無表情な誘い
「新世紀エヴァンゲリオン」は、1995年から1996年に渡ってTV放送されたアニメ作品ですが、当初から社会現象を起すほどの人気となり、海外でも高い評価を得、その人気が衰えることは全くありませんでした。
さらに近年では、新作映画も続々制作されています。
この作品では、終末論色が強く、2012年の地球滅亡の噂とも合わせると、今の時代により適ったものではないかと思います。
この作品の人気を支えているのは、美少女キャラクタの力も非常に大きいのですが、特に人気があるのが、綾波レイという14歳の謎の美少女です。おそらく、日本のアニメ史上でも、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」のナウシカと双璧をなす人気美少女キャラと言えると思います。綾波レイの等身大フィギュアは30万円の高価格に関わらず、注文が殺到し、長期入荷待ちになったこともあり、現在でも彼女の新しいフィギュア作品は次々制作されています。
では、なぜ綾波レイがこれほどの人気になったかと言いますと、美少女で、日本人好みのスレンダーなナイスバディであり、インパクトあるエロチックな描写が美しかったこともありますが、やはり、あの独特の雰囲気のせいと思います。
14歳の美少女といえば、普通は天真爛漫な愛らしい表情と、清純なセクシーさの融合を武器とする場合が多いかもしれませんが、綾波レイは、無表情で無口、感情を表さず、他人との関わりを避ける雰囲気があります。孤独の中に留まっているように見えながら、時にわずかな寂しさや困惑を見せる時には輝きを感じさせます。
類似のアニメキャラクタでは、「涼宮ハルヒの憂鬱」の長門有希や、「ノワール」の夕叢霧香(ゆうむらきりか)がいると思いますが、彼女達は謎に満ちた非常に複雑な存在であることが共通しています。
その謎の部分も確かに魅力なのですが、彼女たちの無表情に大きな意味があるように思えます。
綾波レイや、その他の魅惑的な美少女達は、無表情と言っても、世を儚んでいたり、厭世的(えいせいてき・・・世の中を嫌なものと思うこと)であるわけでもありません。かといって、世の中にある何かに特に関心や愛着を持っているようにも見えません。
ただ、無関心に世の中を、そして、自分の心を観察しているように思われます。
彼女たちの目は、無気力でもなく、かといって輝いているわけでもなく、言ってみれば「素」な目です。
そんな彼女達が、なぜかくも魅力があるか分るでしょうか?
まず、そんな人は、滅多にはいません。
普通の人の目は、不満、欲望、羨望、執着、無力感といったもののいずれか、あるいは、いくつかが感じられ、決して素な状態ではありません。
素な目を持つ女性ほど魅力的なものはありません。
では、どうすれば素な目を持てるのでしょうか?
上に書いた通りです。世界で起こることや自分の心を、特別な感情を持たずに、ただ観察します。冷静な科学者のように。
だけど、これだけのことであれば、ヴァーノン・ハワードの本や、ニサルダガッタ・マハラジの本にも書かれています。
しかし、肝心なことは、どうやれば、それができるかです。
そして、これをすることは、少女や女性だけでなく、本当は誰にでも非常に大切なことです。それこそ、2012年のアセンションに関わる重要な意識を得ることに繋がります。このようなアニメ作品が大ヒットするのは偶然ではありません。
素な目の持ち主に必要なことは、積極的な心構えではありません。では、消極性かと言いますと、あながち間違ってはいませんが、肯定とか受容と言った方が正しいです。
世の中や、自分の心のいかなるものを見ても、肯定し、受容することです。
難しいのは、自分の心を受容することです。
怒り、悲しみ、嘆き、絶望する自分の心を受容します。それは、自分が心ではないことを意味します。
ただ、虚心にあらゆるものを受容します。
不完全ながら、そうしているのが、綾波レイや夕叢霧香、あるいは長門有希です。
では、なぜ虚心に全てを受け入れることができるのでしょうか?
