運命の星
1955年の西部劇の傑作映画に「星のない男(Man Without A Star)」というものがある。
監督は、西部劇の神様、キング・ヴィダー、主演はカーク・ダグラスだ。
アメリカではDVD化もされているようであるが、日本では発売されておらず残念である。
「星のない男」の星とは何であろう。
流れ者の凄腕ガンマン、デンプシー・レイは、若いジェフに、「人は誰でも1つ、星を持っている」と言うが、俺の星はないと言う。
そういえば、「セーラースターズ」(アニメ「美少女戦士セーラームーン」最終シリーズ)で、アイドルでイケメンの夜天光(やてんこう)が、セーラームーンこと月野うさぎに、「人は誰でも1つ星を持ってるんだ。そして、特別に強く輝く星を持ってるやつがいるんだ」というようなことを言っていたと思う。
原作者の武内直子さん自ら作詞した、このアニメの主題歌「セーラースターソング」では、「誰だって運命の星を持つ」とあるが、普通にも「運命の星の下」なんて言うとおり、星とは運命を意味するのだろう。
もちろん、古代にあらゆる場所で発生した占星術は、人の運命は星の影響を受けるのであると見なしているはずだ。
セーラームーンは、当時、「新世紀エヴァンゲリオン」と並び、終末論的アニメと言われたものであるが、特に原作は極めて深いものがある作品だ。
幼い頃から不幸な人生を生き、11歳でセーラームーンの娘のちびうさの魂を救った後に消滅した美少女、土萠(ともえ)ほたるに対し、ほたるの唯一の友達になったちびうさは、「こんな悲しい運命もあるんだ。そして、そんな運命を生きないといけない人もいるんだ」と思う場面がある。
運命というものが変えられるかどうかは分らないが、人には誰でも大枠では運命は決められているという主張が感じられる。
だが、作者は土萠ほたるの運命をただ悲しいものとはしなかった。ちびうさは泣くのをやめて勇気を出して戦いに赴き、地場衛(月野うさぎの未来夫で、ちびうさの父親)もまた、ほたるから不思議な力を得たことを実感した。
作者は、土萠ほたることセーラーサターンを「メシア(救世主)の一人」とし、セーラームーンことプリンセス・セレニティを「もう一人のメシア」と呼ぶなど、全く対等に扱ったこともある。
「星のない男」で、デンプシーが「俺に星はない」と言ったのは、自分の運命が分らないという意味だろう。大きな不幸や不運を経験すると、人は自分の運命を信じられなくなってしまうものだ。
「俺は、人生でいったい何をすればいいんだ」という悩み、迷いの姿である。
しかし、いかに不幸であろうが、嫌であろうが、目の前で展開される世界や自分の心の動きこそが運命だ。
いかなる運命であろうと、虚心に受け入れて、運命と共に流れていくと、真の安らぎに到達するのである。
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Comments
セーラームーン放送時、私は幼稚園生でしたが、ほたるちゃんが一番好きでした。ちびうさは嫌いだった…せつなさんも結構好きだったかも。
…あまり関係ない話ですみません。
Posted by: MU | 2009.06.01 11:46 PM