心もジャイアントだった馬場さん
風邪でうなされているので、ちょっと変わったプロレスの話をする(笑)。
とてもいい話だ。
日本テレビが「プロレスリング・ノア中継」を打ち切るという話がある。
私は、今はプロレス中継は見ないのだが、これは大事件と思った。
ノアは故ジャイアント馬場さんが社長を勤めていた全日本プロレスから、馬場さんの死後、離脱した三沢選手らが作った団体で、全日本プロレスを中継していた日本テレビは継続してノアの試合を中継していた。
実は、日本テレビは力道山の時代からプロレス中継をしていたのだ。
馬場さんは日本プロレスという団体に所属していた時、アントニオ猪木さんら他のスター選手が他局の中継で試合をした時も、力道山の時代から世話になっている日本テレビへの義理から、他の局へは決して出なかった。
やがて日本プロレスが崩壊した時は、アメリカで大スターであった馬場さんはアメリカに行くのが一番幸せだったはずだ。そもそも、力道山が死んだ時、日本に帰ろうとした馬場さんに、1963年という時代にアメリカのプロモーター達は馬場さんをアメリカに引き止めるために9千万円の年棒を提示したという話もある。馬場さんはどこに行ってもVIP待遇であった。しかし、馬場さんは日本プロレスに復帰した。今でいえば、球団が危機になった時に、イチローや松井が日本球界に復帰するようなものだろうか。
アメリカに行けば自由にいくらでも稼げた馬場さんであるが、日本テレビから新団体の設立を要請された。また、そうしなければ他の選手達が路頭に迷う。苦労ばかり多い新団体の経営者になるメリットなど何もないに決まっている。しかし、馬場さんは、やはり日本テレビへの恩義と、仲間のレスラーのために、全日本プロレスを設立した。
新団体設立はやはり厳しいものであったが、意外に好調に進んだところもあった。
「世界選手権争奪戦」という、全日本プロレス旗揚げのための命運を賭けた大イベントで、アメリカのトップクラスの人気レスラー達がこぞって日本に来たのだ。駆け出しプロモーターの馬場が、大したギャラが払えるわけでもないのに、新世界チャンピオン認定に相応しいスーパースター達を日本に集めたのである。「ニューヨークの帝王」と呼ばれる現役のWWWF世界王者ブルーノ・サンマルチノが、馬場さんの親友とはいえ、ニューヨークを留守にしてかなりの期間日本に来るというのは大変なことであった。
馬場さんは、彼らを撃破し、PWF世界ヘビー級王者に認定され、以降も世界の超一流ばかり相手に防衛回数の記録を作ることになる。
なぜこのようなことが出来たのかというと、本当のところは分らないが、馬場さんの人柄という話もある。
馬場さんが初めてアメリカ遠征した時、それこそ飛行機の切符1枚渡されただけの武者修行であり、22歳の馬場さんはたった1人、初めてのアメリカで右も左も分らないという不安の中にいた。そんな時、馬場さんの世話を焼いてくれたアメリカ人レスラーへの恩義を馬場さんは決して忘れなかった。馬場さんはやがて大スターになったが、それでも控え室では常に小さくなり、世話になったレスラー達を立てていたのだ。いかにアメリカ人でも、それを悪く思うはずがない。日本で馬場がピンチと知るや、こぞって来日したのである。
さらに馬場さんは、この時の恩も忘れない。馬場さんはその後も彼らを何度も日本に呼んだが、彼らの仲間のアメリカ人レスラーも含め、決して日本でレスラーの格を落とすことがないよう配慮した。また、ギャラは馬場さんが直接、ねぎらいの言葉と共に渡した。
馬場さんが亡くなった時、プロレス史上最高のレスラーと言われる「地上最強の鉄人」ルー・テーズは、朝日新聞の取材に「プロモーターとしても偉大で、約束したギャラは必ず払ってくれる誠実な人だった」と答えている。
時が流れ、アメリカで世話になったレスラー達も年を取り、力も衰えた。しかし、馬場さんは彼らを定期的に日本に呼び、高いギャラを払い続けた。馬場さんの告別式には、彼らが勢揃いした。
プロレス団体の経営は厳しいものであった。プロレスブームの中でも、全日本プロレスは苦しい赤字経営が続いた。
(馬場さんに続いて独立したアントニオ猪木さんの新日本プロレスの赤字は桁違いで、膨大な借金を作った。しかし、新日本プロレスの社長を引き継いだ坂口征二さんが見事完済した)
馬場さんは、その中でも、選手へのギャラの支払いの遅延は一度も起さなかったのが唯一の自慢と言う。
馬場さんの告別式で、親友ブルーノ・サンマルチノは言った。
「君は身体だけじゃなく、心もジャイアントだった」
馬場さんに学ぶことは多いと思う。
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Comments
おせわになります。
やはり大切なのは、人情というか
義理というか。
私も私利私欲で動かない
謙虚な男になりたいですね。
(昔の日本男児はそういう
人が多かったのでしょうね。)
とてもいい話を
ありがとうございます。
Posted by: でるお | 2008.12.18 01:18 PM
★でるおさん
馬場さんは日本人が忘れてはならぬ義理人情を持った素晴らしい人だったと思います。
もちろん、欠点もあったでしょうが、あれほどの有名人でありながら交友関係も地味で、とても謙虚な方で愛されていたようです。
奥さんがいることも、記者達はみんな知っていたにも関わらず秘密にしていたことは驚くべきことで、これも馬場さんの人柄であったと言われています。
Posted by: Kay | 2008.12.18 09:55 PM