運命
「荘子」の中にこんな話があった。
当時(2400年程前)は、足切りの刑といって、罪人の踵を切り落とすといった残忍な刑罰があったようだが、その刑にあった男がいた。
その男の昔の知人が、「なぜそのような情けないことになったのか?」と聞くと、男は、「これは運命である。この運命を受け入れた時、私は自由になった」と言った。
また、こんな話もあった。
ある男は悲惨なまでに貧しかった。
彼は、「俺は、これほどの貧乏になるような悪いことをした憶えもない。これが運命というものだろう」と言った。
そして、ある死にかけている男の話もあった。
その男に、「造物主は、今度はお前を何にするだろう?ネズミの肝か、虫の足か?」と言うと、息も絶え絶えのその男は、「銅で剣を作る時、銅が、自分はどうしても名剣になりたいなんて言うのは罰当たりというものだ。俺は何にされようと結構だ」と言って、安らかに死んだ。
運命は創造主が決めることであり、我々にどうこうできるものでもないということが書かれている。
そう言って間違いないが、実際は、我々の本当の自己が、必要な運命を創るのである。その運命は死ぬまで変えられない。
だが、それを受け入れた時に自由を得るのである。
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