サラリーマンの訳は「給料の男」?
すっかり一般的になったサラリーマンという言葉であるが、英語のようではあるが、おそらく英語圏でサラリーマンと言っても通用しない、つまり、意味が分らないのではないだろうか?
スーパーマンなら超人であろうし、ウルトラマン(ウルトラも「超」の意味)も理解してもらえるとは思う。
しかし、サラリーマンって何なのだ。「給料の男」。まるで映画のタイトルである。
サラリーマンとは、終身雇用制度という珍しい慣習のある日本の企業の社員を現すには適切かと思う。
何を目的に働くのかというのは無い。目的はただ給料だけである。給料さえもらえれば何でもやるのがサラリーマンである。
これって、端的に言えば奴隷のことである。ただ、一般に奴隷が無報酬で全く自由がないのに比べ、自由に使える給料が貰えて、勤務時間以外は原則自由であるところが人道的であるのだ。
多くの、一定以上の希望の会社では、学校を卒業したばかりの社員を採用するが、新入社員は、入社して辞令を貰うまでは、自分がどんな部署に配属されるのか全く分らないということも珍しいことではない。自分は商品企画をやりたいのに経理に配属されるというのも当たり前で、それでも大抵はちゃんと勤務するのである。
余程の貧困な状況ならともかく、経済的に豊かな国としては、諸外国から見れば、さぞや奇異と思う。
もっとも、これが絶対に良くないかといえば、必ずしもそうとは言えないかもしれない。
先の例で言えば、本人は商品企画をやりたいと思っていると言っても、新入社員ごときに商品企画の何たるかが分るはずがない。そこで、会社が適切と判断した部署に配属させることが、会社にとっても本人にとっても良いことであるかもしれない。
超大物の中にも、人生を自分で決めたことが全くなく、数奇な運命の中で生きてきて、結果的に今のようになったという話は少なくはない。
大物でなくて申し訳ないが、私はコンピュータソフト開発者である。しかし、最初からそんなものを目指していた訳ではなかった。早い話が、全くの成り行きでそうなっただけだ。
また、サラリーマンをしいても、いつかはコーヒーショップをやりたいとか、歌手や画家になりたいという人もいるだろうし、稀有ではあるが、それを成し遂げた人もいる。
私は思うのであるが、サラリーマンで画家になりたいとか思うなら、それはそれで良いと思うが、もし画家になるべき人間であれば、神様がそのようにしてくれると考えるというのもありかと思う。
自分の意思で無理に突き進んだというよりは、本当に偶然のきっかけで、結果としてそうなったという場合の方が案外多いのではないかと思う。自分の意思を前面に押し出す限り、人生とはままならぬものである。
ニーチェの「運命愛」という思想では、いかなる偶然も、神の意思であると共に自分の意思として受け入れるのである。ここらは非常に日本的とも思う。イェイツも全く同じ考え方をしていたと思うが、実際、イェイツは日本の能に大変に興味を持っており、彼の書いた戯曲には、まるで能のようなものもある。
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