日本の昔話に学ぶ幸福の知恵
花咲かじいさんや、舌切りすずめのお話は日本人なら誰でも知っていると思う。
これらは実に大切な教えであるのだが、その心はすっかり失われてしまったかもしれない。
花咲かじいさんの童謡では「正直じいさん掘ったれば」という歌詞であるが、正直じいさんというよりは、無欲じいさんと言った方が良いと思う。
そして、隣のじいさんは、いじわるじいさんと言うよりは、強欲じいさんと言った方が良い。
花咲かじいさんは、白い子犬を拾ったのも、可愛がって育てたのも、当然、何かの見返りを期待したのではなく、ただ拾い、ただ可愛がったのだ。
対して、隣のじいさんが、その犬を奪ったのは宝の在り処を知りたいという欲望のためだけであった。
欲を持たず、ただやることが幸福への道であることを、日本人は本来、子供の頃から教わっていた。
舌切りすずめにおいては、やはり無欲なおじいさんは、単に無欲で慎み深いという性質の故に小さな箱を選んだ。
一方、強欲じいさんは、欲望の故に大きな箱を選んだ。
現代的合理主義で言えば、どちらでも良いというなら、おじいさんは箱の中身を確かめるべきとなるのだろうが、我が国では慎み深さを持って最上の美徳とする。おじいさんは、可愛いすずめから何かもらえるというだけで満足であり、中身はどうでも良かったのである。
欲を捨てよ。ものごとは執着なくやれよ。それは、ただやるということだぞよ。
昇る太陽は迷わない。意図なく昇るからだ。
沈む月も迷わない。意図なく沈むからだ。
星は美しい。意図なく輝くからだ。
自然から学べよ。
これを忘れなければ、我々は不幸になることは決してないのだ。
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