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2009.04.20

生きながら死人となりはてて

少食療法で有名な医学博士の甲田光雄さんなど、少食を薦める人が、それを実践する手段を、意志の力と考えているようなら、それは問題だし不可能ではないかと私は最近思い始めた。
生まれつき少食という人のことは知らないが、意志の力で少食なんか実行できない!
聞いたことがあるかもしれないが、意思の力は、無意識の力には勝てない。
単純な例をあげれば、幅1メートルの板の上を歩くのは普通は容易い。
しかし、その板が、家の屋根の上から隣の家の屋根の上に渡したものであれば、かなり多くの人は歩けまい。
ましてや、高いビル間の屋上に渡した板なら、余程例外的な人間でない限り、誰も歩けないだろう。

少食も同じだ。意志の力で食べまいと思うほど食べずにいられない。
食だけでなく、本能に関わることは皆そうなのだ。
「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメで、傷付き、病院のベッドで気を失って眠っている14歳の超美少女アスカの下着がはだけたのを見て、シンジがマスターベーションするというシーンがある。終わった後、シンジは「最低だ!」と言うが、それを責められる視聴者は、男性ではおそらくいまい。
しかし、少食を続けた者なら、シンジにただ同情するだけになる。少食者ならシンジの真似をしなくて済むからだ。

だが、本来、大変な大食であった私が、思いつきのように1日1食になり、大好きな甘いお菓子もスパっとやめ、肉でなければ夕食でないと思っていたにも関わらず、特に大きな決意もなく一切の肉を食べなくなった。
考えてみれば、これは大変なことだ。
単に、健康になりたいだの、痩せたいだのでは、こんなことできっこない。
ある大人物、つまり、相当に強力な意志の持ち主が私を指して「その意志の強さは大したものだ」と言った。それで気付いたのだ。私は彼の1/100の意志の力も持ち合わせていない。彼も決して肥満でなく、持っている資産からすれば食事は質素な方だ。しかし、私のような少食はとてもできない。
ましてや、普通の人の意志の力では、この美食・飽食に溢れた世の中で食を慎むことなど不可能だ。

ではなぜ、私に出来たかだが、表現が難しいし、誤解を招く恐れが大きいが、敢えて言えば、私はどうやら死んでいたらしいのだ。
ゾンビと言えばイメージが悪いので遠慮したいが、まあ、幽霊のようなものだったのだ。
それに気付いたのが、岡田虎次郎の言った、
「身を棺桶の中に投じ、地下千万丈に埋了したる心ありて初めて如上の目的に到達するを得べし」
の言葉を柳田誠二郎さんの著書「静坐の道」で知った時である。
(1丈は3.03030303メートル。千万丈は、文字通りには約3万キロメートルである)
これは、至道無難禅師の
「生きながら死人となりはてて、思いのままになすわざぞよき」
と同じと書かれていたが、私もそう思う。
ただ、「如上(じょじょう)の目的」つまり、「上記の目的」の意味がはっきりしなかったが、多分、「全てを捨てきる」ことであると思う。

尚、私は、自分が死ぬということに関してそれなりに想像できたのは、小説、アニメの「灼眼のシャナ」によってだ。この物語は、主人公の坂井悠二が死ぬところから始まり、その後も坂井悠二は活躍はするが、本人は既に死人であるという、非常に独特なものである。私は、この高校1年生の主人公に強く自己を同一化していたのだ。
不世出の空手家で知られる大山倍達さんが、命を捨てることの意味を、色々な形でよく語っていたのを憶えていたことも私には大きかった。

できれば、上の岡田虎次郎の至言を味わって欲しい。
ニサルダガッタ・マハラジも、エマーソンも、究極的にはこれを言ったのだと私は確信する。

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Comments

1日一食生活を始めて暫くしてから「きっと今までの私は死んだんだ。今在る私は過去のそれとは別物だ」と考えておりました。
考えていた事をタイミングよく書いていただけるなんて(*´∇`*)kayさんのブログに辿り着いたのも私にとって必然だったように思います

「全てを捨てきる」とはまた難しいですね。なぜか「命を捧げる」と脳内変換されました
少食を続けていれば何かに命を捧げる事も出来るような気がします
あ、それと先日の天然塩の話ですが、早速買いまして少しずつ摂ってます。少量ってどれくらい?て疑問に思ってましたが、食べてみると身体が必要な量ってちゃんと分かるもんですね
続けてみます(´∀`)長文・乱文失礼しましたっ

Posted by: りりぃ | 2009.04.20 at 11:25 PM

>生きながら死人となりはてて、

その状態が仏教でいう悟りであって
kayさんはすごいなと尊敬します。
でも、まだまだそんな状態に達していない私が
2年ほど前のある日を境に急に菜食・小食になり
まるで生まれる前からそうプログラムされていたかのように、今それが当たり前なのはなぜだろう。。。
そうなるほんの少し前まで
「美食に興味のない人は人生の半分以上損をしている」と信じていたんですよ。
やっと食べ物にありついてる人も同じ地球にたくさんいるのになんと私は傲慢だったのかと今は思いますが。
確かきっかけは周囲のインド人(kayさんと同じIT系が多いですね)のかたがたが、
宗教の関係で肉食なしで男性は逞しい身体、女性は美貌と健康を保っていたことです。
もともと動物好きなので数年前に屠殺の描写を聞いて苦痛に思っていたものの
人が生きていくためには仕方のないことだと思っていましたが
そのインド人の方々を見て「いらない犠牲ならやめてしまえ。アホくさい」と吹っ切れました。
肉食をやめたらなぜか野菜・穀物は満腹になるまで食べれず自然と小食になったわけです。
私も健康、ましてや願望達成の代償としてささげる欲望絶ちとはまったく関係なくはじめたというのは一緒ですが
どのみち悟った方とこの点だけでも一緒なのは光栄です( ̄▽ ̄)

Posted by: ぬこ | 2009.04.20 at 11:35 PM

意志が強い…心が強い。
強くて固い心を作り折れないようにしていてもそれより更に強い圧力が加われば折れてしまいます。そんな強固な心より柔らかくしなやかな心は強い圧力を逃がします。
それは柳の枝のような心。私は柳に成りました(^-^)
私の中に喜怒哀楽の怒という文字はすでにありません
Kayさんの喜びや幸せは私の喜びや幸せでもあります
いつもありがとうございます

Posted by: 中島 | 2009.04.21 at 12:56 AM

★りりぃさん
食を慎むこともまた、命を奉げることらしいですね。
水野南北はそう断言したと思います。
死と復活の栄光は世界中にある神話ですが、そこに人類を覚醒させる何かがあるのだと思います。


★ぬこさん
まあ、死人になりきれる心構えで・・・ということで、私は全く悟ってはおりませんけどね^^;
世の大半の人が「食べる楽しみがなくて何の人生!?」って言いますよね。彼らこそが寂しい人生かもしれませんが、まあ、人のことはとやかく言わないでおきましょう(笑)。
少食、菜食にすると確実に美しくなると思います。そりゃ、私なんてもう・・・後1年もすればきっと(笑)。
では、明日もまた死ににいこうと思います。


★中島さん
「怒という文字はない」ですか。私はまだ少しイラつくことはあるようです。でも、すぐにに平静になれるようです。
私も、高いところに吹く風のようでありたいですね。

Posted by: Kay | 2009.04.21 at 09:53 PM

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