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2009.06.30

貴き少食者だったマイケル

マイケル・ジャクソンもかなりの少食であったようだ。
1日1食のベジタリアンだと聞いた覚えがあるが、本当はどうだったかは知らない。しかし、極端な少食であったのは確かなようだ。
ニュースによると、死亡した彼の体重は51kgだったというが、身長は178cmであったと思うので、これはあまりに少ない。以前の公式プロフィールでは55kgであり、こちらですら相当に軽い。
マイケルが裸身に近い格好をしたことは案外に無いと思うが、有名なスーパーモデルのナオミ・キャンベルと共演したミュージック・クリップ(マイケルはショート・ムービーと呼ぶ)「イン・ザ・クローゼット」では、ぴっちりとしたタンクトップ姿のマイケルが見られる。細身で不要な筋肉は付いていないが、バレエ・ダンサーを思わせるような身体は非常に美しかった。マイケルは33歳か34歳だったと思う。

一部のニュースで、マイケルが体形維持のために無理な少食をしているかのような記述もあったが、これは正しくない。
1日1食の菜食、少食は、肉体および精神に最上のものであるはずだ。彼の健康に問題があったとすれば、やはり、我々庶民には想像も付かないストレスと事故の後遺症であろう。
尚、彼はスナック菓子は好きで、よく食べていたらしいが、予定されていたロンドンでのコンサートに備え、それも絶っていたらしい。立派なことだと思う。

実は、私の1日1食の菜食主義には、マイケルの影響も大きかった。
私は、元々が、プロレスリングのジュニア・ヘビー級の体格を理想と考え、特に、ジュニア・ヘビーでは史上最高の選手と思うダニー・ホッジの肉体(182cm、102kg)が最上と思っていた。
私は180cmなので、肉食で大食し、ウエイトトレーニングをして100kgを目指したが、なかなか90kgにも達しなかった。余談だが、三島由紀夫もそんな時期があったらしい。
なんとか90kgを超えたが、ヘビー級が相手でも無敗のグレイシー柔術のヒクソン・グレイシーが178cmで84kgなので、無理に100kgに持っていく必要もないと思い始めた。
そんな中で、水野南北の「相法修身録」にある食の慎みに共鳴したが、マッチョな体格への未練を捨てられたのは、マイケルの美しいボディの記憶のおかげであった。

現在、マイケル・ジャクソンのDVDは、注文が殺到しているせいか、Amazonでは納期がかなりかかるようになっている。
しかし、私は、マイケルのほとんどの曲が入ったCDや、やはりほとんどのミュージック・クリップ作品の入ったDVDは既に所有している。「デンジャラス・ツアー」としては、ルーマニアのブカレストのコンサートがDVD化されており、私も所有しているが、本当は、テレビ放送で見た、イギリスのウェンブリー(ロンドン)のものの方が好きだ。
やはり、マイケルが33歳か34歳の、最も洗練されてきた頃だったと思う。
マイケルがこれほど苦しまねばならなかった世界は、やはりひどく歪んでいるのだと思う。

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私はなるべく話さない

最近、私はなるべく話さないことにしている。

電車の中で、大学生と思える2人の男子が、大きな声で話をしていた。
ひどく下らない内容で、以前なら、私はひどく不快に思ったはずだが、長く種観霊という行をしているせいで、さほどの感情は出てこない。種観霊とは、自分が作り出している外部世界の意味を感じる行である。

その時思ったものだ。
言葉というものは、我々が思っているどころではない重要なものだ。
悪い言葉を使うと、どれほどの害があるのかは予想もつかない。
最近は、若者の言葉が乱れているとよく言われるが、乱れているなんてものではない。それがどんな影響を生み出しているか、考えるのも恐ろしい。
しかし、私だって、人と話せば、決して良い言葉を使わず、むしろ、後で後悔するような言葉を多く使っているものだ。それなら、必要がない限り、話さない方が良い。
そして。心が整ってくると、話す必要もなくなってくる。
「話せば分る」という有名なセリフがあるが、人間は話しても分らないのだ。なぜなら、人が理解できるのは、自分が持っている概念の中、言い換えれば、個人や集団の偏見、あるいは、幻想だけであるからだ。
普通の言葉は、偏見や幻想を強化するために働く。
それは、心の中の言葉でも同じではあるが、話された言葉の効果は大きいのだ。
それならば、私はなるべく話すのをやめようと思う。

ラマナ・マハリシは、相互理解は、一緒にいる時に沈黙の中で訪れると言った。
アニメ「ちょびっツ」で、秀樹は「幸せってのが分った。それは一緒にいるってことだ」と言った。
イツァク・ベントフの「ベントフ氏の超意識の物理学入門」に、一緒にいることで、波動的共鳴が起こり、一体化するという話がある。
そして、一度、波動的関係を持つと、離れても相手に影響を及ぼす。その通信速度は、いかに不思議でも光よりも速いのである(特殊相対性理論により、光速より速いものは存在しないはずである)。

言葉は注意深く、慎重に使わないといけない。
自然に聞こえ、美しい言葉を使うのが良い。
醜い言葉、無駄な話、不要な褒め言葉(良からぬ意図があるのが普通だ)を言う者は不幸である。

シャープという会社の液晶テレビのCMで、吉永小百合さんが「アクオスしましょう」と言う。あんな素晴らしい人に、こんな言葉を使わせることが、日本をいかに汚しているかと思うと、私は悲しみに耐えない。

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2009.06.29

我々に権利なんてものはない

戸塚ヨットスクールに入学する少年達は、ほぼ全員、無理矢理に連れてこられたのだろうが、指導員の言うことを全く聞かないようだ。
彼らは、「自分には権利がある」「私の尊厳は守られるべきだ」と主張するらしい。

では、この私に権利があったりするのだろうか?
犯罪歴はなく、きちんと税金を納め、経済的にも政府の援助を受けていない私に。
さらに、定額給付金の申請手続きをする気もない私に(単に面倒なだけだが・・・)。
結論から言って、私は、自分に、国によって保証されるべき権利など全くないと思っている。
権利があるから、毎日食べられ、安全に過ごせるのではない。単に、たまたまである。
現実的にそうなのである。別に不満はないが、国家が私の生活や安全を保証するはずがないのは当たり前である。

戸塚ヨットスクールでも、昔であれば、権利を主張する小賢しい甘えたガキには、一発バーンと張り倒して言うことを聞かせ、短期間で更生させることができたそうだ。今はスクールも大変で、更生に必要な期間が余分に必要な分、費用も高くなり、親御さんも大変と思う。

現在は、犯罪者の権利も声高に主張され、刑務所は居心地の良い場所となり、犯罪者は何度でも半永久的に戻ってくる。
江戸時代なんて、実は治安は抜群だった。
当時の牢屋敷の恐ろしさは凄いもので、犯罪をやろうなんて者は、余程の政治力がある大物か、余程の馬鹿かのどちらかに決まっていた。
当時の牢屋敷の実情は公式の記録にはほとんど無いと思うが、そこに入った者が後に文章にしたものが時々ある。その内容は、私も、とても書く気になれない。どんな恐ろしいホラー小説だって平和に感じるほどなのだ。
しかし、そんな牢屋敷の在り様が、確かに犯罪の抑止力にはなっていたのではあるまいか?

自分に何らかの権利があるなんて決して思ってはならない。それが現実と思う。
その現実を受け入れた時に、我々は強くなるのである。
ニートが2歳児なみに弱いのは、自分に権利があると妄想しているからだ。彼らには、自分に権利など無いことを思い知らせるのが一番なのである。
ニートには、自分の愚かな考えを主張する権利も当然ないのである。昔であれば、「一人前になってからモノを言え」が常識であったのだが、そんな常識が通用しないなら、日本は終わりである。いや、既に終っていると思う。

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ただ歩く

少し前から、散歩をするようになった。
これまでは、家の近くにある、大きな池の周りを歩いていたが、人々の散歩コースらしく、日が落ちてくると、大勢の人が歩くことになる。まだ日が高いうちに歩いても、それなりに人はいる。
その大半は老人であるが、皆、スポーツのつもりでせかせかと早足で歩いている。
また、ジョギングをする人もいる。
せっかく良い風景なのに、もっとのんびりと歩けば良いのにと思う。
私は、池や木々を眺め、水鳥の声を聴き、亀と話し、そして、周りに人がいなくなると、とっておきの呪文を唱える。

昨日は、午前10時過ぎに、街中を散歩した。日も既に高くてかなり暑く、人通りは非常に少ない。
しかし、車が多い。歩行者は邪魔者である。道は、あたかも自動車用で、歩行者向きではない。
だが、車に乗っている人のほとんどは、車に乗るほどの用で乗っている訳では無いのではないだろうか?
そして、駐車場がやたら多い。そこに止まっているほとんどの車も、間違いないく無駄なものだ。
人間にとって、身体にも、精神にも、歩くことは非常に大切なことなのに、それがあまりに少なくなったように思う。身体や心に歪みが出てくるのは当然なのだと思う。

8kmほど家から離れると、少し汗が出てきた。1年前の私なら汗だくになったはずだ。昨年8月7日から、1日1食で、肉やお菓子を食べず、体重も30kgは少なくなったおかげで、まだまだ平気だ。
そこから、家の方に向かって歩いたが、さすがに疲れてくる。
しかし、たかだか10数km程で疲れるとは、情けない話であると思う。
ただ、歩いていると、2人の美少女と出逢った。明るい日差しの中でひと際輝いていた。美しい。いずれも、目が合うと、なんと微笑んでくれた。パワーが回復する。
とはいえ、最後の2kmはやや苦しかった。しかし思った。少しくらい辛いのを我慢することが大切なのだ。そう思い、ただ淡々と歩く。
家にたどり着いた時は正直、かなり疲労していた。
もう車に乗るのはやめだ。そう思った。歩くのに慣れたら、山にも行こうではないか。やがては、インド、エジプト、メキシコ、ペルー・・・と夢が広がるようである。

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2009.06.28

無気力を克服する

やる気が出ない、無気力だという人は多いと思うが、本能の力が衰えているのだろう。
これは、子供も大人も変わらない。
ではなぜ、本能の力が衰えているかというと、生命の危機に遭うことがないからだ。

私は、戸塚ヨットスクールの戸塚宏さんを、唯一の本物の教育者だと思っているが、戸塚さんは、それを脳幹の力が衰えているからだと言う。
そうかもしれないが、私は脳幹を見たことがないので、本能の力とのみ言う。

「美少女戦士セーラームーン」という漫画で、セーラーマーズこと火野レイが、「私が求めていたのは、身中体の血が燃えるようなこの感じよ!」と言ったが、誰しも同じだ。身体の内から湧き上がるエネルギーが欲しいのだ。
セーラームーンの作者の武内直子氏は素晴らしい賢者と思うし、大変な勉強家であることが分かる。セーラー戦士達は、一時、皆、無気力症になり、俗っぽい悩みに陥る。そして、復活したセーラーマーズの言葉が上のものだ。彼女は慰めや平和を捨て、生命の危機の道を選んだ。
ポール・マッカートニーの名曲“Let it be”では、貴き聖母マリアの賢き言葉は「あるがまま」であったが、それではやる気が出ない。

本能を鍛えるには、戸塚宏さんが言われるように、生命の危機を味わうしかない。それは絶対に間違いがない。
本能の力が高まると、やる気も出て、不登校も引きこもりも解決する。他の教育者にも優れた人たちはいるが、彼らの方法はエリートのためのものだ。彼らはエリートは作れても、案外に自分の子供は引きこもりだったりするのだ。

「スタートレック」という映画で、もう若いとは言えない年齢になったカーク船長が、休暇に危険なロッククライミングを行う。断崖絶壁をよじ登っていくのだが、カークは誤って落下し、死の直前にジェット装備の靴を装着したスポックに救われて命拾いする。一緒にいたドクター・マッコイに激しく非難されるが、カークは平気だ。
生命の危機を常に求めるのが本物の男であり、それでこそ、生の実感を得られるのだ。

生命のリスクのあることに挑戦しないとやる気は出ない。
そして、それは、確かに、間違えば死ぬことを意味する。でないと、それは生命の危機でない。
ただ、戸塚ヨットスクールでの生命の危機は、あくまで擬似的なもので、昔の戸塚ヨットスクール事件は不幸な事故であったが、現在では危険は全くない。
しかし、それでも、生徒は生命の危機を味わえる点、素晴らしいシステムであると言えると思う。
戸塚ヨットスクールは、あくまで子供向けの学校であり、そこで行われるのは教育である。
大人であれば、自ら工夫し、生命の危機を味わいたい。大人は人生に立ち向かうことで生を勝ち取るものだ。

なぜ旅にのめりこむ人がいるのか?
やはり、そこに生命の危機があるからだと思う。
今日、何が起こるか分からない危機的状況に身を置くことにより、生命力が湧き上がる。苦しいが、それこそ本当の喜びであろう。
対して、何でも与えられる日本の若者が引きこもりやニートになるのは当たり前であると思う。

さて、手軽に、簡単に生命の危機を味わえる方法が少食である。
言うまでも無く、生物は栄養を摂取しないと生きていけない。その栄養を絶つのだ。
西式・甲田療法で、難病が奇跡のように回復するのは、少食で生命の危機に陥らせることで、本能の逆襲を誘発するのだと思う。
そして、少食には、それでけではない、徳の力が加わる。他の生き物の生命を護る徳である。
人間にのみ個別の霊がある。自らの意思で食を慎み、欲望に打ち勝ち、他を生かすことで魂が磨かれる。

ただ、楽しい人生を求めるなら、そこそこの少食を実践すると共に、やはり、旅や登山や自然の海で泳ぐなどを行うべきである。
極端な少食は、やはり魔道なのだ。世を捨て、仙人でも目指すならそれで良い。(成功の可能性は極めて低い)
とはいえ、少食は素晴らしい効果がある。
ニートは食事を抜かないといけない。3食たっぷりと与えられ、おやつまで用意されて、まともな人間になるはずがない。そして、それが全てのニートの状況のはずだ。

