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2008.10.13

この世を自在に動かす

最近の趣味である天使との会話の中で思ったのだが、聖書には「はじめに言葉があった」と書いてあるが、これは、「はじめに情報があった」という意味と思う。
昔は、情報と言う概念がなかったので、とりあえず言葉としたのだと思う。
その時、私に啓示が訪れ、この世の在り様が見えた(マジか)。

数学や物理学で、この世の在り様や脳機能を表現するには関数(ファンクション)を使う。関数とは、中学や高校でも、

f(x) = 8x + 5

などという関数を扱う。
上記では、xが3なら、関数は29という値を持つ。
変数は1つとは限らず、

f(x,y) = x^2 + y^2 + 2x +9y +100 ※x^2 はxの二乗

と2つでも良いし、百でも千でも構わない。
そして、関数式自体も、中学、高校では1行のものしか見ないかもしれないが、1万行でも百万行でも良いのである。

情報とは、このように科学では関数で表す。
ところが、自然の法則や脳の働きを関数で記述するには限界がある。それほど自然や脳は複雑なのだ。

ところで、この世の複雑さを研究するうちに、この世は、小さい部分が、それが形作る全体と似た構造をしていることに気付くようになった。これはフラクタル理論と呼ばれる。
例えば、枝1本の形が、その中の1枚の葉に似た形をしているようなものだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、水の流れの中の渦を見て、大きい渦は、その中の小さな渦と似ていると直観したらしいが、これもフラクタルである。

部分と全体が似ているというのは、科学に限らず有用な考え方で、天才的なサイエンスライターだったアーサー・ケストラーが「ホロン革命」という、部分と全体との関係を洞察した凄い本を書いている。

ところで、コンピュータの世界では、関数より飛躍的に複雑な概念を扱う方法としてオブジェクトというものが発明された。これは、やはり自然界の階層構造をコンピュータプログラミングに持ち込んだものだ。
現在のコンピュータが圧倒的に進歩したのは、プロセッサなどのハードウェアの進化と共
に、このオブジェクトを利用したオブジェクト指向によるところが大きい。

なぜ、階層構造、つまり、コンピュータでのオブジェクト指向を使うと複雑な概念を表せるかというと、上に書いたように、自然自体がフラクタルという部分と全体が似た階層構造だからだ。

自然界の階層構造について、違った角度から述べる。
例えば、犬には、ブルドッグやテリアやシェパードなどの多くの種類があるが、これらの犬の上位概念は犬であり、各種の犬は、犬としての性質を持つ。
コンピュータでは、この「犬」を、各種の犬の上位オブジェクトなどという。
また、犬や猫、牛や猿や人間は哺乳類であり、哺乳類としての共通の性質を持つ。人間の上位オブジェクトは哺乳類である。さらに上位には、動物、そしてその上に生物という概念、あるいは、上位オブジェクトがある。
概念やオブジェクトは上がれば上げるほど抽象的になることに気付くと思う。

抽象思考が出来る人ほど頭が良い。逆に言えば、知恵のある人とは抽象思考の能力がある人だ。
例えば、頭が悪い人は、シェパードは犬であることが分かるが、ブルドッグが犬であることを納得しないようなものなのだ。
頭が悪いと、個々について全部調べる必要があり、実に効率が悪い。
イエスは、たとえ話をすることで概念を分かりやすく示した天才であることはよく知られているが、これが頭が良い人間の特徴でもある。

もっとも、抽象思考ばかりでも問題がある。
例えば、電圧といったものが分かりにくくても、圧力という風に抽象度を高めれば、つまり、上位概念を使えば、水圧と同じであり、これを例えとして電圧も理解できる。
しかし、電気と水は異なる部分もあるのに、それに配慮しなければやはりアホである。
もともとは賢かった人が、年をとって若い人に相手にされなくなる原因もここらにある。
教育者でもあった哲学者ルドルフ・シュタイナーが「42歳までは職人をやれ」と言ったのは、やはり若いうちに地に足の付いた論理性も身に付けろという意味と思う。つまり、何らかの専門は1つあった方が良い。
例えば、会社経営は実務と比べ抽象的思考を必要とする。しかし、抽象思考のまま実務をやるとケガをするようなものである。経営の達人になったらもう課長は務まらないのだ。
ビル・ゲイツはCEOを退任しても、まだソフトウェア計画のリーダーが務まった。それは彼が元々プログラミングの達人だからだ。


さて、なぜ私がこんなことを長々と書いたかというとだが。
ここからが重要な部分だが、ついてこなかった人が多いかもしれない。
ハルヒも「諦めずについてきなさい!」と言ったのに・・・^^;

我々が、意志の力をもって世界をコントロールするには抽象思考が必要なのだ。
この世における最も抽象度の高い、つまり、上位概念とは何であろうか?
それは「存在」である。
存在に思考が馴染めば、この世に不可能はない。
ニサルガダッタ・マハラジは「結局のところ、あなたが唯一納得できることは、自分が存在するということだけだ」と言った。
デカルトは「我思う、ゆえに我在り」と言ったが、人々は「我思う」にのみ注意を払った。馬鹿なことだ。思うか思わないかに関わらず、我はあるのだ。デカルトも最終概念が「在る」であると思っていたので天才なのだ。

だが、心配無用だ。
欲望を捨てれば存在を知ることはできる。そのためには食を節制すれば良い。強引な理屈だが本当だ(笑)。

さて、長くなった。解説はまたおいおい(をい)。

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