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2008.10.31

岡本太郎も子供時代は猛烈にいじめられた

岡本太郎も、子供の頃はよくいじめられたそうです。
小学校も初めの頃から、学校や教師が押し付ける馬鹿げた価値観に耐えられず、何度も転校したあげく寄宿舎に入ることとなりましたが、それは非常に不幸なこととなりました。
回りの子供達は、学校や教師の押し付ける、この国の支配層に都合の良い歪んだ嘘だらけの価値観に染まっているのですから、それを拒否している太郎は猛烈にいじめられます。人間は、自分の持つ価値観と異なる価値観を持つ者を許さないのです。
しかし、普通に学校に通っているのであれば、少なくとも学校から帰ればいじめられることはありません。しかし、寄宿舎であれば、1日24時間、逃げ場がないのです。
太郎は、他の子供達にいつもよってたかって殴られるだけでなく、当然、教師にもいじめられます。教師と他の子供達は同じ価値観を共有しているのですから、子供達がいじめるなら教師だって必ずいじめます。それは今の学校でも全く変わりません。
教師達は、太郎に「素飯(すめし)」を食べさせました。素飯というのは、おかずがない、塩をかけただけのご飯です。他の子供達のご飯にはおかずやデザートが付いているのに、太郎だけはそれがありませんでした。それは幼い子供には過酷なことであったはずで、太郎は本気で自殺を考えたようです。
ところが、太郎が有名な画家になった後に同窓会があったのですが、太郎は、自分をいじめた者と仲良く酒を飲んだそうです。ただ、これは、太郎がそれほど大きくなったということであり、学校や教師の在り様には今の時代でも救いはありません。

太郎は、日本ではどこででもいじめられたように思います。
30歳でフランスから帰国すると、二等兵として中国に派遣されます。周りは18~19歳の青年ばかりですが、太郎は彼らと一緒にしごかれるわけです。
日本では特に、立場が上がれば人間性は下がるという伝統があります。軍隊も同様で、夜中に上官が若い兵隊を呼び出して殴るという慣習がありました。思ったことをズケズケ言う太郎は特に嫌われていたはずです。
太郎は、上官からの呼び出しの時には、いつも4番目に行くことにしていました。殴る方は、4番目が一番調子が出るのです。あえてその4番になるわけです。太郎の格違いの魂の大きさはこんなところからも分ります。
ただ、太郎は、若い兵隊には人気があったとも言います。時々支給されるヨウカンなどの甘いものを、他の兵隊にやったそうです。別に彼らの機嫌を取るためではないでしょうが、この甘いものを食べないというのは、実はかなり辛いことです。現在でも刑務所でよく行われるいじめは、囚人に支給されるべき甘いもの(大福等)を取上げることです。人間は甘いものもある程度必要なようで、これを取上げられる辛さは経験者でないと分らないようです(私ではありませんよ(笑))。
しかし、太郎は「若いヤツらほど、甘いものが欲しくはないさ」と平気だったと言います。

上に書いたように、素飯を食べたり、甘いものを食べなかったりと、太郎もまた、運に恵まれる食事をしていた様子であります。
フランスのカフェや、日本でも、芸術家や思想家との会合では、お茶だけで長時間の激論をしたようです。
我々は、会合を行っても、それが、話し合いのためなのか、飲み食いのためなのか分らないようなことをよくします。
飲みものや食べ物がないと会合ができないなんて根性がそもそも間違っているのです。
食を節制するところに、幸運があるというのは普遍的真理であると思います。

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2008.10.30

偶然を支配するチカラ

時代劇の終盤で、調子の良い音楽が始まり、正義のヒーローがチャンバラを開始する場面になると視聴者はリラックスする。ほとんど微笑を浮かべるほどに。
当たり前の思考で言えば、最終決戦であるのだから緊張するはずである。しかし、そうではない。なぜなら、正義のヒーローの楽勝が約束だからだ。1度、正義のヒーローが不意に切られて負けるようなものを作っても面白いと思うが、おそらく視聴者の支持は得られないであろう。

では、ドラマの最後でなぜ正義のヒーローは確実に勝つのだろう?強いからと言っても、相手も強い場合があるはずだ。鍛え上げた人間同士なんて大差ないし、勝負は時の運とも言うくらいあてにならないものだ。しかも、味方の人数が敵を圧倒していればともかく、大抵の場合はその反対で、正義の味方側が圧倒的に少ない場合が普通と思う。
これはどう考えても非論理的だ。

もちろん、ドラマでは状況は製作者が決定するから勝つというのが当たり前だ。八百長の試合のようなものである(時節的に良くないかも)。
ところで、我々だって、自分の想像の中では、敵がいかに強く、大勢でも確実に勝てる。そりゃ、いったんはピンチにならないと面白くないだろうが(笑)。
想像上の戦いも八百長であるようだが、少し違う見方もできる。そしてそれは実際の戦いにも使えるものがあるかもしれない。

私は、バーチャルゲームが好きではない(ゲーム全般嫌いなのだが)。バーチャル戦闘ゲームもあるが、いくら豊富でもパターンは決まっており、そのパターンもゲーム製作者が考えたものだからだ。慣れてくれば意外性も何もない。
だが、空想上のバトルは無限のパターンがある。自分で考える限りね。

では、空想上のバトルで、なぜ自分が勝てるのか?
それは、状況を自分で作り上げるからだ。
そして面白いことに、空想上の戦いは負けることもある。敵と想定するものに対し、勝てない理由が自分にある場合だ。例えば、愛しくて仕方がない相手である。あるいは、負けたくなった場合だ。

私は「8マンインフィニティ」(七月鏡一原作、鷹氏隆之作画)という漫画で、「もう一人の8マン」ケン・ヴァレリーが「戦いを決する最大の要因は、速さでも火力でもなく、状況を生み出す強い意志だ」と言うのに感動したことがある。
そして、実際その通りだ。
状況操作能力こそ、あらゆるものごとの勝利の鍵だ。
状況を作り出すとはまた難しい話だ。それは、偶然を作り出すというようなものだ。
しかし、多くの天才的な芸術家、思想家、哲学者、あるいは理論物理学者が取組んだ巨大なテーマがこれだった。
ニーチェやイェイツは、結果として我々はそれ(偶然を作る)を行っていると考えていたと思う。
仏教には縁起という考えがあり、事象に働きかける要因が何かあると考えられていた。
南方熊楠は、宇宙の縁起の法則を南方マンダラで表現しようとし、まるでぐちゃぐちゃにしか見えない奇妙な模様を示した。
頭の軽い間抜けな連中が、「イメージすれば現実がその通りになる」とか言うが、実際にうまくいくかどうかはそれこそ偶然だ。早い話が、そんなことが本当かどうかは誰にも分らない。
しかし、長年、激しいギャンブルをやってきた者なら、なんとなくそんなものがあるのではと疑っている者も少なくないと思う。ドストエフスキーの「賭博者」など、奇妙なリアリティが感じられる作品である。いや、この作品には、偶然を操るヒントがはっきりとある。ギャンブルの素人の老婆が、頑なに0に賭け続け、最初は負け続けるが、遂には大勝してしまうのだ。しかし、再度のギャンブルでは老婆は全く勝てなかった。
いわゆるビギナーズラックであるが、そういうこともあるかもしれない(認知科学的には、素人が勝った場合、印象が強すぎて、実際より勝つ確率が高く感じるというだけのこととされるが)。
しかし、宗教人類学者の植島啓司さんの本(どれだったか忘れた。「偶然のチカラ」か「賭ける魂」かだったと思う)に恐るべきヒントがあった。ある1発勝負の達人ギャンブラーの話である。何でも無敗だそうだ。
そのギャンブラーが勝負をする条件は2つ。1つは、勝負者にとって負ければ破滅的な大金を賭けること。もう1つは、相手にコールさせることである。
私は1年ほど考え続け、「そりゃ勝つさ」という結論に達した。だが、そこには、論理で割り切れないものが介在する。それは自我と縁起の関係だ。
自我とは、「私は在る」という感覚だ。存在はbeeingであるが、existenceとも言う。これはecstasy(エクスタシ)とも似ているが、植島氏の本にも語源は同じとある。そして、エクスタシといえば、性的絶頂感とか、あるいは、宗教的な法悦を思い浮かべるが、両者は同じである・・・なんて言えば怒られるかもしれないが、ベルニーニの「聖テレサの法悦」という彫刻の、聖女テレサの表情は実に色っぽい。
そして、エクスタシには「忘我」という意味がある。
古代インド哲学の考え方でも、自我の消滅により真の存在が現われるのである。ラマナ・マハルシは、「私」が去ることで真の存在(真の自己)が輝くと言う。
結論を言えば、忘我、つまり、自我である私が去った時、縁起に働きかけることが可能となる。そして、自我を消すには、性的絶頂間のようなエクスタシの状態を利用することも有効かもしれないし、実際、宗教の中にはそんな方法を使うものも少なくはない。しかし、そのためには、非常に細かなルールの取り決めがないと問題が起こり、むしろ、宗教的な法悦をもたらす祈りや、ヨーガのクンダリーニヨーガや、気功の大周天といったテクニックの方が良いかもしれない。
だが、いずれの方法も、欲望がある限り自我が去らず、大抵はうまくいかない。

ケン・ヴァレリーは「状況を生み出す強い意志の持ち主が戦いに勝つ」と言ったが、その者に勝ちたいという欲望はない。即ち「無」である。無になりきれば不可能はない。
実は、これさえ押さえておけば、その方法は自分でわけなく見つけ出せる。人生とは、そのような役割のあるものである。

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2008.10.29

全ての願いを叶える輝く炎

それを何と呼べば良いか分かりませんが、あまりに強力な力であるという理由で、「禁断の光」とでも言いたい気分です。ただ、私は単に、フレイムとかブレイズ(いずれも炎の意)と呼んだり、時には火球とも言います。
人は、誰でもその力を持っているということを、最近知りました。
まだ慣れない頃は、胸の中に火の玉があり、それが肋骨を持ち上げるような感じでした。それは、その炎が天に向かう性質のものであるからだと思います。
現代のインドの聖者ラマナ・マハルシは、肉体としての霊的中枢は、胸の中心より指2本分右にあると言いましたが、彼もその感覚を掴んでいたのだと思います。

このフレイムに意志を注いで輝かせれば、一切の不安は去り、全ては思い通りになります。
私も、1日1食の少食、粗食にしてまだ3ヶ月足らずなので、それほど強烈な感覚にまではなっていませんが、食を節することで、誰にでも分かると思います。

これが分かると、「マジック・ストーリー」で、プラスエンティティ(正の実体)たる、「もう一人の私」が言った、「私に不可能はない。世界の一切は私のものだ。私には不安は全くなく、望まなくても幸運が訪れる」と言った意味も分かると思います。
「マジック・ストーリー」には、それに気付かせる力がありますが、その条件は少食であることだと思います。いや、食を節しさえしていれば十分であるのですが、その上でマジック・ストーリーを読むと、より鮮明に分かるのだと思います。

そういえば、キンヤさんとKOTOKOさんが、“BLAZE”という全く同じタイトルの曲を自分で作詞して歌っていますが、まさにそんなことを表現していると思いました。いずれも素晴らしい曲です。

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2008.10.28

正しい生贄の奉げ方

台湾出身の米国の作家・事業家のチン・ニンチュウが、「成功するには何かの犠牲を必要とする」と書いていたが、それは当然と思う。
この世自体がそんなもので、何かを得れば何かを失うし、何かが増えれば何かが減るのだろう。
スーパーモデルになりたいなら、甘い食べ物を犠牲にする必要がある。それだけでなく、これまでは楽しむために使っていた時間とお金の一切をつぎ込んで自分を磨かなければならない。そのことをちゃんと理解していれば、普通はそこまでの犠牲を払ってまでスーパーモデルになんかなろうとは思わないはずだ。

古代に、生贄を捧げて天災を逃れようとしたのも、そんな増減の法則を適用しようとしたのだと思う。美しい処女の犠牲が、自分達の平安をもたらすと考えたのだろう。だが、どうもこれは対価の設定が間違えているように思う。
C.G.ユングが好きだったお話に、あるレイン・メーカー(雨乞い師)の話がある。干ばつが続く村で、有名なレイン・メーカーを招くと、レイン・メーカーはテントに3日こもり、4日目に雨が降った。人々が感動し、レイン・メーカーに「何をしたのだ?」と聞くと、レイン・メーカーは「何もしない。ただ、この村には神との調和が欠けていた。私は神と調和しようとしたのだ」と言った。

いったい、レイン・メーカーはどうやって神と調和したのだろう。
「何もしない」と言ったからには、行為としては何もしていないことが分かる。
何もせずに神と調和する方法が分れば、我々にも奇跡は起せるのだ。
何かを成し遂げようとするなら、それを阻害するものを省けば良い。
神と調和するのに邪魔なものは、心の乱れである。心が純粋であれば、それは落ち着き乱れない。心を純粋に保つには欲望を捨てれば良い。
レイン・メーカーは一切の欲望を絶ったはずだ。
では、どうやってレイン・メーカーは欲望を絶ったのか?