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2009.06.27

死んでもちっとも変わらんな

昨夜、キッチンの流し場に居たら、大きなゴキブリがお出ましになった。
少し、習慣的な感覚が残っていたらしく、ちょっとギョっとしたが、すぐに治まった。
別に、可愛いとまでは思わないが、平然と見ることができた。
以前なら、すぐにゴキジェットを探したはずだ。

その時、ゴキブリが消滅した。
私は別に驚かなかった。似たような経験があるからだ。
かなり前のことだが、私は自分の部屋でうたた寝をしていた。その時、目の前の壁に黒いトカゲが現れた。身体を柔軟に動かしながら、壁を見事に歩き、私の方に近付いてきた。これまで見たことのない大きさの風格ある、美しいトカゲだった。
私は金縛り状態で、身体が全く動かず、ただトカゲを見ていた。
トカゲはついに私の目の前まで来た。その時、トカゲは壁の黒いシミに変化した。コンピュータ・グラフィックでいうモーフィングのように連続的にトカゲからシミに変わったのだった。

コリン・ウィルソンの「右脳の冒険」という本だったと思うが、世界というものは、我々の内部にいる魔術師が、一瞬で構築するものであるという説があるらしい。
量子物理学者なら、外部に見られるものは、我々の解釈の投影に過ぎないと言うかもしれない。
量子力学を認めようとしなかったアインシュタインでさえ、自分が持つ概念に合致しない観測結果とは、しばしば見逃されてしまうものだと言った。

アイルランドの「20世紀最大の詩人」とまで言われたW.B.イェイツは、自伝的小説「まだらの鳥」で、海の上に浮かぶ精霊の少女を見たことを書いている。その時、空気は澄み切り、彼女の服のひだの細かなところまではっきり見えたとある。
精霊の少女は「あなたはいつ仕事を始めるの?」と責めるように言った。
これは、私にとってもリアルに感じる。
精霊の少女の言葉は、イェイツが自己を投影した主人公マイケルにとって、自分に浮かんだ考えと区別できなかったはずだ。
誰かと強く一体感を感じている状況では、相手の考えが分り、言葉が聞こえても、自分が話しているのか相手が話しているのか分らなくなることがあるものだ。
元々が自分と他人に区別はないのだ。

突然に死んだ人は、自分が死んだことが分らないことがよくある。原爆で街が消えても、想念でこれまで通りの世界を創り出し、これまでと同じように出勤し、仕事をする。
だが、実を言うと、我々の現実と言われるものにしたって、それと変わらないのだ。
古代の人間は、そもそも、生と死を区別していなかった。つまり、自分が死んだことを意識しないのである。
私の父が死んだ後で、母が、「別段、それまでと変わらず、お父さんと一緒に生活していた」と不思議がっていたものだ。
有名な「生きがいの創造」という本には、死んだ人と、生きている時と全く変わらない様子で会う話が出てくるが、同じようなものかもしれない。

私は、夢の中で、ずっと昔に死んだ愛犬と久々に会った。
私は彼(オス犬である)に言った。
「おまえ、死んでもちっとも変わらんな」
相変わらず、落ち着きのない様子だったのだ。

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2009.06.26

不食へ

昨年8月7日から、1日1食、菜食主義、間食無しの生活に入り、1年近くになる。

当初は、1回の食事は、米半合と、豆腐一丁(スーパーで売っている1食パック)に漬物か野菜少しといった極端な少食だった。
体力が必要な夏とか言われ、世間ではしっかり食べろの大合唱であるが、昨年の夏はこの食事で全く十分で元気に過ごした。
驚いたのが風邪をひかなくなったことだ。私は風邪を引きやすく、風邪薬を飲まないのは週1~2回だったのが、1日1食になってから1度も飲んでいない。
そういえば、阪神淡路大震災の時は、現在と比べても国の災害対策の意識がひどく低く、当時の村山総理らは、震災の日ものんびり朝食会をするほどで、被災地への救援は遅々として進まず、被災者の多くは何日も食べずに過ごさないといけなかった。しかし、真冬の寒い避難施設では、ほとんど誰も風邪をひかず、食料が配給された直後に、インフルエンザが大流行したという。
今騒がれている新型インフルエンザに対する最も有効な対策も少食であると思う。秋以降、強毒化しても、私は自分に関しては全く心配していない。

その後、11月には健康診断を受けた。その頃は、身長180cmで94kgだった体重は68kgになっていた。
前の年までは、健康診断の結果はひどいもので、「要注意」「要精密検査」の羅列であったが、全項目A(最高)となった。
そればかりか、0.1もなかった視力が0.9まで上がり、眼鏡が不要になってしまったのだ。
少食の威力恐るべしである。

その頃から、食事の量はやや増えていた。そして、正月になり、朝からおせち、お雑煮、そして、来客と昼に夜に大いに飲み食いし、この時ばかりはヨウカンなどのお菓子も食べたが、体重は全く増えないばかりか、減り続けた。
2月には63kgになった。そして、現在まで、5ヶ月ほど、全く変わらない。
体形をまとめると、身長180cm、体重63kg、胸囲91cm、ウエスト71cmで固定された感じである。
東洋式の運動の中に、たまに西洋式のストレッチやウエイトトレーニングを取り入れたものを毎日欠かしていないので、まあまあ良い身体をしている。

この5ヶ月、全く体重が変わらないのには、かなり食べているからというのもある。でないと、もっと痩せると思う。
1日1食で、肉やお菓子を食べないことは変わらないが、魚は時々食べるようになった。日本人は昔から魚を食べてきたのであり、身体への馴染みは悪くない。
また、ブロッコリー、セロリ、レタス、キャベツといった野菜や、ジャガイモ、タケノコといった根菜類は、多少多目に食べるようになった。
食後に、はったい粉半合とアーモンドやクルミを食べ、デザートの果物もそこそこ食べている。
また、朝と昼は食べないながらも、コーヒーやココアを1日3~5杯飲み、脳のエネルギーを気遣って黒砂糖やキャンディを舐めることはある。
しかし、1日1食だと、とにかく食事が美味しく、何を食べても天国の味である。
この半年ほどは、生まれて初めて、食事の本当の美味しさを存分に味わったのである。
子供の時ですら、食べたくもないのに無理矢理食べさせられたと思う。大人は、それが子供のために良かれと思っているのだろうが、それは完全な間違いだと思う。私は、給食を食べずにいさせてくれたら、それだけで幸せだと思ったのだ。別に給食が不味いというのではなく、お腹が空いていないのだ。

1日1食に欠点は何もない。身体は強く、健康になり、頭は冴える。スリムな身体は美しく自信ができる。
身体が引き締まっていると、特別な服を着る必要もない。スリムな身体に優るファッションはない。何を着ても格好良い。

しかし、私は、2012年12月22日には、現在の人類は終焉すると決め付けていることもあり、是非、それまでに宇宙の真理を解き明かし、偉大なシャーマンや仙人のような存在となり、自由自在の力を獲得する準備をする時が来たように思う。
それには、いろいろな方法があるのかもしれない。
エハン・デラヴィや、グラハム・ハンコックは幻覚剤の使用を薦めているし、特にハンコックは、これ以外の方法は無いとまで言っているように思う。フレッド・アラン・ウルフは、信頼するシャーマンに、必ずしも幻覚剤は必要ではないと言われてはいるが、その効果の大きさは認めている。
しかし、彼らは、少食という最大の切り札に気が付いていないように思う。
ハンコックは、釈迦やイエスも幻覚剤を使ったに相違ないと言うが、彼らが行ったのは断食であることは間違いない。

私は、東洋の、そして、日本の伝統でもあり、また、W.B.イェイツも愛したケルト地方の伝統でもある少食と想像力が創る幻視、そして、神道から来る教えを中心にアセンションを果たそうと思う。
シャーマンの教えやタオイズム(道教)、量子力学、その他の優れた教えも大いに学びたいが、その根底に置くべきなのが、水野南北も言った「食が全て」だ。
今日から、さらに食を慎むことにする。
やがては、全く食べずに生きる不食にまで達すると思う。
そう決意すると、非常にワクワクする。まるで子供の頃の、夏休みの前の日の気分である。

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学校や会社に行かずに済む方法

年をとれば時間が速く過ぎると言う。
いろんな人がその理由付けをする。それを信用するな。全部嘘だ。
時間は幻想だ。実際は存在しない。

楽しい時間は速く過ぎ、辛い時間は長い。
時間が相対的であることを証明したアインシュタインもそう言っていた。
では、若い時の方が楽しく、老人は辛いことが多いことを考えれば、年をとれば時間が速く過ぎるというのは矛盾である。

ただ、全人類における時間の幻想の中で、今、その流れる速さは確実に速くなっている。
今の1日の感覚は、昔に比べれば4倍くらいだ。つまり、1日は6時間程度になっているのだ。
学校や会社が辛くても、今は、月曜日になると同時に金曜日になっているような感じである。
私など、会社に行った記憶すら無い。それでも、給料が振り込まれているところを見ると、やはり会社には行っているのだろう。
なぜなら、私は毎日が土曜日か日曜日だと決めているからだ。月曜や火曜など、必要なら後から作れば良い。
みなさんも、世界を自由に創造して欲しい。

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2009.06.25

アセンションは全人類のブレイクスルーの総体

現在、再びテレビ放送されているアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」で、未来から来た美少女、朝比奈みくるの時間についての説明は次のようなものだ。

時間は連続的なものではなく、断片的なもの。丁度、アニメーションが連続して動いているように見えるが、実際は、1枚1枚の絵を素早く切り替えることで動いているように見えるのと同じ。
そして、みくるは、自分は「パラパラ漫画に描かれた余分なラクガキ」みたいなものだと言う。
彼女は、「時間平面」という言い方をよくするが、これが、時間の断片性(非連続性)をよく表している。

みくるに萌えながら(これは私だが)、これを聞いた方々の反応は、
(1)何も考えずに聞き流した
(2)なんでこんな説明をしたのかといぶかった
(3)そんなアホな。時間は連続的だと思った
(4)まあ、そうだねと納得した
のいずれかではないかと思う。
だが、(4)を除けば、いずれも根本的には同じところがある。それは、時間や、あるいは、運動は連続的なものだと思っているということだ。
いや、(4)の場合だって、実感としては、時間や運動は連続的だと感じているはずだ。

みくるの説明は、原作の通りである。では、著者の谷川流氏がデタラメを書いたのか?
結論から言うと、みくるの説明は本当なのだ。

では、大方の人の反応は、(3)の「そんなアホな。時間は連続的なものだ」となるかもしれない。
実は、アリストテレスもあなたのように考えたのだ。全ては連続的であると。そして、2200年以上も誰も疑わなかったのである。
ニュートンもそれを疑わなかった。ニュートンと、そして、ほぼ同時期にライプニッツが微積分法を発明したが、それは一瞬の時間を切り取って考えるものだとはいえ、時間や運動の連続性を否定してはいなかった。
しかし、1900年、マックス・プランクは、現象の連続性を否定する理論をほとんど気紛れに作ったが、それは、それまで科学の謎とされていた現象を見事に説明できてしまった。しかし、それでも、プランクは「こんな理論嫌だ!」と言ったのである。彼だって、アリストテレス的に考えたかったのだ。
しかし、プランクの発見のおかげで、アインシュタインは光子と呼ばれることになる量子を発見し、紫外線を当てることで金属から電子が飛び出る現象を説明できた。この「光電効果」と呼ばれる理論により、アインシュタインはノーベル賞を受賞した。一説では、アインシュタインの相対性理論は当時は難しすぎて、ノーベル賞の対象にならなかったと言われている。

プランクの発見により、アリストテレスから続き、ニュートンが完成させた古典力学による機械的宇宙論は終焉し、量子物理学の時代が始まった。
「涼宮ハルヒの憂鬱」で、「超能力者」古泉一樹がキョンに言った、「我観測す、ゆえに宇宙あり」もまた、量子物理学の考え方である。

量子力学はミクロな世界でのことであるが、ニュートン力学の支配する普通の世界も同じようなものだと思う。
この世は非連続である。
何事も非連続に起こる。
状況は突然に動く。
何でも、毎日たゆまず練習していると、ある日、不意に驚くほどの上達がやってくる。
だから、経験ある人や知恵ある人は、ブレイクスルーは期待するが、日々の些細な失敗や遅延にはこだわらない。忍耐こそ、成功の必要条件であるのだ。ブレイクスルーがいつ起こるかは分らない。

日々の、変化しない、進歩のない、一見無駄な活動を繰り返せば、ブレイクスルーが起こる。
逆にいえば、日々の活動がなければ何も変化しない。
ブレイクスルーを生む日々の活動とは、心の浄化につながる一切のことと思う。最低限必要なことは、生きるために働くことで、この世は働かないと生きていけないようになっているのはそのためだ。その上に徳を積み、余計に勉強し、訓練に励むなど、自分で工夫すれば、ブレイクスルーは早まり、その規模も大きくなる。
2012年12月22日には、人類規模での歴史的なブレイクスルーが起こる。
それまでに、様々なことが起こるであろうが、我々は淡々と備えるのみである。
それは、個人的ブレイクスルーの総体でもあるのだが、個人でブレイクスルーできない人にアセンション(次元上昇)はないと思う。我々一人一人がどうあるかも重要なことなのだ。黙って待っていれば天国に行けるわけではない。
だが、一部の者達は、アセンションに足るブレイクスルーに達したのである。
そんな人達は、会社に所属しなくても、つまり、組織に頼らなくても生きていけるのかもしれない。羨ましい気もする。何とか、そのレベルまでブレークしたいと思う。

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「神である幻想」と「神でない幻想」

「新世紀エヴァンゲリオン」も「涼宮ハルヒの憂鬱」も、量子物理学をベースにしたようなお話で、よく似ている。
量子物理学者のシュレーディンガーは、量子物理学と生物学を統合しようと試みたが、量子物理学と心理学の統合も興味深いと思える。

