« 私は幽霊以下である | Main | 神秘主義者の成功とは »

2009.02.13

スポーツトレーニングは心身を害する

よく、「ジョギングが続かない」とか、「腹筋運動が続かない」という話をよく聞かないだろうか?
そもそも、何か発想が間違っていると気付かないのだろうか?
なぜ、そんなことをやる必要があるのだろう?
スポーツ選手でも目指しているなら、そういった、身体に悪く、楽しくも無いこともやる必要があるのかもしれない。

スポーツが身体に良いなどと誤解していないだろうか?
あるいは、スポーツトレーニングに意味もない自己満足を感じていないだろうか?
そのような妄想をなぜ多くの人が持つようになったかというと、スポーツのイメージを高めることで利益を得る者達に騙されただけなのである。
スポーツが美化され、スポーツ選手が英雄視され、アイドル化されるのは、スポーツで巨大な利益を得る勢力の強力なイメージ戦略(洗脳)の成果なのだ。
時には、自分がやっていたスポーツは身体に悪く、人々が思っているような美しいものでないことを暴露する元スター選手も出てくるが、ほとんどの場合は、彼ら自身が別の身体に悪いスポーツで自分が儲けようとしているに過ぎないし、いずれにせよ、巨大な勢力に潰されるだけである。

スポーツを、その実際の価値で皆が見るようになったら、スポーツビジネスに今のような巨万の金が動くこともあるまい。
一流スポーツ選手の身体は、皆ボロボロと言って間違いない。
元一流スポーツ選手の多くは、生涯、現役時代の後遺症に苦しめられているのだ。
いや、身体だけではなく、心も破綻している場合も少なくはないだろう。

私が、朝早くの通勤で駅に向かって歩いていると、父親と思われる男性が、小学生の娘2人を先導してジョギングをしているのにすれ違った。
私と目があった女の子の表情は私に複雑なものを感じさせた。彼女の表情は、自分は立派な良いことをしているのだと必死でアピールしたい部分と、本当はそんなことはやりたくないという部分が混ざり合っているようである。はっきり言って、全然良くも立派でもない。やりたくなくて当然だ。
私の知っているスポーツトレーニングマニアの男性は、自分の子供を小さい時から、ジョギング、野球、その他のトレーニングで鍛えた。お正月に家族で私の家に遊びに来る時すら、車に野球のグローブとボールを用意し、のんびりテレビを見たり、楽しくおしゃべりしているのに、不意に寒風の吹く外に連れ出して一緒に運動していた。その子供は今、精神病院に入院中だ(実話である)。

健康で自然美に満ちた身体を持ちたいなら、スポーツトレーニングをしてはならない。
通常は、あまり車を使わず、適度な速さでよく歩き、立っている時や座っている時に正しい姿勢をしていれば十分である。
しかし、多くの人たちの異常なまでの歩行速度の遅さ、異様に乱れた姿勢に驚くことがよくある。それは10代や20代の若い人に大変に多いように思う。
ほんの数十メートル先にゴミを出すのに車を使う中年の人もよく見る。
そして、何より、食べ過ぎている。しかも、美味には感じるが身体に悪い食べ物が多い。
その上に、身体を壊すスポーツをしていたら無事に済むはずもない。
また、学校で習う「姿勢を正して」の姿勢は大変に不合理で身体に悪いことも付け加えておく。

健康の基本は、まず食の慎みである。
「腹8分目に医者要らず」という言葉は大抵誰でも知っているのに、それを行う者は少ない。それは、本人の意思が弱いというよりは、人々を飽食にすることで利益を得る者達に食べさせられているのである。
大食、美食を続けると、身体だけではなく、心も病んでくる。
それを修正するのも、ただ食を慎めば良いのであるが、心を鎮めたり、身体を調整する良い運動もある。ただ、それらを用いても、大食・飽食していては効果は無い。

心を鎮めるには、座禅や静坐といった、正しい姿勢、呼吸、緊張と弛緩の行法を用いるのも効果的である。
日本には、岡田式静坐という優れたものがあり、現在でも実施している人々がいるとは思うが、一般には知られていない。
ドイツ人哲学者、心理学者、心理療法家のデュルクハイムが、座禅や岡田式静坐法を持ち帰って成果を上げ、「肚―人間の重心」という世界的名著を書いたのに、それが日本で顧みられないとは嘆かわしいことである。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

|

« 私は幽霊以下である | Main | 神秘主義者の成功とは »

