アセンションは全人類のブレイクスルーの総体
現在、再びテレビ放送されているアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」で、未来から来た美少女、朝比奈みくるの時間についての説明は次のようなものだ。
時間は連続的なものではなく、断片的なもの。丁度、アニメーションが連続して動いているように見えるが、実際は、1枚1枚の絵を素早く切り替えることで動いているように見えるのと同じ。
そして、みくるは、自分は「パラパラ漫画に描かれた余分なラクガキ」みたいなものだと言う。
彼女は、「時間平面」という言い方をよくするが、これが、時間の断片性(非連続性)をよく表している。
みくるに萌えながら(これは私だが)、これを聞いた方々の反応は、
(1)何も考えずに聞き流した
(2)なんでこんな説明をしたのかといぶかった
(3)そんなアホな。時間は連続的だと思った
(4)まあ、そうだねと納得した
のいずれかではないかと思う。
だが、(4)を除けば、いずれも根本的には同じところがある。それは、時間や、あるいは、運動は連続的なものだと思っているということだ。
いや、(4)の場合だって、実感としては、時間や運動は連続的だと感じているはずだ。
みくるの説明は、原作の通りである。では、著者の谷川流氏がデタラメを書いたのか?
結論から言うと、みくるの説明は本当なのだ。
では、大方の人の反応は、(3)の「そんなアホな。時間は連続的なものだ」となるかもしれない。
実は、アリストテレスもあなたのように考えたのだ。全ては連続的であると。そして、2200年以上も誰も疑わなかったのである。
ニュートンもそれを疑わなかった。ニュートンと、そして、ほぼ同時期にライプニッツが微積分法を発明したが、それは一瞬の時間を切り取って考えるものだとはいえ、時間や運動の連続性を否定してはいなかった。
しかし、1900年、マックス・プランクは、現象の連続性を否定する理論をほとんど気紛れに作ったが、それは、それまで科学の謎とされていた現象を見事に説明できてしまった。しかし、それでも、プランクは「こんな理論嫌だ!」と言ったのである。彼だって、アリストテレス的に考えたかったのだ。
しかし、プランクの発見のおかげで、アインシュタインは光子と呼ばれることになる量子を発見し、紫外線を当てることで金属から電子が飛び出る現象を説明できた。この「光電効果」と呼ばれる理論により、アインシュタインはノーベル賞を受賞した。一説では、アインシュタインの相対性理論は当時は難しすぎて、ノーベル賞の対象にならなかったと言われている。
プランクの発見により、アリストテレスから続き、ニュートンが完成させた古典力学による機械的宇宙論は終焉し、量子物理学の時代が始まった。
「涼宮ハルヒの憂鬱」で、「超能力者」古泉一樹がキョンに言った、「我観測す、ゆえに宇宙あり」もまた、量子物理学の考え方である。
量子力学はミクロな世界でのことであるが、ニュートン力学の支配する普通の世界も同じようなものだと思う。
この世は非連続である。
何事も非連続に起こる。
状況は突然に動く。
何でも、毎日たゆまず練習していると、ある日、不意に驚くほどの上達がやってくる。
だから、経験ある人や知恵ある人は、ブレイクスルーは期待するが、日々の些細な失敗や遅延にはこだわらない。忍耐こそ、成功の必要条件であるのだ。ブレイクスルーがいつ起こるかは分らない。
日々の、変化しない、進歩のない、一見無駄な活動を繰り返せば、ブレイクスルーが起こる。
逆にいえば、日々の活動がなければ何も変化しない。
ブレイクスルーを生む日々の活動とは、心の浄化につながる一切のことと思う。最低限必要なことは、生きるために働くことで、この世は働かないと生きていけないようになっているのはそのためだ。その上に徳を積み、余計に勉強し、訓練に励むなど、自分で工夫すれば、ブレイクスルーは早まり、その規模も大きくなる。
2012年12月22日には、人類規模での歴史的なブレイクスルーが起こる。
それまでに、様々なことが起こるであろうが、我々は淡々と備えるのみである。
それは、個人的ブレイクスルーの総体でもあるのだが、個人でブレイクスルーできない人にアセンション(次元上昇)はないと思う。我々一人一人がどうあるかも重要なことなのだ。黙って待っていれば天国に行けるわけではない。
だが、一部の者達は、アセンションに足るブレイクスルーに達したのである。
そんな人達は、会社に所属しなくても、つまり、組織に頼らなくても生きていけるのかもしれない。羨ましい気もする。何とか、そのレベルまでブレークしたいと思う。
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