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2009.02.11

私はなぜ少食を続けられるのか

私は、昨年8月7日から、1日1食の菜食主義で、間食もしない生活を始め、半年が経過した。
体重が30kg程減り、外見に相当な変化があることから、いろいろ聞かれることも多いので、このことを話すと、ほとんどの場合、返って来る反応が「大変な意思の強さですね」「私には真似できません」である。
ところで、世の中には、生まれつき少食という人間もいて、そんな人には、私の少食生活もさしたるものには感じないに違いない。
だが、私は生まれ付いての少食ではなく、それどころか相当な大食で、しかも肉食好みであったし、甘いお菓子も大好きであった。それをすっぱりと、肉も魚もやめ、1日1食で、唯一の食事である夕食のメニューはご飯半合と豆腐と漬物。おやつは一切食べず、それがいつまでも続くのであるから、相当な根性があるのだと思うかもしれない。

もし、私がダイエット目的や健康目的であったのなら、まず続かなかったと思う。
また、少食のきっかけであった、江戸時代の観相家、水野南北が言う、「食を慎めば、運勢が良くなる」ことを目当てにしていたのなら、やはり続かないものではないかと思う。
結果として、体重は減り、健康になり、運も良くなったと思うし、それらの目的が全くなかった訳でもないと思うが、一番の目的は単に「食べない」ことそのものであったと思う。食べないことを目的に食べなかったのである。つまり、その他に別段、何か求めていたわけではないのだ。
だから、全く脱線することもなく続き、今も無理なく続いているのであり、意図的に軌道変更しなければ一生続くのである。

何かをやる時に、目的をあまり持たない方が良いということはあると思う。
例えば、コーヒーショップを始めるとしたら、それで儲けようとか考えるのではなく、ただ、お客さんに美味しいコーヒーを飲んでもらいたいと思ってやった方がうまくいくと思う。もちろん、常識的な経済観念が必要なのは言うまでも無い。
あるいは、目的はあっても良いのであるが、普段は目的を忘れて、目の前のことを淡々とやるのである。

だから、私の少食を、ダイエット目的や、運の向上目的で真似されると心配があるのである。
もし、それらが目的であれば、私のように極端にやるべきでない。続かないし、続けば続いたで、問題が出るかもしれない。
私は、決して他人には1日1食や、極端な少食を薦めることはない。
運勢を良くするには、確かに少食が重要である。
しかし、水野南北にしたって、せいぜいが腹8分目を薦め、美食を戒めたのであり、極端な節食を指導したわけではない。
また、水野南北は、肉食もそう厳しくは禁じていないのである。

さて、私も最近は、やや食を増やしている。
1日1食は変わらないし、肉は食べないが、魚介類や卵は時々は食べている。お菓子は食べないが、はったい粉やナッツ類は少し食べる。
よく、「食の楽しみのない人生に意味は無い」という人もいるが、私こそ、最大に食を楽しんでいる。十分に空腹であれば、唯一の食事である夕食の楽しみなことは極めて大きいし、質素な食事が天国の食事と感じるのである。たとえ同じメニューが何日続いても常に美味しく、何の不満もない。私ほど食を楽しんでいる者は、そうはいないのではと思う。
それでいて、食べ過ぎることも絶対にない。食欲をコントロールできることに満足しているし、自分に自信も出来てくる。
あくまでおまけとしても、身体はスリムになり、特にウエストが非常に細くて美しい。身体が軽く、動作が速くなり、体調も良く、仕事をいくらしても疲れない。そして、良いことしか起こらない。いや、起こる全てのことを良いことと思っているのだろうが、そのような精神的傾向を持つことができるのである。

その他に、2つ、少食を続けられる理由を述べる。
1つは、テレビなどでの牛肉や鶏肉食品等の宣伝である。そこでは、牛や鳥の可愛らしいイラストが出ることが多く、さらにはそれをアニメーションにし、動きを入れたり、可愛らしく笑わせたりすらする。しかし・・・その可愛い牛や鳥を殺して食べるのだ。そんな動物達の屠殺(とさつ)現場の凄惨さは恐ろしいもので、有名な歌手のポール・マッカートニーは、それを見てベジタリアンになったという。
しかし、屠殺(とさつ)に関しては批判すまい。食べる人の代わりに仕事でそれをする人にはある種の敬意すら感じる。しかし、牛や鳥のイラストやアニメはあまりに酷い。人間としての知的認識力や想像力を否定していると言って間違いない。そのような企業が提供する食品を食べる気には到底ならないのだ。