通常、このような神的な行を行う場合の決まりは断食である。
レイン・メーカーは、人間最大の欲望である食を断ったのだと思う。
普段から少食・粗食で心を研ぎ澄ませていたレイン・メーカーは、わずか3日で神と調和したのだろう。

儀式に挑む者がたらふく食べていたら、生贄など捧げても奇跡は起こらない。
それならば、たらふく食べている連中をまとめて生贄にすれば良いかもしれない。
少食の美しい乙女を生贄にするなどもっての他である。それは認識が誤っている。

イエスは神は商取引はしないと言った。
だが、食を節制して願うことは商取引ではない。なぜなら、食は命を養うものであり、それを節制するということは命をいくらかでも捧げることであるからだ。

我々にできる最も優れた犠牲は食の節制であり、食を減らせば願いは叶う。
水野南北も、願いがあれば食事を抜き、それを神に献ずれば良いと言った。実際に食事を神棚などに供えなくても、心の中で献ずれば良いとしている。
ただし、あくまで自分が食べるはずの分を献上しなければ意味がない。先程のように、罪のない穢れ無き処女を奉げても何の意味もない。つまり、自分はしっかり食べて、それとは別の食事を献じても願いは叶わない。

古代の人々が、美少女を生贄に捧げても達せられなかった奇跡は、自らの少食・粗食によって叶うのである。
ゆめゆめ疑うことなかれ。

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2008.10.27

モローの描く乙女の特別な美

女性の裸身は絵画での人気のあるテーマの1つであるが、非常にふくよかな身体つきの女性の絵も多い。
ユピテル神にエッチされてるシーンを描いたコレッジュの「イオ」の女性はあきらかに肥満であるし、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」の腹の出っ張りは半端ではない。(ティツィアーノの描く女性はほとんど豊満と思う)
ダ・ヴィンチでは「モナ・リザ」や「聖アンナと聖母子」など、母性を表現した女性は肉付きが良いように思う。

私は、女性の絵を見ると、そのモデルの食生活を思わず想像する。
そして、「最後に食べたのはいつ?」と考える。
アニメの「新造人間キャシャーン」の音楽CDのジャケットに描かれたルナ(16歳)を見て強くそう思った。
商品の画像(タツノコプロサイト内)
この絵は、タツノコプロ2代目社長である九里一平氏の手による。
ロボット犬フレンダーの首を抱く、憂いの表情のルナは、腕も肩もか細く、ミニスカートの素晴らしい脚も細い。戦いの最中にあり、10日ほど食事と縁がなかったようにも思える。
実に優雅で愛しく感じる。

私は、個人的にはふくよかな女性の絵はあまり好きではないのだが、ギュスターヴ・モローの描く女性は全く特別だ。
「レダ」や「イヴ」の水彩画の、レダやイヴは、どちらかというと豊満な身体つきではあるが、輪郭をぼやかしている。これを見ると、肉体としての身体と精神としての身体との境界が曖昧に感じる。
それで、豊満に描かれてはいても、豊かなのは精神であり、肉体ではないと感じるのだ。実際、これらの乙女の姿は優雅にしてたおやかで実に美しく、そして清純で愛おしい。
水野南北は、少食なら肉体が痩せていても、精神は豊かであり、大食で痩せている場合は精神も痩せていると言った。
モローのレダやイヴの絵を見ると、まさにそうだと感じる。

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2008.10.26

天啓と天使や妖精の似たところ

平凡な人間とは、世間に従っている人間のことだ。
やや特別な言い方をすると、共同幻想に取り込まれた人間だ。そんな人間は、真の自分を生きていない。

人が自己変革を起こすことがある。

それには、大体2通りある。

1つは、平凡な、あるいは、幸福(と自分で思っている)日常を送る者に訪れる。
衝撃的な事件が起こり、一瞬で自己を変えるきっかけを得る。
例えば、目の前で犬が稲妻に打たれて死ぬのを見て、生まれ変わるきっかけとした偉人がいた。

もう1つは、日常にうんざりしたり、気が狂うほどに落ち込み続け、それが臨界点に達した時だ。そんな時には何か事件が起こるものだ。
自分が経営する事業が不振となり、不安にさいなまれ、精神的にも肉体的にも衰退する中で不思議な事件が自分を変えることもある。

この2つが混同したような場合もある。自分は幸福だと思っていたのに、実はそうではなかったと気付いたような場合だ。

あるひきこもりは、自分は駄目な人間だと思っていたが、人に「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思い込んでいるだけさ」と言われて天啓を得た。
ニサルダガッタ・マハラジは、師に「あなたは至高の実在である」と言われ、その言葉を忘れなかっただけで3年で悟りを開いた。
プロボクシング世界ヘビー級王者で、当時無敵と言われていた23歳のジョージ・フォアマンは、30歳を過ぎた元王者モハメド・アリの無謀と言われた挑戦を受けたが、KO負けを喫した時、不思議な光を見て生まれ変わった。フォアマンは宗教家になり、さらに45歳で世界王者に復活する。

これらは、天啓を得るということでもある。ただし、天啓を得て自分になるまで、やや時間がかかる。
しかし、天啓を得てからそれが熟成した後に逢うと、その者は全くの別人になっている。

人生にうんざりしている人。人生に絶望している人は、是非とも、そのような天啓を得たいのではないだろうか?
では、そのような天啓を得た者のお話を見てみるのも良いと私は思う。

「マスターの教え」(飛鳥新社)や「マジック・ストーリー」(ソフトバンククリエイティブ )がそんなお話と思う。
また、「涼宮ハルヒの憂鬱」(角川スニーカー文庫)では、小学6年生のハルヒが自己変革を起こすきっかけとなった事件が面白い。小説1巻にあたる「涼宮ハルヒの憂鬱」および、アニメの「涼宮ハルヒの憂鬱VI」にそれがある。アニメの方は非常に幻想的に描かれ、小学6年生のハルヒはとても可愛い。

ただ、読んだり、見たりしただけでは駄目である。
真剣に考える必要がある。
世間や偉い人に従わない覚悟も必要となる。

そして、食を節制しないとやはり駄目である。たらふく食べている者には天啓は来ないし、来ても忘れてしまうだろう。
天啓とは、天使や妖精と同じようなものなのだ。

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2008.10.25

人間最大の力を得る

私が最高の思想家として敬愛するラルフ・ウォルドー・エマーソンは、人間の最大の力は「節操」であると著書に書いていたが、全く同感だ。
ひきこもりもであろうが、ホームレスに会って話をすると、非常に自己評価が低いことが分かるらしい。つまり、自分は駄目な人間だと思っているのだ。自分で自分を駄目だと思っていれば、誰も自分を高く評価してはくれない。
そして、自分を駄目な人間だと思っている者は節操に欠けるはずだ。

節操とは、「自分の信念をかたく守って変えないこと。みさお」と辞書にある。ついでに、みさお(操)とは「志を固めて変えないこと。節操」とある。
強い信念や志を育てれば強い人間になれると思う。
しかし、それは一般に難しいことだ。「必ずや優れた芸術家になる」とか、「信仰する宗教の教えを貫く」といった志を立てても、それは崩れやすいものだ。
だが1つ、やや厳しくはあるが、誰にでもできる、極めて崇高な志というものがある。
それが、少食・粗食の誓いである。
少食・粗食は、他の生命を守り、世界平和にも貢献するものである。
曖昧に「少食にする」とかではなく、「朝はジュースかミルクだけ。昼はビスケット2枚。夜は1汁2菜」といったように、具体的な誓いを立て、それを守るのである。厳しい内容であれば、すぐにはうまくいかないに違いない。しかし、ある程度厳しくないと意味がない。何度も失敗し、自分の弱さに落胆しながら何度もトライすることになるだろうし、思ったような少食・粗食にするのに10年くらいかかることもあるだろう。
だが、自らの誓いを守れるようになった時には強い人間になっており、自己評価も高まっているだろう。その上、節操のもう1面でもある謙虚さも備えているに違いない。
そんな人間が成功しないはずがない。

愛すべきひきこもりよ。今すぐ食を節制するのだ。これで失うものは何もないが、大きな可能性に踏み出すことになるだろう。

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2008.10.24

マジック・ストーリー

「マジック・ストーリー」というものをご存知だろうか?
1900年に、米国のサクセス誌に掲載され、非常な好評であったという大変に短い成功哲学である。
10分かそこらあれば読めるこの短いお話を読めば、たちまち生まれ変わり、すぐに成功への道が開けるというものだ。

日本では、ソフトバンククリエイティブから2004年に出版されている。
英語が読めれば、既に著作権は切れているので、Webを探せば無料で読めると思う。

「マジック・ストーリー」を紹介するための、こんなお話があった。

才能はあるが、全く評価されない画家がいた。いよいよお金が全くなくなり、餓死か自殺かを決めなければならなくなった。しかし、マジック・ストーリーを一読して生まれ変わると、絵を出版社に持ち込んだ。すると、すぐに採用され、以降、成功の連続となる。

マジック・ストーリーを書いたのは、数百年前の教育をほとんど受けていない事業家で、姓名などは不明である。しかし、彼は後の世の人のため、確実に成功できる秘訣を短い文章にまとめて残したということだ。

さて、「マジック・ストーリー」自体であるが、良いお話である。
ただ、こういう文章を別の言語(英語から日本語)に翻訳するのは実に難しいと思う。文章としてはシンプルでも、それぞれの言葉の示す内容は、おそらく書いた人と我々では相当異なる。深遠な真理であればあるほど、その齟齬は小さなものではない。
それでも、繰り返し読めば、著者の意図も分るようにも思う。

では、「マジック・ストーリー」を読めば、書かれているように、我々もたちどころに成功できるだろうか?
少なくとも我が国では、そんな人はほぼいないと思う。
しかし、「マジック・ストーリー」自体が悪いのではない。

