少食とダイエットの違い
昨年8月7日から始めた、1日1食、間食一切なし、菜食も5ヶ月を過ぎた。
以前は、相当な大食で甘いお菓子も大好きであったが、それらをぴたりとやめることが可能であることも分った。
ところで、30kg近くも体重が落ち、外見が相当変化したこともあり、ダイエットに興味を持っている人にいろいろ聞かれるようになった。
その中で、大変に驚かされたことをいくつかあげておく。
まず、私が、1日1食で、肉、魚を食べず、お菓子も一切食べないことに対して誰もが驚くが、よく、「それをどのくらい続けたのですか?」と聞かれるのだが、それは私を大いに戸惑わせた。なるほど、ダイエットや健康目的の場合、食事制限を1ヶ月とか期限を設けて、その間はがんばるというものであるのかもしれない。しかし、私が「今でもやってます」と答えると彼らは驚き、さらに、「一生続けますよ」と言うと絶句する。
彼らは、痩せるとか、健康状態が良くなることが目的であるのだが、私の場合は、言ってみれば、食べないこと自体が目的なのだ。結果として、痩せるし、健康になるが、それはオマケのようなものである。
そして、食べないこととは何かというと、言葉で言うのは難しいが、道(タオ)、徳に通じるものである。言い換えれば、道や徳が目的なのである。
もう1つ、ちょっとおかしなことがあった。
1日に1回だけの食事である夕食のメニューもよく尋ねられる。
もちろん、毎日同じものを食べるわけではないが、「例えば、ライスと豆腐、それに野菜」と言うと、ある人に「サラダですね?」と言われ、また戸惑ってしまった。今の私には、サラダとはいかなるものかというイメージがほとんどないのだ。この時の相手が大金持ちだったこともあるが、一般的に言っても、野菜といえば、調理され、味と彩りを整えたサラダであるのが普通かもしれない。しかし、私には、そんなものは贅沢過ぎるのである。私の食する野菜は、キャベツ、レタス、キュウリ、ブロッコリー、アスパラなど、洗って切ればそのまま食べられるもので、実際にそうやって食べている。別に何も付けなくても良いのであるが、リンゴ酢を付けて食べることも多い。
食に関する、一般の感覚と私のそれでは随分違ってきていることが実感されてきた。
しかし、以前は私も彼らと同様であったのだ。
グルメな方と付き合ったこともあり、フランス料理、イタリア料理、中華料理、会席料理など広く味わい、自分でも研究し、ワインなどもそれなりに詳しかったこともある。
私も、グルメ全部が悪いとは思っていないが、問題はやはり心なのである。
「奥様、食事というものは、ただ合理的なだけでは駄目なのでしょうか?」
「そうですねえ・・・。でないと、こんなに多くの料理はないと思いますよ。手を変え、品を変え、手間暇かけて愛情込めてこそ、楽しい食卓になるのではないでしょうか?」
~アニメ「灼眼のシャナ・セカンド」より ヴィルヘルミナ・カルメルと坂井千草の会話~
だが、現在は、主婦の多くが手間暇をかけるのは嫌がるが、皆、食欲を果てしなく増大させ、より美味しいものを渇望し、果てしなく食べ続ける、仏教で言う餓鬼の世界になってしまっている。
僅かな米と一汁一菜であったとしても、手間暇をかけ愛情を込めれば、楽しい食卓になるのである。
また、少食にしてこそ、食事の真の楽しさ、喜びが分り、そして、食べ物の本当の美味しさを味わうことができるのであると断言する。
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