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2009.05.16

童話を読むということ

私は、高校生の時、教室で童話を読んでいて、クラスメイトを驚かせたものだ。
私は、別にファンタジーの世界に浸りたかったわけではなく、必要と思ったので、授業も聞かずに(授業そのものは中2から全く聞いていないが)、グリムやアンデルセンを読み続けた。

岡田虎二郎も、イエス・キリストは師と仰ぎながらも、「聖書よりイソップに良いことが書いてある」と言ったことがあるらしい。実際、イソップ童話は、単に人生の教訓や警句という意味でも素晴らしいのであるが、それだけではないと思う。

しかし、童話を頭(理屈)で読んでも、真に重要な意味は解らない。
ましてや、学校で教育されたものの考え方をもって童話を読んでも、ほとんど何の意味もないだろう。
それは、童話や民話もであるが、各国に古くから伝わる神話であればさらにそうであると言える。

ここで、1つの童話と1つの神話の話をする。
1つは、グリム童話の「星の銀貨」で、もう1つは、我が国最古の古典「古事記」だ。
「星の銀貨」に関しては、確かに、シンプルな民話の上にグリムの創作が加わっているが、素晴らしいお話に仕上がっているので、それを採用する。

「古事記」で、黄泉の国(死の国)から戻ったイザナギノミコトは、汚れた身を清めるために水浴をしようとする。その際、服や装飾品を1つ外す度に次々に神が生まれる。
そして、水に入って身体を洗うごとに、また次々に神が生まれ、最後に、目と鼻を洗った時に、高貴な神である、アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、そして、スサノオノミコトが生まれて終る。

一方、「星の銀貨」では、貧しい少女は、一切れのパンと、身に着けている服以外何も持っていなかったが、パンも服も、さらに下着までも貧しい老人や子供達にあげてしまう。
しかし、夜の闇の中で裸で立っていると、空から銀貨が降ってきて、いつのまにか立派な服を着ていた。少女は一生、裕福に暮らす。

春日大社の宮司であられた葉室頼昭さんが著書に書かれていたように、イザナギノミコトが服や装飾品を外したことは、煩悩や我欲を捨て去ったことを表している。そうした時に神様が次々生まれ、さらに水で清めることで、貴い三体の神が生まれた。
「星の銀貨」の少女は、元々、正直な少女であったのだが、更に天使にまで向上するための、最後の試練でもあったように思う。

神話、民話、童話というのは、深い意味が込められている。
グリムは、民話を集めて編集したのであるが、イソップやアンデルセンのように自ら創作したお話も実に奥深いものがある。童話とは、本来、そのように描くものであると思う。
もちろん、我が国の昔話の奥深さは大変なものだ。大切にしたいものである。

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