フロイト派心理学者の岸田秀さんの本で読んだが、赤ん坊は世界と自分の区別ができないので、自分イコール世界と感じている。
量子的関係性において、自分は宇宙全体でもある。
だが、いずれもそう感じているのは意識であり、両者に違いはないように思う。
岸田さんは、赤ん坊の、「自分イコール世界」観は、自分が神であるという一生続く幻想をもたらすという。
しかし、本当は自分が神でないということの方が幻想かもしれない。
「新世紀エヴァンゲリオン」や「涼宮ハルヒの憂鬱」を見ながら、それを見極めてみたいものだ。
特に、「新世紀エヴァンゲリオン」の最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの~Take care of yourself~」は、全くの量子力学のお話のように思う。

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2009.06.24

ニートは戸塚ヨットスクールで鍛えるべきだ

以下は、私のとても真面目な気持ちであり、ニートの希望ある将来と、何より、彼らの親御様の幸福を願ってのものである。

石原慎太郎さんは、「戸塚ヨットスクールを支援する会」の会長であることを堂々と公言するあたり、大した度胸であると感服する。
信念のために評判を恐れないところは、立派な政治家と言えると思う。

戸塚ヨットスクールは、ヨットの操縦を通じ、不登校、引きこもり、不良の矯正に多大な実績を上げたが、いわゆる戸塚ヨットスクール事件により校長の戸塚宏さんが3年間服役する。しかし、戸塚さんは、釈放後もスクールを続けることを明言し、それを実行している。

私は、引きこもりは気質であり、それ自体は良いも悪いないが、ニートは大問題と思っている。
思想家の吉本隆明さんは著書に書かれているが、吉本さん自身も引きこもりであるが、引きこもりには良い面も確かにあると言う。これについては、やはり強い引きこもり気質の私も同感だ。
しかし、ニートが引きこもり気質である場合が多いかもしれないとしても、引きこもりイコールニートでは絶対にない。
大部分の引きこもりは、辛いながらも働いているし、私自身がそうであったように、働いてこそ人間としての力や自信が付き、引きこもり気質の弱点を克服していけるのである。
戸塚ヨットスクールでは、厳しい自然の中の、甘えも屁理屈も通用しない状況に身を置くことで、本能的な能力が鍛えられ、見事に心身が向上する。それは、精神的な幼児の段階を脱し、大人の仲間入りをする準備が整うということである。言うまでも無く、経済的に自立してこそ本当の大人である。
何でも与えられている甘ったれたニートは、わがままで身勝手な主張ばかりの、きかん坊の2歳児と同じで、全く始末におえず、口で何を言っても無駄であり、このように、命がかかった状態に追い込むことで、初めて彼らは必死になることが出来、それによって成長する。
まことに合理的であり、著名な脳解剖学者の養老孟司さんも、その教育方針に賛同しているようだ。

確かに、戸塚ヨットスクール事件は、管理の甘さが起こしたものであり、この点の責は免れないと思うが、教育理論としては全く正しいのである。
以前、テレビで見たが、竹村健一さんも、やはり、スクールの管理方法に間違いがあったことは認めながら、その教育方針に関しては全面的に賛同していたようだ。
だからこそ、現在も戸塚ヨットスクールは評価を得、運営が続いているのであろう。

野生の動物がなぜ精神的逸脱を起さないかというと、常に生命の危機の状態にあるからだと思う。
野生動物も、飼育され、安全な状態になると、やはり精神を病み、それが肉体の病気に至ることもある。
人間も、脳幹部分の機能はやはり動物と同じであり、心身のバランスのためには、あまりに安全であったり、生きるための苦闘が全くない状態は全く好ましくは無い。そんな状態では、ニートがそうであるように、無気力で自堕落になるのは当然かもしれない。
さらに、ニートの大半が3度の食事をたっぷり食べられる上に、おやつまで与えられるという呆れた状況と思う。野生動物がたくましく生命力があるのは、空腹が当たり前だからだ。ライオンやチーターだって、常に満腹ではやる気が起こるはずがない。

サルトルは、戦時下のフランスの街を歩き回った時に、生命力が高まり、高揚感を感じたことを述べている。
さらに極端な例では、無気力に取り付かれた男が、ロシアン・ルーレットを試したところ、そのようなものがたちまち吹っ飛び、精神が済み切ったと言う話がある。
吉本隆明さんが著書に書かれていたが、戦争中にだって引きこもりはいたが、引きこもってなどいられる状況ではなく、無理に引っ張り出されて、ぐずっていると殴って動かされたが、それで精神病になったなんて話はないようである。やはり、甘やかさないことが重要である。
言うまでもなく、やり方に限度は必要だが、人間は保護されるだけ、与えられるだけでは絶対に堕落するのである。

ニートは戸塚ヨットスクールに入れるしかないと思うようになった。
屁理屈も甘えも一切通用しない世界に放り込めば良い。
それしかないように思う。

世の中には、ニートに対し、やたら過保護な甘い対応を訴える教育者や医者がいるし、また、働くことが良いこととは限らないなどという主張をする人気著作家もいる。
しかし、それでどうやって食べていくのだ?
また、いつ自分で食べていけるようになるのだ?
効果的な方法で鍛えるしかないはずだ。
戸塚ヨットスクールは現実的な解を出しているのである。
是非、戸塚宏さんに教えを受け、全国にこのようなスクールを広めたいものと私は思う。

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贅沢をしない

子供の時、有名なオールコットの「若草物語」を読んだ中で最もよく憶えているのは、姉妹達の母親が、「何ごとも、足りない目の方が良いのです」という言葉だ。
この文章を目にした時の感動は忘れない。

そして、今頃になって、贅沢は人を駄目にするものだなとはっきり思うようになった。
北京オリンピックでは、一流ホテルに宿泊する日本の野球選手達は、選手村の5人部屋に宿泊する韓国に歯が立たなかった。
サッカーでは、44年振りのワールドカップ出場が決まった北朝鮮チームは、決して上手くはないらしいが、選手たちは自家用車を持たず、公共の交通機関で練習場入りし、自分で洗濯し、食事も十分ではないようだ。
坂井泉水さんは、成功してからも電車でスタジオ入りしていたようだ。

世間的なことですら、贅沢は成就を妨げるように思う。
ましてや、人間存在の本質に関ることでの影響は絶対的と思う。
もし、2012年に現在の人類が終焉し、新しい人類として生まれ変わるとしても、それは不要な贅沢を遠ざけた者のみに訪れるものであると思う。

私は、食事は1日1食で美食を避けているし、着るものも、必要最低限しか持たないようにした。
家には、一部屋に1つエアコンを設置してしまったが、もう滅多なことでは使うまい。
そういえば、「プロレスの神様」カール・ゴッチは、エアコンを決して購入しなかったようだ。
私は、多くのことで、これまで贅沢をし過ぎた。
少し前は、新車の購入を計画していたが、今乗っているのが何の問題もなく使える。
まずは、必要もないものを買わないことを徹底しよう。
大量消費こそが人を駄目にする。
ものを大切に長く使う。これこそが日本の美徳であり、日本人の精神の崇高さ、清らかさ、神秘性、さらには強さを育んできたのである。
しかし、我が国では、大量消費教という宗教が猛威を振るっているのだ。その洗脳を解かない限り、アセンションはないであろう。

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2009.06.23

光と影

この世は陰陽から成り立っているものであるらしい。
対立する2つのものが、我々の知らない神秘な力を紡ぎだすのかもしれない。
陰陽、プラスとマイナス、光と影、生と死。
また、この世の全てはチャンス(偶然)とチョイス(必然)であると言った賢者もいた。
しかし、それらの意味は同じであるような気もする。

光あるところに影があるとは、我々もよく言う。
誕生と死、破壊と完成。一方の極を考えれば、もう一方の極を我々は思い浮かべる。
荘子は、正反対に見えてもそれらは同じと言う。我々も、心の奥ではそれが分かっているから、「光と影」という言葉に深い洞察を呼び覚ます。
しかし、その意味を本当に理解する者はいない。

私は、それを理解していたのが良寛さんだと思っている。
良寛さんのことは、少なくとも、何となくはご存知と思う。江戸時代の僧侶、歌人で、子供達を集めて一緒に遊んだことで知られている。
良寛さんは、本当に子供好きで、実際に庶民の子供達と遊んだらしい。
しかし、昨日まで居た女の子が居なくなるということがよくあった。家が貧しくて身売りさせられたのだ。せいぜいが10歳かそこらということも多いだろう。身売りさせられた女の子がどんな扱いをされるかは想像できると思う。
本当に信頼できる民俗学の記録によれば、生娘でも最上なのは12~13歳とされ、特に可愛い子なら10歳くらいでくじ引きで取り合いになるようである。
良寛さんは自分が無力であることに絶望した。
だが、良寛さんは、愛読していた「荘子」や道元禅師の名著「正法眼蔵」に書かれてあったことから、光と影について真の理解に達した。
苦しみあっての悟りであった。
だが、言葉で書けるのはここまでだ。
光と影は、コインの表と裏のように、異なる面を映しているが、それは同じコインであり、異なるものではない。
お互い、相補うものであり、同じものと言って良い。
しかし、そう言葉で言ってみたところで、どうにもならない。
良寛さんは救われたわけでもないだろうが、ただ嘆くだけではなくなったと思う。
量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフは、光が粒子であると同時に波動であることを一般の人々に理解させることによって、我々の心が世界の実在に関与することを示そうとする。
我々も、良寛さんが知ったことを少しは理解できるかもしれない。
だが、知的な理解をあまりあてにしてはならないようにも思う。補助にするのは良い。しかし、我々の内に潜む真の英知は、それらを直観で直接知ることができると思う。

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時を超えて出会うもの

ナボコフの「ロリータ」という有名な小説の中に、こんな話があったと思う。
倒錯者である主人公ハンバートが少年の時、アナベルという美しい少女に出会う。
2人が日記を見せ合って分かったのだが、同じ日に、2人の部屋に小鳥が飛び込んできたことがあった。
これは偶然であろうか?

昔、同じ日に、2人の部屋に小鳥が飛び込んできたことで、今、2人は愛し合うようになったのだろうか?
こうは言えないか?
今、2人が愛し合うことによって、昔、同じ日に2人の部屋に小鳥が飛び込んだのだ。

あなたが男性の大人としよう。
中学生時代に付きあっていた女の子がいたとしよう。
しかし、彼女とはとおに別れ、今、彼女はどうしているかは全く分からない。
ところがある日、彼女と再会し、あれからのことをいろいろ話してみる。
すると、お互いの人生において、偶然としか思えない類似性が数多くあることに驚く。

神秘的に思えるが、上記のようなことは、普通に起こるのである。

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2009.06.22

警告

ハンドル名を変えて不快なコメントを続ける方がいますが、とっくにバレています。
プロバイダ名、IPアドレス、ホスト名、接続時刻は記録してあります。これらの情報で、ISPではあなたが誰か分かります。あまりにしつこいと、しかるべきところに報告します。

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白土三平作「消え行く少女」

Kieyuku
1959年に発行されたという、白土三平さんの「消え行く少女」のハードカバー復刻版を購入した。
白土三平さんといえば、「ワタリ」「サスケ」「カムイ伝」など、忍者ものの第一人者として有名だが、本作品がデビュー作なのではないのだろうか(同年に「忍者武芸帳」、1961年に「サスケ」刊行)。
主人公は、雪子という中学生の少女だ。あの白土さんが、女の子を主人公にと意外に思うかもしれないが、後の忍者ものにおいても、白土さんの描く少女の愛らしさ、美しさは、芸術的と思うほどだ。とにかく言葉にできないほどなのだ。そして、その片鱗は、この作品にも顕れている。

雪子は、赤ん坊の時、広島で被爆する。雪子が中学生の時、母親は原爆症を発症して死ぬ。そして、雪子自身も発病する。だが、身寄りも家もない雪子は、病気の身体で、この世の悲惨を味わう。本当は美少女なのだが、服も髪もボロボロになり、乞食にしか見えない姿になりながら、ままならぬ身体を引きずってただ歩くしかない。
そんな雪子に、優しくする者は滅多にいない。白土さんは、それが世の中の人だと冷酷に宣言するが、同時に、なぜそうなんだという疑問と怒りをぶつけている。
雪子に優しくするのは、弱い立場の者か、心に深い傷を持つ者である。
人は誰でも、一度は弱い立場になるか、深く傷付く経験を持たないといけないのだろうかと思う。
人の痛みは想像ができないのだ。
このことについては、森山風歩さんの「風歩」(講談社)を読むとさらにそう思う。
筋ジストロフィで身体の自由が効かない少女を、親もクラスメイトも教師も総動員でいじめ、叩きのめすという読むに耐えない本である。
尚、風歩さんは、素晴らしい美少女である。風歩さんのオフィシャルブログはここだ。

尚、引きこもりを言い訳にニートとして親にいつまでも食べさせてもらっているマザコンのガキは、ただ甘えているだけなのに被害者のつもりでいるから始末が悪い。連中は、決して本当の痛みなど知らない。だから余計に不満を爆発させるのだ。
いや、あまり人を非難したくはないのだが、二人の悲惨な少女のことを思うと、目の前に甘ったれたニートがいると叩きのめしたくなるのだ。

「消え行く少女」の話に戻る。
石を投げられて怪我をし、さらに追いまくられ、病気に加え、空腹と疲労で気を失う雪子を面白がってロープで縛ろうとする中で、恐ろしい姿の山男が現れ、雪子を連れ去る。その山男の正体は、まさに21世紀の今、日本と北朝鮮の関係を象徴する存在だった。
後味の良い作品であるはずがないが、読むたびに、何かが心に起こるのではないかと思う。

内海康満さんの「霊止乃道(ひとのみち) 」には、悲惨な運命を生きてみせる人は、人々に大切なことを示す役割を背負って生まれてきた天使のような存在であると書かれていた。

