願いが叶って喜びが続く時と醒める時
昔、米国の人気SFテレビドラマ「スタートレック(宇宙大作戦)」で、ミスター・スポックが、「いかに熱望していたとしても、手に入れてしまえばさほどでもない」と言ったのをよく憶えている。
精神分析学者のジーン・シノダ・ボーレンも著書の中でスタートレックのセリフを引用していたが、スタートレックは単なる娯楽作品以上の素晴らしい作品だったように思う。
後、数ヶ月から半年という寿命の中で陽気に最後の授業をしたランディ・パウシュ(カーネギーメロン大学教授)もスタートレックの大ファンで、この授業でも話をしていた。
最後の授業 ぼくの命があるうちに DVD付き版 (ハードカバー) Amazon
さて、先程の「いくら熱望したとしても、手に入れてしまえばさほどでもない」とは、多くの人の味わう真理かもしれない。
しかし、私は容易に賛成しない。
そんなものなら、得る必要はなかったのだ。
では、どんなものなら得る必要があり、それはどうやれば得られるかを教えよう。
大俳優のバート・ランカスターがまだ駆け出しだった頃、既に成功していたクリント・イーストウッドと食事をする機会があり、ランカスターはイーストウッドに「成功するまで何をしていましたか?」と尋ねた。イーストウッドは「成功した時の準備をしていた」と答えた。この答に感銘を受けたランカスターは、重要なことを把握し、成功への階段を駆け登った。
例えば、車のポルシェが欲しいとしよう。
それなら、それを得た時の準備をすれば、いつかは手に入るだろう。
問題は、その準備だ。
その準備は、誰のための準備だろうか?
もし、多くの人のために役立つための準備であれば望みはすぐに叶う。
しかし、そうでないなら、手に入るまでに熱意がなくなって、結局は得ることがないまま終る。
だが、時にその願望のための大きなエネルギーを持っている者がいて、勢いで手に入れてしまうことがある。
そんな時が、「得てしまえば、さほどでもない」ことになるのだ。
望みがある時は、それが叶った時に、多くの人に奉仕できる準備を熱心にすれば良い。
それなら、願いが叶った後も喜びは続くだろう。
The comments to this entry are closed.
Comments
願いがかなった後、周りの人と共有、もしくはそれを使って喜んでもらうとかがないと自己満足に終わってしまい、得てしまえばこんなものとなってしまうのですね。かなった後の喜びが長く続くためにも周りの人と分かち合いたいです。
Posted by: mamemoyashi | 2009.04.13 08:06 PM
★mamemoyashiさん
得た後で、詐欺にあったような気分になりますよ。
まあ、詐欺に遭う人は、何度も懲りずに遭うのですけどね。
Posted by: Kay | 2009.04.13 09:49 PM
衣食住が、困らない程度なら、本来は問題ないんですよね。
でも、だいたいは、人より高価なものを持ってるとか、人と同じものぐらいは持っていたいとか、そういう感覚なんですね。
同じレベルのものをもってないと、仲間じゃないとかね。
かなり年配の大人の世界でも、つきつめれば、そんなところじゃないかと、思ってます。
それが、社会的なステータスだったり、地位でもあるんですけど。
Posted by: マリー | 2009.04.14 10:24 AM
★マリーさん
自己が確立していないと、無知で混乱した世間に従うことになります。
それが私の最も嫌い、恐れることです。
Posted by: Kay | 2009.04.14 09:59 PM