そして、もう1つ。
人間が食べている姿は醜いのである。
特に、とりたてて空腹でもない時や、美食を食べている時にはいっそう醜くおぞましい。あるいは、大切なものである食べ物を大事に食べていない時の様子も見ていられない。子供の場合ですらそうである。
テレビ番組で、タレントがグルメ食を食べる様子を見せるものをよく放送しているが、その醜さ、下衆と言いたくなるほどの下品さには目をそむけたくなる程である。
そういえば、俳優の田村正和さんは、演技以外には食事をする姿は決して誰にも見せないらしい。田村さんは、人が食べる様子が実はひどく醜いことをよくご存知なのではないだろうか?実際、田村正和さんに高貴で優雅な印象しかないのはそのせいかもしれない。
また、田村さん自体が非常な少食であるらしく、そのために、年齢からは信じられないほどの美貌やダンディな雰囲気を保っておられるように思うし、大変に健康で、田村さんが病気をしたという話もない。少食であるなら当然と思う。
少食の美男タレントとしては、京本政樹さんやGacktさん(共にミュージシャンで俳優)がいるが、彼らは1日1食ながら、その1食が豪華・大食で、多くは肉食であるようだ。それでもさすがに2人とも美貌やスタイルを保ち、特に京本さんはもうすぐ50歳としては驚異的と思う。しかし、田村さんの年まで持つとは思えない。だが、菜食・粗食になれば、やはり末永く活躍するのではと思う。何と言っても元が良いのであるから。

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Comments

こんにちは。
前々から少食が精神世界をコントロールする鍵だと確信していましたが、いろいろと障壁があってなかなか実行に移せませんでした。しかし、このブログのおかげで、小食に徹しようと決心がつきました。ありがとうございます。

Posted by: ショット | 2009.02.12 01:46 AM

自分は小食続いてないです・・
ダイエット目的ってのがあったからかもしれません。
体重が軽くなったら安心して、どか食いをしてしまった。
運が良くなったとは感じないし、何か変わったのかも分からない。

でも小食続けます。
ご飯を食べなくても太陽の光で生きていけるようにしたい。
笑われちゃうかもしれませんが本気だったり。

といっても、酒も解禁したりして本当にヤバいです。

冷水で風呂を入るのと、
オナ禁は続けられてるんですがねぇ・・

Posted by: minami | 2009.02.12 06:42 AM

★ショットさん
少食の恩恵は、ある程度実践した私にも、まだまだ計り知れないほどです。
おそらく、想像以上でしょう。
ただ、あまり無理をせず、余裕を持って取り組んでいただければと思います。


★minamiさん
いいじゃないですか。また取り組めば良いのです。
もっと食が長期間安定しないと運までは良くならないかもしれません。
酒も多少なら全然構いません。
少食になれば禁欲はいとも容易いです。

Posted by: Kay | 2009.02.12 10:03 PM

こんにちはKayさん。
私はマンマシンインタフェースの技術開発をしているものです。

私もKayさんの「私はなぜ少食を続けられるのか」の内容に同意します。

私も一日に一回しか食事を摂りません。
そして食べるものも主食の米に加えて、納豆や味噌汁、漬物や豆腐などの一般的に質素といわれているものです。肉や魚もたまに食べたくなるので食べます。

これは私がもともと少食の体質であったらしいのが理由です。昔は食べるのも大好きで一日3回は食べていましたが、成長期を終えたあたりから、どうにも体の調子が上がらず、頭も全く働きませんでした。それがどうしてなのか気づくのにかなりの時間がかかりましたが、その原因が食べすぎにあるとわかってからはずっと少食にしています。

少食にしてからは疲れにくくなり、性欲も安定(これは年齢のせいかも)し、良質な睡眠もとれるようになりました。朝起きてからずっとついてまわってきたダルさや眠気も、ほとんど感じなくなりました。人間の体はこんなにも変わるものなのかと、そのときは本当に驚きました。

そして、屠殺などの大衆の見たくない現実を覆い隠して、自分の都合のよいように脚色して肉を宣伝する企業には腹が立ちます。
しかし私はそれ以上に、肉を食べるのは好きだけど、牛が殺されるのはみたくないなどといっている人間に腹が立ちます。
私たちが食べている肉は、畑でとれるわけでも、木にパックに入って実っているわけでもありません。
生きた牛を殺して食べているのです。牛から命をもらっているともいえます。
そんな現実を見たくないからといって遠ざけていては殺されていった動物たちに失礼だし、命をもらうことに対する感謝の気持ちもおきません。
といっても、大衆に屠殺の現実を承知して肉を食えというのもまた無理な話だとは思いますが…

ただ、「人間が食べている姿は醜いのである」という点には、少し反論します。

特に、とりたてて空腹でもない時や、美食を食べている時にはいっそう醜くおぞましい。
あるいは、大切なものである食べ物を大事に食べていない時の様子も見ていられない。
テレビ番組で、タレントがグルメ食を食べる様子を見せるものをよく放送しているが、
その醜さ、下衆と言いたくなるほどの下品さには目をそむけたくなる程である。