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テレビを消せ

2012年12月22日に、あなたがアセンション(次元上昇)に成功し、新しい地球に生まれるために、いますぐやるべきことは、テレビを消すことだと断言する。

目や耳から入ってくる情報が、想像をはるかに超えて精神に影響を与えることに、我々は十分に気付いていない。
近代では、テレビの影響が非常に大きい。
そして、それは、破滅的な害悪を我々の精神に及ぼしているのである。
特に、テレビCMが恐ろしい。絶対に見てはいけない。中には良いCMもあるだろうって?絶対にない!
娯楽番組はもちろん、一見、知的な社会的番組であっても、ほとんどが我々の精神を貶めるものである。
どうしても社会情勢を知りたいなら、なるべく想念を出さずに新聞を読むことだ。心を常に静かにしておける自信があるなら、BSニュースくらいは見ても良いと思う。
極悪な犯罪者のニュースを見て、「あんな奴は死刑だ」とわめく様なら、何も見ない方が良いだろう。

地デジ対応テレビなど買わなくて良い。
買うとしたら、ニュースを見る程度の小さなもので良い。ワンセグでも十分である。

ただ、矛盾するようなことを言うなら、テレビを進化のために大いに役立てることはできる。
それには、上に述べたことを理解し、テレビの内容とそれを見る自分を共に客観視できる場合のみだが、やはり見ない方が良い。

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2009.06.21

時間を止める技術

プロレスの世界で史上最強と言われたルー・テーズは「私の才能は反射神経だけだ」と自伝に書いていた。
格闘技やスポーツにおいて優れた反射神経の有利さは極めて大きい。
例えば、剣で戦っているとして、相手の剣の動きがスローモーションに見えれば、あなたが剣の素人でも、そこそこの相手なら楽々勝てるのだ。
野球でも、超人級バッターは、調子の良い時は、ピッチャーの投げるボールの縫い目が見えると言う。
私も経験がある。
ある時、墓場にいたら、カラスが間近に飛んできたのだが、私には、その羽や筋肉の動きまでがはっきり見え、その美しさに見とれていた。時は極めてゆっくり流れていたのである。

時の流れが絶対的なものでないことは、アインシュタインの相対性理論で示されている。
アインシュタインは、相対性理論を「熱いストーブの上で座っている10分は長いが、美女と一緒の1時間は短い」と表現した。
もっとも、相対性理論が問題になるのは、極大な世界での話である。超高速、あるいは、巨大加速度や巨大重力(両者は同じである)によって起こるものだ。
しかし、我々の精神の神秘的な力は、それを起こしてしまうことがある。
本当の我々は時間を超えた存在であるからだ。時間は幻想に過ぎず、もし、我々が幻想を破れば時間も超えるだろう。
剣の達人や、野球の超人的バッターは、修行によって、それが可能になったのである。

H.G.ウェルズのSF小説「新加速剤」は、薬の力によって、時の流れを超えるもので、その薬を使えば、世界はスローモーションになる。
この小説をヒントに、石ノ森章太郎は、代表作「サイボーグ009」で、加速装置というものを登場させた。加速装置が装備されたサイボーグは、周りの動きはスローモーションに見え、おまけにメカの力で自分は高速で動けるので無敵だ。

「美少女戦士セーラームーンS」というアニメで、なんとも不可解なシーンがあった。
セーラーウラヌス、セーラーネプチューンという強力なセーラー戦士2人を相手に戦ったセーラームーンは、絶体絶命のピンチになった時、秘石「幻の銀水晶」の力を少し解放する。この後に起こったことを理解できた視聴者はいないだろう。
ウラヌス、ネプチューンには、セーラームーンが消えたように感じた。セーラームーンは時を超えたのだ。
直後、ウラヌス、ネプチューンは、セーラームーンにひざまずき、拝礼する。セーラームーンこと、月のプリンセスの圧倒的な力を見ることができて満足したのだ。
アニメ製作者が、なぜあんなシーンを作ったのか、実に不可解である。
世の中には、闇の勢力があるのかもしれないが、光の勢力は、このようにアニメを利用して我々に良いことを教えるのかもしれない。ただ、アニメ製作者自身は気付いていないかもしれないが。

政木和三さんがご存命の頃、私が政木さんの研究所を訪れた時に、政木さんはこれらの原理を教えてくれた。
政木さんは、千にものぼる特許を持つ発明家だが、発明は1秒でするという。前世で発明したものを思い出し(彼は古代文明都市での科学者だった)、時間を圧縮して設計するので、それだけあれば十分なのだそうだ。
スプーン曲げは、やはり時間を圧縮して金属疲労を起こさせるのだという。
また、ふたをしたビンの中に瞬間移動でものを入れる時は、1万分の1秒で、ふたを開け、中にものを入れて閉じるので、はた目には、ビンの中にものが瞬間移動したように見えるのだと言う。

これだけ言えば、もう貴方にもやり方が分かるだろう。
分からなければ、自分に聞いてみると良い。
もちろん、こんな力は利己的な目的には使えない。ただ、修行次第でほんの少しなら使える可能性もある。例えば、格闘技やスポーツでね。

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2009.06.20

人生で一番楽しかったこと

オーソン・ウェルズの初監督作品で、24歳のウェルズ自ら主演、脚本を行った傑作映画「市民ケーン」で、新聞王ハーストが死の直前に、「バラのつぼみ」という謎の言葉を残す。
その言葉の謎を探るが、まるで分らない。
ある老人は、「きっと大したことじゃないのさ。人間はつまらないことを憶えているものだ」と言い、ずっと昔に見た、白いパラソルを持った少女の思い出を語る。ほんの一瞬見ただけ。向こうは自分を見てもいなかったのに、なぜか忘れられないと言う。

野口悠紀雄さんは、エッセイ集「天使の出現」の中で、そのようなものを「天使の出現の瞬間」と言っておられた。
(この本は、エッセイの大傑作だと思う)

私は、いかなる出来事も必然であり、それは内なる神が、何らかの意図を持って我々に見せたものであり、知的には理解できなくても、内なる心が非常に重要なことを理解することがあるのだと思うし、「市民ケーン」で、「バラのつぼみ」の秘密が明かされた瞬間を見ても、正にそう感じたものだった。

「天使の出現の瞬間」は人生で最も重要なものであると思う。
それは、必ずしも歓喜の瞬間ではないかもしれない。
しかし、それが美とか至福に関係があることは間違いないように思う。
「市民ケーン」のハーストは、豪華な人生を築いたが、彼が最も幸せだったのは、「バラのつぼみ」の記憶として残ったものであり、白いパラソルを持った少女の記憶を語る老人も、その時に、人生の幸福を感じていたのかもしれない。

みなさんは、これまでの人生で最も幸せだったことは何であろうか?
私の場合は、小中学校時代の、夏休みの前日の学校帰りである。しかし、小学校の時だが、その夏休みの、お好み焼き屋の思い出も素晴らしい。お好み焼きが出来上がるのを待ちながら漫画雑誌を読み、やがて座っているテーブルの鉄板にそれが乗せられ、それを食べ始める。
大抵は年長の従兄と一緒で、プールか海に連れて行ってもらう前のことだったと思う。
従兄は、大学の強豪レスリング部の主将で、私はボディーガードを連れ歩いているようなものだった。
私は完璧な至福の中にいたのだと思う。
学校は嫌いだったが、夏休みにまで学校のことを思い出したりはしなかった。これは子供の素晴らしい特性かもしれない。記憶で自分をいじめないのだ。
店は、クーラーなんて洒落たものはなかったが、健康な子供は、本来、そんなものは無い方が良いのだ。当然、その店やプールには、歩きか自転車で行くのだ。
そこには、完璧な幸福の条件が揃っていることが分る。
夏休みの宿題があっても、そんなものは夏休み最終日まで決して思い出さない。今、考えても、夏休みに宿題を出すなど、大きな間違いだ。仮に学校教育にいくらかの価値があるとしても(私は全く無いと思っているが)、夏休みは全く別の学びをする時であり、学校で勉強する時には発達させることのできない能力を育てることが大切なのだ。
私は、そのような精神モードに十分に浸っていたおかげで、非常に幸福な思い出を持つことができたのである。
そして、実際は、人生において、こういったこと以上の幸福など本当はなく、ありもしないものを求めて破滅してはならない。新聞王ハーストのようにね。

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2009.06.19

日本は北朝鮮に先制攻撃できるか?

先日も、このブログで私は、北朝鮮が攻撃してくるのは日本と書いたが、今朝のテレビニュースでも、米国の朝鮮半島問題研究者、国際政策センターのセリグ・ハリソン氏も同様の見解であり、それを17日、米下院外交委員会の公聴会で証言したようだ。

ハリソン氏の発言の根拠は、北朝鮮内の反日感情の高まりをあげており、それも確かであろうが、私が先日書いた通り、北朝鮮は日本を全く恐れていないという点が大きいと思う。
つまり、日本はなめられているのであるが、それは仕方がないとしか言えない。
北朝鮮には、日本全土を射程にしたノドンミサイルが300発以上あると言われている。これだけで、日本国内の自衛隊基地や在日米軍基地を壊滅させられるわけではないだろうが、大きな打撃を受けるのは確かだ。
近くに基地なんかないなんて安心してはいけない。北朝鮮のミサイルの精度がそんなに良いはずがない。
そして、先日も書いた通り、北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んでも、米国以外はもちろん、米国も無条件で北朝鮮を攻撃することはない。日本が膨大な支払いを承諾した時のみ、出動するのである。日本は、他国に貸した金の請求はできないのだが、支払いの約束は絶対に破らないという信頼は厚い、実に間抜けな国だ。北朝鮮だけでなく、世界中になめられていると言って良い。
麻生総理が、先日、勇ましく発言した先制攻撃だが、本当にやれるとは誰も思ってはいない。その期待を果たして裏切ることができるだろうか?
危機はもう、十分以上に現実なのである。

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諜報機関と支配者勢力

24時間以内に、MI6という名称を2度見ることはそうはあるまい。
MI6とは、007こと、ジェームズ・ボンドが所属していたことで名高いイギリス情報局秘密情報部のことだ。本当はかなり昔にSISという名称になっているはずであるが、なぜかいまだMI6が一般的で、少し前、朝のテレビで、人気女優の深田恭子さんが、テレビドラマで、MI6に在籍した経験のあるスパイ役をやると聞いた。
その前の晩、帰りの電車の中で読んでいた本にMI6のことが書かれていて、有名な話ではあるが、ウェールズ大公妃ダイアナは、MI6により暗殺されたという説に少し触れていた。これを読んでいる時に、J.F.ケネディや、その弟のロバートの暗殺も、CIA、あるいは、FBIによるものであるという説もあるなと思っていたら、その夜に、なぜかケネディに関するテレビ番組が放送されていた。
面白い共時性である。
諜報機関、情報機関というのは、国家権力と密接に結びついたもので、ある意味、支配者の力の象徴と考えても良い。
国家を影で操る者にとっては、自分達の利益を危うくさせる危険のある人物をこれらの機関を使って暗殺するというのはありそうなことであろう。そういった勢力のことを、バイオ・パワーとかフォースと言うものらしい。
バイオ・パワーやフォースに力を与えないためには、我々が一人一人が、学校、マスコミ、大企業、宗教団体を崇拝しないことだ。
良い大学に入ってエリートコースを行こうとか、テレビや大手新聞を盲目的に信じたり、大企業が収益を上げることが善であるとか、宗教団体や教祖に従順でないと宗教心を持っていないなどといった、バイオ・パワーやフォースが我々に叩き込んだ洗脳を全て破ることだ。
会社に所属している場合、給料をもらっている限りは責務を果たすのは人間として当然のことではあるが、必要以上に依存したり、自己を売り渡さないことだ。ましてや、プライベートな部分にまで干渉させてはならず、会社関係の宴会や社員旅行などは全て断ることだ。
自由への道はそこから始まるのである。

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2009.06.18

世界は解釈次第という神秘

私が、昨年8月頃から続けている食習慣である、1日1食、菜食主義で間食無しの話をしますと、聞かれることは大抵以下の3つです。

・体力が落ちませんか?
・体調は大丈夫ですか?
・元気がなくなりませんか?