私が思うに、おそらくは、「マジック・ストーリー」の著者自体が重要なことに気付かなかったのだ。
「マジック・ストーリー」の著者はどん底の状況から突然に生まれ変わり、成功への道を突き進んだ。
その生まれ変わる瞬間の状態が、上記の売れない画家と同じなのだ。
つまり、長い間、ロクなものを食べることができずに飢えていたのだ。実際、痩せ衰えていたとあった。
真に重要なのは、むしろこっちだ。強制的な少食・粗食状態にあったということが成功の条件を作り、「マジック・ストーリー」は、その肩をちょっと押したのだ。

「天使は見守るだけ。悪魔は幸せの方向にちょっと肩を押すのだ」
~コゲどんぼ著「ぴたテン」より。ニャーさんことクラウス・ローゼンバーグの言葉~

少食・粗食を実践すれば、それだけで十分である。
少食・粗食を堅く守っていれば、「マジック・ストーリー」は成功を早めてくれるかもしれない。

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2008.10.23

幽霊を見る能力で世界を変革できる

右脳開発なんて言葉を聞いたことがあるかもしれない。
実は、1980年代あたりには大変なブームであったと思う。多くの学者や教育家、あるいは怪しげなセミナー屋が、実に様々な右脳開発手法を打ち出し、「私のものこそが究極」なんて言ってたものだ。
結論から言って、その全てが失敗だった。

美術の世界では、美術教育者のベティ・エドワーズが、右脳理論のノーベル賞医学者とも協力し、「右脳で描く」訓練を通し、絵画はもちろん、あらゆる能力開発に役立てる訓練法を構築し、その著書「脳の右側で描け」は定期的に改定され、現在も人気がある。しかし、本当に成功しているかどうかは疑問だ。

今でも、右脳教育を謳っている教育事業はある。少しばかりの効果はあるのかもしれないが、宣伝ほどのものではないと思う。

世の中には、別に訓練を受けなくても右脳の強力なパワーを使えるような人もいるらしい。
例えば、心の中で想像したことを、鮮明に見、音声としてはっきり聞き、あるいは、リアルに皮膚感覚として捉えるといったものである。ただ、この能力は、精神病とみなされる場合もある。

そして、これらの能力も「右脳の力」と一言で言うには、あまりに複雑なのだ。
実はそういったことであれば、私にだって出来る。
例えば、心の中で作ったイメージを現実以上にリアルな映像として「見る」ことができる。
優秀な催眠術師を呼んで来ても、全ての人にこれを体験させられる訳ではない。暗示にかかりやすい人とかかりにくい人がいるからだ。覚醒剤を用いたって、なかなかその効果が現われない人だっている。しかし、かつてオウム真理教がやったように、薬物と共に、精神的に疲弊させ、追い込むといった手法を利用すれば大抵うまくいくと思う。
私の場合は、そんな馬鹿げた方法ではない。ただし、一定の条件は必要だ。

それは、身体は休息しているのに、頭が冴えている状態だ。
別に難しいことではなく、普段午後11時に寝る人が、午前2時、3時まで起きていて寝ようとするが、何か非常に気になることがあって頭が休まないのに、身体の方がさっさと眠ったような状況の時などである。
私も、そんな時に何かを想像すると、非常に鮮明でリアルな映像を見ることがある(目は閉じている)。
これは、エネルギーの大半が身体から引き上げられ、脳に回った結果と思う。だから、胃の中に食物が残っている場合や、身体に異常がある場合はこういったことが起こらないと思う。
現実自体が、脳が作るイメージであるのだから、想像により作った映像も正しく世界であり、1つの現実である。ここでは詳細は省くが、これにより、現実と呼んでいる単なる想像世界も変えることができる。
「人生が気に入らないなら変えてしまえばいい」(H.G.ウェルズ「ポーリ君の物語」より)である。

そういえば、金縛りにあった時に、幽霊などの恐いものを見た体験を持つ人も多いが、上記の理屈ですんなり説明できる。映像ではなく、恐ろしい声などを聞く場合もあると思う。私もよくあった。金縛りに遭い、子供の泣き声を聞いたりして大変に恐ろしかった思い出がある。有名な元プロレスラーの前田日明さんは、英国遠征の時、ホテルのベッドの中で、「Can you hear me(聞こえる?)」という、少女の声を聞いた恐怖体験を語っているが、これも同じ。そのホテルではよくあることとか言われ、霊体験の現実感を煽らされたようだが、霊もまた想像世界のことであり、想像世界が現実であると考えれば別に間違いではない。

大事なのは、そのような現象がなぜ起こるかだ。
「唯脳論(養老孟司)」にあるように、我々が現実と呼ぶ全ては、脳の中の出来事に過ぎない。苫米地英人さん(脳機能学者、計算機学者)によると、脳機能科学とは、脳と心を同時に扱うものであるらしいが、それで言うなら、全ては脳、または心の中で起こっていることに過ぎない。
チン・ニンチュウ(世界的作家、自己啓発事業経営者)は、夢をコントロールすることで現実を変革できると言い、彼女の論は非常に説得力があったが、やはり一脈通じるものである。

さて、本題である。
上にあげた苫米地さんもニンチュウも、現実を変える非常に素晴らしい方法を教えてくれてはいる。
私は、彼らの本に大変な感動を持ち、全てでは無いが納得もした。
しかし、おそらく、一般の人がこれらをやってみて成功することはやはり難しいに違いない。だって、苫米地さんやニンチュウの優秀さは半端ではない!それは、生まれつきの能力だけという意味でなく、学んだ学問や実践的な経験の数々が大きい。

だが心配は無用だ。もし、役に立つ方法があるなら、それに小難しい理屈などあるはずがない。神様は平等なので、肉体労働で精一杯で難しい本を読んでいられない人にチャンスを与えないはずがない。
私はさっき書いた。右脳を発動させるには、身体に使うエネルギーを脳に回せば良いと。
右脳はその活動に大量のエネルギーを必要とするのだ。
身体はじっとしていてもエネルギーを使う。その用途の大きなものは食物の処理だ。これは単に機械的な働きではない。高度な情報処理だ。パソコンだって、計算処理に最大のパワーを使うのだ。
だから、食を減らせば良い。できるだけ少食にすれば、エネルギーは脳に回ってくる。
その上で苫米地さんやニンチュウの本を読むなら、夢の実現の速度は実に速まるのではないだろうか?

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2008.10.22

美しき人生のために

皆さんは甘い食べ物はお好きだろうか?
私は超大好きである。
特にチョコレートやチョコレート系ケーキには目がない。
シュークリーム、プリンももちろん好きである。
だが、洋菓子専門ではない。
和菓子も、羊羹、もなか、甘納豆・・・やはり甘い系が好きである。

しかし・・・全て、もう一生食べることはないだろう。
最後に食べたのは、7月27のプリンであったと記憶している。
別に身体が悪いわけではない。超健康である。
肥満でもない。180センチ72キロ。胸囲98センチの逞し系ナイスバディである(笑)。
断っておくが、お金がないわけでもない(笑)。

もう一生これらの甘いものを食べないと思うと、何か自分が死んだような気がする。
死んだから食べられないのだと思うと、不思議に納得する。
「ローム太霊講和集」(霞ヶ関書房)を読むと、不慮の事態で急死すると、自分が死んだ自覚がなかなか持てず、架空の世界を作り出し、サラリーマンなら相変わらず会社通いをするという話が書かれてあったが、案外、私も既に死んでいるのかもしれない(笑)。

お菓子だけではない。
大好きだった焼肉もステーキも、カレーライスもすき焼きもしゃぶしゃぶもスパゲッティもオムライスももう食べないだろう。
一頃凝っていたイタリア料理、フランス料理も当然食べないし、中華も同様だ。
韓国料理、ブラジル料理、トルコ料理等も試してみたかったが、これで縁がなくなった。

世界平和と崇高で自由な人生のための少食・粗食生活を堅く誓っており、生涯、美食・間食はしないことにしているからだ。

ただ・・・
世界人類のために優れた成果をあげた暁には、稀にで良いから、アンパンとラーメンを食べたいと思っている。
ラーメンとはいっても、チキンラーメンか出前一丁かカップヌードルで良い(笑)。いまの私には、これらはとんでもない贅沢品である。

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経験的ひきこもり脱出法

ご存知かもしれないが、ひきこもった生活をしている時間が長ければ長いほど、外に出たり働いたりが出来なくなる。
人間というのは、習慣を持ちやすい神経構造を持っているのだ。そのおかげで、最初は厳しいことや辛いことにもいずれは慣れるという面もあるが、楽なことであれば休息に常態化してしまうのである。

私も1年くらいひきこもっていたが、単なる不登校の大学生であった(笑)。
幸いだったのは、そこで大学に行くことを唯一の選択肢にしていたら今だひきこもりであろう。しかし、別の選択肢を選び、アルバイトの求人募集に思い切って電話をしたら、すぐ来てくれと言われてその通りにしたというわけだ。
1つ目のバイトは2ヶ月で人間関係の悪化で辞め、2つ目は1日で嫌になり、3つ目は1年もった。こういう風に、嫌なところであればそこからさっさと逃げ(Beat itだ)、次に行くというのも、最初のうちは1つの手と思う。少なくとも、何もしないよりはマシである。
そうすれば、社会感覚も身に付き、精神も鍛えられ、仕事も楽になってくるのだ。
嫌な場所もあればマシな場所もある。
いくらひきこもりだって、暖かく接してくれる人間のいる場所が嫌なはずがない。私の経験では、そんな職場だって必ずある。

嫌だと思ったらとっとと逃げ、次を探す。これであらゆる職種を試してみることだ。意外なものが合うこともある。
もっとも、私の場合は、「ここで働こう」と思う主な動機は、その職場に可愛い女の子がいるかどうかであったが・・・(笑)。
ひきこもってじっとしていたら何も起こらない。医者の言うことなんか信用するな。私は医療全般、全く信じていない。
選択肢を自分で制限してはならない。可能性は無限だ。「これでないといけない」という意見など無視するのだ。ひきこもり続けるより数百倍良い。

同時に、たらふく食べているなら食を減らせ。少食、粗食にするのだ。修行と思っておやつを一切やめるのが良い。するとやる気も出てくるし、運も向いてくるのである。

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2008.10.21

哀れ日本(ダガーナイフ所持禁止で確実に起こること)

政府は、ダガーナイフ(両刃のナイフ)の所持を禁止する銃刀法改正案を閣議決定した。
こんな法案が本当に通ったら、ナイフによる犯罪は大幅に増える。
この国の指導者の頭の悪さ加減はもううんざりである。

禁酒法で闇バーが増え(米国)、夜這いの取り締まりで風俗が増え(明治時代)、淫行条例で援助交際が増えた(現代日本)。全て大幅に!
取り締まることがおかしなものを取り締まると、それらはよりダークに変質した形で急速に増殖する。当たり前の話である。
これからも不幸は多い。哀れ日本。

La
私はダガーナイフは1本も所持していないが、ファイティング用としてはそれに優る柘植(ツゲ)レジオン・アタッカーだ。ブレードは、M.V.S-8という非常に珍しい鋼材だが、柘植ブランドではよく使われる。
美しいので鑑賞用に所有している。

