給食を強制的に完食させる理由は?
小学生時代には給食があったが、特に最初の頃は食べ切るのにかなり苦労したものだ。
別に家で良いものばかり食べていたわけでも、家で食べ過ぎていたわけでもない。給食が不味いと思っていたわけでもないし、アレルギーによる拒否感があったわけでもないが、とにかく食べる気にならなかった。
特にパンは量が多過ぎてなかなか食べ切れなかった。
早い話が、給食に出されるだけの量を身体は必要としていなかったのだ。
食べたくないなら、例え理由が何であれ、食べる必要はないと思う。
それを、「食べ物を大切に」という高説を振りかざして、食べられないことに罪悪感を持たせるようなことは非常に良くない。
大食いのどこに美点があるというのであろうか?
子供のうちは少々大食いでも構わないとは思うが、少食であるに越したことはない。
大食いの子供と少食の子供を見比べると、少食の子供の方が清らかで美しい場合が多いかもしれない。
大食いでも良いが、大食いの子供にこそ、食べ物の大切さを教えるべきであり、少食の子供にそれを反省のために教えるなどもっての他である。
また、子供とはいえ、ある程度の年頃になれば、何らかの信条や信念から、食べるのをやめたいと思うこともあると思う。
例えば、アフリカなどで多くの餓死者がいて、その中には自分と同じかもっと幼い子供がいることを知り、せめて僅かでも苦しみを共有するために、給食の1回でも食べずにおこうとするなら、実に素晴らしいことである。しかし、学校ではまずそんなことを許さない。子供の健康を気遣っているということもあろうが、ほとんどは、国家および国家と持ちつ持たれつの関係にある食品業界の作った価値観の押し付けである。
私には、「マッチ売りの少女」のお話を読むか聞くかしたら、食事を抜こうと思う子供に何か欠陥があるとはとても思えないのである。
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