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2009.01.09

「サムライジャパン」は恥ずかしい愛称である

野球の世界選手権大会であるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、原監督率いる日本チームの愛称は「サムライジャパン」に決まっているようだ。

しかし、どういうつもりで「サムライ」なんて言葉を使うのだろう。
西洋人が、日本人の男性に対し、「彼はまさにサムライだった」と言うことがあるが、その西洋人は、サムライという言葉をどんな意味で使っているのだろう?
昔、プロレスの力道山がアメリカで戦っていた時、タム・ライスという、元プロボクサーの強豪選手と戦って敗北したらしい。その後、ライスは、空手家の大山倍達と戦って破れる。さらにその後、ライスは日本で力道山と戦って敗れるのであるが、ライスは「俺は大山に負けてから、日本のサムライが恐くなった。大山はサムライだった」と言ったという話がある。
その時代のタム・ライスの持つサムライのイメージは、単に、理解しがたいが強い戦士といった程度のものと思う。
(尚、「大山倍達正伝」には、大山倍達とタム・ライスが戦った事実が本当にあったのかを疑問視しているという記述もある。ただ、大山倍達氏の著書「ケンカ空手世界に勝つ」では、大山氏自身が、タム・ライスとの対戦について詳細に記述している。大山氏は、ライスのパンチを喰らってよろめくも、目潰し攻撃の後、空手の秘術「三角蹴り」一発でライスをKOしたとある)

しかし、我々日本人のサムライ感はどんなものだろう。
サムライ、つまり、武士は、江戸時代以前の公務員で、主な役割は他国の侵略および自国の防衛である。
しかし、江戸時代の太平の世の中になり、その主要業務がなくなってしまった。それでも、税金で給料を貰って良い生活をしていたのであるから、全くの不当利益を平然と得ていたのである。税金である年貢を収める農民に対して、当時の法はともかく、道義的に赦されることではない。それも、農民に対してへりくだったり、サービスすらせず、逆に威張っていたのであるから、人間として最低である。
名著として知られる、新渡戸稲造の「武士道」では、このような状況で心苦しく思った武士が、せめて立派な人間でいようとするのが武士道であり、宗教を持たない日本人の精神支柱であるとか書いているが、そんな馬鹿な話はない。それは、単に怠け者の武士の逃げの言い訳であり、全く容認できるものではない。以前の私もだが、ちゃんと考えたら、この新渡戸稲造の「武士道」という書物を賞賛するのは、かなりアホなことではないだろうか?
また、仏教思想家のひろさちちやさんが著書に書かれているが、武士はテロリストよりはるかに劣るのである。
いまや世界中で、特に、アメリカ同時多発テロ以来、アメリカ人が最も嫌悪するテロリストよりも日本のサムライは劣るのである。
それはそうである。テロリストは洗脳されているとしても、まだ自分の信念で行動しているが、日本のサムライは自分では何も考えず、命じられれるまま殺人をする人殺し集団であるのだ。

まず、我々日本人が、いい加減、武士・サムライに対し、押し付けられた馬鹿げた価値観を脱し、まともな認識を持たねばならない。
そんなサムライの名をカッコいいからと喜んで日本代表チームに付ける日本は世界に恥を晒していることは、残念ながら確かと思う。

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