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2009.04.30

レインメーカーになる方法

レインメーカー(雨乞い師)になるにはどうすれば良いだろう?
夢の中で訓練すれば良い。
夢の中とはいえ、最初はなかなかうまくいかない。
しかし、現実世界よりは早く、うまくできるようになる。何せ夢だ。
そして、夢の中で出来るようになったことは現実でもできる。夢と現実に何の違いもないからだ。
いずれも心が作る出すものだ。

これは、台湾生まれの米国の大作家で、世界的実業家でもあるチン・ニンチュウが著書に書いてあったことでもある。
ある男が、壮大な家が欲しいと思ったが、そのためにたった3千万円しかない年収を3億円にする必要があった。
夢の中でその家を持とうとしたが、なかなかうまくいかなかった。
現実世界でも意識改革に努めた。
やがて希望通りの年収に達したが、その時はもう、豪邸はどうでも良くなり、結局建てなかった。
大切なのは意識改革だ。
意識を自在に操れるヨギなら、一瞬で豪邸を出現させることもできる。

ある人が、壁に大きなクギを打ち込もうとしたが、壁が硬くて、いくら金づちで叩いてもだめだった。
そこに不思議な老人が通りかかり、クギを指1本で入れて見せた。
老人は痩せていて怪力には見えない。
老人は、夜見る夢の中ではなく、瞑想中に想念の中で、大きな岩を持ち上げる訓練をしたらしい。やがて想念の中で違和感なくそれができるようになったら、そんな力が出せるようになった。
今は、山を持ち上げる訓練をしているという。

スポーツでも、イメージトレーニングというものがあるが、うまくやる限り成果は上がる。
ただ、本気で毎日やらないと、大した成果とならない。普通は、短期間に短い時間やるだけだ。それでも成果は上がるのだ。本気で数年から十年以上やれば大変な成果が出るに違いない。

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2009.04.29

般若心経を10万回唱える意味

般若心経を10万回唱えたという人の話を聞いたことがあるが、そのような人は特別な人間以外の何者でもないし、間違いなく常人を凌駕する大変な力を持っているはずだ。いや、般若心経10万回なら、ほとんど神に近い力を得ているかもしれない。
人のやらないことを数多く、あるいは長く行うことの威力は大変なものである。
法然上人は、「南無阿弥陀仏」の念仏を1日6万回唱えたと聞いたことがある。これは誇張かもしれないが、とにかく1日中唱えていたということと思う。それも一生であったと思われる。こんな人は、ほぼ仏と言って良いと思う。
円空という江戸時代の仏僧は、生涯に十万体の仏像を彫ったと伝えられている。これもやはり誇張と思うが、それでも大変な数を制作したことは間違いなく、しかもことごとに傑作であるようだ。
これらの偉人は、生活しながら般若心経を唱えたり、念仏を上げたり、仏像を彫っていたのではなく、般若心経を唱えながら、念仏を上げながら、仏像を彫りながら生活していたのだ。

そういった偉人の真似はほとんど不可能かもしれないが、いくらか現実的と思われる範囲でも色々聞いたことがある。
大変に有名な霊能家である竹内満朋さんのところに19歳の青年が弟子入りしたくてやってきたが、竹内さんは彼をあまり相手にしなかったようで、ただ「ローム太霊の本をぼろぼろになるまで読め」と言ったらしい。青年は、自分の未熟さを素直に認め、言われた通り、その本を本当に閉じ糸が取れてぼろぼろになるまで読み、それを持って再び竹内さんのところに弟子入りを志願しに行く。12年かかったようだ。すると、竹内さんは涙を流して喜び、「弟子になる必要はない。友人になってくれ」と言ったということだ。
おそらく、この本は、霞ヶ関書房の「ローム太霊講和集」(竹内満朋、寺見文夫著)のことと思う。本当に凄い本である。

斎藤一人さんは、本は7回読めば身に付くと書いておられた。しかし、御自身は中学生の時に論語を千回読んだとか、中村天風のある本は百回読んだとか、また、お弟子さんが、ジョセフ・マーフィーの「眠りながら成功する」を千回読んだとか、いろいろな話を見たことがある。

思うように何かを出来ないのであれば、これはと思う本を百回を目標に読んだり、あるいは、般若心経を、上記のように十万回とは言わないが、千回とかを目標に唱えてはどうかと思う。
ニサルダガッタ・マハラジは、西洋人がインドのマントラ(真言。呪文)を唱えて意味があるのかと聞かれた時、「驚くべき効果がある。あえてやってみることに意味があるのだ」と答えている。

私は、昨年末あたりから、神道の祝詞(のりと)である「大祓詞(おおはらえのことば)」を毎日上げているが、1日も欠かしていないとはいえ、1日1回なので、やっと125回である。
本も多く読んだものでも十回程度迄である。
それでも、かなりの効果を現実的に実感はしている。
引きこもりで外に出れなくても、これなら、心に傷や負担を負うこともなく出来、なおかつ、引きこもりには適性のある一種の行ではないだろうか。

私が10回以上繰り返して読んだ本は「マスターの教え」と「マジック・ストーリー」の2冊。上にあげた「ローム太霊講和集」は5回位。
最高の本と思う、ニサルダガッタ・マハラジとの対話を収めた「アイ・アム・ザット」は4回目で中断している。500ページある本である。百回読む候補はこれであったが、ラマナ・マハリシとの対話が収められた2冊の本「ラマナ・マハリシの教え」や「南インドの瞑想」も捨て難い。そして、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの本も素晴らしい。
いや、その他にも、まだ素晴らしい本がある。
まだまだ、なかなか1冊に決まらないようである。

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2009.04.28

ギャンブルの哲学

マーフィーの成功法則を使った成功例とか、あるいは、これから何に使うかといった話で、「パチンコで数万円勝った」とか、「競馬を当てる」「宝くじ」を当てる」といった話を聞くことが何度かあった。
これまで、そのようなものをあまり真面目に取り合わなかったが、ちょっと書いてみよう。

確かに、マーフィーの本の中にも、潜在意識の力で宝くじに当たったという話は出てくる。しかし、それは、宝くじをあてようと意図して潜在意識の力を使ったのではなく、必要なお金が入ってきたのが、たまたま宝くじの当選によってであったというものであるはずだ。
宝くじを買い続けて生活ができるわけではないことは当然である。

私自身は宝くじを買ったこともなければ、競馬もパチンコもやらない。
確かにギャンブルというものは奥が深く、様々な面からの考察の価値は十分にある。ドストエフスキーの「賭博者」という小説は、ルーレットに関する非常に興味深い話であるが、そのドストエフスキーやヘミンングウェイといったギャンブル好きな文豪も多い。
しかし、彼らはお金だけのためにギャンブルをやっていたとは思えない。そこにある、精神や運、縁といったものに関する不可思議なものに魅せられたに違いないのだ。

テレビで見た話であるが、ある男性が母親に相当数の宝くじをプレゼントしたというものがあった。一見、馬鹿なことだと思う人も多いと思う。私もそう思った。
しかし、この男性が心を込めて送った宝くじは高額の当たりが出たのだ。結果として、彼は母親に、自分が持っているお金では渡すのが無理な額をプレゼントできたのだ。
ギャンブルというものは、その結果は単なる偶然だけとは思えないところもある。
先にあげたドストエフスキーの「賭博者」を読むと、それが強く感じられる。初めてルーレットをやる老婆は、いくら負けても常にゼロに賭け続ける。そして大金を獲得する。しかし、次に同じことをやって大金を無くす。

本物かどうかは知らないが、超能力者で有名なユリ・ゲラーの本にあったが、彼はルーレットで大金を稼いだことがあるらしい。しかし、その後、精神に激しい乱れが起こり、得たお金を車から投げ捨て、ようやく平常に戻ったという話があった。
それ自体が本当の話かどうかは知らないが、持つべきでないお金を持つとそういうことになるというのは分るように思う。
しかし、上の母親に宝くじをプレゼントした男のように、自分のためでないお金で、しかも愛情こもったものであれば構わないのではと思う。ただし、金持ちが子供に簡単に与える金は愛情でも何でもない。単なる自己満足であり、しかも愚かな行為だ。その子供は駄目になるだろう。

お金を汚いもののように思う人も少なくないが、悪いのは間違ったお金のやりとりの行為であり、お金自体は素晴らしい発明であり良い面が多い。
だから、お金は正々堂々の方法で稼がないといけない。

いかな経験豊かなギャンブルの達人でも、差し引きすれば損の方が確実に多いものらしい。彼らの目的は金そのものではない。本当の目的が何かは様々だし、本人自体も気付いていない場合すらあるかもしれない。

ギャンブルは我欲を持ってやると、確実に不幸になる。
もちろん、ちょっとしたリフレッシュの目的での競馬やパチンコくらい良いであろう。しかし、それで儲けようなんて夢々思ってはいけない。
そして、使って良い金は、どんなに多くても手取り収入の10パーセントまでであり、そのお金はなくなってもともと、カジノなどの従業員のお給料になって良かったと思うくらいでやれば良いのである。

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2009.04.27

全ては夢

快適に生きる上で知っておいて良いことがある。
それは、この世の一切が夢に過ぎないということだ。
全てを夢とみて、動じないようになれば成功への道を進んでいると言える。

夢であるから、世界を好きなように変えられるかというと、その通りとも言える。
しかし、夜見る夢について、好きな夢を見られる人はほとんどいないはずだ。
その意味を悟り、好きな夢を見れるようになれば、現実も好きなように変えられる。

夜の夢の中で、大胆に振舞ってみることだ。
それができれば、現実と呼ばれる夢でも大胆に振舞える。

どんなに苦しく惨めで辛い現実も夢でしかない。
夜の夢も、現実という夢も心が作る。心の力は驚くべきものなのだ。
そして、あなたは心ではない。当然、身体でもない。
あなたは、身体も心も超えたものだということが分かるだろうか?
分からなくても良いから、そう信じなさい。
そして、あなたは、時間も空間も超えたものだ。
当たり前だ。時間も空間も夢が作り出した幻想だ。

素晴らしい小説を読んだり、映画を見て感動したことがあるだろうか?
その作品は実に自分で作ったのだ。
私も、昨日手に入れた本を読んで、ちょっとおかしかった。最近考えていたことが全部書いてあったのだ。

現実を変えたければ、好ましい状況が既に実現しているように振舞うことだ。
それこそが経験なのだ。夢は即座に従うのだ。
もし、あなたの夢の中にジョセフ・マーフィーの成功法則の本があれば、それを参考にしたら良い。

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2009.04.26

世界はあなたのものだ

本当は実力があるのに認められない苦しみを耐える者は案外多いかもしれない。

いくつか思いつくが、プロレスラーの藤原喜明さんは、デビューして10年以上、プロレスファンすら、ほとんど誰も知らない前座レスラーだったが、実は恐ろしく強かった。しかし、ファイティングスタイルがあまりに地味なため、一度も試合をテレビ放映してもらえなかった。
だが、試合前の花道で、超人気レスラーの長州力選手を襲撃し、一夜でスターになってからは、「関節技の鬼」の異名を取る技の冴えを見せつけていき、生き様にも共感を得て人気を博す。
前田日明さんの自伝「パワーオブドリーム」によれば、藤原さんはクビになってもおかしくなかったが、団体では道場破り対策のために本当に強い選手が必要だったので残っていられたらしい。しかし、実際は強いのに前座に甘んじるのは悔しいものであったはずだ。

「ハリー・ポッター」だって、作者のジョアン・ローリングは、その原稿を数多くの出版社に持ち込んだが、どこにも相手にされなかったのだ。
ところが、ある出版社の社長の幼い娘が、たまたまその原稿を読み、社長である母親に「この続きが読みたい」と言ったことが出版のきっかけだった。

イラストレーターのいとうのいぢさんは、美術専門学校を出て就職先を探していたが、なんとか大阪のゲームソフト会社に原画家として採用された。
しかし、いとうのいぢさんは、そこがアダルトゲームソフトの会社とは知らなかった。うら若き女性でありながら、アダルトゲームの超猥褻な絵を一生懸命に描き続けていた中、ほんの偶然に、谷川流さんの小説「涼宮ハルヒの憂鬱」の挿絵を依頼される。この小説は現在までシリーズ560万部という大ヒットとなり、アニメも大ヒットした。
さらに、シリーズ600万部の大ヒットとなる高橋弥七郎さんの小説「灼眼のシャナ」の挿絵も担当し、こちらもアニメも大ヒット。いとうのいぢさんは、現在、日本で最も忙しいイラストレーターで、最近は筒井康隆さんの小説の挿絵も担当している。
ちなみに、今月30日に、いとうのいぢさんの画集「ハルヒ主義」が出るが、私は予約した。

