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2008.11.24

エアガンを買って考えたこと

好奇心でエアガンというものを買ってみた。
私はナイフ好きであるから、銃も好きだというのは不思議ではないが、ナイフは本物だが、銃は本物が入手できるわけではないので、さして興味がなかった。
しかし、買ってみると、少し考えが変わった。

M1911a_2

これは、米国のコルトガバメントを精巧に模したエアガンで、東京マルイの製品である。
コルトガバメントは、子供の頃から好きな銃だった。実に1898年に開発。1911年に米軍に全面採用された。その時の名称がM1911。1926年に改良版のM1911A1となる。
1985年に、米軍での役割はベレッタM92Fに譲ったが、現在でも使用され続けているらしい。

さて、製品であるが、写真でご覧の通り、実によく出来ているが、実物もなかなかリアルだ。プラスチック製であるが、安っぽさはない。
これは、エアソフトガンという安価なモデルであるが、さらにリアルな製品もあるらしい。
公式競技用のエアピストルではないが、非公式な競技団体も存在するらしい。
では、このいわゆる「玩具」のエアピストルが、どの程度のものかというと、予想以上だった。
弾丸は、BB弾と呼ばれる、直系6mmの天然石膏と樹脂で出来た丸い玉で、重さは0.2gと0.25gがある。4mほど離れた位置に置いた段ボール箱を撃ってみたら軽く貫通したのには驚いた。凄い威力だ。プロ野球の投手が投げたってこうはいくまい。
エアピストルには、10歳以上用と18歳以上用があり、これは18歳以上用で、威力も大きいのだが、各操作感も重々しい。カバーのスライドはかなり重く、子供や女性では操作困難と思う。
セフティ(安全装置)も当然あり、これを外さないとカバーのスライド操作やトリガーを引くことはできない。また、セフティを外しても、きちんと握らないとトリガーが引けないという2重ロックになっている。

このようなエアガンが販売されることには何の異論もないが、やはりこれは大人の遊び道具だ。
所有者は、使わない時はちゃんとした場所にしまい、子供に触らせないよう注意すべきである。

「Xファイル」というアメリカのテレビドラマで、エアガンに関する印象深い場面があった。
ヒロインのスカリーが少女時代(小学校も前半と思う)、男の子達にまじってエアガンでヘビを撃っていた。スカリー達は歓声を上げながら、逃げ惑うヘビを容赦なく撃つ。やがてヘビは動かなくなった。それを見てスカリーは泣き出し、嗚咽はいつまでも止まらなかった。
スカリーはその後、医者になり、FBIに入るのだが、自らも臨死体験をし、更に広い死生観を持ったように思う。
私は、その後、ポール・グレアムの「ハッカーと画家」という本で、子供というものは、笑顔でクモの脚を引きちぎるものなんだと書かれていた部分を読み、全くその通りだと思った。知性のない無邪気さほど恐いものはない。だが、その知性を与える段階で、国家を操る支配者の洗脳が入り込む。人間とはなんとも厄介なものだ。
ポール・グレアムは、ソフトウェア開発者で、そのためのベンチャー企業を起業し、後にその企業を売却して膨大な利益を得た。ハーバードで計算機科学の博士号も取ったが、美術学校で絵も習ったという変わった男だ。よって、視野も広い。
彼がLisp言語の高度な専門家であることが面白い。最近、能力開発の分野で恐ろしい勢いで本を出している苫米地英人さんという脳機能科学者も計算機言語学の博士で、Lisp言語の超専門家だ。私はLisp言語はお遊び程度に触るが、今後は本格的にやってみようと思う。グレアムも、Lisp言語に関する素晴らしい本を2冊ほど書いてくれている。
ジョン・マッカーシーの発明した、Fortranに続く古い高級言語であるLisp言語には、人間の知性を開く鍵でもあるのかもしれない。

「Xファイル」の中で、ヘビは、スカリーの目を開かせるために命を奉げたが、それはドラマの中だけにしておきたい。
とはいえ、ハエやゴキブリを、僅かな哀れみの感情もなく、殺虫剤で殺すのが当たり前の風景で育った子供がどんな生命観を持つものか不明だ。
アルベルト・シュヴァイツァーは、部屋の中のハエを決して殺さずに捕獲して部屋の外に出し、医学実験のために蚊一匹殺す際にも苦渋の表情を浮かべたという。
私が政木和三さんの研究所を訪ねた時、研究所の中にゴキブリがいたが、政木さんはゴキブリを箱で器用に捕獲して部屋から出した。
私も、可能な限り、ハエやゴキブリを殺さないようにしているが、完全ではない。

私が買ったエアガンも、人や動物を撃てばケガをさせることは十分にあり、目にでも当たれば失明することもあるだろう。鳥やハムスターなどの小さな動物では、生命を奪ったり、深刻な障害を与える恐れもある。
だからといって、販売禁止にするのはあまりに浅はかであろう。有益さや楽しさがあるものを無理に規制すれば、それはさらに歪んだ形で現れることは明白だ。我が国の司法にはそのようなことを理解する知性がないのは残念ではあるが、とにかく規制には反対すべきであろう。

さて、これらの問題に対する根本的な解決策であるが、枝葉の部分ではいくらでも思いつくだろう。
しかし、結局は人間の根本的な理性や知性の問題であることが分かると思う。それには、人間の理性や知性をよく理解しないといけない。
その問題につまづき、アーサー・ケストラーのような大天才ですら、悲観して自殺した。
いや、アインシュタインとフロイトも、書簡でこういった問題について議論したかもしれないが、彼らですら枝葉の考察しかできなかった。
問題は、人間の欲望の扱いである。
その解決には、少食しかない。
銃社会の代表である米国の次の大統領は少食だ。期待できるかもしれない。

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