一輪の花の命
一輪の花を、心の底から美しいと思ったことがあるだろか?
岡本太郎さんは、戦時中、パリから帰国した時、30歳も過ぎているのに2等兵(最下級の兵隊)として召集され、18、19歳の若者達と一緒に初年兵訓練でしごかれた。そこで、息も絶え絶えの状態で地面に伏せた時に見た小さな花の美しさに、命がしぼられるような感動に震えたと言う。
岡本太郎さんは、命の共感を感じたのだと言う。
白土三平さんの漫画「カムイ外伝」で、抜忍(忍者組織を脱走した忍者)であるカムイは、自分を抹殺するために次々にやって来る追っ手達と戦い続ける日々の中、不運にも流砂に落ち、脱出できなくなる。カムイは死を覚悟した時、一輪のリンドウの花を見て、「美しい」と思う。やはり、命の共感を感じたのであろうか?
(蛇足だが、流砂の中では人は浮くので、実際には死ぬことはない)
命の共感。
極限状態の中で、人だろうが、花だろうが、命に区別がないことを悟るのであろうか?
ややセンチメンタル過ぎる感もあるが、「UFOロボ・グレンダイザー」という昔のアニメのエンディング曲の詩に
地球の緑の若葉のために
ただ一輪の花のために
デュークフリードは命をかける
という部分がある(作詞は保富康午さん)。
「ただ一輪の花のために」命をかけるとは、なんともカッコいい。
なぜカッコいいのかと思うが、やはり、万物の命を区別せず、平等に見ることが美しいのではないだろうか?
「キューティーハニーF(フラッシュ)」というアニメで、キューティーハニーと、双子の妹、ミスティーハニーは最期の決戦を行う。圧倒的有利に戦いを進めるミスティーハニーは、キューティーハニーに突進する中、不意に歩調を変える。進路に小さな花が咲いていたので、それを踏まないようにしたのだ。憎悪に燃える冷酷なミスティーハニーの中にある優しさであった。そして、本当の優しさとは、やはり、命の価値に区別を付けないことではないだろうか?
平等、公平こそ、最高の人格を示す特質であり、最大の美徳である。
今の石原慎太郎さんは知らぬが、昔、石原慎太郎さんと三島由紀夫さんは、「男にとって最も大切な言葉を一緒に書こう」と約束して、同時に別々に紙に書いたが、2人とも「自己犠牲」と書いた。
自己犠牲とは何であろう?
1963年に連載が開始され、同年にアニメも放送開始された「8マン」というSF作品がある。2001年に連載開始された、その続編「8マンインフィニティ」の単行本のあとがきで、「8マン」の原作者の平井和正さんが、「8マン」の絶対的ポリシーは自己犠牲であると書いておられた。「8マンインフィニティ」の中で、敵側の者達が「8マンとは何者?」と議論する中で、8マンを「一人の子供のために、一国を敵に回せる男」と表現した。
小さな一人の子供の命も、巨大な一国に匹敵する。同じことを言っているのが「荘子」の「斉物論」だ。一本の指は天地に等しく、一頭の馬は万物に等しい。
宇宙の絶対的真理である平等、公平のためにいかなる犠牲も払う。それが自己犠牲であると思った。
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