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2009.03.02

虫と芽に学ぶ美徳

「本の虫」という言葉をご存知と思う。
熱心な読書家のことであるが、昔は、本に小さな虫が付いたことが多いらしく、そう言われるようになったとも言われる。
ただ、日本では、「虫」という言葉自体に「1つのことに熱中する人」という意味があり、「芸の虫」「練習の虫」とか言う。
面白いのは、英語で本の虫をBookwormと言うが、worm(ワーム)は、あまり良くない意味の虫を指し、ぜん虫、寄生虫、あるいは、虫けらを言う。ワームを自己増殖型のコンピュータウイルスだとご存知の方もいると思う。
中国語でも、本の虫は「書虫」だ。
ドイツ語のLeseratteも「本の虫」と訳されるが、この単語を分解すると、「読むネズミ」だ。

こう見ると、本の虫を全面的に良い意味で言うのは日本だけで、英語その他は、悪いとは言わないまでも、どこか馬鹿にしている雰囲気がある。本ばかり読んで実践がないという意味もあるのだろうか?

しかし、私は、「虫のように熱心」という言葉が好きだ。
虫の世界のことを熱心に(虫のように?)調べれば、誰しもそう思うようになるかもしれない。
小さな力でも、時間をかけて果てなく繰り返せば、やがて大きなことを成し遂げるのである。
日本というのは、そんなところに美徳を見出す民族であると思う。

「サウンド・オブ・ミュージック」というアメリカのミュージカル映画をご存知の方は多いだろう。
私は、あの映画は基本的には好きではない。
私は、子供の時から、あの映画を非常に嘘っぽいと思っていた。あまりに作りものめいていると思ったのだが、その感性は正しかったようだ。
トラップ大佐の馬鹿のような厳格さ、16歳と17歳のリーズルとラルフの健全過ぎる恋愛、マリアの押し付けがましい歌・・・どれにも抵抗があった。
実際、全部作り話で、特に、ゲオルグ(映画でのトラップ大佐)のキャラクターに関しては、マリアは修正を強く要求したが、聞き入れらなかったらしい。マリアはお金に困り、「トラップ一家の物語」の版権を手放していたからだ。

さて、実話での話であるが、落ちこぼれ修道女の21歳のマリアは、修道院を去り、トラップ男爵家の次女マリアの家庭教師としてトラップ家に住み込む。12歳の次女マリアは病弱だったのだが、写真で見ると、大変な美少女だ。長女のアガーテは14歳。映画では、長女リーズルは16歳で、18歳のセクシーな女優が演じている。
マリアは音楽と活発で豊かな感性で、子供達とすぐに仲良しになり、特に次女マリアは彼女を慕うようになった。そして、次女マリアは音楽の道を志し、名門の音楽学校に入学する。その同室には、なんと、少年時代のヘルベルト・フォン・カラヤンがいた。
教師はマリアに「なぜカラヤンのように(ピアノを)弾けないの?」と言ったものらしい。マリアは、「彼は練習の虫だもの」と言う。
ドイツ語だから、ネズミという表現だったかもしれないが・・・
ここに、カラヤンが自らの意思で熱心にピアノの練習をしたことがうかがえる。
1つのことを熱心に虫のように、コツコツやる。日本人が美徳としたこれこそが、正しく成就するための唯一の道なのだ。

斎藤一人さんは、著書の中で、アスファルトを破って出てくる芽にたとえていたように思う。無限小の力で無限大の時間をかけて事を為すのである。
これは、ある意味、老子や荘子の「無為の為」にも通じると思う。
小説「チョンドリーノ」では、金属すら食い破る虫も登場したことを思い出す。

真に偉大な人物は、虫のように、あるいは、芽のように、最小の力をたゆまず注ぎ続けた人ではないかと私は思う。

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