旅は人生
人生は旅だと言う。
本当に旅に明け暮れる者もいる。
ジュリアーノ・ジェンマ主演の「南から来た用心棒(原題:アリゾナ・コルト)」という西部劇の傑作がある。
流れ者の凄腕ガンマン、アリゾナ・コルトは、イキでカッコいいが、イカサマ賭博もやる。しかし、成り行きからだったが、ある街を無法者達から護って、街の人々の感謝と敬愛を受け、大金を受け取り、その街の美しい娘とも相愛となるが、彼はまた1人で旅立ってしまう。
「エル・カザド」というアニメで、ナディとエリスという2人の少女は、苦難の旅を強いられた末、命がけで目的を果たした後、2人をまるで実の娘のように可愛がってくれる老夫婦に出会い、その家で暮らす。そこは、安らぎと暖かさに満ちていたが、2人はまた旅立った。
旅とは素晴らしいもののようだ。
もちろん、どちらかというと、苦しいことの方が多いだろう。思うようにならないことだらけというか、そもそも、今日のことすら予想が付かないし、思いもかけない災難にひっきりなしに巻き込まれることもある。
それでも、旅には、敢えてそれに挑む価値があるのだ。
我々にできる精一杯の旅は、引越しか転職であるが、我が国の政府は、それを出来るだけ国民にさせないようにしてきた。
平凡な人間として結婚し、子供ができれば、1つの企業に勤め続け、1つの場所に住み続ける。小市民であれば、そのような生涯を良いものであると感じていると思うが、それは外部から押し付けられた価値観である。
そんな人間は自分の考え方や信念を持たず、外部の考え方に同調するので、思想を統制しやすく、素直な扱いやすい労働者となり、大企業主体の産業が発展し、安定した税収が国家にもたらされる。それと同時に民衆は知性ある独立した人間であることをやめるのだ。
だが、やはり人生は旅なのである。
だから、今日何が起こるかなんて分らない。予想外のことが起こるのを当たり前に受け入れるしかない。たとえ、それが悪いことであったとしても、旅の途中でたまたま行き交った場所と時で起きたことだ。文句を言う方がどうかしているのだ。
そう考えたら、特定の場所、人、モノに執着するのは馬鹿げたことであることも分る。
旅人は、旅をしていてこそ生きているのであり、安住の地を求めた時に生きることをやめるのだ。
成功なんてしない方が良い。成功したら、その場所や人々に縛り付けられ、自由な旅人でいることができなくなる。
もっと言えば、あまり良いことが無い方が良い。良いことから旅立つのが難しくなるからだ。
幸せを感じ始めた時こそ、さっさと逃げるべきなのだ。でないと、大切な生命を失ってしまうだろう。旅人はそれを恐れないといけない。
ある意味、旅人は死人である必要がある。欲望という自我においては死んでいないと旅などできない。だが、旅を続けることで、新たな生命を得る。旅の目的もそこにあるのである。
可能なら、本当に旅に出れば良い。
しかし、物理的に旅をすることが難しくても、上記のように生きれば、人生という大いなる旅をしているのである。
人生を旅すれば、そよ風もため息のように感じるかもしれない。
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