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2009.01.30

意図なき行為

食を節制することに関し、世間ではどうしても、ダイエットのためとか、健康のため、あるいは、食費の節約のためといった風にしか理解されない。
私は、元々は大食で甘いお菓子も大好きで大いに食べていたが、ある時期に1日1食の菜食とし、間食も一切やめた。しかし、私には、ダイエットだとか、健康増進などという目的は全くない。
結果として30kgほど痩せたし、大変に健康になったが、それはあくまでオマケである。
ただ、食を慎むことそのものが目的であるのだ。

例えば、特に正月でも七五三でもないのに神社にお参りに行くと言ったら、何か特別な願を掛けるのだと思われるだろう。そのような意図は全く無く、お参りそのものが目的であると言ったら理解されないと思う。
私なら、初詣や、その他の神社のお祭りに参拝しても、何か願うことも求めることもない。
やはり、お参りすること、そのものが目的なのである。

ところで、学校などで勉強するのはなぜであろうか?
良い学校に進学し、将来、良い仕事について裕福になったり、高い地位に就くためであろうか?
学校では、それを当然のこととしているので、岡本太郎やアインシュタインは自らの清らかな魂を守るべく、そんな学校に背を向けたのだ。

浄土宗や浄土真宗では、南無阿弥陀仏という念仏を唱えれば、死後、極楽浄土に行くことが出来るとしていると思っている方も多いと思う。そんな愚かな考えが広まっていることを歎いて、親鸞の弟子の唯円が書いたのが「歎異抄」だ。
極楽浄土に行く目的で念仏をするのではない。念仏に目的はないのだ。念仏とは、極楽浄土に行かせて下さる阿弥陀如来に対する感謝なのである。
法然や親鸞の教えでは、念仏をしようと思った時には、既に救われているのだ。

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