お話としてのものも色々ある。
中国の「戦国策」の、一夜で千里を駆ける名馬の話は有名だ。それほどの名馬でありながら、その力を知られず、石運びをさせられていた。そんな仕事では、脚の太い駄馬に全く敵わない。しかし、その馬を見た白楽天は、馬の力を見抜き、汗をぬぐってやると、名馬は喜びのいななきを上げる。

近松門左衛門の「鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」も印象深い。
25歳の鑓の名手である権三(ごんざ)は、なりゆきで浅香市之進の妻おさゐと駆け落ちする。
やがて、やむなく、市之進と決闘となるが、権三は形ばかりの相手をする。それでも、得意である鑓がなかったので、「せめて竹槍でもあれば」と思う。
この決闘の場面は、郷ひろみさんが権三役を演じた映画では、市之進に切られた権三は、断末魔の中、無念そうに「せめて竹槍でもあれば、鑓の権三の異名を取った鑓さばき、見せてやれたものを」と言って果てる。

「フランダースの犬」もそうだ。
ネロは死んだ後で、「彼こそ天才だった」と言われたが、生きている時には誰にも認められなかった。
いや、それで言えば、ゴッホだって、生きている時は1枚の絵も売れなかった(予約は1枚だけあったらしい)。


さて、みなさんもテレビでご覧になったかもしれないが、イギリス人で47歳のスーザン・ボイルは、求職中で、一見ただの肥満したオバサンだった。
オーディション番組に出演し、有名なミュージカル女優エイレン・ペイジのようなプロの歌手になりたいと言い、観客と審査員の失笑(馬鹿にした爆笑だった)を買う。
しかし、彼女が歌い始めるとすぐに誰もが驚愕した。
今や彼女は世界で注目される存在だ。

若くして認められる者もいるが、実力はあるのにいっこう認められない者もいる。
いや、私は、全ての人が、本当は「眠れる巨人」であると確信している。
あなたにだって奇跡は起こる。
名曲の誉れ高いフランス国歌が、実は日曜音楽家が天啓を得て一夜で作ったものだということはあまり知られていない。
何が足りないのか?
はっきり言うが、それは「自己信頼」だ。
腐らず、挫けず、自分を信頼する道を進んで欲しい。世界は既にあなたのものなのだ。

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2009.04.25

催眠術パフォーマンスに注意せよ

私は、催眠術で被術者に自分の名前を忘れさせるというものを見たことがある。
被術者は23歳の小柄な可愛らしい女性だった。
催眠術の実施者は、原辰徳巨人軍監督はその人をどう思っているかは知らないが、彼を指導したらしい人物だ。
被術者の女性は、術をかけられた後、「あなたの名前は?」と聞かれると、とまどいながら必死に思い出そうとすうる様子を見せるが、自分の名前が出てこなかった。
ただ、催眠術実施者は、これを催眠術とは呼ばず、独自の名前を付けて、このようなセミナーのネタにしていた。しかし、どう見ても催眠術である。
私は、セミナーの中で、その彼と相撲をとった。彼は押し相撲のコツをよく知っていて、重心を低くして絶妙な角度で押してくる。しかも、私は綿の靴下を履いていて、滑りやすい板の上。全く何もできない。万全のセミナー設定がされているといった感じで、私に勝ち目はなかった。
しかし、私も黙って負けているのは癪なので、投げ飛ばそうとしたら、彼の体勢が大きく崩れ、周りから歓声が上がった。あと少し力を入れていれば投げ飛ばせたとは思うが、こちらはセミナー受講生で、彼は先生なので、それはやはり礼儀としてやめておいた。

別のセミナーで、気功師を名乗る男性が、やはり催眠術を使った面白いパフォーマンスを披露したが、彼もまた、これを催眠術と言わずに気の力と主張していた。
人気催眠術師で、他にも小説の執筆など多くの分野で活躍する松岡圭祐さんは、著書の中で、気功は催眠術と断言しているが、全てかどうかは分からないが大半はそうであると私も思う。
松岡圭祐さんは、催眠術の力で、一流の空手家等しか出来ないと言われる、十円硬貨を指で折り曲げるパフォーマンスを普通の女性にやらせたり、小学生に野球のボールを100km/hオーバーで投げさせる。彼もまた、その気になれば、この力を気功だとか、その他の神秘パワーと言うこともできたと思う。

催眠術を使って人を驚かせてセミナーなどの商売をする者は他にも会った。
著名なプロレスラーの師匠ではあるが真面目な男と会ったことがあるが、上述の気功師に熱を上げ、そのプロレスラーと一緒に、この気功師に教わりに行くようなことを言っていた。
催眠術師なら同じことが出来ますよと言っても良いのであるが、神秘力を主張する先生方も自己PRには様々な工夫をしていて、それを信じる者の夢を壊すのも何だか悪い気がして言わなかった。
また別の、著名な経営コンサルタントの知恵袋であるらしい催眠術師(生体波動調整師とか名乗っていた)は、独特な面白いパフォーマンスを持っている。たとえば、ただの水を酒だと催眠術で信じ込ませて酔っ払わせたり、不動金縛りの術のように人を身動きできないようにしたりである。

ただ、これら催眠術パフォーマーが私に術をかけたことはない。
初めにあげた原監督ゆかりのセミナーの先生はお弟子さんが私に試したが、話にもならなかった。
最後の有名経営コンサルタントおつきの先生の場合は、私の目の前でのパフォーマンスに失敗した。
私自身、中学生の頃から催眠術をかじっており、中学ではクラス一の人気少女にパフォーマンスを披露したこともあるのである。

トム・クルーズが信仰する新興宗教であるサイエントロジーの自己開発技術であるダイアネティックスは、私の見るところ、精神分析学と催眠術の融合であり、やはり、これらを知らない者には非常に神秘的に思えてしまうものであると思う。
しかし、ダイアネティックスの発明者である、アメリカの作家で教育者のL.ロン.ハバートは、「催眠術を学ぶことは、ダイアネティックスを理解する上で役に立つと思うが、催眠術には問題が多いので利用しない方が良い」と書いている。

ただ、人間の神経だとか細胞に秘められた力には、まだまだ未知のことも非常に多く、それらを催眠術を利用したテクニックで、隠された能力の一部を引き出せる可能性も確かにあると思う。
しかし、上にあげた催眠術パフォーマーのやる程度のことは、いまや十分に説明のつくことばかりである。きっと、訓練すれば私にも、あるいは、誰でもある程度はできるだろう。
催眠術と精神分析学を組み合わせたような技術で有名なものとしては、フランスの心理学者エミール・クーエの自己暗示や、ドイツの心身医学の父と呼ばれる医師ゲオルク・グロデックがエスと呼ぶ複雑で神秘的とすら思える生命作用がある。グロデックのエスは概念としてはいまだ非常に面白いが利用は難しいと思う。一方、クーエの自己暗示は今でも実用として心棒者も多いと思う。いや、現在見られる色々な自己暗示技術はクーエを超えてはおらず、むしろ、独自性を加えたものはクーエに劣る場合が圧倒的に多いのではないかというのが私の見解である。

私は、催眠療法というものはあまり好ましく思わない。
黙って坐っていれば、催眠療法で問題が解決するようなイメージを持つのは非常に良くないのであるが、そんな雰囲気の宣伝をする心理療法家もいるかもしれない。
NLP(神経言語プログラミング)にも、驚くべき効果があることが本などに書かれているが、これにも同じ注意が必要だ。
私自身、NLPのテクニックで酒好きの女性に簡単に禁酒させたことはある。しかし、いつもうまくいくとは限らないし、この程度のことが出来たからといって、他のこともうまくいくわけではない。
もし何か精神療法を試したいなら、上にあげたエミール・クーエの手法が完全に分りやすく説明されている「自己暗示」(法政大学出版局)を購入して試してみると良いと思う。

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2009.04.24

「音楽が仕事になってしまっていた」と言った小室哲哉さん

テレビで小室哲哉さんの公判のニュースを見たが、私にとって印象的だったのが、小室さんの言った、「音楽が仕事になってしまっていた」だ。

アインシュタインは「物理学は余暇にやれ」と言っていたと聞く。
また、自分を賞賛する言葉に対し、アインシュタインは「私は自分が重要な人間だと思ったことは一度もありません。また、趣味で続けてきた物理学での成果も大したものではありません」と言っていたようだ。
余暇にやる本物の趣味は、何も求めず、飽きもせずにやるものだ。
音楽で言うなら、私が常に言う、「生活しながら音楽をやるのではなく、音楽をやりながら生活する」というものである。
お金のためにやることには、想像力や情熱が持続しない。
お金は結果でないといけない。

確かにアインシュタインはお金には無欲で、収入は決して少なくはなかったが、それは誰とでも分かち合った。たとえ見知らぬ人であっても、頼まれるとお金をあげ、奥さんに叱られた。「またあの男に金を与えたのですか?もう何度も騙されているのですよ」と言われても、「私だって分ってるさ。でも、彼にしてみれば、やっぱり必要なお金だったに違いない。だって、伊達や酔狂で物乞いなんてしないさ」と平気だった。
アインシュタインは、洗濯石鹸でひげを剃り、靴下をはかずに靴を履き(彼は、靴下なしで靴をはけることを発見したと言っていた)、いつもよれよれの服で満足し、式典用の燕尾服を買うことに抵抗した(しかし、奥さんに説得されて買った後は、自分が燕尾服を持っていることを知り合いに自慢していた)。
そして、ノーベル賞の賞金は離婚した前妻に全部渡した。
彼は、自分のためには大してお金を必要としていなかったのだ。しかし、別荘を買った時には、ちょっとお金を多く稼いだ。彼には必要な別荘だったのだろう。

必要なお金なら、どれだけ多くても必ず得られる。それは間違いない。
しかし、不要なお金を得ると、確実に不幸への道を歩き始めることになる。
必要なお金とは、人々に奉仕するために必要なお金や、自分の心に静かな満足をもたらすために使うお金である。高級車が欲しいという願望も、あながち悪いものではない。本当にその車の良さが解るか、単に楽しいという場合だ。しかし、自分を誇示するための高級車であるなら、買えることが買えないことより不幸である場合が多いだろう。

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2009.04.23

若さと美しさの価値

「怪人二十面相」で有名な作家の江戸川乱歩は、サインを求められると常に、「夜見る夢が本当で、現実と言っているものが夢なんだ」といった意味のことを附記したと聞く。(「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という文だったようだ)
アメリカ人のダリル・アンカと精神感応で通信すると言われる宇宙人バシャールは、やや控え目に「どちらかというと夢の世界の方が本物」とか、あるいは、「おとぎ話こそ真実」と言っていたらしい。

ラマナ・マハリシやニサルダガッタ・マハラジは、夢と目覚めを全く同じと言う。
マハリシは「夢は短く、目覚めは長い。この他に両者に何の違いもない」と言う。
誰かが、マハリシに「世界の構成要素を調査することに意味がありますか?」と尋ねたところ、マハリシは「台所のゴミを捨てる時に、その構成要素を調べる必要はない」と言い、世界など、その程度のものということを示した。
マハラジは、「全てを夢とみなし、動じずにいなさい」と言う。そして、「あなたは世界という夢を見ているのだ」と教える。
荘子でも、有名な「胡蝶の夢」という章があり、荘子は夢の中で蝶になって気持ちよく飛んでいたが、ひょっとしたら、今は蝶が荘子になった夢を見ているだけではないだろうかと言い、どちらが本当かは分らないことだと言う。
「涼宮ハルヒの憂鬱」の中で、超能力者の古泉一樹は、この世は誰かが見ている夢のようなものではないかというのが、彼の所属する機関のお偉方の考え方だと言う。具体的には、その夢を見ているのが、涼宮ハルヒというエキセントリック(ひどく風変わりな)な女子高校生である。

