無関心力で勝つ
「馬鹿につける薬はない」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
「馬鹿は死ななきゃ治らない」と同じ意味と思われ、「馬鹿ってのはどうにもならないもんだ」という諦めの心境を感じる言葉である。
つまり、どうしようもない馬鹿を前に、そう言って、自分を慰めるしかないといったものと思う。
吉本隆明氏の至高の思想書「共同幻想論」というものがあるが、はっきり言って非常に高度な思想であり、誰にでも理解できるものではない。
これに対し、これをほとんど理解もできない者が自分勝手な解釈をこじつけて馬鹿げた批判をするのを見て、著者の吉本氏も「馬鹿につける薬はない」としか書けなかったのだと思う。
ことに最近ではWeb2.0とかいって、その機能の1つに、誰でも情報を得るだけでなく、情報の提供側に回れるというものがある。それは非常に良い効果もあるのだが、馬鹿の発した馬鹿な情報が、賢い人の優れた情報と同列に扱われることを宿命とする。
確かに、Web2.0では、本当に優れた情報(意見、思想等)が全く知られることなく終わってしまうという危険もなくなるかもしれない。
しかし、自分の馬鹿さ加減を認識しない馬鹿による馬鹿な情報の洪水もあまり心地よいものではない。
Amazonでは、カスタマーレビューとかいって、誰でもその本(本以外の商品に対しても同様だが)の意見や評価を書き、それが本と共に掲載される機能がある。良い意見もなくはない。しかし、あまりに下らないものが非常に多い。著者としては楽しいものではないであろう。
言ってみれば、美味しそうな林檎を前に、その林檎が椅子として全く役に立たないという批判をしているような意見だらけなのである。
Amazonは、そのレビューがよほど著書や著者に対し侮辱的であったり、表現が倫理的・道徳的に逸脱していない限り、それをそのまま掲載する。また、そのレビューに対する評価(良いか悪いか)というものもまた誰にでも行え、あまりに馬鹿げたレビューにはマイナスポイントが多くなる。
ただ、その本の内容が高度な場合は、表現はそこそこまともな感じであるが、内容を全く理解していない的外れなレビューが多くなり、それを読んで誤解する人が出ないか心配になることもよくある。まあ、Amazonも「あくまで一般人のレビューなので、自分で判断するように」と注意は出しているが、ある種の馬鹿な考えは広まりやすいというものもあるのだ。
まあ、Amazonのレビュー程度では、本来どうでも良いのであるが、仕事などで、馬鹿が堂々と意見を言えることで迷惑をかけられることを何度も経験すると、どうしても過敏になる。その馬鹿が上司とか、社内で地位のある人である場合も少なくはなく、ほとほとに困ることもあるのが世の常であろう。
そんな時はどうするか?
気にしないことである。会社がどうなろうが知ったことではないではないか?
もちろん、偉い人の馬鹿な意見を「はい、そうですね」と肯定したら、後でいろいろな意味でえらい目に遭うことも多いだろう。「お前も賛成しただろう?」と批判されたり、能力を否定されてしまうこともある。それでも気にしてはいけない。たかが会社、たかが仕事である。会社のこと、仕事のこと、全てに無関心になれば良い。
さらに一歩進めるなら、全てに無関心になれば良い。
特定のものに関心があることが不幸の原因なのだ。
幸福の道は、全てを愛するか、全てに無関心かだ。
好みでない男性を「アウトオブ眼中」とか言いながら、好みのタイプの男性に執着する女性は間違いなく不幸だ。
全てを愛するのは私には無理らしい。ならば、全てに無関心であれば良い。
そうなれば、この世に敵なく、全ては思いのままとなるだろう。
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Comments
「無関心」いいですねぇ。
外側の事物もさることながら、自分に対しても無関心でありたいです。むしろそちらのが大事かな?
とかく私は小さいことに拘りすぎてしまうので、鍛えなければなりませんね。
Posted by: あき | 2008.11.22 11:34 AM
★あきさん
無関心力は本当に大切です。これがないと、世間に飲み込まれますよぉ(笑)。
自分に対する無関心かあ。難しいでしょうねえ。
無関心になるのに、鍛える必要はないと思います。
要は、欲とか、世間への期待を捨てればいいのだと思います。
そのためには、少食が大事です。
Posted by: Kay | 2008.11.22 08:06 PM