という点には同意します。
まさしくそうだと思います。
食欲を暴走させては身を滅ぼします。

ただ、それ以外の場合、人間が食べているのを醜いとは思いません。
食べるという行為は眠る、交わるということに並んで、生命や人間という種を維持するために必須の行為です。
対象が動物でも植物でも、その命をもらって自分の命にするのが食べるという行為だと思います。
それが生命の在り方だと思うので。私は食べることを醜いとは思いません。

あと、上の反論とは関係ないのですが、一緒に食事をした人とはものすごく早くしかもスムーズに仲良くなれる
と思います。私はもし自分が大食であれば、もっとたくさんの人と食事を共にすることができて、
いろんな人と手っ取り早く交友を深めれたのになあと思います。
自分が少食なことに関しては、それだけが残念です。

Posted by: けんた | 2009.03.21 01:19 PM

★けんたさん
こんにちは。
とても興味深い、かつ、ボリュームあるコメントをありがとうございます。
さすが技術者の方だけあって理路整然としておられ、分かりやすいです。
もともと少食とは羨ましい。
私は、いまだ食べたくて仕方ないですね。生まれつき食い意地が張っているのでしょう!(笑)

屠殺に関し、全く同意であります。
自分が殺せないなら、基本的に食べるべきでないかもしれません。
最近、テレビで、「新鮮なイカ料理」を美人アナウンサーが食べるのを見ました。生きたイカの胴体を真ん中あたりで輪切りにしてご飯に乗せ、その切った胴体の中に醤油を注ぎ込んで、イカが激しく動くのを美味しそうに笑いながら食べる美人アナウンサーや、それを楽しそうに見るほかのアナウンサー達を見てゾっとしました。日本人は、ここまで無神経になったのかと絶望的に感じました。

さて、人間が食べている姿が必ずしも醜いわけではないというご意見ですが、私も実はそう思いはするのです。
しかし、美しく食べる姿を見たことがないのです。
生きるためというのを第一にして食べているのではないからのように思います。
SEXも、子供を作ることを第一に思っていたらどうかは知りませんが、快楽を貪るためのものなら、いかに若い美人の女性でもやはり醜悪と思います。
変な話ですが、セクシーグラビアの女性は実におぞましいです。

また、良き交流のための食事というのも、反対ではありません。
しかし、企業や社会的交流会では、豪華な食事と飲み物がなければ、楽しい交流ができないかのようで、それは良いと思いません。
懇親が目的なら、飲食がたとえあっても、質素なもので良いと思いますし、特に酒までは必要ないと思います。少なくとも、私は、豪華な食事や酒がないと仲良くできない連中と付き合う気はありません。

Posted by: Kay | 2009.03.21 10:02 PM

早速のお返事ありがとうございます。

テレビに出ているアナウンサーの無神経さには、ほんとにゾッとしますね。
彼らの中には何を食べても「あまい」とか「やわらかい」しか言わない人がいます。
「やわらかい≒おいしい」ってもんじゃないだろッ!
それを放送するテレビ局もテレビ局だ。誰もコイツを止めねえのか?
と思うときがあります。

人間が美しく食べる姿については、現代においては完全に通用するかどうかはわかりませんが、
禅宗の食事で、最後に茶と漬物で椀を清める食べ方などは、無駄がないという点で美しいと感じます。
参考
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317107093

交流のための食事についても、その通りだと思います。
質素で且つ酒の伴わない席をいつも望んでいます。
しかし、たまに「お前は俺たちの前で酒が飲めないのか(≒腹を割って話し合う気はないのか)」
と受け取られてしまって、それに対抗するために飲食することもあります。
そうすると当然翌日の体調は最悪で、少し後悔します。

Kayさんのブログ、これからも密かに楽しみにしています。
継続するにあたっては、大変なこともあるかと思いますが頑張ってください。
これからもコメントを返すときがあるかと思いますが、そのときはよろしくお願いします。
それでは!

Posted by: けんた | 2009.03.22 12:28 AM

★けんたさん
また気が向いたらコメント下さいね。

食事や酒の席でないと、本音で腹を割って話せないという妙な考え方はいったいどこから始まったのでしょうね。
武士の世界では、上役の杯を拒むのは非礼とかだったと思いますが、まさか、いまだそれをやっているのでしょうかね?(笑)
私は、ご飯粒は残さずハシで食べますが、お茶で茶碗を清める習慣はないです。これに関しては、やって良し、やらなくて良しと思います。
まあ、はったい粉をコーヒーカップで練って食べた後、そのカップでコーヒーを飲むのはよくやりますが(笑)。

Posted by: Kay | 2009.03.22 07:01 PM

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