Comments

日本は明治時代、もの凄い速度で西洋文明を学習しました。
その時、輸入されたものの中に、スポーツとアートがありました。
スポーツは体育と翻訳され、アートは芸術と翻訳された、とのことだそうですね。
スポーツもアートも、日本には極めて似たものがあったため、
ちゃんと理解されそこなってしまって、
そのまま現在に至っているのではないでしょうか。

西洋的な芸術と、日本に本来ある独自のアート的なものが、
未だに私たちの感覚の中で、座標が曖昧なままというか、
結びつかないままで、今日に至っているように思います。

スポーツがこれだけ盛んな日本でも、スポーツへの無理解が、
日本人を幸せにしていないように思うのです。

私も、初めてのスポーツとの出会いは、学校スポーツだったわけで、
そのためヒドイ目にあったといっても過言ではありません。

入院された方については、スポーツが問題なのではなく、
その親子にとっての、なにか本質的な問題が、あったからなのではないでしょうか。

フィットネス系のトレーニングは、私もやっていますが、
文明化された生活環境で生きる我々には、
とても効果的な側面を持つ方法であると感じています。

Posted by: whoami | 2009.02.14 01:00 AM

自分は、中学から高校卒業まで本格的な体育会系。そもそも体を動かすことが好きだった小学生だったころは、校庭で友達とサッカーやドッジボールをするのが何よりも楽しみで、そのために学校にいっているようなものだった。 しかし、中学高校で部活動に入って、根性論的なスポーツ精神に疑問を常に感じていた。だんだん楽しんで体を動かすというよりは義務感で運動をし、「こんなにがんばっている自分は他人より偉い」なんて勘違いにもほどがある考えのもとに、なんとかスポーツを続けた。 
今考えると、完全に自分も社会に洗脳され、運動=努力、根性=美学といった等式に振りまわれ不幸になっていた。 
スポーツなんて学校教育からなくせばよいのに。

Posted by: ショット | 2009.02.14 04:59 AM

拝啓

はじめてコメントします
いつも非常に楽しく読ませていただいております
私も貴殿同様小食を昨年10月より始めました
以前あった立ちくらみ、体のだるさ、頭のボーとした症状はほとんどなくなりました。小食はすごいですね。
しかしこの期間中はいろいろありました。好転症状?みたいなものが出てすごく不安になったり、でも自分の体がこれでいいと思っているのか、やめようとはしませんでした。体は正直ですね。いまでは自分の食事や、いろいろな波をコントロールできるようになりなした。職業は英語を使う仕事をしてましすが英語の上達がものすごいです。英語を使いどんどん自分の世界が広がっていってるように思います。
ただ少し不安もあります、体重がかなり落ちてしいました。私も身長は180㎝で体重は昨年9月72キロなのが61キロになり結構がりがりに見えます。もう少し太りたいなと思っているのですが、これはぜいたくな悩みですかね?まただるさが出てきても嫌ですし。そういうことありました?

Posted by: パウエル | 2009.02.14 11:32 AM

kayさんへ

現カルフォルニア州知事であるアーノルド・シュワルツェネッガーは、「世界チャンピオンになる者は世界一の努力をしたものだけだ」と言っています。世界一の努力をした者の中から、神が選び栄光のチャンピオンを決める。人の努力と神の力が合わさるところを中庸というそうです。時々、神様のいたずら^^もあるようですが。w
私は北京オリンピックで金メダルをとった柔道の石井慧選手が好きなのですが、彼はまさしく世界一の努力をした人だと思います。彼の発言は死の一歩前まで努力をした者にだけ感じ取ることができる高次元のものに感じます。両者ともに「掴んで放す」を実践しており、すばらしいと思います。
スポーツの世界も、物理、科学の世界も、その道を極める人がいます。好きなことを続け、選択し、ただ生き抜くだけだと思います。

Posted by: ゆう | 2009.02.14 02:05 PM

★whoamiさん
その上、戦後は、西洋のものが全て良く、日本の伝統的なものは全部時代遅れにされてしまいましたからね。
江戸時代の日本は、実は素晴らしいところだったという説もありますが、案外本当ではないかと思います。
私は最近、神道家になり、日本の伝統の良さを取り戻そうと思っています。