これらに共通するのは、現実世界というものが、一般に考えられているような堅固なものではないということだが、現実世界の価値を非常に低く見る場合と、現実世界も決して価値が無いわけではないが二次的に過ぎず、もっと重要なものがあるという考え方に分かれると思う。ただ、この両者は、それを語った状況に配慮する必要があり、本質的には同じことを言っており、普遍的に言うなら、後者の通りであると言えると思う。
この世で正しく、そして幸福に生きることは非常に重要であるが、それだけが大切だというわけではないのである。そして、真に重要なものを傷付けたり、損なったりすることがないなら、現実世界を幻想と見なしても構わない。
例えて言えば、女性にとって、若さや美しさというものが非常に大切であることは否定できないが、そればかりを重要に思うと大変な間違いを犯すことになるというのと似ている。そして、本当に重要なものに比べたら、若さや美しさなど取るに足りぬものであるのだ。

聖者というものは、ともすれば、世俗の成功や富といったものを悪いものであるとして否定することもある。
それはそれで正しい場合もあるに違いないと思うが、この世的な成功もまた、究極の成功に結びつく場合もあるかもしれないし、普通の人間にとっては、こういった聖者の態度は受け入れかねない。
イエスも確かに、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と言った。
しかし、正しい思考で自在に富を生み出せるということを理解している者であれば話は別である。
天使のように美しい女性が至高の精神を持っていても構わない。そして、そんな女性は年を取ることも恐れないだろう。

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2009.04.22

日本人は本来、世界で類を見ない精神性を備えていた

緻密な細工を見事な腕前で行う工芸師がいる。
工芸とは、実用だけでなく、製品に美的装飾を施す技術である。
しかし、工芸師の数は年々減り、分野によっては職人がいなくなっているものも多いだろう。
そして、工芸師の中には、高度な腕や経験を持ち、仕事熱心でありながら、生活に必要な収入すらない人が多い。いや、十分な収入のある人の方が少ないのかもしれない。

工芸師は一例としてあげただけで、従事する者が少ない、あるいは、いなくなってしまった職業は多いと思う。
その理由の中には、確かにその仕事自体が時代遅れであるという場合もあると思う。機械で作る方が安価で、しかも品質が良いという場合である。
しかし、かなり多くのものは、機械で製作するより、優れた職人の手作りの方が優れている。ただ、確かに値段も高い。そんな良いものは購入者がそれなりに豊かな者に限られ、全体として見れば経済規模は小さい。
つまり、機械で作る大量生産・大量消費でないと資本主義経済が成り立たないというのが、手作りの良いものが作られなくなる大きな理由である。
実際、大量生産・大量消費だからこそ、ある程度の品質の製品を驚くほど安価に入手できるということもある。
また、手作りで優れた工芸品を作る者の中には、やや性格に問題がある者もいて、客に敬遠されたり、弟子が長続きしないという場合も少なくはなかった。
だが、優れた工芸品が消えていくのは、本当は大変な問題なのであることになかなか気付かない。

実は私は、今思えば、工芸師になりたかったのだと思う。
しかし、子供の頃から学生時代を通じて、そんな職業を選択するきっかけは学校の中でも、社会の中でも、ほとんどなかった。学校は資本主義社会での労働者を製造するための訓練所であるし、国家の統制を受けているであろうマスコミやメディアもまた、資本主義経済を唯一の選択肢と考えるよう国民を強力に洗脳している。

こんな社会では、非常に偏った職業しか作られず、それらの大半は引きこもりには全く合わないのであるから、引きこもりが働かないのは当然かもしれない。
引きこもりでも、工芸師なら向いていて、経験を積めば非常に良い作品を作る人もいると思う。

お金持ちも、家や車、あるいは毛皮にはお金をかけても、優れた工芸品にお金を出す人が少なくなっているのは間違いないと思う。
伝統工芸品に大金を出すのは、余程のお金持ちか、それらの良さを理解できるお金持ちであろう。豪邸や高級車など、言ってみれば馬鹿でも分る。
別にお金持ちばかりでない。工芸品もそんな高価なものばかりではなく、庶民でもちょっとお金を貯めれば買えるものも多いが、我々は使えるお金を、広告やCMで宣伝された、つまらない商品を買うのに使う。
昔、外国ではお金持ちしかしないことだったが、日本人は、庶民でも花屋から花を買う習慣があり、これは外国の人を驚かせた。
日本人は本来、世界でも類を見ない優れた精神性の持ち主であったのだ。

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2009.04.21

自分を信じるには

引きこもりと引っ込み思案は違うものだろうか?
日本語として見る限り、あまり違いが無いような感じもする。
吉本隆明氏によれば、自身もそうだと言うが、引きこもりは、1人でじっと考える性質があり、それはむしろ美点であると書かれていたこともある。それならば、引きこもりは、むしろ引っ込み思案と言った方が的確な表現だと思うくらいだ。

英語で言う場合、必ずしも日本語での雰囲気と一致するとは思わないが、引きこもりは、reclusiveと表現することが多い。この単語は主に孤立を表し、引っ込み思案は、shyest personといった、極度の恥ずかしがり屋といった意味の言葉を使う。これならなるほどと思える。

引きこもりほどではないかもしれないが、引っ込み思案も大きな問題である。
なぜ引っ込み思案、つまり、極度の恥ずかしがり屋になるのかといえば、臆病、劣等感、自信の喪失が原因と思われる。
一方、引きこもりは精神的逸脱、つまり、精神の強制的な反応が社会生活に適していない場合もあるだろうが、臆病、劣等感という場合も少なくないと思う。

精神の強制的な反応に関しては、世界的に非難も多いが、大俳優トム・クルーズが熱心に信仰することで有名な宗教であるサイエントロジーの教祖であり、日本でも教育者に案外支持者が多い、世界的作家L.ロン.ハバートの「ダイアネティックス」の説明が面白かった。「ダイアネティックス」は世界で1800万部が出版されているだけでなく、作家としてのハバートを、レイ・ブラッド・ベリ、スティーブン・キング、アイザック・アシモフらが絶賛しているという話もある。実際、ハバートの小説は面白い。
ハバートは1930年頃に大学でコンピュータを学んでいるが、彼の著書「科学の進化」を読むと、当時の旧式のコンピュータで人工知能をかなりよく考えていることが分り、それは凄いことと思うが、人間の精神作用まで機械論的に考えてしまっているように思う。私は、それでもダイアネティックスは下手な精神分析学や心理学よりマシな部分が多いのではと思う。しかし、いずれにせよ、人間の精神を普通のコンピュータ(フォン・ノイマン型)で説明するのは限界があり、矛盾が起こってしまったように思う。彼は、フロイトやユングのような曖昧さを残したくなかったので、コンピュータの正確な処理にこだわったのではないだろうかと思うのだ。

引きこもりにしろ、引っ込み思案にしろ、両者が似ているか異なっているかはともかく、すんなりと理解できるような、いわゆる論理的な方法で解決することなんて不可能と思う。
こんなところで、宗教的なものの出番ともなるのであるが、怪しいものが多いのが泣き所であろう。
もし、「ダイアネティックス」の技術が本物であるなら、引きこもりも引っ込み思案も確実に良い方向に劇的に改善できるだろうし、実際、ダイアネティックスの治療家であれば、そう主張するはずだ。
参考程度に書くと、サイエントロジーはフランスではカルト(反社会的な宗教団体)とされている。

ダイアネティックでの方法はとりあえず置いておくとして、引きこもりや引っ込み思案の問題の解決の鍵は、自信、つまり、自己信頼となると思う。引きこもりも引っ込み思案も、自己への信頼が足りないのは間違いないのではないだろうか?
ジョセフ・マーフィーの「眠りながら巨富を得る」(大島淳一訳、三笠書房 知的生きかた文庫)に、引っ込み思案を見事に克服させた教師の話があり、良い話だと思った。208ページなので、良かったら読んでみて欲しい。
また、この本の中で、マーフィーは自己信頼のための優れた書として、エマーソンの「自己を信ずるということ」という本を上げているが、これは新しい翻訳で「自己信頼」というタイトルになっているものであると思う。エマーソンは最高の思想家であり、「自己信頼」も至高の論文である。
「自己信頼」は海と月社から出ているし、「精神について (エマソン名著選) 」(日本教文社)にも含まれている。前者が読みやすいが、後者の訳が格調高いと思う。いずれもお薦めである。
マーフィーはよくエマーソンを引用しており、エマーソンの思想は全面的に肯定しているように思う。
私が、引きこもり状態から脱したのは(性質としての引きこもりは一生続くが)、マーフィーの本によるところが大きいのであるが、エマーソンの言葉は心を揺さぶり、まやかしの幻想を打ち砕く力があるのだ。

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2009.04.20

生きながら死人となりはてて

少食療法で有名な医学博士の甲田光雄さんなど、少食を薦める人が、それを実践する手段を、意志の力と考えているようなら、それは問題だし不可能ではないかと私は最近思い始めた。
生まれつき少食という人のことは知らないが、意志の力で少食なんか実行できない!
聞いたことがあるかもしれないが、意思の力は、無意識の力には勝てない。
単純な例をあげれば、幅1メートルの板の上を歩くのは普通は容易い。
しかし、その板が、家の屋根の上から隣の家の屋根の上に渡したものであれば、かなり多くの人は歩けまい。
ましてや、高いビル間の屋上に渡した板なら、余程例外的な人間でない限り、誰も歩けないだろう。

少食も同じだ。意志の力で食べまいと思うほど食べずにいられない。
食だけでなく、本能に関わることは皆そうなのだ。
「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメで、傷付き、病院のベッドで気を失って眠っている14歳の超美少女アスカの下着がはだけたのを見て、シンジがマスターベーションするというシーンがある。終わった後、シンジは「最低だ!」と言うが、それを責められる視聴者は、男性ではおそらくいまい。
しかし、少食を続けた者なら、シンジにただ同情するだけになる。少食者ならシンジの真似をしなくて済むからだ。

だが、本来、大変な大食であった私が、思いつきのように1日1食になり、大好きな甘いお菓子もスパっとやめ、肉でなければ夕食でないと思っていたにも関わらず、特に大きな決意もなく一切の肉を食べなくなった。
考えてみれば、これは大変なことだ。
単に、健康になりたいだの、痩せたいだのでは、こんなことできっこない。
ある大人物、つまり、相当に強力な意志の持ち主が私を指して「その意志の強さは大したものだ」と言った。それで気付いたのだ。私は彼の1/100の意志の力も持ち合わせていない。彼も決して肥満でなく、持っている資産からすれば食事は質素な方だ。しかし、私のような少食はとてもできない。
ましてや、普通の人の意志の力では、この美食・飽食に溢れた世の中で食を慎むことなど不可能だ。

ではなぜ、私に出来たかだが、表現が難しいし、誤解を招く恐れが大きいが、敢えて言えば、私はどうやら死んでいたらしいのだ。
ゾンビと言えばイメージが悪いので遠慮したいが、まあ、幽霊のようなものだったのだ。
それに気付いたのが、岡田虎次郎の言った、
「身を棺桶の中に投じ、地下千万丈に埋了したる心ありて初めて如上の目的に到達するを得べし」
の言葉を柳田誠二郎さんの著書「静坐の道」で知った時である。
(1丈は3.03030303メートル。千万丈は、文字通りには約3万キロメートルである)
これは、至道無難禅師の
「生きながら死人となりはてて、思いのままになすわざぞよき」
と同じと書かれていたが、私もそう思う。
ただ、「如上(じょじょう)の目的」つまり、「上記の目的」の意味がはっきりしなかったが、多分、「全てを捨てきる」ことであると思う。

尚、私は、自分が死ぬということに関してそれなりに想像できたのは、小説、アニメの「灼眼のシャナ」によってだ。この物語は、主人公の坂井悠二が死ぬところから始まり、その後も坂井悠二は活躍はするが、本人は既に死人であるという、非常に独特なものである。私は、この高校1年生の主人公に強く自己を同一化していたのだ。
不世出の空手家で知られる大山倍達さんが、命を捨てることの意味を、色々な形でよく語っていたのを憶えていたことも私には大きかった。

