« 今を大切に | Main | ひきこもりが駄目な人間のはずがない »

2008.11.16

真の芸術家は陽気に狂う

午後4時頃に帰宅した母親が、つき立ての餅で作った実に美味しそうな安倍川餅(きな粉とこしあんの2種類)を持って来た。それは私の大好物である上、昨夜の夕食(少量の粗食)から何も食べていない空腹の身には激しい食欲をそそらされる。ここらは、全く平凡な野獣だ。
しかし、1日1食と間食一切禁止の誓いを立てた私は、当然、全く手を付けない。
私は、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の呪われた海賊のようなものだ。彼らは、舌も胃もないので、食べたくても食べられずに苦しんでいる。だが、私は完璧で健康な若い身体を持っているが、自らの意志で食べない。
これは、世間的には気狂いと見られるかもしれない。
今回は、それがテーマだ。
まずは、私が愛するナイフの写真からだ。
Buck_110fh
私がなぜナイフが好きかというと、1つには、子供の頃に持つことを禁止されたからだ。
特に、このBUCK社のフォールディングハンター110のように、刃渡り95mmもある立派なナイフを持ったりしたら、気違いだと言われたと思う。
だから良いのである。ナイフは自由の象徴だ。
(別の理由としては、人類の最も古くからの長い知恵が込められているからだ。何といっても、ナイフは火に次ぐ古い道具であり、美しさと機能の両立を教えてくれる人類最古の友なのだ。)

イタリア映画「愛のほほえみ」で、オルガという名の愛らしい10歳くらいの少女が、タバコを手に、ルーカ少年に「火を持ってない?」と言う。
驚くルーカに、オルガは「あたし、やっちゃいけないってことは何でもやりたいの」と言う。
オルガは自由を求めていたのだ。
オルガも、世間から見ると、気がヘンと思われるかもしれない。
だが、自由とは、世間で狂うことなのだ。だって、世間の別名は「狂った場所」なのだ。狂った場所で狂わずして自由はない。

世間に迎合しながら芸術家を名乗る輩はペテン師だろう。
芸術家の仕事とは、世間の中で狂ってみせることに他ならない。
当たり前である。芸術家の使命は、人々に自由を教えることなのだから。
岡本太郎を見ればよく分かるだろう。「世間に言いたいことがないやつが芸術家であるはずがない」と彼は言った。
池田満寿夫は、「私には狂気はない」と言ったが、世間的にはあきらかに狂気を持っていた。彼には、世間的な狂気の世界が普通だったのだろう。
ひきこもりの作家ベケットこそ、本物の芸術家だ。彼は、のこのこノーベル賞の授賞式に出かけていきはしなかった。そこまでやりはしなくても、本物の芸術家はノーベル賞なんてものにさしたる価値は認めないだろう。

イエスは「私は世間に勝ったのだ」と言った。彼には、世間の賞賛も豊かさも興味のないものだったのだ。
ニサルダガッタ・マハラジは、常に「私は世間的には死んでいる」と言った。
よって、彼らは最高の教師と言われるのだ。

世間に反逆することが自由であり、芸術の真髄だ。
だが、反逆すると言っても、普段は別に露骨に攻撃する必要はない。ガンジーが示したように、無抵抗こそ最大の攻撃だ。迎合せず、無関心であれば良い。笑って見ていれば良いのである。あるいは、呆れて、または、哀れんで見ることもあるかもしれないがね。
無差別殺人なんてものをやらかす輩は、狂えなかった者達だ。彼らは世間に関心を持ち過ぎたのだ。それで世間に恨みを持ち、世間の中で劣等感に悩み、心を抑圧し続けた。その結果があのザマだ。
世界を破壊するのはGay(陽気)な者であるとイェイツは言った。
芸術家は、そして自由人は陽気に狂うのだ。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックをお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

|

« 今を大切に | Main | ひきこもりが駄目な人間のはずがない »

Comments

はじめまして。2年ほど前の日記ですが、「自由・陽気」で検索したらでてきて面白そうで拝見させていただきました。そして、とても興味深い考えさせられる内容で本当に感動したので返事をさせていただきました。
私も、ちょっと世間から逸脱したがる傾向がありまして、でもなかなか逸脱するのが怖くて、その狭間でもがいている情けない者でございます。いつか、はやく、逸脱したいと思っています。胸を張って逸脱したい。でも、まだ世間に認められたいとうじうじいっている自分もいるので、でも、これを読んでやっぱりなんか惹かれるなぁと思い、もう少し頑張ってみようと思いました。いいものを、ありがとうございました!!

Posted by: りょうこ | 2010.07.12 02:13 PM

★りょうこさん
はじめまして。
無理に世間からはみ出す必要もないと思います。
「世俗にあって世俗を超える」という言葉もあります。
世間にあっても、平和でいられるなら、それが良いことなのかもしれません。
ただし、いつか、耐えられないほどうんざりする時が来るかもしれません。
その時は、大いに高く飛び、世間に別れを告げるのが良いと思います。本物の芸術家や信仰者になることです。

Posted by: Kay | 2010.07.12 10:02 PM

かいさん、改めまして、こんにちは。
今、久しぶりにこの文章を読んで、
改めて、というか、やっと意味を理解できるようになってきました。かいさんからもらったコメントもやっと意味がわかるようになりました。
耐えられないほど、うんざりするとき、が、近づいてきた気がしまして。
最近は本当に大学にもついに本当に意味を見出せなくなり、しかし意味を見出せることも分かりません、なんなのか。

本物の芸術家や信仰者とは、どのように生きているのでしょう?
それと、
世俗にあって、世俗を超える
というのは、どういう生き方ですか?

Posted by: りょうこ | 2010.11.26 09:37 AM

★りょうこさん
随分前の記事なので、当時の私と今の私ではかなり違うかもしれません。
おそらく、今の私は当時の私に比べれば、随分進歩しました。
ただ言えることは、一足飛びに聖者になることはできないということです。
人間は、少しずつしか進めません。
大学に意味がないのは仕方がないことです。
大学以外に、沢山の場所があります。本当に大学が嫌なら、別の場所に行けば良いだけのことです。私はそうしました。
前向きな気持ちで行動して下さい。

Posted by: Kay | 2010.11.26 11:19 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 真の芸術家は陽気に狂う:

« 今を大切に | Main | ひきこもりが駄目な人間のはずがない »