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2008.10.20

母親の呪縛

現在、幸福とは言えない境遇にある人の中で、強迫観念や様々な恐怖症を持ち、これがその不幸の原因であると認識している人がいると思う。特にひきこもりの多くがそうかもしれない。そして、その脅迫観念や恐怖症が、両親、特に母親がその要因であるとして恨みに思う人も多いと思う。そして、おそらくは、直接にはこれらの原因が母親であるのは確かであるかもしれない。
しかし、母親は加害者であると同時に被害者でもあるのだ。
母親もまた、あなたにそのようにせざるを得ないよう、何かに強制されたに違いない。母親の言動は、押し付けられた歪んだ価値観から起こっている。その価値観を押し付けた者は、学校やマスコミを通して、いまも全国民に強力に働きかけている。そのことを見抜かねばならない。
母親がどうであれ、あなたには母親を矯正することはほとんど不可能である。母親には、現在ある中で、できるだけ、身体的にも、精神的にも幸福でいてもらうだけだ。
あなたは、あなたが、母親同様に押し付けられた価値観から逃れ、自由になることで母親の仇を取るのだ。

母親の在り様について参考になるものとして、心理学者の岸田秀さんの「唯幻論物語」「ものぐさ精神分析」「親の毒 親の呪縛」あたりが分かりやすいと思う。
ただ、私にとって、岸田さんの論はあくまで参考であり、正確であるとは思っていない。それでも、実際に母親に多大な被害を受けて苦しんだ岸田さんの分析は非常に有益と思う。
参考程度に述べておく。
岸田さんはフロイト派の心理学者で、彼自身が言うとおり、彼の論はほぼフロイト精神分析学である。劇場経営者であった岸田さんの母親は、岸田さんが幼い頃から、彼を自分の都合の良い人間にするため精神的抑圧を加え、岸田さんは精神的に逸脱し、様々な精神病の症状を呈する。岸田さん自身は、自分の精神がおかしいことにうすうす気付き、その解明や矯正の可能性を信じて、早稲田大学の心理学科に入学するが、それは自分の求めているものではなく、何の役にも立たなかった。そこで、彼は独自にフロイトを研究するが、それにより、精神病の治癒にある程度成功する。母親が自分にどんな影響を与えたかを鋭く分析し、それを普遍化して示してもくれているので、この部分は誰にとっても良い情報と思う。
岸田さんも言われる通り、フロイト精神分析学は間違いではなく、非常に有意義なものである。フロイト以降の著名な心理学者アブラハム・マスローも、「私はフロイトの否定ではなく、フロイトの深い意味を追求したのだ」と言った。ただ、フロイト自身は、精神病患者をほぼ1人も治せなかった。
そして、現在は、神経科学、認知科学、脳機能科学など、人間の心理や行動についてより正確で有意な研究も進んでいる。それでも、フロイトの価値がなくなったとは思わない。
フロイトに関して否定的とも思えるコリン・ウィルソンも「全ての始まりはフロイトだった」と認めているのだ。

岸田さんが、とうの昔に亡くなった母親を「赦さない」と書いていたのは私としては残念だ。私の母親も、岸田さんの母親とほとんど同じである。母はまだ元気だが、自然な精神に戻せるとは思わない(世間的には良いオバさんであるし、実際、良い部分も少なくはない)。だが、それで良いのである。過去の母親は、現在、および、未来の私に何の影響も及ぼさないのだから。

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2008.10.19

炎とナイフ

人間は、炎を見ると恐れもするが安心もする。
人間にとって炎は守り神でもあり、その尊さは我々のDNAに刻み込まれている。
ナイフ作りの巨匠ラヴレスは、人類にとってナイフは炎に次ぐ友と言う。するとやはり、我々のDNAにはナイフへの愛着が刻まれているのではないだろうか?
私はナイフが大好きで、見ているだけで何か嬉しくなるが、別におかしなことでもないと思う。

Opinel
上の写真は、フランスの国民的ナイフであるオピネルだ。
ごく日常の中にあるナイフ。ナイフには、そのようなものの中に名品がある場合も多い。ピカソもこのオピネルを愛用した。
ブナの木の柔らかい曲線のハンドルは実に暖かく、手にしっくりとくる。
構造はシンプルであるが、オープン時、クローズ時とも安全にロックできる。
また、実に安価だ。この刃長80mmの#8と呼ばれるモデルは売価で千数百円(Amazonで現在1220円)だ。

さて、もう1つ人間のDNAに深く刻み込まれているのは飢餓への恐怖だ。人間は餓えることを何より恐れ、食糧生産の技術を全力で進歩させてきた。特に日本では江戸時代、大名の実力を米の石高で表すほどであった。

しかし、人類は飢餓への恐怖に挑戦する時をずっと前に迎えている。
はるか昔、人類は脳を高度に発達させ、情報を高度に処理する能力を得た。情報の処理には、記憶と計算と判断の能力が必要であるが、それと共に意志が必要だ。
意志の働きはいまだ謎で、英国の天才数学者・物理学者ロジャー・ペンローズはツイスター理論という仮説を立てるが、それは一般的に考えると神秘としか言えない。

私の個人的説であるが、我々は、食欲に抗い、食物を分解、吸収、排泄するエネルギーを脳に回すことで、脳の神秘な力により、宇宙を構成する情報に働きかけることが可能となる。結果、世界は意のままとなる。
逆に、食欲に従うことで我々は世界の奴隷となる。
説の妥当性はともかく、結果はその通りになるであろう。

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2008.10.18

食が運命を決することの論理

少食を実践すると、どのような理由で何事も良くなるのか?
そんなことをいちいち考えなくても、食を節制すれば、健康になり、能力は向上し、美しくなり(笑)、運もよくなる。良いことだらけである。
将来に何の希望もなく、さりとて何をしたら良いか分からないような情況でも、食事を抜くことできっかけが掴めると思う。

だが、そう言われても、食は人生最大の楽しみ・・・であると、幼い頃から徹底的に洗脳されているので、そう容易には食の誘惑には抗えないかもしれない。
私は、そんな価値観を押し付けてきたものを全部疑ってきたので少食を実施できたが、普通はそうではないと思う。

一般には、能力とは生まれつきのものであるとか、学校の成績が示すものといった大馬鹿を真に受けている人が多いので、「なんで少食と能力が関係があるのだ?」と怒られかねないものである(笑)。
また、健康とは、3食十分に食べて栄養を取り、それも、1日30品目が良く、朝もしっかりと食べることであると思い込まされている。
運に関しては、怪しげな占い師や霊能力者の言うことは聞いても、食を少なく貧しくと言う言葉は聞こうとしない(笑)。

医学的に少食が健康に良いと言うお医者さんもいるが、彼らの言うのは、食が少ないことで消化に関わる内臓器官が休息できて負荷が減るから・・・といったものが多いように思う。
それも確かにそうであるが、かなり不完全と思う。

ちょっとITスペシャリストらしいたとえ話をする。何、簡単なことである。
これを読んでいる皆さんは、パソコンには当然ウイルスチェックソフトをインストールしていると思う。もししていないなら、至急入れるべきである。別に有償ソフトでなくても、無償のAvastなら、下手な有償ソフト以上である。
ところで、出来の悪いウイルスチェックソフトのおかげで、パソコンが非常に遅くなったということはないだろうか?
私はある。起動から5分以上、ほとんど使い物にならないくらい遅くなったことがあった。調べるてみると、当時使っていたウイルスチェックプログラムが原因と分り、それをアンインストールし(アンインストールに大変な苦労を強いられた)、別のウイルスチェックソフトをインストールしたら劇的に軽く速くなった。
ウイルスチェックソフトだけでなく、いろいろ余計なソフトが動いているせいでパソコンが遅くなっていることが多い。パソコンの所有者すら知らないうちにインストールされ勝手に動いているソフトも多いかもしれない。これらは、スパイウェアのような非常な悪意のあるものとは限らないが、ソフト会社の都合で勝手にパソコンにインストールして動かしているものも少なくはない。

食べ過ぎて能力の落ちた状態というのは、このような余計なソフトのせいで遅くなったパソコンにむしろ似ている。
食べ物を消化したり、その中の悪いものを適切に処理したり、吸収したり排泄したりするのは決して機械的な働きではなく、脳を中心とした神経系の膨大な情報処理に負う部分が大きいのである。この食べ物の処理の情報処理のエネルギーが大きいと、脳や神経の能力がそれに注ぎ込まれてしまい、創造的な能力が発揮できないこととなる。
パソコンでも、大きな情報処理(計算や判断)を必要とする時にCPU(中央処理装置。パソコンの心臓部分)の稼働率が大きく上がる。人間も、脳や神経が起す情報処理に多くのエネルギーが使われるのである。だから、運動をしてもなかなか痩せないが、悩んだり考えたりすれば簡単に痩せるのである。

人間の脳は、その数パーセントしか使われていないという話は聞いたことがあると思う。
なぜそれだけしか使われないのだろうか?文明が進歩し、機械などがやってくれる部分では脳が使われなくなったのだろうか?また、昔なら、危険を察知して回避するために働いていた部分が使われなくなったのだろうか?
また、脳のある部分が発達した子供が異常な計算能力を発揮したり、ダ・ヴィンチも顔負けのデッサンを訓練を受けることなく出来てしまう幼児もいる。
ただ、上記の異常な才能に関しては、脳の別の部分の発達不足の補償として起こることもあるらしいが、脳の大部分が使われていないのも事実である。
脳の大部分が使われない理由であるが、やはり、現在使っている部分の脳だけで、脳に回ってくるエネルギーを使い切ってしまうからだろう。
よって、食物の処理に使う脳や神経のエネルギーを減らせば、もっと別の才能や能力の部分の脳が使われるのであると思う。
脳の機能で最も高く、最もエネルギーを使うのは閃きのような非常に抽象的で広大な、おそらくその中身は超並列的で複雑なものであると思う。その最高のものが悟りであろう。だから、釈迦もイエスも長期の断食の後に悟ったのだと思う。

「唯脳論(養老孟司著)」を読んでも、我々が現実世界と感じているものは全て脳の中で行われていることである。いわばバーチャル世界であるが、脳がこのバーチャル世界を構成するのに使うエネルギーは相当なものと思う。
そして、それを急激に改変させるのは大変なことである。
現実の在り様を作るのは脳であり、心であるのだ。
そして、意識の働きはいまだ謎であるが、それが認識する宇宙は我々が考えるほど「堅固」なものではないと思う。宇宙そのものが我々の心が作るものであるかもしれない。

こう考えると、もはや我々は食べている場合ではない。
水野南北の食による運命の判定は万に1つも外れなかったということも信用し、食を節することで新しい世界を作ろうと思う。

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2008.10.17

理想の彼氏彼女とは

どのようなタイプの異性を恋人や結婚相手にしたいと思っているだろうか?
一般的な話であるが、若い女性であれば、相手の男性は「イケメンで背が高く、高学歴。年齢は自分と同じか5歳上まで。年収はできれば3千万円以上。スポーツマンで性格が良くて優しくて面白く、自分をお姫様のように扱ってくれる」といったところか?
男性であれば、「できるだけ若く、可愛くて、清楚で、男性経験は無いのが良い。優しくて控え目。自分を立ててくれる」あたりが理想かもしれない。

もし、上記のような希望を持っているなら、自由な人間になれないし、超人になることもないだろう。

上に挙げた理想の相手というのは、外部から押し付けられた価値観を現したものに過ぎない。
「そんなことはない。理想的過ぎるが、申し分のない条件だ」という声も聞こえてきそうだが、このようなものを我々に求めさせることが支配者の理想なのである。
つまり、安定して出来る限りの労働と税金を提供してくれる奴隷を育てるために押し付けた価値観なのである。
この価値観は、学校や、マスコミを通じた国家や大企業からの繰り返されるメッセージにより、幼い頃から我々に叩き込まれるものであり、拭い去るのは容易ではない。