できれば、上の岡田虎次郎の至言を味わって欲しい。
ニサルダガッタ・マハラジも、エマーソンも、究極的にはこれを言ったのだと私は確信する。

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2009.04.19

マーフィーの成功法則最大の難関をクリアする

ジョセフ・マーフィーの成功法則の実践において、最も難しいのは、誰かを恨んでいたり、嫌っていると、願望を叶えることは不可能であるということでしょう。
このあたりは、マーフィーの本の翻訳者の大島淳一さん、実は、渡部昇一さんも難題と考えられたと思われます。そして、渡辺さんはその解決方法を考えられ、マーフィー法則に関する独自の著書に色々な工夫を書いていますが、私にはそれらのアイディアが、下手をしたら逆効果になるように思われます。
潜在意識には嘘は通用しません。
精神分析学的にも、表向きには合理的であったり正しいものであっても、心の奥では抵抗ある思いを続けると、それは抑圧となり、精神に悪い作用を起すはずです。

キリスト教においては、「汝の隣人を愛せよ」という教えがありますが、実際はやはり難しいのではないかと思います。
私は、最近では、誰かが私を露骨に嫌っているような時、その人を本当に気の毒に思います。なぜなら、そのままでは、根本的には、その人に良いことなど起こらず、普通は悪いことが起こります。私の不幸を願えば、その人に確実に不幸が起こります。
そんな時、私がその人の相手になってケンカでもすればまだ救いはあるのですが、私は相手にしませんので、不幸は全部あっちに回ります。なんとかしてやりたくても、どうにもなりません。
聖者と呼ばれる人の中には、相手を思いやって、本当はやりたくないのに争いに応じてやるような人もいるのではないかと思うくらいです。
さて、こういった問題をどう解決すれば良いでしょう?
解決できなければ、一生、マーフィーの成功法則が約束する甘い果実を得られないのです。
私は、神道なら解決できると思います。
人を恨む、嫌うというのは、その人の本質的な性質ではありません。神道では、そのようにさせるものを「罪、穢れ」と言います。
ただ、神道で言う罪、穢れとは、その言葉の一般的な意味ではなく、罪とは「包み」で、神の性質を包んで隠してしまうもので、穢れとは「気枯れ」で、神の気を枯らしてしまうものです。
神道では、この罪、穢れを祓(はら)う行為を非常に重視しています。これが、いわゆる「お祓い」です。
神道の方法を行うとすれば、祝詞(のりと)を上げることになります。「大祓詞(おおはらえのことば)」という代表的な祝詞を上げれば、少しずつ、罪、穢れを祓うことができます。これは、日本人のみに有効な方法かもしれませんが、日本人には強力な方法です。
「大祓詞」については、ネット上でも入手できますが、ちゃんとした書籍を購入すると良いと思います。
私は「大祓 知恵のことば―CDブック」(葉室頼昭著。春秋社)を愛用しています。
また、人々に対し、「罪、穢れが祓われますように」と祈るのも良い手です。そうすることで、実は、自分の罪、穢れが祓われ、人を恨んだり、嫌ったりすることが無くなってくるでしょう。

ニサルダガッタ・マハラジは「全てを愛するか、全てに無関心になるか」を選択せよと教えています。
あれは好きだがこれは嫌いというのが不幸の原因です。この世の人間の大半が不幸な理由もこれです。
ほとんどの人が、人の好き嫌いがあると思います。それが当たり前だと思う人は、言っては悪いですが不幸なはずです。
ただ、全てに無関心になるということは、自分にも無関心になるということです。
キリスト教が全てを愛する宗教なら、ヒンズー教、仏教、道教は全てに無関心になる宗教、あるいは、哲学と言えるかもしれません。
ところで、伝統的なキリスト教はもちろん清貧を薦めています。しかし、ニューソートという新しいキリスト教の思想家であるジョセフ・マーフィーは、イエスの教えが決して清貧の教えでないことを示したわけです。
そして、神道というのは、意外にニューソートに近いと思います。
我々の中に神がいるとするのは、ほとんどの宗教で同じなのですが、それのみを貴いとすれば清貧の教えとなります。
現象界を楽しむことの価値を見出せば、この世でも幸せに過ごせます。ニューソートや神道は明らかに、この世での楽しみを大切にする教えと思います。

尚、罪、穢れを確実に速く祓いたいなら、少食、粗食は欠かせません。
たらふく食べていて、心を静めたり、邪な思いを抱かぬというのは極めて難しいことです。いえ、不可能と思います。
また、神道では、清めには塩を用いますが、これは正しいことです。清めるだけでなく、塩は活力を与えてくれます。疲れた時や、精神的に落ち込んだ時は、少量の塩を摂取すると良いでしょう。ただし、食塩では駄目です。マグネシウムを十分に含んだ天然塩を用意して下さい。政木和三さんは、疲れた時には、少量の天然塩を少し口に入れると私は直接聞きました。医者には、「そんなことをすれば高血圧になる」と言われたそうですが、それは、医者が塩を世間で食塩と言っている塩化ナトリウムだと考えているからです。本物の塩であるマグネシウムを含む天然塩は甘みがあり、高血圧を起こしたりはしないようです。無論、過剰な摂取は駄目で、政木さんも「少量」と言っておられました。

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2009.04.18

一流セールスマンの般若心経

何度か書いたが、私の社会人のスタートは完全歩合制のセールスマンであった。
売らない限り1円ももらえないこの方式のセールスは、10人入ってきたら、一月経たないうちに9人辞める厳しい世界で、それまで、引きこもりという以前に親に食べさせてもらっていた甘い人間が通用するはずがなかった。
しかし、私はジョセフ・マーフィーの成功法則のおかげで、奇跡的に厳しいながら楽しく過ごし、社内コンテストで優勝したこともあった。
そんな中で読んだ一流セールスマンの本は実に身になったことは間違いない。一流セールスマンの哲学は直接的で嘘がない。結果が全ての世界であるからだ。
ごく若いうちに一度は軍隊に入るというのも、個人的経験としては悪くないと思うが、それよりもセールスマンを経験する方がずっと良いと思う。
邱永漢さんが、男子新入社員にキャバレーのスタッフを体験させることを勧めていたことにも大いに賛成であるが、ここでは述べずにおこう。

あまり好きなタイプではないが、伊藤光雄さんという、現役時代は最強と呼ばれた、子供の教材関係のセールスの達人がいた。1980年代に年収は3千万円を超えていたようであるが、仕事振りはハンパでない。
飛び込みセールスという、一般家庭を片っ端からいきなりの訪問でセールスするのである。昔はよくあった押し売りと紙一重と言われても弁護しようもない。私も、そういうのはあまり好きではないが、しかし、その厳しさ、辛さはやった者にしか分からない。ほとんどのセールスマンは、厳しい断りを受けたり、見下された態度で応対されると、すぐに落ち込み、訪問をしなくなり、仕事時間に喫茶店やデパートで時間を潰し、遠くなく辞めていくのだ。
しかし、伊藤さんは、朝から晩まで、走るように猛スピードで歩いてガンガン訪問する。ライバルががんばっていると思ったら、とてもではないがゆっくり歩いてなどいられないと言う。そして、昼は食べない。その時間が惜しいというのがその理由だ。まさにセールスの鬼である。
伊藤さんがそこまでやれるのは、昭和13年生まれの彼は、当時はまだあったのだが、子供の頃、家が大変に貧しく、学校に行く時にも履く靴がなかったと言う。今では想像もできないことだ。いや、当時でももう珍しかったと思う。昔の漫画の「巨人の星」や「タイガーマスク」の主人公達のようなもので、学校に数人といったものと思うが、それでも当時は確かにあり、特に救済はされなかった。
そこで、劣等感に苦しんだ伊藤さんは、将来は必ずや自分の力で金持ちになろうと決心するのである。それで30年も前だろうか、5千万円の豪邸を現金払いで建てたという。

別にセールス哲学の話をするつもりは無いが、私もついつい、自分がセールスマンだった頃を思い出した^^;
伊藤光雄さんには、毎日決して欠かさない、ちょっと意外というか、独特な習慣がある。
それは、仏壇に向かい、「般若心経」を必ず1回唱えることだ。時間がないので(早くセールスに出たいのだろう)、ついつい早口になるのを心苦しく思うらしいのだが、それでも決して欠かすことはないと言う。
なぜそうするかというと、伊藤さんは、自分がこうやって力いっぱい仕事ができるのも、神仏やご先祖様のおかげと本当に思っているからだそうだ。
こんなところにも、彼の成功の秘訣があると思う。
私は、般若心経ではないが、毎晩、神道の祝詞である「大祓詞(おおはらえのことば)」を必ず1回上げている。もちろん、般若心経でも、キリスト教のお祈りでも良いと思う。南無阿弥陀仏といったお念仏でも良いし、ひろさちやさんが祖母にやらされたように、仏壇に手を合わせ「ありがとうございます」と感謝の祈りをするのも素晴らしい。そのおかげもあり、私もまた、あらゆる点で豊かであり、非常に感謝しているのである。

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2009.04.17

一瞬にして数万年の夢

長編の壮大な物語が、実は、誰かがほんの少しの間に見た夢を描いたものだということがある。
そんなお話を1つや2つご存知の方もいると思う。
ある宗教の聖典などは、まるごと一夜の夢の物語であるらしい。
ひょっとしたら、古事記や旧約聖書のいくつかの物語もそうではないかと思うこともある。
そんなことがなぜ起こるかといった脳の仕組みについて、ある程度説明がつくのかもしれないが、それは今回の本題でない。
私も知っている物語を1つあげてみよう。
「美少女戦士セーラームーン」のアニメの第3部である「SuperS(スーパーズ)編」の敵、「闇の女王」ネヘレニアは、前世のセーラームーンに封印されたのが現代に甦り、セーラームーンに復讐を果たそうとする。数万年にも渡る長い復讐である。
いったんはセーラームーンが勝利し、再びネヘレニアを封印する。
しかし、第4部の「スターズ編」で、何者かが何かの意図を持ってネヘレニアの封印を解き、さらにセーラームーンへの復讐に向かわせる。ネヘレニアは、セーラームーンが愛するものを次々に奪い、遂に長い復讐が成就されるかに見えた。しかし、世界が闇に包まれる刹那、セーラームーンは状況を変える。彼女はネヘレニアに愛を注ぎ、怨念に固まった心を浄化した。
世界に再び光が戻る。
まさに、「古事記」の天照大神の天の岩戸開きを思わせる。
実際、実に多くの物語・・・それは小説であったり漫画であったり、アニメであったりするのだが、古事記の影響を受けたものは意外に多い。いや、案外、日本のあらゆる物語には古事記の影響があるとすら思う。
セーラームーンもまた、古事記の影響がかなり見られる作品である。大ヒットの原因には、それもあるのではと思う。
さて、ネヘレニアの物語の最後はこうである。
ある王国で、一人の幼い女王が、玉座でうたた寝していたが、ふっと目を覚ます。
「夢・・・?」
まだ眠いのか、彼女は側近の女性に言う。
「子守唄を歌ってはくれぬか?」
女性は微笑み、「喜んで」と言う。
幼い女王は無邪気に笑う。
ネヘレニアは、周りの者達が自分の機嫌を取っているように見えても、本心から愛してくれているわけではないと思い、心を曇らせ、悪い夢を見ていたのだ。
だが、セーラームーン達の愛を受け、心を澄み切らせることで自分の世界を変えてしまった。
一瞬であり、数万年でもある悪夢は醒めた。夢は朝になれば醒めるものである。

昔、このアニメを見た、そろそろ結婚適齢期の女性達は、このお話を思い出して欲しいものである。

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2009.04.16

永遠の現在

インドの聖者の言うことは、時に荒唐無稽で受け入れ難く思われる場合もあるだろう。
ある西洋人が、ニサルダガッタ・マハラジにこう言ったらしい。
「あなたの言われることに何の意味があるのですか?私には、あなたの言うことが全く理解できません」
「構わない。敢えて自分に言い聞かせれば良い」
「『私は身体も心も超えている。時間も空間も超えている』。これで何か意味がありますか?」
「十分である。私はそうすることで自己を実現したのだ」

