だからみんな不幸なのだ
居酒屋などでよくある風景。
「生(ビール)おかわり!」
「は~い!」
「焼酎おかわり!」
「は~い!」
私はおかわりなんて不要だ。
ビールなんて中ジョッキ1杯で十分以上だ。
梅酒お湯割などを注文することもあるが、1杯で十分だ。
それ以上は全く不要だ。
別に我慢でもなんでもなく、それ以上飲むと不味くなる。楽しくなくなる。
身体にも悪いし、不幸になる。
だからみんな不幸なのだ。金融不況など、何の関係もない。
以前、腰回しダイエットで有名なSHINOさんがテレビ出演し、芸能人達に腰回し運動を指導していた時。
久本雅美さんが、「これ、けっこう効きますね」と言った。
SHINOさんは困った顔で、それでも「そうですね」と答えた。
久本さんは、「効く」を、きつい(厳しい)とか、シンドイという意味で言ったことは間違いない。
それでいうなら、効くはずがない。こんな軽い運動。
久本さんの頭には、ダイエットになるような運動なら、きつくて当たり前という固定観念がこびりついているのである。
久本さんだけでなく、他の芸能人達にも「この程度で痩せるはずが」という雰囲気が一杯で、カールスモーキー石井さんはおちゃらけて派手に腰を振る始末。
彼らだけでなく、大半の人がそうであろう。
だからみんな不幸なのだ。
では、なぜ皆、そんなおかしなことをするのかと言うと、一言で言えば、余計なことを考え過ぎるのだ。余計なこととは、根本的には欲から出る考えである。
そのせいで、「ただやる」ということが出来なくなっているのが現代人の不幸なのだ。
酒を飲むなら、ただ飲めば(飲ませれば)良いのに、「もっと飲まないと楽しくないのでは」「もっと飲ませないと立派な人間に見られないのではないか」と考える。腰回し運動なら、ただ腰を回せばいいのに、「こんな楽なものがダイエットのはずがない」「何か面白いことをして注目を集めねば」などと下らないことを考えてしまうのである。
人は、余計なことを考えず、自分にできることをただやれば、何事もうまくいくはずなのだ。
ところで、武士が、殿様に誰それを殺せと命ぜられて、それを実行するのは、むしろ余計なことを考えるせいである。本当に殺すべきなら、余計なことを考えずに殺すが、殺すべきでないなら、殺さずにやるべきことをただやるだろう。
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