「1人くらいまともに付き合おうと思ったヤツはいなかったのか?」
「全然ダメ!どいつもこいつも、アホらしいほどまともなヤツだったわ。宇宙人でも超能力者でもないし」
~「涼宮ハルヒの憂鬱」(谷川流著)より~

涼宮ハルヒが神に等しい力を持つ理由がよく表現されていると思う。
彼女は、あることがきっかけで、小学6年生の時に、押し付けられてきた価値観に疑いを持ち、それを捨て去ることとなったのだ。

政木和三さんの本にもよく書かれているが、夢を持つなら、一生かかっても絶対に不可能な夢を持てば良い。達成の可能性などどうでも良い。
それでいえば、彼氏彼女も、規格外れの望みを持つのも良いかもしれない。
その理由は、ハルヒが答えている。
「その方が楽しいじゃない!」

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2008.10.16

政木さんが教えてくれた百人の女性にモテる法

Googleで「政木和三」で検索すると、このブログが2位であった。1位は「船井幸雄.com」だ。個人的には船井幸雄さんはあまり好きではないが、それはまあ良い(笑)。
船井さんも、私同様、政木さんから、政木さんの研究所で、政木さんの著書「精神文明と奇跡」をもらったようだ。

政木さんに聞いたお話の中で、政木さんの本を読むよりためになったと思うお話があるので少し話す。
政木さんは「私はお金なんてあまり欲しくはないのです。しかし、社長(政木さんが当時勤務していた林原生物化学研究所の林原社長)が、私の発明の特許使用料を私の口座に振り込んでしまわれるので、私は昨年、1億円納税しました」と言われた(ただし、政木さんの会社である「政木研究所」に振り込んだということかもしれない)。
これは昼食の時の話だが、その日に行われた政木さんの講演会も終わり、夜に懇親会をしていると、何のきっかけか、政木さんが女性にモテる方法を話し始めた。
「私はね、女性なんてちっとも欲しいと思ってないのです。しかし、百人の女性が私に身を任せるのだから仕方がないと思っているとそうなるのです」

政木さんの教えは「欲望を捨てると不可能はない」である。
このようなライトな欲の捨て方もあるわけだ。どうも、本格的な方は私には無理だと思って、こんな方法を教えてくれたようにも思う。
しかし、よく分る教えだと思わないだろうか?

しかし、いつだったか、何のきっかけだったか忘れたが、政木さんにこんなことを言われた。
「あなたは千年生きれると思ったら、その通りになります」
政木さんだって、数世紀に渡って生きる人間は稀有な存在として講演の時に話される。
あくまで潜在的にということかもしれないが、私にもその位の力はあるということと思う。あるいは、私の念願である仙人になるということであろうか。嬉しいことである。

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2008.10.15

この世はままならぬ

とかくこの世はままならぬ。
昨日は、この世は意のままと書いたような気もするが、それはまあそれとして(笑)。

「灼眼のシャナ」という、高橋弥七郎さんのシリーズ585万部という人気小説とそのアニメに登場する、ベルペオルという名の妙齢の3眼の美女は口癖のように「ままならぬ」と言う。しかし、そういう彼女はどこか楽しそうだ。
作戦が失敗に終わった時も、微笑さえ浮かべ「やはりこの世はままならぬ」と言ってあっさり立ち去る。決して、悔しそうに感情を爆発させることもない。

ままならぬのも、また良いことなのだ。
誰かに計画を潰されたわけではない。潰させたのだ。それもまた、私の意志である。
きっと神様が私を楽しませてくれたのだろう。アメリカの偉大な実業家にして作家であるチン・ニンチュウもそう言っていたと思う。

さて、明日もまた、ままならぬこの世で遊ぶとしよう。

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2008.10.14

世界の所有者の心得

アメリカに、女性に大変に人気のあるプロレスラーがいる。
彼が言った。「世界中の女は俺のワイフさ。そう思ったら楽しいじゃないか」
なんとも心の広い(笑)。私なら、ストライクゾーンは全女性の1パーセントといったところだろうか?(笑)
だが、考え方は良い。
これを書いていたら、家の上空を飛行機が通過する音がした(さして煩くはないし、頻繁でもない)。
あの飛行機は実は私のものだ。しかし、私は普段、飛行機を必要としないので、航空会社に運用をまかせているのだ。
私の趣味である世界中の全てのナイフは私のものだが、私は少し手元にあれば良いので、世界中の人にナイフの素晴らしさを知ってもらうために、そのほとんどを預けているのだ。
会社からの帰り道で見た家々は全て私のものだ。しかし、私には1件あれば十分だし、人々が家族仲良く暮らすことを願って住んでもらっているのだ。
全ての銀行にあるお金も私のものだ。しかし、私は少しあれば足りるので、好きなように運用させている。しかし、人々がマネーゲームばかりに興味を持ち、ものを作ったり売ったり、サービスをしたりせずに楽に儲けようとし過ぎたら、全部回収してやろうとか思うこともある。私のものである公的資金を絶対にそんなことをしている大元に投入してはいけない。でないと連中は懲りない。

この世は私のものだ。かといって、王座についてふんぞり返って贅沢をするばかりが能ではない。もっと楽しいこともあるのだ。

そう思えば楽しいというばかりではない。これは真実でもあるのだ。
この世を創るのは心だ。
上司や上官に嫌な命令を出されたとしても、それはあなたが命じさせたのだ。そこを間違えてはいけない。主体は自分にあるのだ。
これらの考え方に馴染んでくると、世界はだんだんと意のままになる。ただ、世界が他者によって動かされていると思う芝居も悪くはないものだ。

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2008.10.13

この世を自在に動かす

最近の趣味である天使との会話の中で思ったのだが、聖書には「はじめに言葉があった」と書いてあるが、これは、「はじめに情報があった」という意味と思う。
昔は、情報と言う概念がなかったので、とりあえず言葉としたのだと思う。
その時、私に啓示が訪れ、この世の在り様が見えた(マジか)。

数学や物理学で、この世の在り様や脳機能を表現するには関数(ファンクション)を使う。関数とは、中学や高校でも、

f(x) = 8x + 5

などという関数を扱う。
上記では、xが3なら、関数は29という値を持つ。
変数は1つとは限らず、

f(x,y) = x^2 + y^2 + 2x +9y +100 ※x^2 はxの二乗

と2つでも良いし、百でも千でも構わない。
そして、関数式自体も、中学、高校では1行のものしか見ないかもしれないが、1万行でも百万行でも良いのである。

情報とは、このように科学では関数で表す。
ところが、自然の法則や脳の働きを関数で記述するには限界がある。それほど自然や脳は複雑なのだ。

ところで、この世の複雑さを研究するうちに、この世は、小さい部分が、それが形作る全体と似た構造をしていることに気付くようになった。これはフラクタル理論と呼ばれる。
例えば、枝1本の形が、その中の1枚の葉に似た形をしているようなものだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、水の流れの中の渦を見て、大きい渦は、その中の小さな渦と似ていると直観したらしいが、これもフラクタルである。

部分と全体が似ているというのは、科学に限らず有用な考え方で、天才的なサイエンスライターだったアーサー・ケストラーが「ホロン革命」という、部分と全体との関係を洞察した凄い本を書いている。

ところで、コンピュータの世界では、関数より飛躍的に複雑な概念を扱う方法としてオブジェクトというものが発明された。これは、やはり自然界の階層構造をコンピュータプログラミングに持ち込んだものだ。
現在のコンピュータが圧倒的に進歩したのは、プロセッサなどのハードウェアの進化と共
に、このオブジェクトを利用したオブジェクト指向によるところが大きい。

なぜ、階層構造、つまり、コンピュータでのオブジェクト指向を使うと複雑な概念を表せるかというと、上に書いたように、自然自体がフラクタルという部分と全体が似た階層構造だからだ。

自然界の階層構造について、違った角度から述べる。
例えば、犬には、ブルドッグやテリアやシェパードなどの多くの種類があるが、これらの犬の上位概念は犬であり、各種の犬は、犬としての性質を持つ。
コンピュータでは、この「犬」を、各種の犬の上位オブジェクトなどという。
また、犬や猫、牛や猿や人間は哺乳類であり、哺乳類としての共通の性質を持つ。人間の上位オブジェクトは哺乳類である。さらに上位には、動物、そしてその上に生物という概念、あるいは、上位オブジェクトがある。
概念やオブジェクトは上がれば上げるほど抽象的になることに気付くと思う。

抽象思考が出来る人ほど頭が良い。逆に言えば、知恵のある人とは抽象思考の能力がある人だ。
例えば、頭が悪い人は、シェパードは犬であることが分かるが、ブルドッグが犬であることを納得しないようなものなのだ。
頭が悪いと、個々について全部調べる必要があり、実に効率が悪い。
イエスは、たとえ話をすることで概念を分かりやすく示した天才であることはよく知られているが、これが頭が良い人間の特徴でもある。

もっとも、抽象思考ばかりでも問題がある。
例えば、電圧といったものが分かりにくくても、圧力という風に抽象度を高めれば、つまり、上位概念を使えば、水圧と同じであり、これを例えとして電圧も理解できる。
しかし、電気と水は異なる部分もあるのに、それに配慮しなければやはりアホである。
もともとは賢かった人が、年をとって若い人に相手にされなくなる原因もここらにある。
教育者でもあった哲学者ルドルフ・シュタイナーが「42歳までは職人をやれ」と言ったのは、やはり若いうちに地に足の付いた論理性も身に付けろという意味と思う。つまり、何らかの専門は1つあった方が良い。
例えば、会社経営は実務と比べ抽象的思考を必要とする。しかし、抽象思考のまま実務をやるとケガをするようなものである。経営の達人になったらもう課長は務まらないのだ。
ビル・ゲイツはCEOを退任しても、まだソフトウェア計画のリーダーが務まった。それは彼が元々プログラミングの達人だからだ。


さて、なぜ私がこんなことを長々と書いたかというとだが。
ここからが重要な部分だが、ついてこなかった人が多いかもしれない。
ハルヒも「諦めずについてきなさい!」と言ったのに・・・^^;

我々が、意志の力をもって世界をコントロールするには抽象思考が必要なのだ。
この世における最も抽象度の高い、つまり、上位概念とは何であろうか?
それは「存在」である。
存在に思考が馴染めば、この世に不可能はない。
ニサルガダッタ・マハラジは「結局のところ、あなたが唯一納得できることは、自分が存在するということだけだ」と言った。
デカルトは「我思う、ゆえに我在り」と言ったが、人々は「我思う」にのみ注意を払った。馬鹿なことだ。思うか思わないかに関わらず、我はあるのだ。デカルトも最終概念が「在る」であると思っていたので天才なのだ。

だが、心配無用だ。
欲望を捨てれば存在を知ることはできる。そのためには食を節制すれば良い。強引な理屈だが本当だ(笑)。

さて、長くなった。解説はまたおいおい(をい)。

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2008.10.12

再誕と変革

俳優の自伝などを読んでいると、面白いことに気付く。
俳優というのは、最初のうちは仕事を選べる者など滅多にいない。来る仕事は何でもしないと仕事そのものがない。
しかし、実力が付いてくると自分に相応しい仕事を選ぶようになるが、丁度良い時期に丁度良い仕事が不思議に来ることがある。一流の俳優はこれが連続して起こる。