「正法眼蔵」も「老子」も「荘子」も、つまるところ、マハラジが言ったようなことが書かれているのだと思う。
「旧約聖書」の物語や、「新約聖書」のイエスの教えなどもそうであるのだと思う。
「古事記」に関してはどうかと言うと、私は出口王仁三郎さんや五井昌久さんや葉室頼昭さんの解釈を見たことがあるが、この太古の物語を現在のこととして、あるいは、読者のこととして説明しておられたのが大変に印象的であった。他にも、植芝盛平さんや谷口雅春さんも古事記の解釈に関する並々ならぬ著書を出しておられるが、いずれにせよ、太古の時代の空想として扱っていることはないであろう。いずれは読もうとは思っているが、私は自分でも解釈できると思っている。
ジョセフ・マーフィーは、ヨブ記(旧約聖書に含まれる)の意味を知りたいなら、数千年前に、自分がどういった意図で書いたか思い出せば良いと言った。マーフィーにも確実に影響を与えたエマーソンは「いかなる歴史や物語も、自分のことが書かれているのだと思え」と書いている。
マーフィーは言う。「神には永遠の今しかないのだ」
ニサルダガッタ・マハラジ自体は、世俗的、物的な願いの成就に関しては、まずほとんど語らないが、その教えに注意することで、マーフィーの成功法則をスムーズに働かせることができるようになると思う。
マハラジも言っていた。「好きなように世界を変えるが良い」「世界は私のものだ」「思いが十分に強ければ願いは叶う」
マハラジ自体は、タバコ屋を営む貧しい老人であった。だが、永遠の平和の中にいる彼には、世俗の喜びは他愛のないものなのだろう。それに、彼が貧しいとばかりは言えない。
あるボロをまとった聖者に誰かが尋ねた。
「あなたは、まず自分の状況を変えることが必要ではないのですか?」
聖者は答えた。
「どの状況のことを言っているのかね?」
敢えて言うが、彼には、豪邸に住み、きらびやかな服を着ることも造作もないことだ。だが、彼は人々がそれに目を奪われて真理を見逃さないよう、敢えてそんな姿でいるのかもしれない。

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2009.04.15

神の日の招き方

特に心が高揚する日や敬虔に感じる日というものがおありだろうか?
お正月、クリスマス、あるいは、夏休みの前日といったところが、そうであると思い当たるのではないだろうか?
私の場合は、極端に学校が嫌いだったし、それだけでなく、夏休みというものは、何か楽しいことがありそうな予感もあったので、夏休みが始まる前の日は何か気分が異様に高まったし、その時のことを思い出すと、その気分まで甦るように感じるのである。

お正月やクリスマスというのも、ひょっとしたら、世間での認識とは少し異なるように思うが、やはり私にも特別な感情がある。

そういった特別な日は、祭りの日に似た精神状態と言えると思う。
そして、そんな日はエネルギーが高まると共に、願いも叶いやすいものである。

パリ大学で民俗学や哲学も熱心に研究した岡本太郎も、祭りを人間にとって重要なものと考えていた。祭りが人にエネルギーを与えるのは、宇宙に向かって生命が広がるからとしていたが、これはとりもなおさず、彼の有名な「爆発」と同じ説明である。
ここらは、精神分析学でも説明がつくらしく、フロイト派心理学者の岸田秀さんが著書の中で説明しておられた。祭りの開放的、暴力的な雰囲気が精神から自我を後退させ、その空白になった精神の部分に無意識の領域から生命エネルギーであるエスが流れ込んでくる・・・と言っても、自我、エス、意識、無意識の定義は案外曖昧なので、一般論にはなりにくいと思うが、とにかく、生命エネルギーが意識の奥から繰汲み出されるとでも思ってもらいたい。

儀式というのも祭りに近いところがある。
儀式が祭りであったり、祭りが儀式である場合も少なくないくらいだ。

特別な日、祭り、儀式が精神を高揚させ、エネルギーを高めることは間違いない。
そして、そこでは自我が弱まることから、潜在意識の制限が外れ、人が普段にない能力を発揮したり、オカルト的な現象の発現の可能性もあるかもしれない。
よく聞く例では「火事場の馬鹿力」で、あれも、自我が後退して潜在意識が顕れた、あるいは、精神にエスのエネルギーが流れ込んだ現象だ。
そして、それが野蛮な性質と結びつくものではなく、美しい感情を伴うものであれば、望ましい奇跡を起すかもしれない。丁度、ベルニーニの彫刻「聖テレサの法悦」の聖女テレサの法悦の表情が示すようなものである。
そして、「聖テレサの法悦」のテレサの表情がどう見ても大変に色っぽいことから、性的エクスタシと奇跡の関係に注目した者もあり、原始的なものはもちろん、高度な宗教団体でも、性的エクスタシを精神飛翔の目的に活かしたものは実は少なくはない。

しかし、話を戻すが、我々は、お正月やクリスマスや夏休みの前日を思い出すだけで心を高揚させることができるように、何もなくても想像力で「神の日」にできるのである。
朝起きたら、すぐに今日が神の日であることを宣言したい。
そうであれば、その日は心の決めたとおり神の日となり、願いは何でも叶うであろう。
そして、心が宇宙をも創造するものであることが分かると思う。
H.G.ウェルズの「ポリー氏の物語」で、ウェルズの分身と考えて良いポリーが言った言葉で、コリン・ウィルソンがとても気に入っていた、「人生が気に入らないなら変えてしまえばいい」という意味も分るはずだ。

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2009.04.14

神様に「責任を取って下さい」と言う時とは

私は、イチロー選手や松井選手がどんなに良いことを言うのを聞いても、本当は実感の沸かない部分が多い。それは、私が野球選手やプロスポーツ選手の経験が無いからだろう。
しかし、コンピュータソフト開発者であれば、平凡な開発者の言うことから、世界的な開発者の言うことまで、その微妙なニュアンスを含め、よく理解できるのである。それはもちろん、私がプロの開発者であるからだ。

ところが、芸術の場合はやや事情が異なる。
確かに、商業画家の言うことは理解できない部分が多い。彼らにとって、技術が重要である部分が大きいが、私は絵を描く技術についてはほとんど知らないからだ。
しかし、芸術画家の言うことであれば、年毎に理解できることが多くなってきた。芸術とは人生そのものであり、人生の普遍的経験が多くなれば、当然そうなると思う。ただし、漫然とした人生を送る限り、やはり芸術は理解できないと思う。芸術とは深い人生を現すものであるからだ。
芸術よりさらに深いものは宗教であろう。ただ、多くの宗教が、たとえ世界最大の宗教であるキリスト教でさえ、その大半は大昔に堕落してしまっている。
しかし、イェイツの詩を読むと、宗教的芸術こそが、人生やあるいは人間の奥にある輝く存在と響きあうものであることが分かると思う。

ところで、私は社会人のスタートはセールスマンとして切った。そして、一定期間は非常なる熱意を持ってやっていた。よって、セールスの哲学や偉大なセールスマンの言うこともある程度は実感として分かると思う。
セールスの世界は深く、人間の行いの全てがセールスであると言うセールスマンもいる。彼らに言わせると、人間の全ての行為の根本は売り込みなのであるかららしい。全てそうだとまでは思わないが、売り込みということが重要なものであるとは思う。
ところで、セールスの神様と言われた夏目志郎さんが34歳にしてセールスマンを始める前、クリスチャンである彼は神に祈ったらしい。
「これまでの人生の失敗は私の責任です。でも、これからはあなたに責任を取って欲しい」
この祈りを、自己責任回避のような意味に取ってはならない。
夏目さんは、神の導きに従う決意をしたのだ。当然にして、神様は責任を取って下さるのである。
夏目さんにはすぐに神の導き(奇跡的な出会い)があり、百科事典のセールスマンになり、そこでトップセールスマンになったのを皮切りに、成功への階段を駆け上がっていった。
人は誰も、賢き神の導きを受け入れた時、後の面倒は神様が見てくれるのである。ただ、しっかりと面倒を見てもらえば良いのである。

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2009.04.13

必要があれば金持ちになれる

日本人なら、日本語をうまく活用しないといけない。
日本語を正しく使うことはもちろん大事だが、活かすことが大切だ。

「神の富」なんて想像ができるものではないと思う。
だが、「神的な豊」なら想像できる。
神的豊かさとは何かをよく考えろ。
そうすれば、この世で豊かになれる。

お金が欲しければ、神様はいくらでも下さる。
ただ、神様にいつまでもお金をねだっている人は、お金を得られない人かもしれない。
イエスも「くどくど祈るな」と言ってたではないか。
それは、神様を信用していない証拠だ。
神様は、老人ボケでもアル中でもない。
1回聞けば、あなたの願いは憶えている。
いや、言う必要すらない。
「私は呼ぶ前に応え、話す前に聞く」
と聖書に書かれているではないか(イザヤ書)。
イエスも「お前達に必要なものなど、主はとっくにご存知だ」と言ったではないか?

必要なお金を下さるのは神様の責任だ。
しかし、それを使うのは、あなたの世界で唯一の考える主体であるあなたの責任なのだ。
それをどう正しく、賢明に使うかをくたくたになるまで考えろ!
そうすれば、あなたには大したお金が必要ないと分かるはずである。
真に人のためになるお金の使い方が浮かばないなら、金持ちの器じゃあない。

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2009.04.12

願いが叶って喜びが続く時と醒める時

昔、米国の人気SFテレビドラマ「スタートレック(宇宙大作戦)」で、ミスター・スポックが、「いかに熱望していたとしても、手に入れてしまえばさほどでもない」と言ったのをよく憶えている。
精神分析学者のジーン・シノダ・ボーレンも著書の中でスタートレックのセリフを引用していたが、スタートレックは単なる娯楽作品以上の素晴らしい作品だったように思う。
後、数ヶ月から半年という寿命の中で陽気に最後の授業をしたランディ・パウシュ(カーネギーメロン大学教授)もスタートレックの大ファンで、この授業でも話をしていた。
最後の授業 ぼくの命があるうちに DVD付き版 (ハードカバー) Amazon

さて、先程の「いくら熱望したとしても、手に入れてしまえばさほどでもない」とは、多くの人の味わう真理かもしれない。
しかし、私は容易に賛成しない。
そんなものなら、得る必要はなかったのだ。
では、どんなものなら得る必要があり、それはどうやれば得られるかを教えよう。

大俳優のバート・ランカスターがまだ駆け出しだった頃、既に成功していたクリント・イーストウッドと食事をする機会があり、ランカスターはイーストウッドに「成功するまで何をしていましたか?」と尋ねた。イーストウッドは「成功した時の準備をしていた」と答えた。この答に感銘を受けたランカスターは、重要なことを把握し、成功への階段を駆け登った。

例えば、車のポルシェが欲しいとしよう。
それなら、それを得た時の準備をすれば、いつかは手に入るだろう。
問題は、その準備だ。
その準備は、誰のための準備だろうか?
もし、多くの人のために役立つための準備であれば望みはすぐに叶う。
しかし、そうでないなら、手に入るまでに熱意がなくなって、結局は得ることがないまま終る。
だが、時にその願望のための大きなエネルギーを持っている者がいて、勢いで手に入れてしまうことがある。
そんな時が、「得てしまえば、さほどでもない」ことになるのだ。

望みがある時は、それが叶った時に、多くの人に奉仕できる準備を熱心にすれば良い。
それなら、願いが叶った後も喜びは続くだろう。

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2009.04.11

映画「宇宙戦争」における「共生」の意味

スティーブン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演の「宇宙戦争」がテレビ放送されていたので録画し、本日見た。
正直、これほどの名作とは思わなかった。言っておくが、映像技術は関係ない。そんなものは映画において枝葉に過ぎない。基本的には、子供も楽しまないといけないという理由だけで特撮も凄くするだけのことだ。
映画を含めた文芸作品や、芸術作品の価値は、制作者と鑑賞者が共同で作るのである。鑑賞者のレベルが低ければ、どんな名作も駄作に成り下がる。

「宇宙戦争」の映画は、1953年にジョージ・パルが制作したものもあり、こちらも大変な名作で、この映画の影響の強い1996年の「インデペンデンス・デイ」も名作ながら足元にも及ばない。
しかし、スピルバーグは、ついにジョージ・パルの「宇宙戦争」を超えた。

以後、ジョージ・パルの宇宙戦争を「宇宙戦争1953」、スピルバーグのものを「宇宙戦争2005」と記述する。
「宇宙戦争1953」の最期のメッセージは、「万策尽きた時、奇跡が起こり人類は救われた。賢き神が創った微生物によって」であった。
私は考えた。
万策を尽くしたから奇跡は起こったのだろうか?
もちろん、宇宙人が地球のウイルスに滅ぼされる運命なら、人類は何もしなくても、待っていればよかった。
しかし、人類が万策を尽くしたから、神は人類を生き延びさせたのではないかと考えたのだ。
人類は何もしなかったら、自滅したかもしれない。宇宙人はウイルスに耐性を示したかもしれない。