ある意味、諦めと言えます。
しかし、これは、「明らめ」と言い換えた方が良さそうです。
この世の全ての出来事や、自分の心の動きが、全て運命として完全に決まっていることを明らかにし、そういうものとして諦めてしまうことです。
例えば、あなたが男性で、大好きな女の子がいたのですが、彼女は別の男性と結ばれたとします。それは、最初から決まっていた運命であり、あなたにどうこうできることではありません。それが分れば、諦めるしかないことが明らかになります。心は苦しむかもしれませんが、受け入れることもできるのです。
なかなかできることではありませんが、これが老子や荘子の言った。無限の実相である道(タオ)に通じる方法です。
自分の心を含めたあらゆることを、ただ虚心に受け入れ、思慮分別や好悪善悪の判断を一切してはなりません。ただ、万物、あるいは、運命と共に流れていきます。
自分の心を含めたあらゆることと言いましたが、この世の一切は心が作ったものです。ただし、心が過去に作ったものであり、今見ているこの世は、もう終ったものであって、実体ではありません。
運命を虚心に受け入れることができれば、心は消滅し、心はもう世界を創ることはなくなり、世界は消えます。
さらに言えば、心が過去に作ったと言っても、それは心にとっての過去です。あなたの実体には、時間も空間もありませんので、心が消えれば、世界はただちに消滅します。
完全に最後の段階に進むことを悟りと言います。
不完全ではあっても、それに近付けば、綾波レイのようになるでしょう。
まあ、不満や願望があるうちは無理ですけどね。
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Comments
人生の真諦ですね。
人として生まれた意味、生きている間に為す事を明確にする。自分の使命がはっきりとわかりそれに向かい正しく努力(精進)する。
「仮の肉体を借りて真の霊性を修める」という言葉が
<道>にはあります。
肉体でも無く、心でも無い、大いなる存在と繋がっている自分に内在する霊性。本来霊性には汚れが付かないそうです(ピカピカ)⇒このあたり六祖壇經に書かれています。
ただ、転生するたびに心が曇ってしまった。
生きて肉体がある間に心の曇り(間違った情報⇒本来宇宙には存在していない)を消します。
霊性には善い働きしかありません(仁・義・礼・智・信)5つの徳性。
生きている間に起きる出来事(苦)は曇りを落とす為。必然です。だから受容するしかない。大難を小難にし禍いをかわすには功徳のみと。道や宗教で言われている事ですね。
だから慎み、陰徳を積んで行く⇒実践として少食なんですね。
Posted by: たんと | 2009.05.22 01:02 AM
むむっ、難しい……。
確かに、綾波レイと対照的だったエヴァンゲリオンのアスカは、いろいろと苦しみましたね。
私は独立を考えてある資格の取得を目指しているのですが、それも願望や執着といったものなのかもしれません。
目標達成と願望・執着を切り離して考えることはできるのだろうかというのが、私の課題になりそうです。
Posted by: 納豆会計 | 2009.05.22 08:08 PM
★たんとさん
私は努力しないかもしれない^^;
読んだこと、憶えたことも、全部忘れる時にきているかもしれない。
善と悪の区別が付きません。
徳を尊びません。
いかなる大難も避けるつもりはありません。
今日は、ブロッコリーとジャガイモが美味かった^^;
★納豆会計さん
私は、綾波は好きですが、アスカも好きです・・・って、話じゃなかったですね^^;
いかなる大きな仕事も執着なく行うことができます。
自分がそれをやっているという自覚すらありません。
あまりに簡単なので、自動的に進んでいくのです。
そのくらいでやると、大抵、うまくいくようです。
Posted by: Kay | 2009.05.22 09:53 PM
私も、アスカも好きです(笑)。
確かに、物事を必要以上に大きく捉えたり、難しく考え出すと、難しいか否かという以前に、そもそも集中すらできなくなってしまうという経験を、今までいくつもしてきました。
貴重なアドバイスをいただきました。
ありがとうございます。
Posted by: 納豆会計 | 2009.05.22 10:08 PM
^_^;
ここ2・3日kayさんの書かれた事から感じた事でした。
諦め、明らめ、受容、虚心で…、悟りというフレーズから。
感覚であらゆる事がしっかり入っているんですね。
凄いです。
すべては神様に委ねようと思います。一瞬、一瞬を大切に心を込めて過ごすだけです。命という時間を。
水野南北さんの食は命、読み始めました。
深〜い!
ブロッコリー美味ですよね。生でも食べてもOK。
ステーキと同じ位の栄養があるそうです。
Posted by: たんと | 2009.05.23 04:15 AM
★納豆会計さん
成ってよし、成らなくてよしですね・・・とはいきませんか?^^;
幸運をお祈りいたします。
ミサトも好き・・・
★たんとさん
私が食べる野菜は、ブロッコリーとアスパラだけになってきました。
私も、水野南北が啓示を受けた伊勢神宮をお参りしたく思っております。
Posted by: Kay | 2009.05.23 07:49 PM