神は老獪であるが悪意はない
アインシュタインは「神は老獪である。だが悪意はない」と言ったが、最近、この言葉が身にしみる。
「老獪」とは難しい言葉だが、辞書によれば、「経験を積んでいて、非常に悪賢いこと」とある。
悪賢いとは良い言い方ではないが、良いことより、悪いことをやる方が頭の良さが必要というイメージは確かにあるだろう。
そして、悪意はないのだから、神様は悪いことのように見えて、実際は良いことをしているのである。
神様は、どんな人間にも、「一見、いやな出来事」を起してみせるのではないだろうか?
それも、絶妙なほどの嫌な出来事である。多くの場合、最も関わりたくないタイプの人間に嫌というほど関わりを持たされる。
もし、この世に神様がいるなら、神様とはなんと嫌なやつと思いたくなるかもしれない。
それは、家から一歩も出ないようなひきこもりであっても、親あたりが、その嫌な人間の役になるものだ。
夫婦の場合は、ほぼ確実にお互いが嫌な相手と思うものだろう。よって、そのままでは離婚するのが普通だ。
そして、嫌な相手とは、自分の心の反映であることが理解され、咎めるべき相手などいないことが分れば、人生が一段、楽しくなるのだ。
簡単に言えば、どんな相手も決して非難しないようになれば一人前ということであると思う。
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Comments
人間が神を語ることは許されるのでしょうか?
Posted by: 太郎 | 2009.04.01 01:47 AM
★太郎さん
内容と意図に拠るのではないですか?
Posted by: Kay | 2009.04.01 06:27 AM
解答ありがとうございます。そうですね。
Posted by: 太郎 | 2009.04.01 12:10 PM
高城剛さんがブログで玄米にして健康的にも快調だと書いてました。思考にも影響すると書いてました。食の重要さに気がつかせてくれてありがとうございました。
Posted by: 太郎 | 2009.04.01 12:16 PM
★太郎さん
私は、玄米を非常に細かい粉状にしたリブレフラワーという食品を玄米茶にして飲んでいます。
ただ、特定の食物にこだわることはありませんけどね。
私のこだわりは、肉を食べないことと、少食であることですね。
Posted by: Kay | 2009.04.01 09:39 PM