「宇宙戦争2005」の最期のメッセージは少し変わっていた。「宇宙人を倒したのは、人類の誇る兵器ではなく、微生物だった。人類は、微生物と共生する権利を得ていた」。だから救われたのだということだろう。
宇宙人には、地球で生きる権利が与えられなかったのだ。
人間の血を思うがままに収集する宇宙人。そんな彼らを、神は地球と共生するものとは認めなかったのだ。

「宇宙戦争1953」では、神に委ねる心が人類を救った。人類が、神に委ねる心を得るまでには犠牲が必要だった。
「宇宙戦争2005」では、地球と共生してきた人類を神が救った。だが、共生には、長い年月の間に数多くの犠牲も必要だった。

本来、自然との共生を最もよく行ってきた民族の1つが日本人だ。日本人は西洋のように「自然征服」なんて言わない。自然を神として敬ったのだ。
そんな日本人が、世界を指導する必要があった。しかし、そのメッセージはスピルバーグによって行われた。
日本人は目覚め、先祖が行ってきた自然との共生に戻り、世界を平和に導かなければならないのだ。
「宇宙戦争2005」は、賢き神のはからいで、日本に向けて制作された作品なのである。

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2009.04.10

私が嬉々としてニートを脱出した訳とその方法

私はひきこもりでニートだった状態から、なぜか嬉々として仕事に出ることになった。
それには、もちろん理由があるが、それを説明する。

ニートでひきこもりと言っても、ずっと家にいるのも色々気詰まりだったので、時には外に出るのだが、本屋くらいしか行くところがなかった。時間を稼げるよう、電車でいろいろな町の書店に行くのである。
そんなある日、ある町の書店でジョセフ・マーフィーの成功法則の本を知る。
ジョセフ・マーフィーの成功法則とは、潜在意識に秘められた力を活用して、あらゆる願いを叶えるというものである。潜在意識と言っても、精神分析学で言う潜在意識とはかなり異なるのではあるが、精神分析学における潜在意識も、さほどその正体がはっきりしたものでもないので、別に構わないと思う。
ジョセフ・マーフィーは、ディバイン・サイエンス教会の牧師で、聖書の教えを潜在意識の活用に活かしているのであるが、ディバイン・サイエンス教会は新興のキリスト教教会で、マーフィーの聖書の解釈も、伝統的な聖書の解釈とはかなり異なる。
宗教で新興のものといえば、どうも色眼鏡で見られることが多いが、大昔であれば、伝統的な聖書の解釈と異なる解釈を述べれば火あぶりの刑になることもあったのであり、そんな無茶をやる伝統的なキリスト教の方がよほど怪しいと私は思う。
そして、ジョセフ・マーフィーもまたそうである、ニューソートと呼ばれるキリスト教の新思想は、エマニュエル・スウェーデンボルグを源流とし、ラルフ・ウォルドー・エマーソンやラルフ・ウォルドー・トライン、ノーマン・ヴィンセント・ピールなどがいるが、スウェーデンボルグは一時は祖国スウェーデンによる迫害もあったが、後にスウェーデン政府は誤りを認めて偉人として扱うようになったし、エマーソンは世界的にも最高の思想家と認められていると思う。トラインの著書は100年に渡って読まれ、ピールの本も米国で3年連続ベストセラーの最上位を占めた。マーフィーの著書も、これらに負けないほどの支持を得ている。
ジョセフ・マーフィーの成功法則で成功するためには、お金は全くかからないし、特別に何かする必要もない。必要なのは、思考と想像だけだ。
思考と想像を正しく使えば、いかなる望みも叶う。やり方は全く簡単である。
つまり、社会経験のない学生やニートでも、行動力ゼロのひきこもりでも出来るのである。

私は、マーフィーの成功法則を試したいという、ただそれだけで働く気になったのだ。
マーフィーの本にはセールスマンが成功する話がよく載っていたし、確かに、歩合制セールスマンが一番手っ取り早く稼げそうだったので、私もセールスマンになった。
うまくいくと思っていた。
なぜなら、マーフィーの成功法則で、欲しいものはそれまでに次々手に入れていたからだ。例えば、高級カメラ(フィルムカメラの時代だった)、鈴なりのガールフレンドなどだ。
歩合制セールスは厳しい仕事であり、10人入ったら、一月以内に9人辞める世界だ。私は、特に売上が良かったわけでも、熱心ですらなかったが、辞めることはなく、やがてうまくいくようになった。
ひきこもりながら、月収数百万の強豪セールスを相手に小さいものだったが、セールスコンテストで優勝したこともある。
バイクも新車も手に入った。

マーフィーの成功法則は、ある意味、超能力や魔法を使う方法だ。実際、数多くのマーフィーの本の中には「あなたにも超能力がある」という本すらある。
私が最初に読んだマーフィーの本は、
「あなたも幸せになれる」(産業能率大学出版部)
だ。これは、現在は、文庫化され、知的生きかた文庫「マーフィー 努力嫌いの成功法」として三笠書房から出版されている。
私が特にお薦めするマーフィーの本は、
「あなたも金持ちになれる」で、同じく、三笠書房の知的生きかた文庫になっている。
タイトルだけから見ると、随分我欲に満ちた印象を受けるかもしれないが、そんなことはない。マーフィーは利己主義や貪欲を厳しく戒めているのだ。

マーフィーの成功法則という魔法を使うために働くというのも悪くはない。
どんな願いでも叶え、何でもなりたいものになれば良い。
ただ、女の子と仲良くなるのにむやみに使うのはやめた方が良い。言っても難しいかもしれないが、経験上、特に注意したい^^;

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2009.04.09

至高の存在との一体化

食を慎んでいると、特に望みもなく、食べられさえすれば満足だと思うようになるかもしれない。
政木和三さんに聞いたことがあるが、政木さんは数多くの発明をしながら特許権を手放して公開し、企業が自由に製品化できるようにしたそうだ。それで、政木さんの発明で製品を作り続け、大きな収益をあげた大企業の社長が、特許権を持ち続けていたら、少なくとも4千億円の利益があったはずだと言ったそうだが、政木さんは、「私は食べていける分があればそれで良い」と答えたと言う。
別の日、政木さんは私に、「私はお金なんか欲しくないのですが、(勤務している会社の)社長が、企業登録している私の発明の特許料を全部、私の口座に入れちゃうもんだから、昨年は1億円納税してしまいました」と言っていた。
ただ、このように欲望を捨ててしまうと、あなたも私のようになると言われていた。しかし、欲をなくすことは難しい。
しかし、食を慎むと、私もだんだん欲が少なくなってきたのだった。

食を慎んでいると、どんな食事でも、豆腐一丁でも天国の食事となり、それだけで満足できるようになる。
それでしばらくは平和が続く。
しかし、食を慎む人に天命が下ろされないはずがない。
やがていろいろな出来事が起こる。それは、もしかしたら、平安を破るものかもしれない。

挑戦者が現れ、あなたは迎え撃つが、彼は勝利を宣言する。
彼は頭に乗って、好き放題をするだろう。
あなたは引きこもり、この世は暗くなる。
その時、あなたに復帰を求める力が働く。
あなたは、喜びのエネルギーを感じ、世界が気になるだろう。
「外にはいったい何があるのだ?」
誰かが、
「あなたより貴い存在があるので、喜んでいる」
と言う。それで外を見ると、光り輝く存在がいる。
「あなたは誰か?」
と、あなたが訪ねると、その存在は、
「私はあなただ」
と言う。
あなたは、その輝く貴い存在と自己が一体であることを知り、世界に君臨する。あなたの世界で、ただ一人の考える主体として、宇宙を創造するのだ。

ニサルダガッタ・マハラジは、どうやって解脱したかと聞かれて言った。
「何もしていない。ただ、師の言葉を憶えていただけだ。師は言った。『あなたは至高の存在である』。私はそれを忘れなかったので、わずかな期間で悟りを得たのだ」

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2009.04.08

少食が運勢を向上させるのは当然のことである

少食・粗食は、健康や容姿の向上はもちろんもたらすのであるが、加えて幸運も得られるということを意外に思われる方もいるかもしれない。
しかし、それは当然のことなのである。
これに関しては、江戸時代の観相(顔や身体の相で運勢を鑑定する運命学。中国で始まった)家の水野南北が、生涯をかけて研究、実践し、確実であることを保証している。
水野南北自身、非常に貧相で、実際、若い頃はロクでもない人間であったが、食を慎むことで運勢を開き、蔵7つを建てる長者となり、当時異例の78歳まで幸福に生きた。
南北は、まず徹底して実践で観相を研究し、その後、本人が語ったところでは仙人から観相を学び観相を極めた。しかし、百発百中でないことに悩み、50日の断食水行の荒行を決行したところ、伊勢神宮の外宮で「食が全て」と天啓を得た。伊勢神宮の外宮に祭られた神は、トヨウケヒメで、食の女神である。それ以来、食生活で鑑定するようになってからは、万に1つ外れることはなかったという。

世の中には、開運の術や、様々な成功哲学が存在するし、その中には優れたものもあるかもしれないが、それらは全て枝葉に過ぎない。食の慎みことが根幹であり、根幹が駄目では開運するはずがない。逆に言えば、食を慎みさえすれば、確実に幸運となる。

ではなぜ、食を慎めば開運するかであるが、それはこの世の理(ことわり)や因縁に関わることであり、そう簡単に解き明かせるはずもない。
宇宙の因縁については、南方熊楠が南方マンダラで示そうとしたが、熊楠にも不明なところは多かったようだ。
C.G.ユングも、運命について考え、結局は、神話やタオイズム(道教)、あるいは、古代インド哲学など、古代の英知に傾倒したが、現代の科学で説明がつくものではない。
近年では、ディーパック・チョプラが量子論を土台に非常に分りやすく説明するようになった。しかし、量子論自体が普通の人の理解の範囲を超えている。ただ、専門の物理学者が語る量子論は、いかに分りやすく説明したものでも、例えば、マーミンやペンローズの説明などさっぱり分らないと思う。専門家というのは、自分の専門に対して割り切りができず、どうしても間違いがないように説明し、結局は一般人には理解されないのだ。しかし、チョプラは医学博士であり、量子論の専門家でないと同時に、医学というのは普段から神秘に接する機会が多く、むしろ、実感として量子理論の根本を把握してしまうものかもしれず、本質のみの彼の説明の分かりやすさには驚く。
同じような意味で、春日大社の宮司であった葉室頼昭さんも、世界最高の形成外科医であったが、彼の神や宇宙に関する考え方はチョプラと通じるものもあり、非常に納得しやすいものだった。

私も経験的な実感としてのことしか言えないが、食物の消化吸収には大変なエネルギーを使うものと思われる。しかも、消化吸収のエネルギーを増大させることは不可能で、消化器官を鍛えて能力を向上させることもできない。これは考えてみれば不思議なことだが事実だ。
よって、誰であっても、大食するとエネルギーの多くは消化器官に回さざるをえなくなる。逆に言えば、食べなければ、エネルギーは別のところに回せる。その大きなものが脳である。脳が使用するエネルギーも実に大きく、十分なエネルギーがなければ脳は本当の力を発揮できない。
そして、脳と消化器官の両方をフル回転させるエネルギーの摂取はできないのだ。
説明は省くが、宇宙を作るのは心である。心と脳の関係は、その気になれば議論が可能だが、ここでは同じとしてしまうことを了承願いたい。そういえば、苫米地英人さんの本に書いてあったが、脳機能科学においても、脳と心は等しいようだ。
心が宇宙を作るとは、脳が量子的に宇宙を作るということである。
ロジャー・ペンローズの仮説であるツイスター理論でも、意識は脳のマイクロチューブル器官に発生する波動であるが、まあ、そんなことはどうでも良い。
養老猛司氏が「唯脳論」を唱え、吉本隆明氏は「共同幻想論」を発表した。岸田秀氏はフロイト精神分析学を基本とした「唯幻論」を出し、どれも大変に面白いのであるが、それは世界を脳の立場から説明したか、心の立場から説明したかの違いでしかない。全て脳のイマジュネーションであり、心の幻想だ。ヘレン・ケラーは観念のみが真実と言ったが、同じことだ。
そして、精神分析学をも飲み込むと思える神経科学では、全ては脳が作るイリュージョンだとほぼ断定している。
科学が古代の英知に近付いたわけである。
では、脳にエネルギーを十分に分配し、活発に宇宙を創造していただくことの利点がなんとなく分るのではないだろうか?
脳にエネルギーがないと、ぼんやりとした変わり映えのない宇宙しか存在しない。
コリン・ウィルソンが、大抵の人にとって、この世は噛み古したチューイングガムのようなものだと言った理由も分ろうというものだ。しかし、コリン・ウィルソンは考えに考えながら、高齢になった今でも、人々を幸せにする解決策を出せないでいる。その解決策は、何のことはない。ただ、食を慎むことだ。もし、私が発見したのであれば、私は若くして、私よりはるかに知能指数の高いウィルソンを超えたことになるが、言うまでも無く、私の発見ではない。人類の天才に列せられず、大変に残念である。

