「赤いハイヒール」の少女は幸福になったか?
太田裕美さんの古い歌で「赤いハイヒール」というのがある(作詞は松本隆さん)。
田舎から都会に出てきた若い女の子の話だが、彼女には恋人がいて、その恋人が彼女のことを語るのであるが、その歌を、太田裕美さんのいかにも女の子らしい声で歌うので、非常に独特な雰囲気になっている。
女の子は希望に胸を膨らませて都会に出てきたのだろう。おさげの少女だったというから、今なら中学卒と考えられるが、当時なら高校卒業直後かもしれない。
彼女は、その希望に満ちた心で、赤いハイヒールを買う。やはり、高卒時なのだろう。
しかし、故郷なまりにコンプレックスを感じ、仕事は辛く、苦しい日々が続く。
赤いハイヒールは、童話のシンデレラで意地悪な継母が履いた、真っ赤に焼けた鉄のハイヒールに感じるようになっていた。
日に日に瞳に輝きを失くす彼女。
そして、恋人は決意する。2人で彼女の故郷に行き、そこで暮らそうと。
それで2人はハッピーさ・・・
大体、こんな歌である(いや、本物をちゃんと聴いて欲しい^^;)。
ところで、私は預言者である(マジか)。
この2人が、その後どうなったかが分る。いや、別に松本隆さんに聞いたわけではない(笑)。
2人は破局し、彼女は不幸になる。これは間違いない。残念であるが。
だって、彼女は仕事が辛く、真っ赤に焼けた鉄のハイヒールを履いていたのだ。心の中で。それが彼女の未来なのだ。
その赤いハイヒールを履いて死ぬまで踊る自分が、彼女が認識する現状の情報宇宙だ。その縁起は未来から来ている。では、未来は彼女の現状に相応しいものであるのだ。
斎藤一人さんが、傍目には悪い状況であっても「幸せだな~」と言い、本当にそう感じているのは、未来が幸せであることを認識しているからだ。縁起である未来が幸福であるのだから、現状が幸福でないはずがない。
ちょっと分りにくいか?
では分りやすく言うと、この現在と未来の関係を、過去と現在に置き換えると良い。
エディ・マーフィーは、「黒人だからということで損をしたことなんて1度もないさ」と言った。これを強がりと取る人もいるかもしれないが、損なんかするはずがない。
いろいろなことがあっただろうが、エディは現在、過去に起こったことを損なことと解釈していない。だから絶対に損ではないし、実際に損ではない。だから現在幸福なのだ。
では、未来から見た現在を不幸と解釈しなければ未来は幸福なのだ。そして、実際に不幸なんかでないのだ。
過去も未来も幻想である。幻想と言って悪ければただの情報である。
インドの詩聖タゴールは、人間が月を月として見なくなれば月は存在しないと言った。もう少し詳しく言うと、人間が月というものの情報を従来の月と全く別の情報として捉えると、もはや月は従来の月とは、全く異なるものになる。
コロンブスが巨大な船でアメリカ大陸にやってきた時、原住民には船が見えなかったのだ。原住民の情報認識で、その巨大な何かは船ではありえなかったのだ。
幽霊や天使がはっきり見える人はいる。彼らの情報宇宙に幽霊や天使が存在しているからだ。だが、大抵の人ではそうではないので、幽霊や天使は存在していないのである。
難解で知られる、道元の「正法眼蔵」の中でも最難関と言われる「有時の章」に、「過去は現在で経験され、未来も現在で経験される」とある。
実際に在るのは現在だけであり、過去や未来は情報に過ぎない(とは書かれていないが)。
逆に言えば、過去も現在であり、未来も現在だ。
過去を不幸と解釈すれば現在は不幸だし、現在を不幸と解釈すれば未来も不幸だ。
小椋圭さんの「それが夢ならば」という歌にこんな歌詞がある。
「どんな辛い愛も旅も、過ぎてみればただ、遠いところから、ほら、笑いながら手を振るよ。今日はどんな思い出を作ろうか」
これを、決して「あの時は苦しかったなあ」と取らないで欲しい。笑いながら手を振っているのだ。幸福だからだ。そして、今日も幸福な思い出を作ろうとしているのだ。
「赤いハイヒール」の少女は、今現在、幸福であるべきだ。
なんといっても、彼女を深く愛する恋人がいるのだ。
辛いと認識できるほどリアルな仕事もある。
仮に、それらがなくても幸福である。自然にそう思えば、未来は明るい。
分らないなら食を抜け(出た!Kayの少食の薦め)。たちどころに分るであろう。
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Comments
初めまして。
みのると申します。
1部分を取り上げてコメントすることをお断りして(笑)
>難解で知られる、道元の「正法眼蔵」の中でも最難関と言われる「有時の章」に、「過去は現在で経験され、未来も現在で経験される」とある。
所謂、「ひとつの時間」にすべてが在るということでしょうか、素晴らしい世界ですね。今を変えれば未来の経験が変わるということでしょうね。
それと、前日にお書きになった ↓ にも共鳴して居ります。
>この世の真理を、科学的プロセスを通さず、一瞬にして直感で掴み取る能力を有するのではないかと思われるのが芸術家です。芸術家の重要な能力は「閃き」ですが、それは現在では論理的なものとは考えられていません。再現性が無いからです。
有名な宗教家に、有名な芸術家が居ないのは皮肉ですね(笑) あの世に1度行って還りたい。閃きを持って還りたい(笑)
これも気に入りました。
>芸術、あるいは宗教における閃きや啓示を論理的に考えるには、人類はもっと進化する必要があります。
平和な「ひとつの世界」はみんなが金持ちに成れて平等なこころの世界をみんなが持っていて、1部に、あるものが片寄るのを防ぐ方法があれば良いかなと思えました。ありがとうございます。
Posted by: みのる | 2008.10.10 03:38 PM
★みのるさん
初めまして。
いろいろ励ましていただき、ありがとうございます。
>有名な宗教家に、有名な芸術家が居ないのは皮肉ですね(笑) あの世に1度行って還りたい。閃きを持って還りたい(笑)
もともとは、芸術は宗教の下僕だったと思うのですが、宗教が力を失くしたのだと思っています。
あの世というのは、この世である物理世界を含めた情報世界ですが、そこから首を出すことは可能と思います。10年に1回くらいは・・・(笑)。
閃きは情報世界の外から来るのかもしれませんが、情報世界が観自在なら捉え易くなるかもしれません。
自分はいいから人類の全てが幸福になれば良いと考える人であれば、常にそうなのだと思います。
Posted by: Kay | 2008.10.10 09:54 PM