私は、いずれも全く当てはまりませんが、こういう質問をする人が、もし、私と同じような食習慣を行えば、私とは違い、そのようになってしまうのではないかと思います。

この世界は、解釈で決まるように出来ているようです。
私は、1日1食、菜食で間食なしでも、

・体力は落ちない。逆に向上する。
・体調は悪くならない。逆に向上する。

と解釈していました。そして、その通りになりました。特に、体調に関しましては、健康診断で以前は「機能異常」「要注意」の項目が沢山あったのが、全項目最高評価となりました。視力まで、0.1未満から0.9まで上がり、眼鏡が不要になりました。

そして、逆に言えば、このようになると解釈していたからこそ、食の慎みを実践できたのだと思います。
これはとても大事なことです。私のような解釈をすることができなければ、食の慎みは不可能かもしれません。

繰り返しますが、世界は解釈次第です。ものの見方次第と言って良いでしょう。
「トーチェ氏の心の法則」という本にありましたが、ある地域に住む部族の人達は、脚が折れていても元気に走り回っていました。トーチェは、この人達は、脚が折れたら走れないことを知らないから走れるのだと書いていました。私流に言えば、脚が折れても走れないと解釈しないということです。

自分が異性にモテないと解釈していれば、やはりモテないでしょう。
モテたいと思うかどうかはまるで関係がありません。
ところで、モテたい場合、「私はモテる」と解釈するのは難しいので、「私はモテないことはない」と解釈してみて下さい。
また、お金持ちになりたい場合も、「お金持ちになれる」という解釈はやめ、「お金持ちになれないことはない」としてみた方が良いと思います。
実際、自分の願望など、全く意味がなく、大切なのは解釈なのです。
人間は、欲望があると、なかなか自在に解釈することができないので、このように、否定の否定で解釈する方が良いのです。私は、そのことをある偉大な人物に直接教わりました。

単にスリムになりたいだけなら、「食べても太らない」という解釈を持っていれば、やはりその通りになります。
ただ、自在に解釈する能力を得るには食の慎みが大きな力を持ちます。
だから、何をおいても、食を慎むようにして欲しいと思います。
ところで、面白いことに、非常に少食であっても、「痩せない」と解釈すれば、結構太れます。実際にそんな人はいます。

ビートルズの歌も、よく聞けば、そのようなメッセージが沢山あります。
「悲しい歌だって、気分次第で楽しくなるさ」
「世界は君の意のままさ」
「Nowhere Man(ひとりぼっちのあいつ)」という歌では、「The world is at youre Command」とありますが、私としては、「The world is at youre Interpretation」としたいところです(Interpretation:解釈)。

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素敵な散歩道

先日、良い散歩道を見つけた。
家からわずか数百メートルの距離で、豊かな自然の樹木や草花に溢れている上、大きな池(甲子園球場4つくらいは入りそうだ)も綺麗で、水鳥が鳴きながら泳ぎ、悠然と羽ばたくのを間近に見ることができる。
さらに、きちんと手入れされた神社まであるのだ!
こんな良い場所を、よくぞ今まで知らなかったというよりは、その時まで、散歩なんてものをしようと思ったことがなかったのだ。

今後は、土曜か日曜の夕方に、そこを散歩するためだけに生きようと思う。別に大袈裟ではない。他に生き甲斐は特にない。
ニーチェだったかエマーソンだったか忘れたが、およそ優れた考えというものは歩いている時に浮かぶと言ったらしい。
まあ、別に浮かばなくても良いが。

散歩の絵としては、ギュスターヴ・クールベの「出逢い、こんにちは、クールベさん(La rencontre, ou “Bonjour Monsieur Courbet”)」という、クールベ自身が登場する絵がある。
「出逢い、こんにちは、クールベさん」の絵

フランスには、なぜか私好みのギュスターヴという名の大画家が多い。ギュスターヴ・モロー、ギュスターヴ・ドレ等だが、私はあらゆる画家の中で、ドレが一番好きなのだ。
この絵で、クールベは随分長い杖を持っている。
合気道では、杖のような棒を使うこともあるらしいが、私も入手したくなってきた。木刀を持ち歩けば、警官に見付かったら職務質問は必至と思うが、杖なら問題あるまい(?)。
この絵は、クールベの様子が傲慢そうだという批判があると思うが、私はよく分らない。

その散歩道だが、私が歩いたのは、まだ午後4時の日の高い時間だったので、老人が数人いただけだった。もう少し日が暮れれば、人が多くなるらしい。
それでも、私のような黒のジーンズでビシっとキメたスリムな青年は珍しいのではと思う。
ましてや、ティーンエージャーは皆無かもしれない。きっと年寄りだけだ(笑)。

若いコも散歩すれば良い。
私が特に好きなアニメ映画に「アキハバラ電脳組~2011年の夏休み~」という60分ほどの作品がある。
2011年といえばもうすぐであるが、この映画が制作されたのは1999年だ。

ひばりが、「散歩してくる。つばめちゃん、一緒に行く?」とつばめに聞く。
ひばりはその家の娘で中学2年生。つばめは、少し幼く見えるが、同じ中学2年生で、訳あってこの家に居候していた。
部屋には、ひばりの両親がいた。
つばめは、「いい。テレビ見てる」と応える。ひばりの両親は、ひばりが生まれた時からずっと、大変な愛情をひばりに注いでいるが、初めて逢ってから1年にもならないつばめにも全く同じであった。
ひばりは、「そう」と言ってでかける。
実にさりげなく自然な雰囲気で、散歩を断られた方も、断った方も、わだかまりなど、あるはずもなかった。

ひばりが歩いていると、幼なじみで親友のすずめに逢う。
「散歩?」
「散歩」
これまたさりげない挨拶を交わし、2人は一緒に歩く。
そして、しばらくすると、つぐみに逢う。
「散歩?」
「散歩(2人で)」

3人が一緒になる。
更に、後から来たつばめが合流する。

夏の夕暮れの中で起こった、私の好きなシーンだ。
偶然のように出逢う4人の少女達。これを共時性と言わずして何と言おう。

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2009.06.17

本当のエコ

ハイブリッドカーが人気である。
しかし、Wikipediaのハイブリッドカーの説明を見ても、本当に良いのかどうか、全く不明である。
ハイブリッドカーは、電気動力を一部に使うことで、ガソリン消費を少なくするのであるが、その電気を作るのに、発電所で使うエネルギー消費量は、節約したガソリン以上と思う。
また、電気モーター搭載の分、車重は重く、より大きなエネルギーが必要である。

車に関して、本当にエコにしたいなら、次のようにすれば良い。

(1)新車を生産しない
車の生産には大きなエネルギーや多量の資源を要する。特に、ハイブリッドカーの生産には多くのエネルギーや資源が必要だ。
よって、ハイブリッドカーを大量に作ることは反エコである。
(2)車を使わない

現状において、現実的なことを言えば次のようになる。

(1)なるべく軽くて排気量の小さな車を大切に長く使う。
(2)必要もない車の使用を控える。長距離の移動なら、公共の交通設備を利用する。
車を使うまでもない移動は、自転車、徒歩で行う。

天皇陛下は、子供達が小学校に入学した時、「車を使うような距離ではない」として、歩いて通学させたと聞く。
真に大切なことは、このようなことである。
それを皇室自らお手本を示されていたのである。日本は本来は、素晴らしい国であるはずなのだ。

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われら宇宙人

政木和三さんがご存命の時、私は政木さんに「横尾忠則さんは宇宙人なのですか?」と聞いてみた。
その1年前に、私は、政木さんに「横尾さんは宇宙人だ」と言われたことがあったのである。
政木さんは、80歳を超えていても頭の回転は恐ろしく速い人だったが、ご自分でも、物覚えは悪いと言っておられた。
政木さんは、珍しく機嫌良さそうに、「本当はみんな宇宙人なんですよ」と言われた。

これは、もう何年も前のことだったが、私はなんとなく意味が分かってきた。
私は地球に巡礼に来たのだ。
地球の物理世界で生きるための肉体を持って生まれ、ここで旅をしているのだ。
我々だって、例えば、アマゾンの密林や、エジプトの砂漠や、アンデスの高原などの自然地を旅すると、あらゆることで厳しさや不便さを感じるものだ。しかし、それは仕方がないことだ。
それと同じで、私も、元々は、金星や火星にだって瞬時に到達できる何らかの能力を持っていたのが、地球の物質世界に合った肉体を持って生きているのであるから、いろいろ不都合を感じることもあるだろうが、やはり仕方がないことなのだ。
だから、思い通りにいかないことで、いちいち文句を言ったり、嘆いたりするのはつまらないことだと分かる。
一切の価値判断をせず、今現在、やれることをやり、なりゆきにまかせるしかあるまい。
楽しいことを期待したって、そんなことが都合よく起こったりはしない。
一瞬先に何があるかなんてことも分からない。
そんな状況になるために旅に出たのだ。
ただ、はるかな道を歩いていくのみである。
しかし、万能でないフリもなかなか楽しいものかもしれない。
そして、万能の力を少し取り戻したければ、食を慎めば良い。

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2009.06.16

1924年生まれの英雄達

米国、41代大統領であったジョージ.H.W.ブッシュ、通称パパ・ブッシュが85歳の誕生日にスカイダイビングを行ったことがニュースになった。75歳、80歳の誕生日に続くもので、冗談か本気か、90歳でもやりたいと発言したようだ。

私は、昨年末に放送された、詩人、文芸評論家、思想家の吉本隆明(よしもとたかあき、あるいは、よしもとりゅうめい)さんの講演会をHD録画している。
芸術言語論が特に吉本さんのライフワークと思うが、私にとっては、「共同幻想論」の吉本さんだ。
吉本さんは、自身の身体の老化についても隠さずに本に書かれている。あまりカクシャクという訳ではない。だから、1時間半の講演を自分からやりたいと言った時、やはり周りが心配して、「大丈夫ですか?」と聞かれたようだ。吉本さんは「やれますし、やります」と答えたそうである。
講演会は若老男女2千人が集まり、吉本さんは車椅子で登場。話の専門家でないばかりか、自身ひきこもり気質だと本に書かれており、ややたどたどしい雰囲気はあったかもしれないが、力強く講演した。しかし、やはり年は感じた。
その吉本隆明さんが、パパ・ブッシュと同じ、1924年生まれである。

私が敬愛する人物では、台湾出身の事業家で作家でもある邱永漢(きゅうえいかん)さんも1924年生まれだ。
私の好きな文壇関連で言えば、故人であるが吉行淳之介さん、同じく故人であられる草柳大蔵さんも1924年生まれである。

米国元大統領では、まだまだ元気なジミー・カーターも1924年生まれ。

ところで、プロレスの力道山がやはり1924年生まれであるが、ひどく昔の人であるような気がする。伝説的な人物は、すごく昔の人のように感じるものだ。例えば、アイシュタインをアリストテレスのような古代の人物のように思っている人は案外に多いのである。
力道山だって、まだ元気でいても、ちっともおかしくないのだ。
しかし、力道山の次のプロレス界の英雄ジャイアント馬場さんも既になく、先日は、何と三沢光晴さんが突然亡くなってしまった。

力道山の時代は、NHKでプロレスが放送され、一般新聞紙にもプロレスの記事があったが、いつの頃からか、プロレスは権威の後ろ盾を完全に失った。
そして、日本テレビが1954年から続けてきたプロレス中継は、今年3月に打ち切られた。団体社長でもあった三沢さんは、その苦しい事情の中で、非常な苦労をしながらも、リングの方でも全力を尽くしていたが、無理があったのは間違いないであろう。
プロレスは確かに純粋なスポーツではないだろうが、多くの、利権に汚れたメジャースポーツよりはるかに高貴ではないだろうか?
しかし、昔のプロレスには深いロマンがあった。ただ強くて迫力があるだけでなく、そのようなものを復活させていけるかも、今後のプロレス再生の鍵と思える。

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白のTシャツ

歌手の倉木麻衣さんがまだ高校生の時の話らしい。撮影用の服を買ってくるように5万円渡されたが、彼女が買ってきたのは千円のTシャツだった。
だが、確かにスリムな身体があれば、Tシャツほど似合うものはない。
特に、男は白のTシャツが似合う。
ブランドものの高いものを買う必要もない。実際、身体が引き締まっていると、白で無地の下着のシャツが一番似合うくらいである。

たらふく食べている者は、運動で鍛えても本当に美しい身体にはならない。いくらトレーニングしても、背中や腰、あるいは腹に余分な肉が付くものだ。
意識的に食を慎んで痩せた身体の美しさは違う。特に、肩や首といった、最も美しく見える部位の神秘的な美しさは、かなり食を慎まないと生まれてこない。
水野南北も、大食で痩せている者は精神も痩せているが、食を慎んでいる者は、身体は痩せていても心が肥えていて美しく見えると言っていた。これは、細胞の発する光が美しい、即ち、美しいオーラを発しているということだ。
食を慎んだ自慢のスリムな身体があると、お洒落に金をかける必要は全くない。
私は日曜に、3枚千円の白のTシャツを買ったのだが、今年の夏は、普段着での外出は、これだけで過ごそうと思ったりする。

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2009.06.15

夢の中で空を飛ぶコツ

空を飛ぶ夢を見たことのある人は多いと思う。
私も昨夜見た。
これほど自由に飛べた夢は初めてだったが、おかしなことに、そのコツを掴むことができたように思う。

空を飛ぶ夢を見れることは良いことだ。
なぜ良いかと言うと、目覚めた意識では、人は空を飛べないという信念があるはずであり、それを破るという意味で良いのである。
「心はさ迷う」なんて言うが、肉体としての我々は空を飛べなくても、意識が自由に飛ぶことに支障はないはずだ。意識には時間も空間も無いのであるから。
また、スーパーマンのように飛ぶには、エンントロピーを減少させるための、いわゆるマクスウェルの悪魔と仲良くなれば良いのである。マクスウェルの悪魔は100年以上にも渡る科学者達の奮闘により一応は否定されたが、なぜか研究熱の方は衰えない。2012年12月22日のアセンションの後には、おおっぴらに肯定されるかもしれない(笑)。

さて、私が夢の中で掴んだ、空を飛ぶコツとは次のとおりである。
それは、「飛ぼう」と思うのではなく「落ちる」ことをやめようと思えば良いのである。
いったんジャンプする。地面が近付いても、落下をさりげなく拒否するのである。すると、身体は舞い上がる。
飛んでいる時も、飛んでいるという気持ちはあまりない。落ちないでいるというだけのことだ。
地面に降りたければ、ただ、降りようと思えば良い。
世の中のものごとも同じことだ。
何かを求めても得られないものだ。
また、失うことを嫌がっても、結局は失うのだ。
ただ、失うことを拒否すれば良いだけだ。

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昔の疑問

昔、こんな疑問を持ったことがある。
人類全員が悟りを開いた理想社会になったとしても、例えば、素晴らしい美少女が1人居て、2人の男が彼女を好きになったら、やはり争いが起こるのではないだろうかと。
しかし、悟りを開いてみたら、争いなど起こるはずがないことが分かるだろうと思う。
美少女もライバルの男も、私が創造したものでしかないのだ。
悟りを開いた人も、感受作用そのものは、普通の人と似ており、ひょっとしたら一時的な反応は平凡に見えるかもしれない。つまり、がっかりしたり、嘆いたりすることもあるだろう。しかし、何事もただ受け入れれば良いだけのことで、それで終わりである。
偶然に何か起こったりはしない。それなら、その必然がなぜ起こったのか、自分に尋ねてみたら良い。答えは思わぬ方法でもたらされるので、決して先入観や自我意識の計算や論理で推測しないことだ。
果実は熟れた時に自然に落ちてくる。それを待つことだ。
教え込まれた偏見もまた世界を創る。権威ある教育とは、新たな偏見を叩き込むことに過ぎない。
だが、自分に尋ねて耐えることで、余計な思い込みを捨てれば、世界は変わる、あるいは、終わるだろう。

