人生最期の楽しみ
私は、世の中に絶望したら、餓死をしたいと思う。
いや・・・餓死こそ私の夢である。
自殺の中でも、餓死だけは罪にならない。
そして、餓死は人間の尊厳を守りながら死ねるのである。
死ねば、どうしても周りの人に迷惑はかけるが、その中で、餓死はせめて最も迷惑のかからない方法なのだ。
死体の処理も最も楽なはずだ。死ぬまでに、汚物も可能な限り少なくできるからだ。
棺おけのサイズも小さくできるかもしれないし、何より棺おけが軽くなる。
一応、葬式無用、墓無用の遺言は残すつもりだが、それを守ってもらえなかった場合の配慮である。
餓死までの間は、念仏(南無阿弥陀仏)を唱え続けるつもりだ。
それは楽しみな時間でもある。
念仏とは、極楽浄土に迎えとって欲しいという願いの言葉ではない。
極楽浄土に迎えとってもらえることの感謝の言葉なのである。
できるだけ長く生き、できるだけ多く念仏し、できるだけひからびて死にたいものである。
ひょっとしたら、生命の炎の消える刹那、あるいは、消えた時、仙人や導師や天狗の仲間に迎え入れられるかもしれないが、それは求めない。
餓死を待つ中で、病気も去り、身体や心の痛みも去るだろう。
その安らぎの中で静かに死ぬのである。
そのためには、普段から食を謹んでおかないといけない。でないと、やはり苦しみが出てくるだろう。
死ぬ前に、知恵と情熱が湧き出て、不意に世間に復帰し、大事業を為すこともあるかもしれないが、それも求めない。
ただ死ぬのみである。
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Comments
な!な!何ゆうてますのんや!
餓死で死に際の時は、私に気をつけなはれ。
Kay殿に点滴をうって甦らしてしまうやも知れませんぞ。
で、絶望の中に光を見出す、、、
その光は、、何を隠そう、、華ちゃんであります。
うひゃひゃひゃ~
と、まぁ、こうでもして話をはぐらかさないと、
私も120%、餓死論に共感、、か、、?
Posted by: 華文字 | 2009.02.04 06:53 AM
★華文字さん
ありがとうございます。
おかげで復活できそうです。
まあ、最期は餓死すればいいやと思っていると、案外気楽で、心が落ち着き、道が開けるようなこともあるかもしれません。ただ、それは求めませんが^^;
あらら・・・ランキングが1つ上がったと思ったら、第1位の「書之時 華文字」がランキングから消えている・・・
餓死もいいですが、皆で仲良く、笑いながら暮らせる世の中になればいいですねえ。
その時は、1つ、仲良くして下さいな。
Posted by: Kay | 2009.02.04 10:06 PM