思うし、「市民ケーン」で、「バラのつぼみ」の秘密が明かされた瞬間を見ても、正にそう感じたものだった。

「天使の出現の瞬間」は人生で最も重要なものであると思う。
それは、必ずしも歓喜の瞬間ではないかもしれない。
しかし、それが美とか至福に関係があることは間違いないように思う。
「市民ケーン」のハーストは、豪華な人生を築いたが、彼が最も幸せだったのは、「バラのつぼみ」の記憶として残ったものであり、白いパラソルを持った少女の記憶を語る老人も、その時に、人生の幸福を感じていたのかもしれない。

みなさんは、これまでの人生で最も幸せだったことは何であろうか?
私の場合は、小中学校時代の、夏休みの前日の学校帰りである。しかし、小学校の時だが、その夏休みの、お好み焼き屋の思い出も素晴らしい。お好み焼きが出来上がるのを待ちながら漫画雑誌を読み、やがて座っているテーブルの鉄板にそれが乗せられ、それを食べ始める。
大抵は年長の従兄と一緒で、プールか海に連れて行ってもらう前のことだったと思う。
従兄は、大学の強豪レスリング部の主将で、私はボディーガードを連れ歩いているようなものだった。
私は完璧な至福の中にいたのだと思う。
学校は嫌いだったが、夏休みにまで学校のことを思い出したりはしなかった。これは子供の素晴らしい特性かもしれない。記憶で自分をいじめないのだ。
店は、クーラーなんて洒落たものはなかったが、健康な子供は、本来、そんなものは無い方が良いのだ。当然、その店やプールには、歩きか自転車で行くのだ。
そこには、完璧な幸福の条件が揃っていることが分る。
夏休みの宿題があっても、そんなものは夏休み最終日まで決して思い出さない。今、考えても、夏休みに宿題を出すなど、大きな間違いだ。仮に学校教育にいくらかの価値があるとしても(私は全く無いと思っているが)、夏休みは全く別の学びをする時であり、学校で勉強する時には発達させることのできない能力を育てることが大切なのだ。
私は、そのような精神モードに十分に浸っていたおかげで、非常に幸福な思い出を持つことができたのである。
そして、実際は、人生において、こういったこと以上の幸福など本当はなく、ありもしないものを求めて破滅してはならない。新聞王ハーストのようにね。

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