孔子 VS 荘子
孔子の人気は根強い。
そもそも、日本は武家社会において儒教思想を大いに取り入れたこともあり、伝統的な馴染みもある。
そして、現在の日本のリーダーにも、「論語」を崇重する者は多く、その全編(20巻)を百回読んだとか、さらには暗記しているとかいう、変な、もとい!立派な人の話も聞く(笑)。
ところで、なぜ、「論語」が「孔子」という書名にならなかったのか不思議なものである。
孔子より百年ほど後の時代の人と言われる荘子が書いたとされるのが「荘子」だ。
「荘子」の中には、孔子が度々登場し、さんざ馬鹿にされている。
人によっては、それは荘子が孔子を認めているからこそ噛み付いているのだとか、実際、「荘子」の中に、「我々は孔子に適わないのだ」という記述もあることから、本当は荘子は孔子を崇拝しているとか言う人もいる。
もちろん、荘子とて、知における孔子の優秀さは認めていたに違いない。しかし、荘子がその害を最も警戒したのが人の知であるのだ。荘子は人知を超えたものを大切にしたのである。
そりゃ、世俗で成功者になろうと思ったら、「荘子」ではなく「論語」を読むべきだろう。
「荘子」の愛読者に成功者がいないわけではないが、荘子を本当に理解すると、世俗の成功にさしたるこだわりがなくなることは確かと思う。
邱永漢さんや竹村健一さんらは荘子が好きなようだが、世俗でも成功している。しかし、彼らはエコノミックアニマルでなく、節度を心得ており、良い人生を過ごしているように思う。だから、彼らの本は、ビジネスに興味のない人たちにも読まれていると思う。
孔子が本当に幸せだったか、特に晩年に安らかであったかは大いに疑問だ。苦労を重ね、心身をすり減らしながら、人々に受け入れられず、侘しさを感じていたように思えて仕方がない。
一方の荘子は、人々の評判に関心がないばかりか、むしろ評判を恐れ、生にすら執着がなかったことは間違いないことのように思える。
「老子」の方は、はっきり言って私にはさっぱり分らない。正確な文書が残っていないように思うし、解釈も研究者によって甚だしく異なる。虚心に音読すれば自ずと解るという人もあり、それはそれで正しいと思うが、老子の説いた道(タオ)に関しても、荘子が解りやすく書いてくれていると私は思う。
2012年に訪れると言われる、現人類の文明の終焉と、新人類への飛躍に際しても、荘子は最も重要なものと私は考えている。
Comments
この前は丁寧な返答ありがとうございました。
この世界で最も大きいものは秋の動物の毛先であって、泰山は小さいものである。…どういう意味なんでしょうね。
Posted by: MU | 2009.06.01 11:23 PM
バイオソニックをどのように使ったんですか?
Posted by: MU | 2009.06.01 11:50 PM
★MUさん
>どういう意味なんでしょうね。
疑問を持ち続けて下さい。
>バイオソニックをどのように使ったんですか?
何も期待せず、ただ出来るだけ使う。それだけです。
Posted by: Kay | 2009.06.02 09:53 PM