しかし、彼らは気付いていないかもしれないが、実は最初から自分で仕事を選んでいるのだ。

私は俳優ではないが、私のようなコンピュータソフト開発者でも同じである。
この仕事は、熱心に仕事と勉強をすれば、時間の経過と共に実力はウナギの滝登りだ(涼宮ハルヒ的表現)。1年目で無理な仕事でも、5年目なら可能になるというものも多い。
だが、出来るか出来ないかが微妙な仕事もあると思う。
私の場合、後から考えると、1年前に受けていたら大失敗に終わったかもしれない仕事が、丁度タイミング良く今来たということがよくあった。

これは、漫画やアニメの「美少女戦士セーラームーン」を見ていて気付いたことでもある。
セーラームーンのアニメは5年続いたのだが、若いセーラームーンは、時と共にどんどん強くなる。ところが、セーラームーンの成長と共に敵もどんどん強いものが出てくるのだ。
元々、特に原作のセーラームーンというのは実に哲学的なお話で、運命とか宿命というものを描いた作品なのである。
そして、原作のセーラームーンの最後では、セーラームーンは、これまで倒してきた敵は、元々は自分と同じところから来たきょうだいであることに気付く。敵がセーラームーンに向かってくるのは、愛する人を求める気持ち、再び一緒になりたいという気持ちと同じであることをはっきりと理解する。
これほどの人気作品を描きながら、作者の武内直子さんは今や漫画の仕事に追われる生活からは解放されている。これは奇跡と言って良い。

人間、たとえひきこもっていても何もしていないということはない。
注意深くあれば、自分が運命や世界を創っている過程にも気付くと思う。場合によっては、ひきこもっていた方が分かりやすいかもしれないくらいだ。
ひきこもりが一瞬にして超人になることがあるのもそのためだ。
だから聖者達は例外なく、「自分に油断なく気付いていろ」と言うのだ。
子供の頃、よく奇跡を起こさなかっただろうか?私はよく起こした。
欲望を捨てれば今でも楽々と出来る。
欲望の中で一番強い食欲に逆らえばよく分かると思う。なら、少食にせずにいられるだろうか?

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2008.10.11

道具と武器としてのナイフ

たまには趣向を変えて、人類最初の道具にして最古の友であるナイフのお話です。私は、ナイフさえ眺めていれば満足と言う危ない、いえ、おかしなヤツです(笑)。

B110
こちらは、米国BUCK社のフォールディングハンター110。
まさに野外での男の道具として作られた実用ナイフです。
あまり高価でないが良い折りたたみナイフを1本というなら、これをお薦めします。
フォールディングナイフとしては大型で、初めて手にすると、大きくて驚くという方もいるかもしれません。刃長は95mmもあります。
1964年の登場から姿を変えておらず、ボウイナイフのような鋭い形状、天然木のワイルドで深みのあるハンドルで、定価で1万円程度とお買い得と思います。

Sservice
こちらは、アルマー・シークレットサービス。
最高の機能性、機動性を持つフォールディングナイフです。
このシークレットサービスのように、ライナーロック方式で片手でオープン、クローズの出来るナイフは多いですが、このナイフほど操作しやすいナイフはないでしょう。
元グリーンベレー隊員のアルマーがデザインしたこのナイフは、その名が示唆する通りファイティング用です。
刃長は85mmで、そこそこあります。護身用に1つという場合にもお薦めですが、残念ながら銃刀法に抵触します。価格は定価で11,550円です。

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2008.10.10

ハルヒになる

重要な神事を執り行う巫女やシャーマンは、少なくとも数日以上の断食を行ってから行に挑むのが普通と思います。
また、悪霊(その実体は大衆が共同で持つ幻想かもしれませんが)と戦ったり、天下の大願を祈る役目の者も断食を行わないなら本物ではないように思います。
一般の人間においてさえ、どうしても叶えたい願いや、はらしたい恨みがあり、そのために超常的な存在を頼りとする際は、たらふく食べていては成就はありえないと思われます。
そして、釈迦もイエスも、悟りを開く際には長期間の断食を行いました。

このように、人が大きな力を必要とする時には、必ず断食を行うのですが、このことを見ても、食べないことに何か大きな秘密があることを、人類は心の奥で知っているのではないかと思います。

1つの成功哲学の本ではあるのですが、「成功の扉」を書いたマイク・ハーナッキーは、「思考と物体は同じものだ。今は無理かもしれなうが、いつかそれを証明したい」とその中で書いています。
エネルギーと物体が同じであることはアインシュタインが発見しました。そのために人類は核兵器を持つようになったのでした(一応断っておきますと、アインシュタイン自身は核兵器はもちろん、戦争をなくすための努力を惜しまなかった平和主義者です)。
そして、ハーナッキーの言う、思考と物体が同じというのも、彼の証明を待つまでもなく事実と言えると思います。つまり、情報世界と物理世界は同じものであるということです。

もし超能力というものがあるなら、それは意思が物体に直接働きかけるのではなく、意思が情報世界に働きかけ、情報世界の変化が物理世界に現われるのであると思います。奇跡的治癒というものも同じ原理と思います。
我々は常に思考でもって情報世界に働きかけておりますので、結果として、常に物理世界にも働きかけています。
では、どうやれば望む結果を得られるのかといいますか、どうやるかは考えるまでもなく、常に望む結果を出しているのであります。
だから、自分が変われば世界が変わるというのは、言い古されてはいますが真理です。

人間は本質的に強い自己愛を持っています。自分が幸福であるいことを望み、悲惨であることを願いません。
よって、本来であれば、宇宙は我々にとって快適なものであるはずです。
しかし、余計なものが我々の思考の中に山積するため、望まぬ結果も出ます。

そこで、最初に取上げた断食の話ですが、我々は食を節することで、自由意志を持って情報世界に働きかけることが可能になります。長期の断食であれば、意思の強さを失わない限り最大規模の働きかけができます。
そこまででなくても、できるだけ少食にすることで、情報世界に望むような影響を与えます。今流行の「引き寄せの法則」で、これがどれだけ上手くやれるのかは知りませんが、少食の力にはまるで及ばないはずです。

余談ですが、人気小説・アニメの「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズで、情報世界と物理世界が同じであることを面白く描いていました。
長門有希は「涼宮ハルヒは、自分の都合の良いように環境情報を操作する力がある」と言いましたが、これは情報だけでなく、物理世界も自由にできるという意味であることを注釈なく語ったものです。聞いているキョンもそれは分っていたと思います。
朝倉涼子がキョンの抹殺を企てた時、逃れようとするキョンに「無駄なの。この教室は今、私の情報制御空間」と言いますが、これも同様です。情報を操りさえすれば、物理世界も自由なのです。
早い話が、少食を実施すれば、あなたもハルヒになれるわけです。

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2008.10.09

「赤いハイヒール」の少女は幸福になったか?

太田裕美さんの古い歌で「赤いハイヒール」というのがある(作詞は松本隆さん)。

田舎から都会に出てきた若い女の子の話だが、彼女には恋人がいて、その恋人が彼女のことを語るのであるが、その歌を、太田裕美さんのいかにも女の子らしい声で歌うので、非常に独特な雰囲気になっている。

女の子は希望に胸を膨らませて都会に出てきたのだろう。おさげの少女だったというから、今なら中学卒と考えられるが、当時なら高校卒業直後かもしれない。
彼女は、その希望に満ちた心で、赤いハイヒールを買う。やはり、高卒時なのだろう。

しかし、故郷なまりにコンプレックスを感じ、仕事は辛く、苦しい日々が続く。
赤いハイヒールは、童話のシンデレラで意地悪な継母が履いた、真っ赤に焼けた鉄のハイヒールに感じるようになっていた。

日に日に瞳に輝きを失くす彼女。
そして、恋人は決意する。2人で彼女の故郷に行き、そこで暮らそうと。
それで2人はハッピーさ・・・

大体、こんな歌である(いや、本物をちゃんと聴いて欲しい^^;)。

ところで、私は預言者である(マジか)。
この2人が、その後どうなったかが分る。いや、別に松本隆さんに聞いたわけではない(笑)。

2人は破局し、彼女は不幸になる。これは間違いない。残念であるが。
だって、彼女は仕事が辛く、真っ赤に焼けた鉄のハイヒールを履いていたのだ。心の中で。それが彼女の未来なのだ。
その赤いハイヒールを履いて死ぬまで踊る自分が、彼女が認識する現状の情報宇宙だ。その縁起は未来から来ている。では、未来は彼女の現状に相応しいものであるのだ。
斎藤一人さんが、傍目には悪い状況であっても「幸せだな~」と言い、本当にそう感じているのは、未来が幸せであることを認識しているからだ。縁起である未来が幸福であるのだから、現状が幸福でないはずがない。

ちょっと分りにくいか?
では分りやすく言うと、この現在と未来の関係を、過去と現在に置き換えると良い。
エディ・マーフィーは、「黒人だからということで損をしたことなんて1度もないさ」と言った。これを強がりと取る人もいるかもしれないが、損なんかするはずがない。
いろいろなことがあっただろうが、エディは現在、過去に起こったことを損なことと解釈していない。だから絶対に損ではないし、実際に損ではない。だから現在幸福なのだ。

では、未来から見た現在を不幸と解釈しなければ未来は幸福なのだ。そして、実際に不幸なんかでないのだ。
過去も未来も幻想である。幻想と言って悪ければただの情報である。
インドの詩聖タゴールは、人間が月を月として見なくなれば月は存在しないと言った。もう少し詳しく言うと、人間が月というものの情報を従来の月と全く別の情報として捉えると、もはや月は従来の月とは、全く異なるものになる。
コロンブスが巨大な船でアメリカ大陸にやってきた時、原住民には船が見えなかったのだ。原住民の情報認識で、その巨大な何かは船ではありえなかったのだ。
幽霊や天使がはっきり見える人はいる。彼らの情報宇宙に幽霊や天使が存在しているからだ。だが、大抵の人ではそうではないので、幽霊や天使は存在していないのである。

難解で知られる、道元の「正法眼蔵」の中でも最難関と言われる「有時の章」に、「過去は現在で経験され、未来も現在で経験される」とある。
実際に在るのは現在だけであり、過去や未来は情報に過ぎない(とは書かれていないが)。
逆に言えば、過去も現在であり、未来も現在だ。
過去を不幸と解釈すれば現在は不幸だし、現在を不幸と解釈すれば未来も不幸だ。

小椋圭さんの「それが夢ならば」という歌にこんな歌詞がある。
「どんな辛い愛も旅も、過ぎてみればただ、遠いところから、ほら、笑いながら手を振るよ。今日はどんな思い出を作ろうか」
これを、決して「あの時は苦しかったなあ」と取らないで欲しい。笑いながら手を振っているのだ。幸福だからだ。そして、今日も幸福な思い出を作ろうとしているのだ。

「赤いハイヒール」の少女は、今現在、幸福であるべきだ。
なんといっても、彼女を深く愛する恋人がいるのだ。
辛いと認識できるほどリアルな仕事もある。
仮に、それらがなくても幸福である。自然にそう思えば、未来は明るい。
分らないなら食を抜け(出た!Kayの少食の薦め)。たちどころに分るであろう。

