神社参拝記~求めない心に福来る~
本日は、神戸市の柳原蛭子(やなぎはらえびす)神社が十日えびす大祭という、この神社での最大・唯一のお祭りでした。
毎年、この日には必ず参拝する人が脚が少し調子が悪いこともあったのですが、私も神社には興味があり、一緒に行きました。
私は、神社に行くのは、姪っ子・甥っ子の七五三以来で、その前は自分の七五三でした。
えびすという神様の名前は日本人ならよく聞くと思います。主に恵比寿ビールで・・・^^;
えびす様は、漁業・海上安全、商売繁盛の神様で、昔から商人には大変に人気があったと思います。
ただ、古事記を読みましても、恵比寿、蛭子などの神様は登場しません。
あまりご存知の方はいないと思いますが、伝説では、次のような過去を持つ神様です。
日本では、天界を高天原(タカマガハラ、もしくは、タカマノハラ)と言うことはご存知かもしれません。高天原から最初にこの世に降臨した神様が、イザナギとイザナミの男と女の神様です。
2人の神様は、天の御柱をお互い反対に回り、出逢った処でお互い誘いあってエッチしようという約束で、御柱を回り、出逢ったとたん、女のイザナミが「あら、いい男」と言い、続いて、男のイザナギが「やあ、いい女だなあ」と言いました。
女が先に声をかけるのはどうかと思ったのですが、まあいいやということで、早速2人はエッチして子供が出来ます。しかし、出来た子供は、手足のない蛭子(ひるこ)でした。
やはり、ナンパは男がやるものであるようです。逆ナンなどとんでもありません。
そして、2人はその子供を葦の舟に乗せて流してしまいます。
この時、捨てられた蛭子(ひるこ)が後の蛭子(えびす)とされています。
よって、蛭子は船に乗っています。
なんとも凄いお話ですね^^;
恵比寿ビールは好きな人でも、これは知らなかったでしょう?(笑)
手塚治虫さんの漫画「どろろ」では、室町時代の武士で、天下取りの野望に燃える醍醐景光(だいごかげみつ)は、魔物と取引きします。自分の武運と引き換えに、生まれようとする自分の子供の身体の48のパーツを魔物に奉げたのでした。
生まれてきた子供は、手も足も、目も耳も鼻もありませんでした。
その子供も、船に乗せられて捨てられます。
その子供が百鬼丸(ひゃっきまる)で、自力で魔物から失われた身体のパーツを取り戻していきます。
その中で、百鬼丸は、どろろという男の子に出逢い、なりゆきで行動を共にするようになります。
百鬼丸の話は、古事記を参考にしているのかもしれません。
それと同時に、私は、百鬼丸は、私達自身のことだなあと思います。私達も、失われたものを取り戻すのです。
さて、神社参りの感想です。
神社の入口では、手水舎(てみずや)という、水を満たした石があり、ひしゃくが用意されているはずです。
ここでは、手に水をかけて清めます。
神社で一番大事なのは実はこれなのですが、これをやらない人が多いですね。寒くても、これをやらないと神社に来る意味はないと言ってよい程です。
そして、口をすすぐのですが、ひしゃくから直接口にふくむなど、常識的に考えても言語道断です。ひしゃくから自分の手に、そして、口にと水を運びます。
線香を炊く場所があり、その煙を浴びると福を受けられると思って、煙を手で自分に取り込んでいる人がいます。それ自体は別に良いのですが、いかにも欲深げに必死でやるのはやめた方が良いでしょう。
近くを通れば、自然に煙は来ます。もしそれが福であるというなら、来るなら受ければ良いだけだと私は思います。
お賽銭を投げた後、必死で鈴を鳴らし、真剣というよりはすがるように祈る人が沢山います。多くの人は、願いの成就を祈るようです。
しかし、これもやめた方が良い。
私の場合、心の中で、ただ、「ありがとうございます」だけです。
こうして健康に生きている。それだけで十分です。さらに、食べるもの、着るものなど、全てに何の不満もない。なら、「ありがとうございます」以外に何か言うことがあるでしょうか?
特別に巫女様に舞を受けておられる方がいました。
お金を出せばやってくれるなら、10万円程度ならやってもらおうかなとちょっと思いました。
しかし、やってもらっている人を見たら、何かやはり悲壮なのです。何か願望があるように見え、その成就を強く願っている雰囲気がいっぱいです。
私は、あまり良いこととは思いません。私は、もしやってもらったとしても、ただ、「ありがたいなあ」と満足して笑いたいと思っていました。
宮本武蔵は、吉岡道場という名門道場の剣士達との決闘という、無謀な戦いの前に、神社に出向き武運を祈ろうと思いましたが、ふと取りやめます。
「神仏は尊し。されど頼まず」
結果として、武蔵は勝ち、彼の名は天下に轟くことになります。たった1人で、名門吉岡一門を倒した無双の剣士として。
参拝者のあさましさとマナーの悪さが目立ち、他人のことを考えず、われ先の人ばかりです。これで福を求めているなら何をか言わんやです。まあ、そう感じるということは、私も同類なのでしょうなあ^^;
今回は、人の付き合いで来ましたが、今後は、ひっそりとした神社に1人で来ようと思います。神社自体は好きですのでね。
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