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2009.03.25

地球外文明は存在するか

私は、小学5年生頃、地球外知的生命体や地球外文明が存在すると考えることが科学的だと思うことになった。
その根拠は、宇宙は果てなく広く、無数の銀河のそれぞれに想像もできないような数の恒星があるのだから、生命が発生し、発達する条件に合う惑星もまた、相当な数になると考えても良いと思ったことだった。
しかし、最近では考え方が変わった。
もし、生命が偶然に発生するとしたら、その偶然に発生した生命が、さらに偶然に人間のように進化する可能性は極めて低いだろう。問題は、その確率の低さがどのくらいのものかだ。
例えば、サルがインクを紙にぶちまけ続けたら、偶然に広辞苑になる可能性は、極めてわずかだろうがあるかもしれない。しかし、その可能性はあまりに少ない。
知的生命が偶然に発生する可能性もそんなものと思う。
やはり、地球に生命が誕生し、人類にまで進化したのは、何らかの意思の作用があったと考えられる。
春日大社の宮司であった葉室頼昭さんはよく本に、地球以外の膨大な星達は、地球に人間が誕生するために必要だったのだと書かれていたが、まだその考え方の方が良いと思う。
尚、仮に、地球外文明があったところで、人類がそれと接触できる可能性はほぼ全くない。それは、距離の問題だ。その星との距離が、想定できる最小のものだとしても、人類も、他の星の知的生命体も、その距離を越えることはまず絶対にない。その距離を想像するのに、我々の常識は全く役に立たない。それほど常識外れの距離である。
例えて言うなら、水泳の達人なら、本州と四国の間を泳いで渡れるかもしれない。しかし、太平洋の100万倍の広さの海であれば、泳げるかどうかなど、考えるだけ馬鹿馬鹿しいだろう。宇宙の広さとは、そういったものなのだ。

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