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2008.10.08

なぜ少食、粗食で運命を好転させることが可能か

私が、なぜ、食を厳しく節制すれば、運が良くなり、望むなら財や名誉にも恵まれると言うのかといいますと、1つには、江戸時代の観相学者、水野南北の「相法極意修身録」を読んで納得したというのがあります。
少し説明しましょう。
観相学とは、人の顔や身体の特徴から運勢を判断する一種の運命学です。
水野南北は、子供の頃から飲酒し、やがて酒代欲しさに強盗を働き、牢に入れられます。その牢の中で、罪人と普通の人では、顔の相に大きな違いがあることに気が付きます。
そこで、南北は観相家に自分の相を見てもらうと、致命的な悪相で、余命1年を宣告されます。助かる道は徳を積むしかないと言われ、南北は禅寺への出家を決意します。しかし、その相貌の悪さから禅寺の禅僧に入門を断られますが、「1年間、麦と大豆だけの食事をしたら入門させる」との約束をもらいました。南北はその通りとし、再度禅寺に入門を願いに行く前に、もう1度、あの観相家に会いました。すると、その観相家は「運勢が大きく変化している。おまえは余程の徳を積んだに違いない。人命を救うとか、寺を建てるとかしたのか?」と聞かれ、ただ、食事を麦と大豆だけにしただけだと答えます。すると、観相家は、それが徳になったのだと言います。
つまり、食を節制することは、人の命を救ったり、寺を建立するほどの徳であると言うわけです。
南北は出家を止め、自ら観相家を目指します。あらゆる努力をして観相を極めますが、南北は悩みます。観相学的には相が悪くても運勢の良い者がいるし、その反対もいる。ほとんどは修得した観相学の通りとなるが、百発百中でない。
大いに悩んだ南北は50日の断食と水行の荒行を行いますが、その時、食が全てであるという啓示を受けます。
以後、南北は観相の際にも、相談者の食生活を聞き、食の多少や贅沢具合により判断すると、万に1つ、運勢の判定に誤りがなくなりました。やがて、南北は相談者に観相のことは言わず、全て食で判定するようにすらなったと言います。
南北の運命判断にどのくらい権威があったかと言いますと、その弟子は千名とも言われ、評判を聞いた皇居からも度々鑑定に呼ばれたと言われます。また、7つの蔵を建てる長者であり、当時としては違例の78歳まで生きました。

さて、このような伝承には、当然誇張も含まれている可能性があり、全て信じて良いかどうかは疑問です。しかし、南北の「相法極意修身録」を読んだ限り、大変に納得できる内容でありました。しかし、これもまた、私の主観と言うもので、科学的、論理的根拠も欲しいところであります。それが無理な場合でも、現代的な統計資料でもあれば良いところです。健康に限って言えば、少食が健康に良いことは調査を実施すれば、正の相関関係があることは証明できそうな気がします。
財運に関しては分りません。IT富豪のビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズが、若い頃から少食であったことは有名ですが、大食・美食の富豪もいるかもしれません。

ところで、健康はともかく、財運を科学的、論理的に証明することなど、そもそも不可能です。そのため、仮説として説明するしかないのですが、あくまで仮説であり、それをどう捉えるかは個人の自由であります。
財運を含めた運勢を大真面目に考えるのは、占い師の他は、ギャンブラーがいます。実際に、大物ギャンブラーは何か不思議な運勢の法則を知っているような気もします。
他には、因果律や、その基盤である存在、時間、現象を総合的に考える哲学があります。宗教でも、高度な思想であれば哲学といって良いかもしれず、実際、ヒンズー教、仏教、道教は哲学と言われることもあるばかりか、その思想が最先端の科学者にヒントを与えることすらあります。物理学や数学も、あまりに高度になると宗教、あるいは形而上学と区別が付かなくなるほどに感じるかもしれませんが、実際に数学や物理学は世界の複雑な在り様そのものを説明するようになりました。では、将来は、数学や物理学で人の運命を判定できるようになるかと言いますと、そうではなく、数学や物理学で運命を鑑定できないということをこれらの学問で証明することとなると思います。

この世の真理を、科学的プロセスを通さず、一瞬にして直感で掴み取る能力を有するのではないかと思われるのが芸術家です。芸術家の重要な能力は「閃き」ですが、それは現在では論理的なものとは考えられていません。再現性が無いからです。
私は、元来はそのような能力は宗教家が有していたのではないかと思いますが、権威主義や形式化に走った宗教を司る者にそんな能力はありません。当然、権威に安住する芸術も同様なのですが、おそらく、真理の発見には、宗教よりも芸術に有利な点があるように思います。例えば、宗教法人が税制で優遇され、宗教でお金持ちになったり食べていくことに比べ、芸術家が非常に不利であるからで、これらのことが真理に目を開くのに役立つわけであります。ある意味、芸術家にとって有り難いことではありませんが(笑)。

芸術、あるいは宗教における閃きや啓示を論理的に考えるには、人類はもっと進化する必要があります。しかし、発明における閃きを基に、一般的な閃きや直感について考え抜いた人に、著名な発明家の中山正和さんがおられ、中山さんは仏教の教えの中にそのヒントを求めて独自の理論を確立しました。その理論に基づく方法論がもたらす創造力や発想力において海外の一流企業からも成果を認められ、そのノウハウを多くの著書に現しています。
中山さんが亡くなってしばらく経つとはいえ、中山さんの本が入手しにくくなってきました。日本というのは、ものの価値の分らない愚かな国であることよと思います。

中山さんの理論を簡単に述べますと、人間の脳の中には宇宙の力そのものがあります。その宇宙の力は名付けようもなく、中山さんは仮に「X」と呼んでいます。
このXの働きを邪魔しなければ、知恵は湧き放題、閃きは来放題、未来だって分るし、因果律だって読めます。縁起を操作することも可能かもしれず、そうなれば我々は万能です。
しかし、人間には、このXの働きを邪魔するものがあります。
動物であれば、やはりXは存在しますが、個々においては能力が限られていますので単独で巨大なパワーを発揮することはありません。しかし、動物はXの働きを邪魔するものがないので、人間から見れば不思議な能力を発揮することがあります。
このXを邪魔しない方法が、中山さんのNM(ナカヤマサカズ)法です。

中山さんは、NM法的効果をあげる簡単な方法として、「般若心経」の最後の呪文を唱えりゃいいんだとも言っています。
その呪文は、梵語の読みで「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハ」です。日本では、中国語で書かれたものの音読で「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボジソワカ」と言います。
どっちかというと、梵語の方がもとのままですので良いかもしれませんが、こだわることもありません。
そして、そもそもが、般若心経自体が、この呪文の強大な成果を保証しています。
なぜこの呪文が良いかは、説明もできますが、面倒なので飛ばします(笑)。

運命に影響を与える因果や縁起にどうやれば良い影響を与えるかについては、中山さん以外にも優れた人たちが考えをまとめています。
しかし、私が思い当たったのは、少食・粗食にすることがそのために最良であるということです。よって、少食・粗食が運命好転のために良いことはあまりに明白なわけです。

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2008.10.07

1日1食2ヶ月経過

本日で、1日1食の生活も2ヶ月になりました。
夕食だけ食べ、その食事も完全に菜食で、米は小さなおにぎり1個分程度です。
間食は一切しません。ただ、ノーシュガーのコーヒーやココアを時々飲みます。少し前まで、午後3時に缶コーヒーやミルクティーを飲んでいましたがやめました。

特に他人には言いませんが、1日1食で菜食と言うと、皆、「凄いね」「へえ!」「信じられないな」と一応は驚きの言葉を発するのですが、やはり奇妙に思っているのだという感じがします。彼らは、やはりその目的はダイエットだと思うのでしょうが(それ以外に理由が思いつかないのでしょう)、それにしても1日1食で菜食、間食なしはやり過ぎと思うようです。そこで更に、「ダイエットなど考えていない」「一生続ける」と余計なことを言うと、もはや私を変人としか思えないのかもしれません。
大方の反応には、「食べる楽しみのない人生なんて意味がないだろう」というものが感じられます。
「お腹空かない?」と聞かれることもありますが、当然空腹です。1日中空腹状態と言って良いでしょう。彼らにはそれが奇妙に感じるようですが、それは彼らには「空腹は異常なこと」という認識があるからです。私は、1日の大半で空腹を感じない方が余程異常と思っています。

食事の誘いも、社員旅行や送別会、歓迎会などの出席も一切やめました。
食事の誘いでは食べないわけにはいきませんので、もう「食べないから」とちゃんと話してお断りしています。社員旅行や歓迎会などの会社行事は、別に食べずに参加することも可能とは思いますが、それよりも価値観の全く違う連中とフリートークの場で同席することに気分的に耐えられないこともあり、参加しないようになりました。
少食を続けていると、普通の人間とは雰囲気が全く変わってくるのか、以前ほど断るのに苦労しなくなりました。いえ、簡単に断れます。

水野南北は、厳しく少食を守ることで運勢も必ず向上すると断言していましたが、まだ2ヶ月程度のことですのでおかしな期待はしていません。しかし、偶然かもしれませんが、良いことしか起こらないようになってきました。まあ、いかなる出来事も良いと思うだけのことですが(笑)。

先にも書きました通り、ダイエット目的では全くないのですが、体重も17Kg減りました。
体力の向上とあいまって、もともと速かった歩く早さが一段と速くなり、仕事帰りでも全く疲労感なく、駅からの2Kmの道を飛ぶように歩いています。
エネルギーが高まり、家に居る時は(友達がないので、休みは大抵家にいます)腹筋運動、スクワット(脚の屈伸運動)、腕立て伏せ三昧です。腹筋運動は負荷の軽い方式ですが、最初1日40回だったのが、現在は1日千回となりました。実は、2日前に、朝に2百回を1回だったのを、5百回の朝夕2回にしたのでした。今、お腹の筋肉、かなり張ってます(笑)。

以前は1日千円前後かかっていた昼食代や、それに加えて必要だった間食、飲み物、それに仕事帰りに買っていた翌日の朝食代が必要なくなり、週末に買い物に行った時の支払いも半分。お金が貯まって仕方ありません(笑)。節制の心構えができたせいか、無駄なものも買わなくなりました。無駄ではありませんが、1ヶ月ほど前、萌え美少女キャラのスポーツタオルを買ったのが最後です(無駄や!)。
考えてみれば、私の1週間の食費は千円に達しないと思います。

風邪を全くひかなくなりました。以前はよくひいていたので、風邪薬をしょっちゅう買ってましたが、今は風邪薬を見ることがなくなりました。
夜もすぐ眠れます。睡眠時間は約5時間で、以前はあった昼過ぎの眠気も全くありません。
お腹を壊すことがなくなったのも嬉しいものです。

そういえば、少食を始めてから、ブログの更新は1回も途絶えず。文章も長めになりましたが、苦も無くスラスラ書けます。実は、10の記事を書くと、没記事が3つ程度はあります。
仕事は、正直言って無関心ですが、ちゃんと出来ています。
ラマナ・マハルシが、「あなたは責任感を持って熱心に仕事をしていると思っている。しかし、あなたは何もしていない。それは自動的に進んでいく」と言ってましたが、大体そんな感じです。それが仮に、重要な大プロジェクトであったとしても全く同様だそうです。それは間違いないと思います。

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2008.10.06

現代の斎藤一になる(ただしオダギリ版)

私は、NHK大河ドラマは「義経」(2005)までは見ていたが、それ以降は全く見なくなった。
その「義経」の前は「新撰組」であったが、こんなシーンを覚えている。歴史には疎いので正確ではないが、オダギリ・ジョー演じる斎藤一が江口洋介演じる坂本竜馬らのボディーガードみたいなことをしていたが、竜馬が盟友の中岡慎太郎と、密談でもあったのだろうが、美味い料理で酒を飲もうとしていた時、斎藤に「お前がいると場がシラける」と追い払うといったものだ。斎藤は、今夜のところは何も起こるまいと、言われた通り引き上げる。