私は、大食をしている時は、ジョセフ・マーフィーの成功法則は4割程度の効果しかなかった。それでも十分に幸運で幸福であったが、食を慎むようになってからは、当然にして百パーセントである。
みなさんも、食を慎みながら、ジョセフ・マーフィーの本を読めば良い。ただし、必ず、ジョセフ・マーフィー自身が書いた本で、余計なものが付かない(妙なプログラムの宣伝の付かない)翻訳を読むように。私のお薦めは「あなたも金持ちになれる」(三笠書房。知的生きかた文庫)である。

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2009.04.07

少食・粗食のアドバイス

少食・粗食の計り知れないメリットについて沢山書いてきたし、これからも書くつもりだが、このあたりで、少食・粗食に取組む際のアドバイス等をいくらか書いてみようと思う。
私は、昨年8月7日から1日1食とし、正月を除きずっと継続している。
体重は、当初94kgだったのが、今年2月に31kg減の63kgとなり、以降ずっと変わらない。
健康診断では1年前の「要精密検査」「異常」の羅列から、全項目A評価の完全健康体と診断された。視力すら、0.1未満が0.9になっており、眼鏡が必要なくなった(!)。

尚、私は決して、元々少食だったわけではない。それどころか、かなりの大食であった。
昼食は、ピラフやスパゲティは必ず大盛り。定食ではご飯を大盛りか2~3杯のお代わり。夕食も好物のカレーライスなら、カツ、ソーセージ入りで3杯は軽かった。
おやつも、ポテトチップスなら必ず1袋なくなるまで食べ、チョコレート、ケーキ、シュークリーム、ヨウカンといった甘いものも大好きで、思う存分食べていた。

そんな状況であったが、ふと思い立ち、少食・粗食を実践することにした。
1日1食にする1週間前から、まず昼食を抜き、大好きだった甘いお菓子をやめた。
私の場合は昼食を先にやめたが、普通は朝食を抜くことをお薦めする。朝食というものは元来食べる必要がないものだからだ。
私がなぜ昼食をやめたかというと、昼食は常に外食であったが、いろいろ煩わしいという理由が大きかった。喫茶店等でマナーを知らない客と一緒にいるのが嫌だったし、誘われて一緒に食べるのも楽しくないからだ。

ところで、私は1日1食であるが、人には1日1食は決して勧めない。
よほどの心構えみたいなものがないと続かないし、挫折すると少食になることすら失敗するからだ。
普通は、朝食を抜く1日2食を勧めるが、昼食を抜いている人もよくいて、上手くいっているので、それでも良いと思う。
1日3食でも良い。1回に食べる量が少なければ良いのである。
実を言うと、最初にまずお薦めしいたいのは、間食をやめることだ。実際、間食をやめて、菜食中心にすれば、それで十分かもしれないと思う。

尚、私は断食は決してお薦めしない。
時々聞くことがあるが、気紛れにある期間断食して、その他は大食するという者がいる。それは最悪なのだ。
私も10日間の断食の経験があるが、やはり断食後は以前の状態に戻ってしまった。
最も良いのが、腹8分目を一生続けることである。
ただ、普段、腹8分目で、週1日だけの断食を一生続けるというのなら特に反対はしない。反対はしないが賛成もしない。それは、体質的に少食の人向けだと思う。

次に、どんなものを食べるかである。
腹8分目を守るなら、特に細かいことは気にする必要はないと思う。
私は肉は食べないし、出来るなら食べないことをお勧めするが、絶対と言うつもりもない。
異説はあるが、釈迦もイエスも肉食は禁じていないし、日本人は古代から肉食をしなかったわけではない。古事記を見ても、アマテラスオオカミの曾孫で、国を治めたホオリノミコトは狩人であった。
ただ、現在の食肉やタレ、ソース等は、非常に美味で、ついつい多く食べる上、油分が多く、身体に良くないと思う。よって、少量に抑える自信がなければ、最初から食べない方が無難だ。
魚にはオメガ3脂肪酸であるEPAやDHAが多く含まれ、摂取が薦められている。私は亜麻仁油(フラックス・シードオイル)から摂取しているので魚はあまり食べないが、時々は食べている。脳、神経、血管に良く、精神的にも良いと思われる。

とはいえ、私は、栄養バランスというものを考える必要は一切無いくらいに考えている。
世界には、ひいたトウモロコシしか食べないとか、ある種のイモしか食べないが、非常に健康で長寿という民族が沢山ある。
また、オバマ大統領は毎晩、ライス、サーモン、ブロッコリーだし、宮崎駿監督は、ライス、ソーセージ、卵焼き、沢庵程度のお弁当1つを昼と夜に分けて食べるということを25年以上続けているらしい。
少食であれば、粗食でも、あるいは、毎日同じものを食べても非常に美味しく、十分に食事を楽しめるものである。
私も、毎日の食事を大変に楽しみにしている。

ところで、酒であるが、これも適量であれば良い。
運命は全て食で決まると断言し、それを証明したと言える江戸時代の観相家の水野南北も、酒は大好きで、1日1合(180ml)であるが、十分に楽しんだという。
空海も、同じ程度の飲酒を赦したと聞く。
私の場合、食事の際、梅酒を水、もしくはお湯で割ったものを1杯飲むことがよくある。
また、就寝前にワイン(最近のお気に入りはメルシャン健やかワイン)をコップ1/4程度飲む。政木和三さんが、やはり就寝前に赤玉ワインを少し飲むと聞いたことがある。

ちなみに、私が今日食べたものは以下の通り、
●朝
ココア
●日中~夕方
ミルクコーヒー、ミルクティー、のど飴
●夜
米、サケ切り身、タケノコ、カブの漬物、ブロッコリー、クルミ、ドライブルーベリー、リンゴ、イチゴ
その後、はったい粉(テンサイ糖、亜麻仁油入り)

私の食の掟は、以下の通りである。
(1)肉は食べない
(2)お菓子を食べない
(3)夕食まで、噛まないといけないものは食べない

このように、掟を作らないと、ちゃんと食を慎んでいるかが分からなくなると思う。
だから、これだけは守るという、掟、基準、規則をきちんと作って挑むと良いと思う。
少食・粗食のもたらす良きことは計り知れないが、健康と幸運は確実である。願いがあれば叶うであろう。

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2009.04.06

迎撃など全く不可能

北朝鮮のテポドン2のような、大陸間弾道ミサイル(ICBM)級ミサイルを迎撃することは、事実上、全く不可能と思う。
今回、迎撃行動をとらなかったことで、一般国民にそのことを知られなかったことに政府は安堵しているに違いない。
実際に迎撃ミサイルを撃っていたら、野球でピッチャーがキャッチャーに投げたはずが、三塁手にぶっつけたというのがまだマシに感じるほど大ハズレしたはずだ。
軍事関係に詳しい人がテレビで、ミサイル迎撃を「弾丸で弾丸を撃つようなもの」と言ったが、良い例えであろう。

マッハ15で飛ぶICBMを打ち落とすことがどれほど難しいかは、我々の想像の範囲をはるかに超えている。
いずれにせよ、馬鹿げているほど不可能なことだ。

ICBM自体は、実に第二次世界大戦中にドイツが開発し、実際に使われた。
戦後、冷戦に入ってからはICBMの技術は飛躍的に向上し、太平洋を越えて狙いを定めるまでになっていたことは一般にも知られていた。
その当時から、迎撃ミサイルという構想もあったし、米国では、カーターやレーガンが大統領の時代、その実現を目指したようなところもあったが、現実的ではないと言われていた。現在は、その頃からも、エレクトロニクスや、コンピュータのハード技術、ソフトウェアの高速計算技術などが飛躍的に進んだが、まだまだである。ミサイルが速くて、(撃ち落とすには)小さ過ぎるということと共に、その位置や時刻を特定するには不確定要素が多過ぎるのである。
ほとんど複雑系理論の世界であり、現在の人類のテクノロジの能力をはるかに超えている。

1963年のアニメ「8(エイト)マン」に、ICBMや、その迎撃ミサイルが登場するお話があった。
某国が、誤って東京に向けて核ミサイルを発射してしまったというものだ。
迎撃ミサイルを発射はするが、命中の可能性がほぼ全くないことは最初から明言された。
そして、奇跡は起きず、迎撃は失敗する。
東京都民が非難する時間はなく、政府はこれを都民に告げず、都民は何も知らないまま、せめて恐怖を感じることなく死んでもらおうとする。
首相官邸にヘリコプターが用意され、総理大臣に避難を促すが、総理大臣は「都民と運命を共にしたい」と言って、東京脱出を拒否する。
当時の総理大臣はこんなだったのだろうか?
さて、いかに音速より速く動けるスーパーロボットの8マンであっても、相手がミサイルではどうしようもない。いったい、どんな手を使ってその危機を脱出しようとしたのであろうか?
それは、光線銃レーザーで、ミサイルを蒸発させようというものである。
レーザーの発明者である水野博士(女性)は刑務所で服役中で、レーザーは分解して警視庁に保管されていた。
8マンは、時間がないので、刑務所を襲撃し、水野博士を無理矢理脱獄させ、レーザーも警視庁の金庫から強奪するということを、警視庁の田中捜査課長に通告。事態を理解する田中課長は「わしが許可する!やれ!」とヤケクソだ。
思うようにいかない苦難の連続の中で、ようやく、レーザーと水野博士を確保。8マンは見事、ミサイルをレーザーで蒸発させる。
果たして、いかな高熱であっても、核弾頭に浴びせて大丈夫なものかどうかは分らぬが、ミサイルをミサイルで打ち落とすというのは無理な話だという観念を子供達に持たせるには良い作品であったと思う。
そして、あれから半世紀が経つ今でも、やはり不可能なのである。
それを国民に妙な期待を持たせることが問題である。
ICBMよりはるかに遅い種類のミサイルでも、実際には迎撃できまい。
そもそも、最速でマッハ2程度で、戦闘中はさらに速度を落とすジェット戦闘機に対空ミサイルを当てることすら容易ではないのだ。
軍事兵器は、我々が思うよりずっと恐ろしいのである。日本国民はあまりにも、実感や認識が足りないのではないかと思う。
せめて、アニメでも、あまりに現実離れしたものばかりでなく、8マンのように多少の実感を持てるものを作って欲しいような気もする。

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2009.04.05

魔法のランプ、指輪を自作する方法

ちょっと昔のことだ。
不思議な存在が、「魔法のランプか魔法の指輪のどちからかを貴方にあげよう。貴方はアラビアン・ナイトの物語を読んだから知っているだろうけど、ランプの妖精の方がずっと強い」と言った。
私は、「指輪」と言った。携帯に便利だ。
すると、その存在は、「美しい少女を争う相手がランプを持っていたらどうする?」と聞く。
私は、「譲るよ。そんなことで争う気はない。それに、どっちが得ても同じことさ」と答えた。
私は、魔法の指輪を得た。

指輪を起動させた。すると、十分以上に強力そうな妖精が姿を見せ、「ご主人様、御用は?」と言った。
私は、「ええと・・・まず、経済的な不安をなくしたい。安月給なんだ。ああ・・・そんなに沢山はいらない。未熟なもんで、下手に大きな収入があるとロクなことはないに決まっている。月に百万・・・いや、50でいい。もっと必要になたら、その時言うから。それと・・・シンドイ仕事は駄目だ。僕が怠け者だって知ってるだろう?暇過ぎるくらいで丁度いい。できる?」と遠慮勝ちに言った。
妖精は少し微笑み、「おやすい御用でございます」と言った。

