偉大な心
ひきこもりは、ほとんどの場合、母親の影響が大きいものである。
思想家の吉本隆明氏は、子供がまだ胎内に居る頃の母親の精神状態の影響が大きいのではないかということを著書に書かれていた。
それもあるのかもしれないが、おそらく次のようなことが言えるのではないかと思う。それは、私もひきこもり気質であるが、他のひきこもりの人を間近に見たことから思うことでもある。
ひきこもりの男の子の場合、母親がその子を尊敬していないのだ。子供の間はもちろん、大人になり、ひきこもりとはいえ働いてお金を稼いでいる場合でもそうである。こう言うと、母親の方は、それが意外だという反応をするものである。「なぜ私がこの子を尊敬しないといけないのか?」と。それが根本的な誤りである。
母親にすら尊敬されない男の子は、誰からも尊敬されないのだ。
なら、ひきこもりになるのは当たり前なのである。
息子を尊敬しない母親が傲慢であるのだ。
日本では、昔であれば、武家の男子は15歳にもなれば元服といって大人と認め、特にそれ以降は、母親とはいえ、大人の武士として敬意を示した。もちろん、それまでも母親は息子に対し、それなりの敬意を見せるし、それに相応しいしつけもするが、やはり早くから立派な大人の男として扱うので、男の子も立派になるのである。
これは、別に日本でなくても、また、武家などの立派な家柄でなくても、息子を尊敬しない母親は母親としての資格に欠けているのである。
また、女の子の場合は、両親が信用してあげないといけない。親にすら信用されない子供は誰にも信用されないのだ。
平井和正さん原作の石ノ森章太郎さんの名作漫画「幻魔大戦」で、主人公である高校3年生の丈(じょう)は、本来はひきこもりだったと思う。彼には両親がいなかった。そして、高校生になっても多くの小学生に劣る体格であったが、劣等感の反動で勉強とスポーツにがむしゃらにがんばる。しかし、成果が出ず、精神に明らかな逸脱が見られた。ナポレオンやヒットラーのようになり、自分を虐げた人間達を見返すばかりか、支配したいと思うようになる。
このあたりを読むと、私などは涙が出るほどの共感を感じるのである。
だが、丈がそれでも、基本的には心優しく、常軌を保っていられたのは姉のおかげであった。
姉は母親以上と言って良いくらい、丈を深く愛していた。彼女も年頃ではあったが、結婚なんかできなくても、丈が誰からも尊敬される立派な人間になるまで、側で見守ろうと決意していた。
その決意は死んでも守られた。宇宙を征服するほどの力のある幻魔の前に、地球の超能力者は全く無力だった。地球の超能力者の中においては超一級のエスパーである丈も、幻魔の強者に無謀に戦いを挑み、簡単に敗れる。だが、そのような幻魔ですら、死んだ丈の姉の残された思念(残留思念)の力は強敵であると言う。
丈が宇宙屈指の超能力者にまで成長したのは、偉大な姉の心の力が大きな助けとなったはずである。
「幻魔大戦」は、軽く30年以上前の作品だが、現在でも増刷され、新品で入手可能だ。石ノ森章太郎さんは残念ながら亡くなられたが、これを「第2の聖書を書く意気込み」で描いたと言い、現在も活躍中の平井和正さんにとってはライフワークの1つだと言えると思う。
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