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2009.06.14

北朝鮮武力行使なら、孤立無援になりかねない日本

北朝鮮が日本にミサイルを撃ってくると本気で思っている人が日本にどのくらいいるだろう?
私は、今日にでも撃ってくる可能性が十分にあると思っている。
北朝鮮のノドンミサイルなら、日本全土を標的に出来、しかも大量に保有しているが、あちこちにある発射基地の場所もほとん分からないのである。
国連安全保障理事会で、北朝鮮に対する制裁決議が採択されたことで、北朝鮮は次の核実験を進めているが、以前の北朝鮮は、まだ駆け引きを行っていることが分かっていた。しかし、今の北朝鮮はそうではないように思える。
北朝鮮は、日本以外は攻撃しない。日本だけがなめられおり、日本を攻撃してもリスクはないと見ているはずだ。
アメリカは北朝鮮に武力行使はしない。何の得にもならないからだ。ここらはイラクの時と絶対的に違うのである。日本のためにアメリカ軍が出動するなら、それはもはやアメリカのビジネス以外の何物でもない。日本は当然にして大変な支払いを要求される。それは日本が破綻するほどだろう。
中国、韓国、ロシア、それにイギリス、フランスも同様と思う。

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最高のファッションとは

宮崎駿監督のアニメ映画「天空の城ラピュタ」で、シータ(ヒロインの美少女)が、ドーラ(空賊の首領。50代の女)に、「これを着な!」と渡されたキュロットスカートはドーラのもので、まだ成長期と思われ、しかも華奢な身体つきのシータには巨大としか言い様がなかった。
しかし、次の瞬間、それを装着したキュートなシータの映像が現れる。ドーラには短いキュロットスカートが、シータにはロングスカートのようになり、ウエストのところはベルトででも絞っているのか、少しもおかしくない。

実際は、洋服はある程度サイズが合わないと着れない場合が多いが、和服の場合は、上記のようなことは普通だ。
私は、家では、2着しかない作務衣(さむえ)という僧侶の作業着から始まったと言われる着物を着ている。普通の着物と異なり、上下に分かれ、下はズボンのようになっているが、腰と足首をひもで絞る。
私は、身長180センチで、一番大きなLLサイズを買ったが、相撲の力士でも着れそうなほどの余裕があるものだ。しかし、63キロのスリムな私が着ても、腰ひもで絞れば問題なく着れ、しかも非常にカッコいい(笑)。

春日大社の宮司であられた葉室頼昭さんも著書で書かれていたが、日本の着物というのは、あまりサイズに関係なく着れ、長持ちする上、補修もしやすい。普通の着物であれば、すそや袖の調製が出来、背丈の違いすら吸収できる。作務衣の場合も、ズボンの足首をひもで縛るので、脚の長さに関係なく着れる。
日本の着物は、このように、合理的で、長く使える素晴らしいものであるのだ。
しかも、ウエストの細い人であれば、帯をしめるために、装飾無用のカッコ良さ、美しさを掛け値なしで示せる。
着物だけではない。日本人は、ものを大切に長く使う美徳があったのだ。
それが、すっかり西洋の経済至上主義に踊らされ、それどころか西洋以上の世界的消費大国になり、日本人らしさを全く失ってしまった。
そして、定額給付金でモノを買え、さあ、夏のボーナスで何を買うかという馬鹿げた話題が飛び交い、高速道路定額料金となると無駄なドライブに狂奔し、ちっともエコでないエコ減税で車や電化製品の買い替えに駆り立てる。
ものを大切にすること、節約することこそが、優れた日本精神の基礎である。
お洒落でも、(最初に書いたシータのように)スリムな身体こそが最高のファッションであり、服など少し持っていれば良い。それには、食を慎めば良く、それでお金も節約でき、健康になり、さらに、質素な食事でも、どんな美食をもはるかに超える美味しさとなり、食事の楽しみも大きくなる。
加えて、あらゆる精神的能力が向上し、地球を、新しい進化した星にすることまで出来るのである。
食を慎んでシータになろう(笑)。
ついでに言っておくが、宮崎駿監督は、毎日同じお弁当(ご飯、卵焼き、ソーセージ、沢庵程度が入っている)1つを、昼と夜に分けて食べているが、これを25年以上続けているのである。私は肉を食べないので、おかずは豆や根菜類にするだろうし、夜しか食べないが、宮崎駿監督のお弁当が私の憧れの食事習慣である。

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2009.06.13

旅は人生

人生は旅だと言う。
本当に旅に明け暮れる者もいる。

ジュリアーノ・ジェンマ主演の「南から来た用心棒(原題:アリゾナ・コルト)」という西部劇の傑作がある。
流れ者の凄腕ガンマン、アリゾナ・コルトは、イキでカッコいいが、イカサマ賭博もやる。しかし、成り行きからだったが、ある街を無法者達から護って、街の人々の感謝と敬愛を受け、大金を受け取り、その街の美しい娘とも相愛となるが、彼はまた1人で旅立ってしまう。
「エル・カザド」というアニメで、ナディとエリスという2人の少女は、苦難の旅を強いられた末、命がけで目的を果たした後、2人をまるで実の娘のように可愛がってくれる老夫婦に出会い、その家で暮らす。そこは、安らぎと暖かさに満ちていたが、2人はまた旅立った。
旅とは素晴らしいもののようだ。
もちろん、どちらかというと、苦しいことの方が多いだろう。思うようにならないことだらけというか、そもそも、今日のことすら予想が付かないし、思いもかけない災難にひっきりなしに巻き込まれることもある。
それでも、旅には、敢えてそれに挑む価値があるのだ。

我々にできる精一杯の旅は、引越しか転職であるが、我が国の政府は、それを出来るだけ国民にさせないようにしてきた。
平凡な人間として結婚し、子供ができれば、1つの企業に勤め続け、1つの場所に住み続ける。小市民であれば、そのような生涯を良いものであると感じていると思うが、それは外部から押し付けられた価値観である。
そんな人間は自分の考え方や信念を持たず、外部の考え方に同調するので、思想を統制しやすく、素直な扱いやすい労働者となり、大企業主体の産業が発展し、安定した税収が国家にもたらされる。それと同時に民衆は知性ある独立した人間であることをやめるのだ。

だが、やはり人生は旅なのである。
だから、今日何が起こるかなんて分らない。予想外のことが起こるのを当たり前に受け入れるしかない。たとえ、それが悪いことであったとしても、旅の途中でたまたま行き交った場所と時で起きたことだ。文句を言う方がどうかしているのだ。
そう考えたら、特定の場所、人、モノに執着するのは馬鹿げたことであることも分る。
旅人は、旅をしていてこそ生きているのであり、安住の地を求めた時に生きることをやめるのだ。
成功なんてしない方が良い。成功したら、その場所や人々に縛り付けられ、自由な旅人でいることができなくなる。
もっと言えば、あまり良いことが無い方が良い。良いことから旅立つのが難しくなるからだ。
幸せを感じ始めた時こそ、さっさと逃げるべきなのだ。でないと、大切な生命を失ってしまうだろう。旅人はそれを恐れないといけない。
ある意味、旅人は死人である必要がある。欲望という自我においては死んでいないと旅などできない。だが、旅を続けることで、新たな生命を得る。旅の目的もそこにあるのである。

可能なら、本当に旅に出れば良い。
しかし、物理的に旅をすることが難しくても、上記のように生きれば、人生という大いなる旅をしているのである。
人生を旅すれば、そよ風もため息のように感じるかもしれない。

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2009.06.12

ピカソの良さは、自分に聞くしかない

「モナ・リザ」や、ピカソの美しさを簡単に認めてはいけない。
それも1つの価値ではあるのだが、経済市場的な目的で「若さ」や「きれいさ」にばかり注目させられ続けてきた我々が、至高の芸術の良さが分からないのは当然だ。
だが、直接ではなくても、知性の欠片でもあれば、そこに何か途方もない価値があるのではないかという推測くらいは働くはずだ。
ただ、あくまで推測だ。
そして、ピカソやダ・ヴィンチの良さを、人に聞いてはならない。
岡本太郎の「今日の芸術」を読むと、確かに、ピカソやゴッホの素晴らしさについて書いてはいるのだけれど、決して理屈は書いていないのだ。

どうすれば、ピカソやダ・ヴィンチの良さが本当に分かるかについて、学校では決して教えてくれないことを教えるなら、ただ自分に、「これのどこが良いのだろう」と問い続けることだ。
しかし、直接、インスピレーションで答がもたらされることも無いではないが、それはかなり幸運な人の場合だろう。
普通は、経験として導かれる。苦しいかもしれないが、豊かな経験だ。
ただ問い続けることだ。それが、光明に満ちた問いかけと呼ばれるものである。

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2009.06.11

脱落者

人類の精神的進化は無期限目標ではないということを私は自覚し始めた。
無期限どころか、もうかなりの緊急事態なのではないかと思えてならない。
海外に関しても同様、もしくは、日本より悪いのかもしれないが、日本のマスコミによるそれらの情報の信頼性が分らないので何とも言えない。
しかし、日本に関して言えば、明らかに良好とは全く言えない。
2012年12月22日の、現在の地球文明の滅亡というのは、私には極めて現実的に思える。

少し前まで、少食の薦めをする時も、無理せずを強調してきたし、少食を薦めることでは最も有名と言えるかもしれない、西式・甲田療法で著名な医学博士の甲田光雄さん(故人)も、著書の中で「10年かけて少食に」と優しく書かれていたのを、これまでは良いことだと思っていた。しかし、もう悠長なことは言ってられないように思う。

2012年12月22日に、どのような状況になるのかはまだ私はよく分っていないが、何事もなく過ぎることは恐らくないであろう。仮に何もないとしても、現状を続ければ、その位の時より前に、破滅的状況が来るのは想像に難くない。
そこで、私は、2012年12月22日に、大異変があると決め付けている。そう思って準備した方が確かである。

時間的に言っても、そろそろ「手遅れ」な人間もいないとは言えないのではないかと思う。
分りやすい例で言えば、次のような人間は救いようがなく、2012年12月22日までに、かなり強制的な浄化に取り込まれるように思う。
□歩きながらタバコを吸う者
□人ごみでも歩きながら携帯電話を操作する者
強制的な浄化とは、例えば、重病になったり、事故で身体の機能や、身体そのものの一部あるいは相当部分を失う等である。本来は、これらの苦難を持つのは、むしろレベルの高い人間が魂を磨く目的で必然的にそのような状況になるものであった。低い精神性の者であれば、試練に打ち勝てない可能性が高いからである。
しかし、これからは、精神レベルの低い者も、そういったことと共に様々な状況を創ることで、強制的な浄化が行われ、2012年12月22日に、再生のメンバーに入れるように計らわれるのかもしれない。いずれにせよ、それは極めて辛いことである。

2012年12月22日に向けての準備に関しては、偉大な知恵ある人達が、様々なアドヴァイスをしてくれてはいるが、何をするかを決めるのは自分である。
もはや、「私は何をすれば良いのですか?」式の甘えは許されない。これは自覚しなければならない。
学校や大企業、マスコミを通して洗脳された人間は、何事も答があると思い込んでいる。そして、答を誰かが知っていると思っている。
「私はどんな本を読めばいいのですか?」
「私はこの本を読むべきですか?」
「どの保険がいいか分らないなあ」「それなら○○保険相談所へ!」
「朝ごはんは食べた方が良いですか?」
これらの質問を正常なことと感じるなら、あなたはもう十分に恐ろしく危険な状態だ。
自分で思考する能力を完全に摘み取られている。
しかし、取り戻すこともできるのである。

この世が、答なき世界であるという不安を受け入れるしかない。
そして、自分で考え、自分で立ち、自力で生き始めないといけない。
もう猶予はないと思う。

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2009.06.10

ニートは殴らないと治らない

エハン・デラヴィの最新刊「地球巡礼者 人類が進むべき道」(ランダムハウス講談社)で、デラヴィはニートに関する話を少し書いているが、これがなかなか痛烈だが的確であった。
デラヴィは、ニートへの対応などといったことは一切語らない。ばかばかしくて仕方がないのだろう。
ニートをただ、「甘やかされた若者」と切って捨て、「まだ母親と同居している」「自分の足で立ち上がることをしないマザコンのガキ」と一切の妥協をしない。爽快だ!
彼が、縁あって一緒に行動したニートの若者が興奮状態で大騒ぎするのを、「30歳を過ぎたきかん坊の2歳児」とただ軽蔑して見下す。
デラヴィは現在56歳なので、30歳でも彼から見れば若者なのだろうが、実際は2歳児の価値しかないというわけである。

デラヴィは18歳で母国スコットランドを一人で出、インドに渡った。以後、30ヶ国を巡り、日本にたどり着き、日本が気に入り、日本人と結婚して定住した。
彼がその目で見た国の中には、子供でも生命とレイプの危険に常に晒されているところも多く、日本のニートが単に何でも与えられた甘ったれの若者としか言えないのは当然であろう。
実際、ニートのほぼ全員が母親と同居のはずだ。それでは、ニートでなくても大人になりにくいはずである。

NLP(神経言語プログラミング)の創始者リチャード・パンドラーの本に、彼が、ある社長のニートの息子を預かる話があったのを思い出す。
社長は、20代の息子のことを「そろそろ、社会に連れ出すべきと思うのだが」と言うのを聞き、パンドラーは「10年以上遅いよ」と思ったらしいが、指導を引き受けた。社長の息子がダダをこねて行動しない時は本気で殴ったという。いかにNLPでも、何でも穏やかにやれるわけではないということだ。現在も、催眠療法を頼り、「黙って座っていれば問題が解決する」と思っている馬鹿が多いと聞く。