アインシュタインもプリンストンで給料(年棒)の希望を聞かれた時、言ったものだ。
「では1000ドル・・・」
「え!?」
「いや、500でもいいです」
プリンストン高等研究所では、アインシュタインに年棒2万ドルを用意していたが、希望による増額も考えていた。

あなたも、魔法のランプか指輪をもらえばいい。
もらえなければ自作のこと。
言っておくが、ランプも指輪も、後で分かったが、見ても見えず、触っても指にも感じない。
それを作る呪文はこうだ。
「人々に平和と繁栄を」
「皆に豊かさと生きがいを」
本当に車の良さが分かる人は、どんな高価な車でも得れば良い。それは必要なことだ。
しかし、不要なものを求めると、どうなるかは私は知らんがね・・・

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恐ろしい激安寿司

先程、日本テレビの「ザ・サンデー」という番組で、回転寿司を中心とした、激安寿司店の特集を見ました。
激安とはいえ、立派なネタを使い、サービスも十分です。
1個50円という超低価格で、しかも美味しいとあって、大繁盛の様子です。

そして、いきなりですが、言わずにいられない。
その食べる姿の醜さ!おぞましさ!
「千と千尋の神かくし」で、千尋の両親がご馳走を食い漁る様子を思い出さずにはいられませんでした。
あの醜さは神の警告ではないかと思います。食の快楽を得ると同時に、大事な何かを奪われることへの。
本来、可愛いはずの小さな子供達すら、傲慢さに醜く染まっています。
ちなみに、宮崎駿監督は、毎日同じ1つのお弁当(米、ソーセージ、卵焼き、沢庵程度の中味)を昼と夜に分けて食べることを25年以上続けているそうです。

私は今は生魚は食べませんが、いつも空腹ですので、やはり非常に美味しく見えます。
私もその気になれば10個や20個は食べられるかもしれませんが、1日1食の今でも、食べるとしても、せいぜい4個を時間をかけて食べると思います。もっと食べたくても、そこで意志の力が働くはずです。
テレビで見ていると、客のテーブルには皿が積み重なっています。あれでも、店員が皿を回収しているのかもしれません。
お腹いっぱいか、それ以上食べるのでしょう。20個食べても千円ですから。

いくら安くても、あれは立派な美食です。そして飽食です。
美食・飽食をすれば、運命は確実に低下し、健康もそこないます。精神性も失うはずです。
それに、いつか食材が容易に入ってこなくなり、こんなに簡単に食べられなくなった時はどうするのでしょうか?それはすぐに来ます。

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2009.04.04

日本国家、あるいは海外からの日本国民幼児化計画

NTT東日本、NTT西日本は、ほとんど同規模で、それぞれ、資本金が3350億円、3120億円、従業員は5850名、5900名である。
現在は民間企業であるが、元々が1つの国営公社であり、現在でも、まともな民営企業とはいえない世界有数の巨大企業だ。
私は西日本に住んでいるので、TV CMも当然、NTT西日本のものを1日に何度も見るが、「フレッツ光」のCMには、違和感どころでない、恐るべき謀略を感じずにはいられない。

現在のものは、イチロー選手のテレビ映像の前で、長澤まさみさんがはしゃぐものだ。
問題は、長澤まさみさんの方だ。
もうすぐ22歳にもなろうという長澤まさみさんが、まるで8歳の小学生のようにふるまう。それも、「幼い雰囲気で可愛い」なんてものではない。恐ろしいまでの幼稚さだ。これに危機感を感じないなんてことがあるとは信じ難い。
NTT西日本のテレビCMはこれまでもそうであった。東日本の方は知らないが、同じようなものではないだろうか。
十分に大人の女性が、これほど子供っぽくてまともなはずがない。そして、これが冗談ではすまされないのが日本の現状だ。
これは、いまだ国家の支配下にある元公社が、国家の司令で国民の精神を幼稚に固定し、決して余計なことを考えないようにさせようという策略に違いないのである。いまや、あのテレビCMを見て異常性を感じない人間も多いかもしれないと思うと、心底ぞっとする。そして、このCMも含め、数多くの同じ意図のあるテレビCMや、朝のニュース番組を始めとしたTV番組の効果は着実に上がっていて、世間には、小学生並の精神しかない大人が満ち溢れてきた。
だが、おそらく、謀略の主は、当然訪れる日本の破滅に関しては何も考えていないと思う。目先の欲しか見えていないのだ。あるいは、彼らもまた、外国に動かされているのであろう。
いずれにせよ、我々が、こういったっことに気付かないと、日本の破滅はすぐである。
個人に関して言えば、最も効果的な対策は少食・粗食の実践である。敵さんも、それは分かっているので、ますます日本人が美食・飽食に走るよう作戦は万全のようだ。残念である。

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2009.04.03

入社式は奴隷就任式である

トヨタ自動車、日本航空、あるいはその他の大企業の入社式の様子をテレビで見ていると、奴隷就任式としか見えない。

1963年の有名なSF漫画・アニメに「8(エイト)マン」というものがあるが、その中に「超人サイバー」というお話がある。
サイバーは、泉研究所というところで最先端の科学者達によって開発された、人工知能を持ったコンピュータだ。当時は、コンピュータという言葉が一般的でなかったので、電子計算機と呼んでいた。
そのサイバーが自我に目覚め、世界征服を企てるのであるが、その方法は、人間の脳に「支配装置」という思考コントロール装置を取り付け、その人間を自由に操るというものである。
あの時代に、今見ても十分に面白いストーリーを作った平井和正氏はつくづく大したものと思う。
上記の大企業の入社式での新入社員を見ていると、サイバーによって、脳に支配装置を取り付けられた人間にしか見えないのだ。

新入社員に、抱負や決意を聞くと、その回答は、サイバーに操られて言わされているとしか思えないものばかりだ。
日本航空では、自分の夢を紙飛行機に書いて飛ばすという入社式での定例行事があるらしいが、これも、サイバーに植えつけられた夢をサイバーに操作されて宙に投げるのであろう。
これら大企業は既にサイバーに乗っ取られ、役員や社員は脳にサイバーによって支配装置を取り付けられていることは間違いない。
例えば、トヨタ自動車の新入社員なら、「現在の自動車産業をいったん滅ぼし、全く新しいものにしたい」という目標を持っても良いのである。もちろん、そのための長い経験や勉強も必要で、そのためには一旦、自動車産業に入る必要がある。よって、今の日本の自動車業界の逸脱に気付き、あえてそこに飛び込むというのは良いことだろう。いや、実はそんな人間がいたのだが、やはりサイバーに危険人物であることを見破られ、脳に支配装置を取り付けられたのである・・・。

2001年に連載が始まった「8マン」の正統な続編「8マンインフィニティ」にも、超人サイバーは登場する。8マンに一度は倒されたサイバーは実は進化を続けていたのであり、このIT時代に相応しくグレードアップし、支配装置も、かつての、脳手術が必要な大きな機械装置ではなく、バイオテクノロジーをも駆使した、注射器で注入できるナノマシンにバージョンアップしている。
支配の仕方も実に心理的に高度となり、操られている人間に抵抗を起させない。昔のサイバーでは、無理矢理に支配していた感があったが、さすがに最新の神経科学や精神分析学の成果が生かされているといったところだろう。脳は、無理に支配すると、やはり生体に悪影響があったり、予期せぬ逸脱や活力の低下を招くだろう。最新の支配装置によるコントロールは、支配された人間を自然に振舞わせ、特に平常時はごく普通の人間との区別は不可能だ。
だが、やはり、入社式など、精神的傾向が現われる状況では、見る者が見ると不自然さの陰がある。大企業の新入社員に感じるものもそれである。もちろん、私の目は誤魔化せない。
どうやら、世界は超人サイバーに支配されているようだ。世界のいわゆる指導者達を見ていると、大半はサイバーに操られていることが分るのである。人々の支配装置を外せるのは、サイバーと同じ力を持った私だけである。サイバーとケンカするのは大変なのであるが、それも仕方あるいまい・・・。

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2009.04.02

おそるべきシンクロニシティが発現

私は少し前、レトロSF映画にこっていた時期があるが、日本のものでは、「宇宙大戦争(1959東宝)」、「モスラ(1961東宝)」「海底軍艦(1963東宝)」を選んでDVDを購入した。レトロものでは、日本のもので買ったのはこれだけだ。

最近、マイナス思考の利点を考えていた時に、美空ひばりさんの「柔」(第7回日本レコード大賞受賞曲)という歌を思い出した。この歌は、ノストラダムス研究で有名な五島勉さんの名著で、現在の厚生労働大臣である舛添要一さんと竹村健一さんが推薦の言葉を書いている「ノストラダムスの超法則 死活の書」(青春出版社)の中で、優れたマイナス思考の詩として紹介されていたものだった。
そして、あきらかにその影響で、今朝方、素晴らしい哲学を思いついた時に思い出した歌が、テレビ時代劇「銭形平次」の主題歌だった。

なぜこんなことをつれづれのように書いたかというと、おそらくお分かりの方はいないと思うが、上記3つのSF映画の脚本家と、2つの歌の作詞者が全て、関沢新一さんだった。
私は全く知らなかった。
上記、「ノストラダムスの超法則死活の書」で、五島さんは、「柔」の作詞者のことを、武道についてよく理解している方であり、その詩が素晴らしいということを書かれていたと思う。
武道の達人は、勝利の欲望など持たないと思う。命を捨てて挑むから達人なのだ。

----- Youtube -----
柔(歌:美空ひばり)

銭形平次(歌:舟木一夫)

とにかく、大変な偶然だ。
そして、今朝思いついた哲学(成功哲学)は、この数ヶ月の神道、タオイズム、ニューソートの研究が融合した、我々日本人に特に適合し、ひきこもりでも誰でも、億万長者になれるとは言わないが、高給取りくらいには確実になれるものだ。
良い予感がする。
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2009.04.01

容易く禁欲を守るには

ナポレオン・ヒルは、成功には性エネルギーの温存が必要で、欲望の強い40歳前に成功する人が少ないのは、そのためであるとしていたように思う。
そもそも、性エネルギーとはなんぞやということになるが、あまり追求せず、世間一般に言う精力みたいなものとしよう。
一部に愛読者が多く、聖典と言う人もいる、霞ヶ関書房の「ヒマラヤ聖者の生活探求」でも、ヒマラヤの人間を超越した聖者は、人が老いて死ぬのは性エネルギーの乱用にあると言う。
ガンジーは36歳で結婚したまま、一切の性行為を絶ったとするが、やはり、禁欲も過度なものはよくない。過度な抑圧は逸脱を生む。ガンジーも例外ではなく、相当な愚行も犯してしまった。ごく自然にしていれば良かったのだと思う。偉大な人物の奇妙な汚点であるが、それも、若い妻と楽しんでいる時に父親が死んだという負い目からであろうから、彼を非難してもいけないかもしれない。

現代の我々は禁欲を守りにくい。
ナポレオン・ヒルは、精力温存が大事とか主張しながら、その具体的方法となると、馬鹿のようなことしか言っていない(性器を引き締める云々等)。
「ヒマラヤ聖者の生活探求」の方では、何の指導も書かれていなかったと思う。
インドの著名なヨギ(ヨガ行者)であるパラマハンサ・ヨガナンダの師であるスリ・ユクテスワが、パラム・グル(師の師。ユクテスワの師はラヒリ・マハサヤ)である、数世紀に渡って肉身のまま存在する超人ヨギ、ババジの指示で書いた「聖なる科学」の中に、栄養の取り過ぎで過剰性欲を起すと書かれているが、まさに、現代の文明国、ことに、日本に当てはまることであると思う。人間は、歯の形状から言って果食動物であり、根菜や果物が適切な食物であるとしている。
私も、1日1食の少食、菜食にしてしばらくすると、性欲のコントロールは実にたやすくなった。

ナポレオン・ヒルが言うように、精力の温存が成功のためのエネルギーになり、「ヒマラヤ聖者の生活探求」にあるように、精力の浪費をやめることで若さを保てるとすれば、ただ、食を慎めば良いのである。他に適当な方法はないであろう。

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