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2008.12.30

洗練の極意

あまり聞きませんが、池田満寿夫さんはとてつもない名言を残しています。
それは、「芸術と猥褻の違い」として、「洗練」と答えたことです。
さすが、エロチシズムの芸術家、池田満寿夫さんと思います。

芸術でも何でも、私のようなコンピュータシステム開発者でも、洗練を達成できれば必ず成功するのは自明のことと思います。
金が儲かるかどうかは知りませんけどね(笑)。私は、真の芸術家は金儲けとは無縁と思っています。

宗教の下僕として始まった芸術ですが、君である宗教も、臣である芸術も、極意は洗練です。
岡本太郎さんは、「人生即芸術」と言いました。なら、人生の極意もまた洗練です。

では、どうすれば洗練を得ることができるでしょうか?

江戸時代の神道家である度会延佳(わたらいのぶよし)は、著書「陽複記」に、慎みの一言こそが、神道で最も重要なことであると強調しています。
そして、彼はまた、著書「太神宮神道或問(だいじんぐうしんとうわくもん)」に、「ふだんの生活の中で神道でないものはない」としています。
人生即神道であり、慎みこそ神道の真髄と言っているわけです。
度会のこれらの言葉は誠に意味深く、まさに、慎みこそ人生の極意である洗練をもたらすものであることは間違いありません。
岡本太郎さんは、世間に対しては狂ってみせましたが、それは世間が狂っているからで、美や人生や人間や自然に対して、彼ほど慎みのある人はいませんでした。

ただ、何でもかにでもに慎みを持てと言われても困るところです。
しかし、ただ、食に慎みを持てば十分です。これは、水野南北の「相法修身録」を読めばよく分かります。
食を厳しく慎むなら、必要なあらゆることに慎みを持ちます。
犬や猿といった動物であるなら、食に優る喜びはありますまい。しかし、我々はただの動物ではありません。
犬、猿レベルの人間が多くなり、食を自ら厳しく節する人間を恨み嫌いますが、人間であれば、食べることを謹むことによって得られる大きなものが必ずあります。

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