誰かが言っていたが、ニートに対する唯一の有効な対策は、家族が勇気を持って、生活援助を打ち切ることだそうだ。考えてみれば当たり前過ぎることだが、特に聖母のごとき母親にはこれができないのだろう。
デラヴィと一緒だった30歳の若者が大騒ぎを起こして、デラヴィをなじり、自殺してやるなど、訳の分らないことを喚いた時、旅館のおやじが「勝手に死んじまえ!お前なんか社会の恥だ!」と一喝して収めたらしい。
これこそが、英知ある人間の、まっとうなニートの扱い方であるとデラヴィは言うが、全く同感である。

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2009.06.09

子供の頃の意識に戻って異次元に入る

子供は、現実と想像の区別が付かないと聞いたことがある。
しかし、正確に言うなら、子供にとって、現実と想像に違いが無いと言うべきかもしれない。
異次元の世界に入るには、あらゆることで洗脳されてしまっている大人(この意味では高校生以上なら十分そうである)であれば、論理思考を消し去るするための特別な手段を必要とする。
グラハム・ハンコックやエハン・デラヴィらは、特にハンコックは幻覚剤の使用が必須と言うし、モンロー研究所であればヘミシンク技術を薦めるであろう。
コリン・ウィルソンの言うところでは、起床してしばらくは左脳が完全に目覚めていないので、美しい自然や芸術を見ることで、たやすく日常と異なる意識状態になれる可能性が高い。
また、ウィルソンは、若い頃、辛くやりがいを感じなかった工場での労働から帰り、少しウイスキーを飲んで、好きな文学を読みふけることで、輝くような意識の状態に達することができたと言う。

だが、子供であれば、想像力を活性化させることで、割合に容易く異次元に入り込むこともできるかもしれない。
子供の頃の意識に戻すことができれば良い。
画家の横尾忠則さんは、10代の頃に夢中になったことを大切にする重要さを著書に書かれているが、納得のできることだ。
子供の頃に見た風景の中に入り込む想像を強めることで、現界とは異なる世界(異次元)に入る込むこともできる。
私が思うに、これが最も容易い方法ではないだろうか?
私の経験では、やるなら、少し眠い時、例えば、就寝前が良い。
コリン・ウィルソンのように、アルコールを飲むのも良い方法と思うが、適度に飲むべきであろう。
私なら、午前0時あたりに、ワインを少し(ワイングラス1/3程度)飲んでから行う。
以前は、ヘミシンク効果により脳波をアルファー波からシータ波にするパラメモリ(アルイファシータやバイオソニックも同じ)を使ったが、ほとんどの人はお持ちでないと思うので、静かな腹式呼吸を行っても良いと思う。
音楽も効果的と思う。私の場合、ラヴェルの「ボレロ」や、ノヴァークの「永遠の憧れ」、あるいは。クレムゾン・コレクション・シリーズが良かった。
ワイン、音楽などがなくても、布団に入って、ただ子供の頃に見た風景に入り込むだけでも良いと思う。子供の頃、美しい自然の多い場所で育った人は幸運であると思う。
上にあげた方法だけではない。
絵を見ていて、その中に入り込むという方法もある。
W.B.イェイツは、古い物語の情景を想像していると、いつのまにか自分がその中にいたと言う。
自分なりの工夫をすることが必要である。何もかも人に教えてもらおうという気持ちが障害になる。

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2009.06.08

護身具の真剣な話

秋葉原通り魔事件から1年が経過した。
私は、もともと、街中や電車で、隣の人がナイフ等で襲ってくることもあると、いつも思っていた。
だから、電車の中で、音楽を聴きながら、股をだらんとおっぴろげてぼーっとしている若者の、あまりのマヌケさに呆然とせざるをえない。
もともと日本の若者は魅力が無いと言われているが、その最大の理由は、この緊張感の無さである。
しかし、日本人の精神はますます病んできているのであるから、あのような事件が起こることはちっとも不思議ではなく、物騒なことを言うなと怒られるかもしれないが、今後もさらに増える可能性が高い。
だが、凶悪な人間に対して防御しようにも、我が国では、刃物はもちろん、あらゆる武器の携帯は事実上、違法とされてしまう。
もっとも、アメリカの多くの地域では銃の所持、あるいは、携行が許可されるらしいが、いざという時に冷静に銃を操作できる者などまずおらず、銃を持っていても、実際は何の役にも立たないようだ。

私は、世界中の警察などで使われているという特殊警棒(アンテナ式に伸ばして使う、金属性の警棒)や、ファイティング向きナイフなどを色々購入してみたが、結論として、私は、これらを護身具に使うことはお薦めしない。
特殊警棒は重く、グリップも細くて余程慣れないと使い難い。特に女性であれば、あまり役に立たないと思う。軽く小さいモデルも無いではないが、銃同様、非常事態で冷静に操作するのは難しい。おそらく、振って伸ばすという準備段階すら、上手くできないだろう。また、使えたとして、男性が使えば、逆に威力があり過ぎる。
そもそも、護身具で、完全に身を守れるわけではないし、むしろ、派手な武器を持っていたら相手を余計にエキサイトさせてしまう。
その意味でも、ナイフは絶対に駄目だ。ナイフを武器として使いこなすこと自体が難しい上、ナイフを見せるということは、命のやり取りに合意したという意味になることを忘れてはならない。
私は、ナイフを武器として使う方法もかなり研究し、練習したが、そうでないなら、あらゆる意味で、下手にこれで攻撃することは、普通に想像するよりはるかに危険であることを強調しておく。

私なら、武器としては木刀、それも、短刀を選ぶ。30センチほどの短い木刀だ。
もちろん、使うのは最後の手段としてであり、まずは逃げることを考えるべきなのは言うまでも無い。
特殊警棒のように、まずは振って伸ばす必要もなく、軽いので、最大のスピードで正確に振り回せる。とはいえ、実際の効果は普段の研究や練習と心構えに大きく左右されるだろう。
攻撃の時は、相手に木刀を見せずに、鋭く突き上げることができるように練習しておくと良いと思う。つまり、不意打ちを心掛けるべきである。スポーツではないのだから、まさか正々堂々なんてことを考えてはいけない。
実際、刃物で切る、刺すなんてことは、技術的にも心理的にも、普通の人には無理だ。しかし、叩く、突くなら比較的容易い。
あの宮本武蔵すら、肌身離さず持っていた武器は木刀であったと聞くし、言うまでもなく、佐々木小次郎との決闘で使った武器は木刀だ。
木刀は、練習用だけでなく、武器としても極めて合理的で強力なのである。
とはいえ、木刀のいわゆる大刀(約1メートル)は、女性では使いこなせないし、外で使うにも、あんなもの持ち歩けない。50数センチの小刀タイプでも、片手で使うものであるので、意外に腕力が必要で、女性には向かない。また、小刀タイプでも、隠して携行することは難しく、しかも凶器と見なされるだろう。
短刀タイプなら、凶器とみなされることもないと思うが、そうでないとしても、こっそりバッグに入れておくこともできるだろう。

以下に、私の保有する木刀を紹介する。

Rbokuto
短刀タイプの木刀。長さ29センチ。赤樫(アカガシ)製。

Wbokuto
こちらは、54センチの小刀タイプで、白樫(シラカシ)製。
樫の木は、硬くて木刀に向いている。赤樫の方が僅かだが重くて硬い。白樫は、僅かに折れにくい。

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2009.06.07

本当のノゾミ

人間の望みなんて分かっている。
表向きではなく、本当の望みだ。
一寸法師の歌に「小さな身体に大きな望み」なんてあるが、あれは、支配者が人民を洗脳するための歌ではないかと思う。
人間の望み、それは当然にして、貴方の望みだ。
それは何かというと、「自由であること」「不安がないこと」「心晴れやかであること」だ。
支配者は、人間の根本的な望みを、別のものにすりかえることで人民を支配するのだ。
いい加減、目を覚ましてくれたまえ。

まあ、別に、「金持ちになること」「スターになること」「すごく可愛い彼女を作る」「すごくカッコいい彼氏を作る」でも良いのだけれど。
それらは、十分に持ってしまうと飽きてしまうどころか、嫌になってしまうものだ。

では、どうやれば望みを達成するかだが、やってはいけないのは、人に聞くことだ。
答えは外部にない。
外の人が答えを知っていると思うのもまた、支配者の洗脳だ。
自分に聞け。
「どうすれば、心晴れやかになれるか?」
とね。
答えはあるにはあるが、あなたがまるで想像もしなかったものだ。
だから、先入観で答を予測してはならない。
答えはないと思ってしまっていて間違いない。
あなたの観念の中には、答えは絶対にないのも確かだ。
ただ問い続けるのだ。
そのうち、高度な質問をするようになるかもしれない。
「私はなぜここに居るのか?」
「私は何をすれば良いのか?」
「私はなぜこんな世界を創ったのか?」
「私は本当のところ、いったい何なのか?」
くれぐれも言うが、答えはどこにもない。言い換えれば、答えをあなたは既に知っている。
これは挑戦でもある。
2012年12月22日の、現在の人類の終わりまでに、劇的に世界を変えておくと良い。
そうすれば、その日、フォトンベルトに巻き込まれようが、褐色矮星の接近で太陽が異常エネルギーを放出しようが、まあ、どうでも良いことだ。
ある聖者が質問に答えて言った。
「誰かが、あなたの首を鋭利な刃物で切ったらどうなりますか?」
「胴体が首を失う。それだけのことだ。私には関係がない」

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2009.06.06

今の若い人はスタイルが悪い

若い人の方が、身長との比率において脚が長いと思われているかもしれないが、統計上、10代から70代まで、ほぼ差はないのだそうだ。
脚の長さの印象は下半身のスリムさで大きく異なるものだ。特に、尻や腿に贅肉が付くと、贅肉は下に垂れることもあり、脚が随分短く見えるのである。
比較的体重の重い野球選手でも、ルーキー時代はスリムだった場合が多いのだが、中年以降はやはり贅肉が付いている選手が多い。そして、比べると、やはり若い時の方が随分脚長に見えるものである。
つまり、若い時の方が、代謝が高く、スリムである場合が多いので、若い人の方が脚が長いという印象があるのだろう。

しかし、今の若い人はスタイルが悪い。脚も短く見える。
一番スタイルが良いはずの10代後半から20歳前半まででも、その肥満振りは驚くほどだ。
妙にダブダブのジーンズが流行っているのは、スタイルが悪いからではないかと思えるほどだ。
下半身がスリムなら、やはり、細身のジーンズを履くとカッコいい。

中年以降の人はスタイルを論ずる以前の人が多いのはある程度仕方がないかもしれないが、若い人のカッコ良くなさは、かなり異常だ。
もちろん、これは食べ過ぎていることが最大の原因だ。
現在、30代以下で、食べ物に困ったという人はほとんどいないと思う。ほぼ誰もが、美味しいものを好きなだけ食べて育ったと思う。それでも、若い間は身体の代謝能力のおかげで、痩せている場合が多いものである。しかし、あまりに美味しいものをあまりに多く食べ、さらに、特に20代以下なら、ほとんどの人が生まれた時から家に車があっただろうから、歩く機会が、前の時代に比べ激減しているはずだ。
それでは、いくら若くても、スタイルが良いはずがない。
現在は、高校生より、その親の方が、まだマシな体形をしている場合も多い。統計では、今の高校生が親の世代に比べ、身長の向上より座高が伸びているのは、肥満で尻に肉が付いているのが原因らしい。

電車などで見ると、若い人は身長は高くなっているので、肥満と合わせ、大変なむさ苦しさが溢れている。
そして、10代なのに、必死で座席に坐りたがる者が多いのにはあきれる。そして、彼らは座ると、身体をゆるめるクセがついているので、ひどく場所を取る。邪魔になって仕方がないといった雰囲気は中年のおじさんと全く変わらない。
高校生くらいだと、たとえガラガラに空いた電車でも、座らない方がカッコいいと言うか自然に見えるし、まして、大人が立っている中で座るのは恥ずかしいと思うのが正常であると思う。今や、老人を出し抜いて座る高校生もよく見るのである。もちろん、本当に身体が弱い高校生もいるだろうが、一般の高校生こそが、そんな高校生に対する偏見まで作りだしているように思えるのである。

若い間は、ある程度大食して良いのかもしれない。
しかし、ものには限度があり、すでに現在は限度をはるかに超えているのだろう。
他にも理由はあるのだが、とりあえずは、カッコよくなりたかったら食を慎めと言っておこう。
そして、そう遠くなく、食料が手に入らなくなる。その時に苦しまないためにも、今から食を慎んでおくと良い。

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2009.06.05

成功哲学を超えた不思議な話

私がまさにそうであったが、初めて、世の中には「引き寄せの法則」や「潜在意識の法則」という、欲するものを魔法のように得る方法があると知った時、多くの人は喜びを感じることと思う。
本1冊あれば、即実践可能であることも素晴らしいと思う。別段、難しいことをやる必要もない。
そこで、早速試してみるわけだ。
(そこで試そうとも思わないなら、その者には精神的な問題があるように思う)
しかし、やってみても、ほぼ誰もうまくいかないのである。
しばらくはがんばってみるが、ほどなく諦めて忘れてしまう人が多いと思うが、そうではなく、なんとか本に書いてあるような成果を得ることはできないかと粘る人もいる。そんな人は、その後どうするかと言うと、成功本マニアとなり、あらゆる成功法則の本、あるいは、スピリチュアルな本にまで手を出して次々に読んだり、あるいは、高価な教材やプログラムに手を出し、果てしない成功追求道に邁進することとなる場合がある。
しかし、成功は訪れない。

ところが、稀に本当に成功する人もいる。
そのような人は、自分が引き寄せの法則や、潜在意識の法則で成功したと思っているかもしれない。
しかし、成功した人というのは、「どうすれば成功できるだろう」と自分に問い続けた人なのだ。
若い人であれば、成功法則で恋愛を成就させたいと思うこともよくあるだろうが、そんな場合も、「どうすればモテるだろうか?」とか、「どうしたら、あの人を振り向かせることができるだろうか?」と問い続けた人ならうまくいくものである。
不思議なものであると思うかもしれないが、分ってしまえば、それが自然なことなのである。

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2009.06.04

超越意識をどうやって獲得するか?

