ご立派な男の晩年と、その子供
私が子供の時に見た映画のセリフだが、7歳くらいの男の子の父親が、「子供というのは、自分の父親が世界で一番強いと思っている。まだ、そう思わせてやりたい」と言ったのが印象的で、いまだ憶えている。
子供というのは、その後、大人達を値踏みするようになる。
お金持ちで大きな家に住み、凄い車を持っている人や、社会的地位があっていつも堂々としていたり、人に厳しい口調で命令する男を立派な人間とみなして憧れる。しかし、ほとんどの場合、自分の父親はさほどのものではないし、それどころか、誰かに命令されてペコペコしているのだと知り、がっかりする。
ある時、小学校で、私の担任教師が、受け売りで言ったのだろうが、自分の持ち物を大切にしていない子供に対し、「それを買うために、あなたのお父さんは何度頭を下げたと思っているのだ」と戒めたことがあった。私は、自分の父親を不憫には感じたが、やはり多くの子供達同様、「私の父親は、ペコペコ頭を下げる部類に入っている」と思ったに違いない。
そして、子供の時に「立派な男」と思い込んだ男と、自分の父親が同等であることが分かった時が大人になった時であり、大人にならない限り、自分もまた成功すまい。
実際のところ、大きな家に住み、凄い車に乗り、社会的地位があり、人に命令する男の大半は、普通の人以上に惨めで、深刻な問題を抱えているのを実際に見たし、おそらくそういうものと思う。
自己を律することができなかったからだ。彼らは、自分では自己の向上や、高潔な人間を目指しているように思え、本を読んだり、荘厳な勉強会にも参加しているのであるが、所詮、自己満足である。
缶コーヒーのCMで「総理からお電話です」と言われた立派な男性が「たわけ!食後の余韻に浸っているのが分からんのか!」と秘書を一括し、一緒にいた偉い人に「まあまあ、せっかくの余韻のひとときですから」と言われ、不意に柔和な顔に戻り「これは私としたことが」と微笑み、秘書にはぞんざいに「言いすぎじゃった!」と言い捨てる。面白おかしいCMにしているが、面白いと思えるのは、やはりリアリティがあるからだろう。
おそらく、この立派に見える男の息子はニートであろう。そんなものだ。
「ご立派な」男は、妻に見放され、子供に嫌われ、そして、健康を損なう。
大半の金持ちがグルメに走るからだ。美食・飽食になったら、もはら破滅と転落を免れない。
徳川家康は、どんな経緯でそうすべきかを知ったかは分からないが、天下を取った後も、決して美食をせず、生涯、庶民の食事を貫いた。彼が偉大であるのは、天下を取ったことではなく、食を慎んだことである。
我々もまた、食を慎むことで偉大になる。大金持ちになるかどうかは、その必要性を天が見て取り計らうであろうが、必要なら富も得るであろう。しかし、必要もない富を得れば、やはり転落と破滅の可能性が高いのである。
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