>入院された方については、スポーツが問題なのではなく、
>その親子にとっての、なにか本質的な問題が、あったからなのではないでしょうか。

父親が、スポーツや学校といった、世間的価値を信じすぎ、父親自身、大変な努力家で、子供達が反抗できないところがありました。
子供には世間的価値観をあまり押し付けるものではないなと思いました。

フィットネス系トレーニングは良いと思います。
西洋の運動にも、競うものでなく、適度な緊張と弛緩を組み合わせたものには良いものがあると思います。
私は、仙道や太極拳の中にある東洋式の運動の同じものを1日3回やります。


★ショットさん
教育には、知育、体育、徳育とあるようですが、学校でやるものは全部駄目になったと私は思っています。おそらく、学校が持つ本当の目的が、子供達の幸福を指向していないからだと思います。
私は、中学2年から、学校の授業に参加することを一切やめました。
岡本太郎さんが、学校の授業で清らかな魂が汚されることを恐れ、授業中、必死で耳を両手で塞いでいたそうですが、私もそこまでやるべきだったなあ・・・(笑)。
アインシュタインは、先生に何を言われても沈黙を守ったそうです。
みんながんばったなあ。


★パウエルさん
はじめまして。
私も、少食開始から割と長い間、立ちくらみや、身体の節々の痛みに悩みました。
好転症状は出るのではないかと思います。
私は、高校時代に痛めた腰や膝が再び痛み、それから完全に治りました。

私は、1月最初180cm、65kgで、しばらくそれが続いていたのですが、62kgまで落ち、やはりかなり痩せて見えます。
黒砂糖や、はったい粉にてんさい糖を入れて食べてみましたが、体重は増えないですね^^;
まあ、58kgまではいいのではないでしょうか?
多分、身体にとって丁度良いところで落ち着くと思いますし、身体が馴染んできたら、少しは体重も増えるような気がします。

1日1食の夕食は大変に美味しいですので、少しは食を増やそうかなとも思っています。


★ゆうさん
シュワルツェネッガーさんにしろ、誰にせよ、個人的信念は尊重いたしますが、別に信じる必要はないと思います。私は別にそのように思いません。
世界一の努力というのも、ある一面での「世界一」でしょう。
金メダリストが大変に立派だということは認めますが、それ以上でも以下でもありません。
単に自分のための努力と思います。

石井選手はもっと人間性を磨くべきと思います。
金メダルは立派ですが、それはスポーツの成果であり、もっと重要な成果をあげていただきたいと思っています。

Posted by: Kay | 2009.02.14 10:10 PM

Kayさん、ありがとうございます。
今回のやりとりで、なんかスゴイことを発見したというか、再認識してしまいした。
まだ言葉には、うまくまとまらないので、ちょっと書けませんが、
そのうち自分のブログで、記事にするかもしれません。。。

江戸文化の楽しいところを否定して、
明治になってしまった部分があるんじゃないかと思います。
むしろ、江戸時代にスポーツが輸入されてたら、
すごく楽しく健康的なものになったかもしれませんね。

スポーツは、富国強兵のミリタリーっぽいところと結びついて、
息苦しくなってしまった感があるのかもしれません。
無理矢理に武士道と結んじゃったのかな。
野球道なんて言われると、ほとんどパロディーです。

実にスポーツとは、知能と肉体による純然たる遊びに他ならないのですから。

お祭りなどと結びつけば本質的だったかも。

健康になる手段とか、人間性の向上は、
スポーツにおいて、あくまで、ついでに効果があるかもしれません。
という程度のものなんです。

たかがスポーツされどスポーツです。

Posted by: whoami | 2009.02.15 12:20 AM

★whoamiさん
私の方も、何か掴みかけてきましたが、まだこうモヤモヤっと・・・^^;
whoamiさんのブログに注目しています。

お祭りとスポーツが結びついたらというのが良いですね。
本当にそうであったら楽しかったと思えてきました。
そういえば、whoamiさんのブログで「お祭りマンボ」を見たように思います。母が美空ひばりのファンでして・・・

それと、日本人の身体は、やはり西洋人とは違うようです。
椅子に座る文化と床に坐る文化の違いは大きいと思います。
陸上短距離の朝原さんも、日本人的走りを開発して成功したそうですしね。

難しい話はともかく、日本人や日本文化は、本来、自信を持つべき素晴らしいものと思います。

Posted by: Kay | 2009.02.15 08:22 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference スポーツトレーニングは心身を害する:

« 私は幽霊以下である | Main | 神秘主義者の成功とは »