世界的ベストセラーになった「神々の指紋」で著名なグラハム・ハンコックと、現在の精神界のカリスマであるエハン・デラヴィの共著書『人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった』(徳間書店)を読んだ。

これは、ハンコックの「スーパーナチュラル」(邦訳名「異次元の刻印」バジリコ刊)の解説書のような雰囲気のものであるが、単独の書としても半端でない面白さだ。

デラヴィ氏自身の本もどれも面白いが、デラヴィ氏は自著の他にも、「電気的宇宙論」(ウォレス・ソーンヒル, デヴィッド・タルボット著 徳間書店)といった非常にエキサイティングな本をプロデュースしたりしている。

人間の意識をめぐる重要な研究に関しては、これまで長く、英国の作家、コリン・ウィルソンがリーダーシップを取っていたと思う。ウィルソンは、著名な心理学者であるアブラハム・マズローとマズローの生前に交流し、マズローの説いた「至高体験(P.E=Peek Experience.絶頂体験とも訳される)」を生涯をかけて追求したと言えると思う。

ウィルソンの研究とデラヴィの研究には案外、一致するところも多いのであるが、ウィルソンの至高体験が示すものが、「人間本来の健康的な精神状態」といった抽象的なものであるのに対し、デラヴィは、2012年アセンションという、近未来の人類の滅亡と飛躍という具体的かつ緊急の目的にフォーカスしたことや、ウィルソンの研究対象が芸術や芸術家が大半であることに対し、デラヴィは考古学、遺伝子生物学、天文学、宇宙論といった広範でスケールの大きなことを、一般に解りやすく説明することから、すっかり主役の座に着いた感じもする。
そして、ウィルソンはいまや老齢であるが、デラヴィはまだ50代の若さだ。

マズロー&ウィルソンチームと、ハンコック&デラヴィチームと言うのは、的を得ない部分もあるかも知れないが、とりあえず、このように言う。そして、この両者の際立った違いは、意識の拡大・覚醒を起こすのに、ハンコック&デラヴィが幻覚剤(LSDやアヤワスカ)を全面的に薦めるのに対し、マズロー&ウィルソンはそのようなものは決して使わない方法を提示したことがある。
これは非常に面白いところである。

もし、合法的に幻覚剤が使える状況にあるなら、圧倒的な効果を即時に感じることができるのは、言うまでもなく、ハンコック&デラヴィの主張する幻覚剤を使用する方法である。
しかし、そもそも、日本を始め、多くの先進国では幻覚剤の使用や所持は違法である。それを使いたいなら、合法である国に行かなければならない。ただ、そんな国に行けばそれで良いという問題ではない。質の良い幻覚剤を安全に入手できるルートが果たして簡単に見付かるかどうかは分らない。現地では簡単なことであっても、勝手の分らない日本人には危険なことである可能性もある。
次に、覚醒剤自体の安全性だ。この点は、ハンコックやデラヴィは、覚醒剤の元であるアヤワスカを「聖なる植物」とまで言い、害が無いことを強調するが、ウィルソンは著書「フランケンシュタインの城」で、サルトルがLSDを使用した際、巨大な海老に追い回される幻覚を見たという異常体験を取り上げ、人間の精神には危険なドアも数多くあり、幻覚剤が思わぬドアを開けてしまう可能性を指摘している。
確かに、芸術家には幻覚剤の愛用者も多く、著名な音楽家や画家がそれで肯定的な結果を得た話もよく聞く。しかし、ウィルソンの言う通り、精神的な強さや安定性のない者による使用に危険が無いとは言えず、実際、少なくとも我が国においては、幻覚剤使用者の多くは、逸脱者や社会的落伍者であると思う。

先程も述べた通り、幻覚剤の使用の安全性がどうというより、我々がそれを使用することは、ほとんど不可能である。
かといって、ウィルソンが教えるような方法では、ドラマチックさに欠けるところもある。いや、そもそも、ウィルソンは、具体的にどうやれと言っているのかが、あまり分らないというのが実際と思う。これは、はっきり言って欠点である。もちろん、ウィルソンの著書を熱心に慎重に読めば、多くのヒントが得られるが、一般の人とは退屈で忍耐強い探求が苦手であることも事実なのである。

なるほど、有名なカルロス・カスタネダをはじめ、欧米、アフリカのシャーマンは幻覚剤を使うのかもしれない。しかし、我が国のシャーマンに相当する、サニワや、あるいは霊的巫女はどうであるかというと、幻覚作用のある植物を使ったという話は全く聞かない。
ところが、日本には、古神道や仏教でも密教の中に、異世界との交流を行ったと思われるものが非常に多く、異世界に入る特別な技術が存在しているに違いないと思われる。
ただ、これら門外不出の秘伝を入手しようなどという困難を冒す気はあまりない。

私の知る範囲では、「ローム太霊講和集」(霞ヶ関書房)に、異世界に参入するための素晴らしい方法がいろいろ書かれているし、魔法結社の会員でもあったW.B.イェイツも、様々な著書で非常に重要なヒントを与えてくれている。
私にとって、いずれも非常に有益であったことを言っておく。

尚、ハンコック、デラヴィは、異次元世界に参入する精神状態を「変性意識」としている。変性意識は、英語で“Altered state of consciousness”で、文字通り、「意識の変化した状態」である。
コリン・ウィルソンもまた、「超越意識の探求―自己実現のための意識獲得法」(学習研究社)という本を書いているが、この本の原題は“THE SEARCH FOR POWER CONSCIOUSNESS”で、「強力な意識の探求」である。
言葉の上では、多少の雰囲気の違いはあるが、要は、我々が普通と考えているものとは異なる意識状態のことであろう。

TMという、ビートルズも実践したという、インドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギが普及させた瞑想法がある。TMは“Transcendental Meditation”で、そのまま「超越的な瞑想」という意味である。この瞑想で到達する意識は純粋意識と言うらしいが、TMで異世界に参入したという話は聞いたことがない。
しかし、私は、TMの教師に「純粋意識は変性意識と同じか?」と質問したことがあるが、答は「その通り」であった。
そういえば、やはりTMを行っている医療関係の発明家のイツァク・ベントフも、著書「超意識の物理学入門」で、TMが変性意識を導くと説明していたように思う。

私自身は、幻覚剤は使わなかったが、TMは少なくとも1年間は熱心にやった。
その後、ヘミンシンクをやったが(モンロー研究所のものではなく、政木和三さんの発明した装置による)、いずれもさほどの効果は感じなかった。
ただ、いずれの場合も、効果はあっても、自覚しないというのはよくあることのようだ。その点については、モンローの著書「魂の体外旅行」にも面白い例が載っている。
そして、結局のところ、最も効果があったのは、自分で工夫した方法である。
岡田式静坐法という、静坐と呼吸法による行を教えた、明治・大正の偉大な思想家である岡田虎二郎も、自己の工夫が大切であるという点は言っていたと思う。
ただ、自分で工夫する中で参考になったのは、やはりコリン・ウィルソンや、W.B.イェイツであり、「ローム太霊講和集」の次元界への参入方法であった。
皆さんも、自分で調べ、工夫して欲しいと思う。

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2009.06.03

私が絶対にニートを認めない訳

今回は、久々に、引きこもりとニートの話題です。
私は、今でも強い引きこもり気質で、2年程のニートの経験があります。

世間で、引きこもりとニートを一緒くたにしていることがよくあります。
私は、引きこもりは気質の問題であり、良いも悪いもないですし、優れた面も大変に多いと思いますが、ニートは問題と思います。
ニートを容認しないとかいうと、ちょっと殺伐とした話になりかねないのですが、非常に重要な問題であることは確かでしょう。
ニートを養う親御さんや家族の負担は大変なものであるはずです。
人間一人の生活に必要なお金は、特に我が国では大変なものです。そして、ニート自身が、それを自覚していない場合が圧倒的ではないでしょうか?
私もある期間、ニートであったのですが、本来は、親が楽しみのため、あるいは、安楽な老後のために使うべきお金を、自分が全く非生産的に使うのです。それに気付けば、とてもではありませんが、気楽ではいられません。つまり、ニートである自分を肯定できるはずがないわけです。

私は、子供に、卒業だろうが中退だろうが、学校に行くのを終えたら家を出て自立しなければいけないことを教えるのに早過ぎるということはないと思います。
遅くとも、小学校の3年生くらいになれば教え始めるべきです。そして、度々、重々しく教えるべきです。そうすれば、成長するにつれ、大人になれば自分で稼いで食べるのが当然だと自然に思うようになります。
邱永漢さんは、夕食の時、いつも子供達に「お父さんが死んだら・・・」と話をしていたそうです。こんな家庭の子供がニートになることはないでしょう。

確かに、私も身にしみて知っていますが、引きこもりが、普通の職場で働く厳しさは大変なものかもしれません。
一人でできるような作業であればまだ良いかもしれませんが、チームでやるような仕事や、ましてや、積極的に話しかけ、相手に気に入られないと仕事にならない営業であれば、苦痛も大きいでしょう。また、最初から最後まで一人でできるような仕事は世の中に稀で、よほどの駆け出しのうちはともかく、少しすれば一人でやる仕事の部分はどんどん少なくなり、そのうち全くなくなることも珍しくはありません。

しかし、確実に言えるのは、若いうちなら、あらゆる意味においてマシだということです。
若いうちは気力も体力もありますし、更に良いことに、周りも若いということは未熟なことと同意ということで、ある程度は大目に見てくれるものです。誰だって、自分も若い頃は、思い出せばどうしようもなく恥ずかしい位馬鹿であったはずですから。
また、最近は何もできないのにプライドだけは高い若者も多いですが、余程の人格者でない限り、年をとってからのプライドは若い頃とは比較にならない程巨大なものになるのが普通です。
このようなことからも分かるように、スタートするのは、年をとればとるほど困難になります。
そして、若い時の苦しい状況は、やっている時は辛いと思うかもしれませんが、後で思い出すと、実に楽しかったことが分るのです。これが理解できないとしても、少なくとも、後で素晴らしい思い出として楽しむことができます。それは満足すべき経験です。
私自身、何をトチ狂ったのか、最初の仕事を、外交的な性格の人間でもほとんど勤まらないフルコミッション(完全歩合制)のセールスマンにしました。当然、その苦しさは半端ではありませんでした。それまで、親に衣食住を全て与えてもらって甘えて生きていたのですから。
しかし、苦しさが大きいほど、喜びも大きいというのは普遍的真理です。振り返ると、心から満足しています。
この喜びを味わえないとは、なんとも勿体無い話です。

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2009.06.02

異世界への旅立ちの準備

2012年12月22日に、現在の人類文明は終焉し、全く新しい地球の歴史がスタートすると言う話がある。
今の地球が終わる原因は諸説あり、11000年ごとに地球が通過すると言われる高エネルギー光子の帯であるフォトンベルトに巻き込まれるというものや、褐色矮星の接近により、太陽が異常活動をするためというものがある。褐色矮星とは、簡単に言えば、重さが足りなくて太陽になりそこねた星だ。
ただ、近年、地球では異常気象や、異常事件が多発しており、それが2012年のカタストロフィー(結末)の予兆と言われることもある。それは、地球環境や人々の精神に大変な変化が起きていることを示しているのであるが、大半の人間はそれに関心すら持たず、眠り込んでいるのである。

不謹慎かもしれないが、今の世界が、後3年半で終わるとなると、私は嬉しいのである。
それほど、今の世界に嫌気が差しているというか、絶望しているのだ。特に、高貴で神聖であるはずであった日本に。
2012年12月22日に、現在の地球が破滅した後、高次元の新しい地球が始まる。
もし本当なら、それは希望と喜び以外のなにものでもない。
ただ、新しい地球に移行できるのは、相応しい者だけである。また、それまでに、我々には試練が与えられる。
私は、試練に立ち向かう決意を持っている。私を試練に導けと胸を張って言うつもりだ。
大災害、戦争、暴動、飢餓・・・何にでも立ち向かってみせる。
皆さんも、覚悟だけはしておいて欲しい。たとえ何も起こらないとしても、それが無駄になることは決してないのだから。

さて、今必要なのは、異世界(異次元世界)と、そこの住人との交流かもしれない。それは、我々の意識レベルを引き上げることを大いに助ける。
改めて考えれば、私はずっと昔から、無意識にそれを目指していたのだと思う。
子供の頃からの、全ての活動・・・読書、仕事、仕事以外の社会活動、趣味、行、全てがそこに収斂されているようだ。
見事なまでに、驚くほどに、それらが1つにまとまって来ているのだ。

普通の人が普通にやれる異世界との交流について、出し惜しみなく書いていくが、皆さんは自分の方法を見つける必要があると思う。
起動力は、子供の時の憧れであると私は思う。それをガラクタの中から取り出せば、後はさして難しくはないと思う。

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2009.06.01

人生最大の驚き

私は、運命というのは、生まれた時から死ぬまでのどんな些細なことも全て決まっていると確信しています。
ただ、それは、「神様の思し召し」というものではありません。もしそうなら、神様に、運命を変えて下さいと願いたくなると思います。しかし、神様はそんなことは決してなさいません。
そうとなると、ものすごく嬉しいことが起こったとしても、さほど有頂天になることはありません。もともと決まっていた出来事ですから。
逆に、どんな悪い出来事も、「仕方がない」と思うことができます。
過去のどんな過ちも、いつまでも後悔することもありません。それは避けられないことでした。
未来を思い煩うこともありません。なるようにしかならないのですから。
だけど、なるようにはなります。
そして、何が起ころうと、あなたは心穏やかでいられるのです。

「荘子」には、全てをあるがままに虚心に受け入れる者には、鬼神も従うとあります。
それがどんなことなのか?人生において、それを見極めることほど驚くべきことは、そうはありますまい。
いかなる出来事も平然と肯定できるようになった時、既にあなたには不可能はなくなっているでしょう。

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