肥満と巨漢
中年過ぎの男が、腹が出ているのは一概に悪いとは思わない。
非常に立派に見えることもある。
しかし、現在の日本では、腹の出っ張った中年男の大半は、単にみっともないのも事実であると思う。
肥満と巨漢は違うと思う。
巨漢であれば、「堂々たる体格」といった表現になる。
しかし、単に太った男をそのようには言わない。
明治、大正の時代の偉人に岡田虎二郎という人物がいた。
本人が死ぬ前に、書いたものを全て燃やしたこともあり、今では忘れられているが、現在でも優れた人物の中に信望者が沢山いる。
岡田虎二郎に関しては、柳田誠二郎さんの本で知ることができるが、絶版が多くなってきた。誠に残念である。
柳田氏は、学生の時に、岡田虎二郎が教えていた「静坐」を学び、悲惨であった心身の状態を改善し、以後、日銀副総裁、日航社長等を歴任し、静坐も70年以上続け、百歳で亡くなった。
私が憧れる巨漢とは、まさに写真で見る岡田虎二郎の姿だ。
岡田虎二郎は、体重30貫ほどというから、112kg程度である。写真で見ると、確かに堂々たる豊かな体躯である。美しいと思う。腹もでかいと思う。
岡田虎二郎は、腹を作れという言い方をした。
岡田虎二郎の教える静坐は、健康法のように思われており、確かに素晴らしい健康法でもあるが、それは正しく道である。柳田氏の本を読むと、親鸞の念仏と同じであると思う。岡田虎二郎も、親鸞を高く評価しているようだ。
私は、親鸞については、唯円の書いたと言われる「歎異抄」でしか知らないのであるが、親鸞の念仏と岡田虎二郎の静坐が全く同じであることは分かるように思う。
岡田虎二郎は、「頭の人」、即ち、知識を詰め込むだけの人は最低と言ったようだが、岡田虎二郎は無学の人ではなく、あの時代にアメリカに遊学し、おびただしい西洋の文献を読んでいる。
読書に対する岡田虎二郎の態度はエマーソンと同じと思う。自己を知るために読むのである。エマーソンは、偉人の伝記を読む時、自分について書かれてあると思えと「精神について」で書いている。
柳田氏の本で具体例は見ていないが、岡田虎二郎も、エマーソンをよく引用したらしい。私は、岡田虎二郎と、このラルフ・ウォルドー・エマーソンが、日米の最大の思想家であると思っている。
腹の出来ている巨漢は美しく堂々としているのだ。
腹の出来ていない肥満は、単に太っているだけでみっともない。
腹を作るには、岡田虎二郎が教えたとおりの静坐をすれば良い。
現在でも、「静坐のすすめ―岡田式」(柳田誠二郎著。地湧社)は入手可能である。
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