食の慎みで豊かになれる理由
現在の食事に完全に満足していれば、未来においても、同じ食事は確実に与えられる。
私などは、1日1食の菜食で間食もしないので常に空腹で胃腸の調子も良いことから、ご飯と豆腐と漬物の夕食が食べられれば天国だと感じており、これにジャガイモのコロッケでも加わるなら、涙を流すくらいであるので、将来の食も保証されているのである。
逆に、大多数の人がそうかもしれないが、現在の食に不満であれば、将来は同じ程度の食事も得られないだろう。
実際は、現在の食事に満足であれば、将来はもっと良い食事を得られるものであるが、敢えてそれを辞退するなら、素晴らしい幸運が得られるであろう。
食に限らず、衣食住の残りの2つである着るものと住むところに関しても同じである。
私は、私服はもう何年も買っていないが不満はないし、住んでいるところは、亡くなった父親が建ててくれた家であるが、非常に満足で感謝している。車も古いマーク2に乗っているが、何の不足もない。
人間というのは、富があると言っても、それを使うのは基本的には衣食住である。
これらに関しては、上に述べたごとく、足るを知ることで充実する。
そして、家族、仕事、近所や職場の人間関係なども、やはり同じであるのだ。
イエスも言ったとおり、「持つ者には与えられ、持たぬ者からは取上げられる」のである。
この持つとは、感謝の心である。
昔、竹村健一さんは、車は10年落ちのローレル(2002年に生産終了した、トヨタのマーク2と同等クラスの日産車)に乗り、コートは普通の百貨店で買ったものを着ていたが、それで十分だと言っていた。当時、竹村さんはお金持ちだった。当然、竹村さんは、一層のお金持ちになった。
「オヤジ(親代わりのマフィアのボス)に可愛がられたことはなかったが、側にいることは許された。それで十分だ。1日3回食べられれば天国だ」
~アニメ「エル・カザド」より。サンチェス(マフィアのNo.2)のセリフ~
古来から、賢者達は、未来を幸福にする方法そのものに頭を悩ますことはなかった。
ただ、どうすれば現在を幸福に感じることができるかに知恵を絞ったのだ。
なぜなら、今を幸福に過ごせば、未来は幸福に決まっているからだ。
その答は、江戸時代の観相家、水野南北に、食の神である豊宇気毘売神 ( トヨウケヒメノカミ )により与えられた。
ただ食を慎めば良いのである。
現在の食にそのままで満足できればそれで良いのだが、この飽食の時代にはそれは難しい。
やはり、食をある程度節し、空腹になることで、食の有難さを実感するのが簡単な方法だ。
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Comments
イエスも言ったとおり、「持つ者には与えられ、持たぬ者からは取上げられる」のである。
この持つとは、感謝の心である。
冴えてますねー!
足るを知る、それがすべてだと一人さんもおっしゃっていました。
Posted by: 石彫人 | 2009.02.18 05:12 PM
こんばんは。
今日も小食論が冴えわたっていますね、Kayサンらしいです、ありがとうございます。
本当にすごいと思います。
「足るを知る」ということが、私には全く足りません。
小さなことを幸せに思えるように、日々を過ごしていきたいと思いました。
Posted by: さゆり | 2009.02.18 08:36 PM
★石彫人さん
はい、斎藤一人さんの「幸せだな~」「ありがたいな~」という声が聞こえてくるような気がしてきました。幻聴か?(笑)
「足るを知る」最近、夢中になっている老子も、これを何度も強調しているように思います。
★さゆりさん
こんばんは~♪
私はもともとが食い意地が張ってるものですから、贅沢にもカボチャのコロッケでも食べると「大きな幸せ」に涙が出てしまいます。
シンプルなやつです^^;
Posted by: Kay | 2009.02.18 09:55 PM