« 時を超えて出会うもの | Main | 贅沢をしない »

2009.06.23

光と影

この世は陰陽から成り立っているものであるらしい。
対立する2つのものが、我々の知らない神秘な力を紡ぎだすのかもしれない。
陰陽、プラスとマイナス、光と影、生と死。
また、この世の全てはチャンス(偶然)とチョイス(必然)であると言った賢者もいた。
しかし、それらの意味は同じであるような気もする。

光あるところに影があるとは、我々もよく言う。
誕生と死、破壊と完成。一方の極を考えれば、もう一方の極を我々は思い浮かべる。
荘子は、正反対に見えてもそれらは同じと言う。我々も、心の奥ではそれが分かっているから、「光と影」という言葉に深い洞察を呼び覚ます。
しかし、その意味を本当に理解する者はいない。

私は、それを理解していたのが良寛さんだと思っている。
良寛さんのことは、少なくとも、何となくはご存知と思う。江戸時代の僧侶、歌人で、子供達を集めて一緒に遊んだことで知られている。
良寛さんは、本当に子供好きで、実際に庶民の子供達と遊んだらしい。
しかし、昨日まで居た女の子が居なくなるということがよくあった。家が貧しくて身売りさせられたのだ。せいぜいが10歳かそこらということも多いだろう。身売りさせられた女の子がどんな扱いをされるかは想像できると思う。
本当に信頼できる民俗学の記録によれば、生娘でも最上なのは12~13歳とされ、特に可愛い子なら10歳くらいでくじ引きで取り合いになるようである。
良寛さんは自分が無力であることに絶望した。
だが、良寛さんは、愛読していた「荘子」や道元禅師の名著「正法眼蔵」に書かれてあったことから、光と影について真の理解に達した。
苦しみあっての悟りであった。
だが、言葉で書けるのはここまでだ。
光と影は、コインの表と裏のように、異なる面を映しているが、それは同じコインであり、異なるものではない。
お互い、相補うものであり、同じものと言って良い。
しかし、そう言葉で言ってみたところで、どうにもならない。
良寛さんは救われたわけでもないだろうが、ただ嘆くだけではなくなったと思う。
量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフは、光が粒子であると同時に波動であることを一般の人々に理解させることによって、我々の心が世界の実在に関与することを示そうとする。
我々も、良寛さんが知ったことを少しは理解できるかもしれない。
だが、知的な理解をあまりあてにしてはならないようにも思う。補助にするのは良い。しかし、我々の内に潜む真の英知は、それらを直観で直接知ることができると思う。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

|

« 時を超えて出会うもの | Main | 贅沢をしない »

Comments

こころにおもうことが、やがて表に表れるという言葉をおもいだしました。心が光で満たされますように。

Posted by: ひろこ | 2009.06.24 06:51 PM

★ひろこさん
確かに、こころで思ったことが確実に世界に現れます。
ただ、私は、こころが世界をどう解釈するかで、出現する世界が決定すると思っていますし、その研究をしています。
それは、必ずしも欲望を満足させることや、都合の良いことでないかもしれません。
でも、自由になることは叶うと思っています。

ちなみに私はにゃんこ萌え・・・^^

Posted by: Kay | 2009.06.24 09:42 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 光と影:

« 時を超えて出会うもの | Main | 贅沢をしない »