「お前がいるとシラける」と言われることを多く体験しているなら、その者はアウトサイダーである可能性が高い。
上記の斎藤一も当然、典型的なアウトサイダーであった。
アウトサイダーとは、組織や集団、あるいは、既定の秩序や価値観の外に居る者だ。
私が考えるには、極端なひきこもりはアウトサイダーである場合が多いと思う。
現代では、斎藤一の殺人剣のように、個人で驚異的な力を持つことはできないので、アウトサイダーがひきこもる可能性は大きくなっていると思う。

しかし、1つ教えておく。
現代のアウトサイダーが個人的に驚異の力を持てないわけではない。ただ、そのようなことが出来にくくなっているのが確かな上、そんなことは不可能だと思わせている何者かがいるのだ。
剣とは別の方法で、あなたも斎藤一になれば良い。別にアウトローになるのではない。自分の心地良いものになれば良いのだ。
こう言うと、「では、具体的に何になれば良いのですか?」と聞かれる。しかし、今のあなたでは、具体的に何を教えても無駄なのだ。逆に、今のあなたと違うあなたになれば、道は無限であり、私がいちいち構うことでもない。
そのためには、少食を続けるのみだ。それによって、あなたに叩き込まれた既存の価値観が壊れる。広く高くものを見ることもできるようになる。そうすれば、自分の道もきっと見つかると思う。

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2008.10.05

力の出現(長文)

人間が力を得るには、幻想を打ち破らなければなりません。
イエスは「私はこの世に勝ったのだ」と言いましたが、おそらく、これは人の世の幻想を自分の思考から消したという意味だと思います。キリスト教の専門家はそんなこと言いませんが(笑)。

同じことを言った賢い人々を挙げるなら、昔では荘子(荘周。2400~2500年前の中国の賢人)がいました。釈迦は、この世の一切は空だと言いました。我々が思うような実体があるのではなく、ただ縁起としての現象しか見えないというわけです。南方熊楠は、南方マンダラでこの縁起を示そうとしたように思います。あのぐちゃぐちゃの図は、実は大変に凄いものです。
現代インドの世界的に有名な聖者ラマナ・マハルシや、無名ではありましたがマハルシと同等の賢者ニサルガダッタ・マハラジも、一貫してこの世は幻想だと言いました。
アメリカの光明思想家であるヴァーノン・ハワードも、この世の幻想を打ち破る方法を人々に説き続けました。

しかし、いまだ人々は幻想の中に絡み取られていて世界は悲惨です。まあ、少しずつマシにはなっているのですが、一般レベルではまだまだです。
世界を平和にする最も良い方法は、我々一人一人が、この世の幻想を打ち破ることです。
そのために出来ることからやれば良いと思われます。それが自分も幸福になる道でもあります。

では、ぐっと身近な話となります。
まず、経済至上主義の幻想を消しましょう。
社会で賞賛されるもの全てに無関心になりましょう。地位や学歴、名誉といったものに価値を置かないことです。土台、親が金持ちで子供が高学歴といった場合、その家庭は大きな問題を抱えている場合が多いのです。むしろ、子供がひきこもりの場合よりその問題は深刻かもしれません。

この世の価値を否定すると言っても、別に乞食になれと言うのではありません。ホームレスになる必要もありません。望むなら、贅沢で良い暮らしをして下さい。
人々が経済至上主義の幻想に囚われている間はお金を得ることは難しくはありませんし、逆に人々が幻想から解放されたら、もうお金はいりません。
インドの聖者あたりでは、あまりにこの世的幸福を拒否するために、特に先進国で支持を得にくいということがありました。しかし、インドの聖者ですら、時々は、お金が欲しければ得れば良いと言っています。もちろん、それが目標で良いとは言いませんが、簡単なことであると知っているのです。
また、面白いことに、お金を儲けられない原因もある意味、幻想に囚われているからです。

お金を得ることは、この世的な成功ですが、同種のことでもう少し煩悩の少ないことで言えば健康です。
フランスの心理学者エミール・クエやドイツの「心身医学の父」ゲオルグ・グロデックは、心理操作により、他の医者が見放した患者を奇跡的に治癒させたことがよくあります。
彼らの本は出版されていますし、特にクエの方法はシンプルですが、一般の人がやってもなかなかうまくいきません。さらに、これらの手法のパクリである自己暗示法や、マーフィーの成功法則でうまくいった人は当然、ほぼ皆無のはずです。
なぜうまくいかないか簡単に言うならこういうことです。例えば、体重70キロの女性がダイエットで50Kgを目指すとします。そこで、「私は50Kgになれる」あるいは「私は50Kgになりつつある」と暗示をかけ、すっきり痩せた自分をイメージします。まあ、諦めるのに3ヶ月なら粘った方でしょう(笑)。うまくいかなくて当たり前です。だって、50Kgになった自分はいつまで経っても未来の自分です。だから、50Kgの現在は永遠に来ません。
時間というものは幻想であり、今既に50Kgでなければ絶対に駄目なんです。
イエスも「願い事は既に叶えられたと思え。そうすればその通りになるであろう」と言っています。今、50Kgであることをリアルに実感すればすぐにそうなります。そのために、「50Kgであるように振舞え」「態度は事実より重要だ」と言うちょっと賢い先生もいますが、言うは易く、実施するは難しですね。だって、そんな能力を持ってない人に言ってどうなるものでもないからです。
我々は、ごく幼い頃に、望みをリアルに実感する能力を封じられているのですよ。
つまり、自分の望みをリアルに実感する能力を封じるものが幻想です。

しかし、ひきこもりや落ちこぼれなど、この世的敗者は、ある出来事であっという間にこの世の幻想を破ってしまう。ある日突然聖者になるのは、ルンペンか、あるいは、栄光の頂点から墜落した人間と相場が決まっています。だって、この世の幻想で良い思いをしていないのですから、見放すのも早いものです(笑)。
岡本太郎さんは「あなたも本日ただいまより芸術家になれる」と言いましたが、これもそんな意味です。本当にその気があれば、岡本太郎を超えるのも訳はない・・・と岡本太郎さんも言ってました(笑)。

インドの聖者は、この世の一切を否定し尽せと言いますが、とりあえず、この世で賞賛されることを全部否定しましょう。
でもね、それは強い抵抗を受けますよ。よほどの強い意志があれば、あっという間に超人になりますが、それは普通、戦場で30年過ごしたなんて人でないと難しい。
私はいつも言いますが、出来ることからやればいいのです。
そのために、最も効果的で確実なのが少食です。ここで読者は意気が下がるかもしれません(笑)。こんな簡単で確実なことなのに。説明するのもアホらしいほど純粋にして明晰でありますのに。(「純粋にして明晰なことさ」はシャーロック・ホームズの口癖)
少食にしながら、この世的価値を密かに否定すれば良いのです。このことを感性で正しいと信じられれば、別に損はしませんからやってみて下さい。しかし、「食べる楽しみを捨ててまで真の力とやらは欲しくない」と言うなら、それは縁なき人々。あなたの人生ですので、お好きなようにして下さい。

少食の度合いですが、まずは少しずつ慣れれば良いでしょう。
しかし、なるべく早く成果が欲しいなら、ちょっとがんばればいいですね。
まず、お菓子やケーキといった間食の類は一切やめます。1日にハチミツをスプーン1杯とか、午後3時にミルクティー1杯なら良いかもしれません。お酒も水割りやワインを1日1杯なら良いと思います。
しかし、それ以上は駄目。「普段は我慢しているが、今日はついチョコ食べました~。テヘヘヘヘ。明日からまたがんばれ自分!」なんてのはもっての他。それは、1ヶ月か10年かは分かりませんが、準備期間でなら仕方ありませんが、そんな人は一生駄目です。
アインシュタインは、コーヒーを一切飲みませんでしたが、本当は好きなのだと思います。ある日、日記に「今日はコーヒーを飲みました。御免なさい」と深く反省しています。本当に反省する人なら良いのです。しかし、言葉だけの反省しか出ないのなら、一切間食をやめないうちは成果は出ません。
10代とかのうちは、お菓子とはどんなものか、美味しいものはどんなものかを知ることも大事ですので、常識的な範囲でならいくら食べても良いでしょう。しかし、そんな若いうちから食を自主的に節するなら、大変な人物になるでしょう。

間食はしないことを前提で、まずは朝食を抜けば良いでしょう。
世間では「朝食をしっかり」という洗脳がさかんで、我々もその幻想に取り込まれています。しかし、朝なんて本当は食べたくないはずですから、食べないのが正しいです。
学校では、「朝食をちゃんと食べてこないので朝礼や午前中の体育の授業で倒れる」なんて嘘言ってますが、戦後の食べるものがない時代に、前日の夜から食べてなかった子供でも倒れたりしませんでした。お菓子や甘いものの食べすぎで倒れることはあると思います。
ただ、自分の子供を含め、他人の食事について強制してはいけません。子供が朝を食べたいと言うなら気持ちよく食べさせれば良い。子供のうちは少々食べても大丈夫です。しかし、自分がさりげなく食べずにいたら、子供もやがて食べなくなります。

お昼は、出来たら食べないのが良いですが、食べるなら軽くします。
うどん1杯とか、小さなお弁当とかです。
95歳の現役医師で有名な日野原重明さんは、朝はジュースかミルク、昼はやはり飲み物とビスケット2枚程と言いますが、それくらいに出来れば良いでしょう。

朝、昼を軽く、あるいは、抜いたからといって、夜に大食しては何の意味もありません。
お米は少な目が良いでしょう。
おかずは人間に最も合っているのは、芋やダイコン、ニンジンといった根菜に属する野菜です。豆類も良いと思います。次に良いのが、その他の野菜(葉っぱの部分)です。海草類も良いと思います。
ただ、いくら野菜でも食べすぎはいけません。果物も良いですが、これはもっと少量にします。ダイエットでバナナを2~3本食べるなんてのもありますが、これははっきり身体に悪いです。リンゴなら一度に食べるのは半分までです。
ただ、肉食をなるべく控えるのであれば、量さえ少なければ、さほどこだわる必要はないと私は思っています。
ところで、先にあげた日野原さんも、夜はよくステーキを食べるそうですが、水野南北も、老人の場合は、消化の良い肉食は薦めています。
しかし、ダイエットフーズは駄目です。別に痩せることが目的ではなく、少食そのものが目的であるわけですし、ある意味身体を騙すダイエットフーズは身体を壊すことになると私は思っています。

つい先ごろ亡くなられましたが、少食療法を普及させてこられた甲田医院の院長であった甲田光雄さんは、少食こそ世界を救う慈悲の行為であると訴え続けてこられました。生き物の命を守り、余った食料を貧しい国に回すことも可能になるからです。
そして、水野南北同様、こういった徳が満ちれば、その人の運命が良くならないはずがないと言われていたと思います。

少食にすれば、結果として、多くの幻想を打ち消せます。その上、健康になり、若返ります。
水野南北は「食こそ全て」と生涯強調しましたが、それは間違いありません。
頭の良い人は、様々な運命向上の法を説き、最近では素晴らしいものも出てきましたが、食が駄目なら、効果はないと思います。

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2008.10.04

アウトサイダーこそ正常である

学校や会社に行くのが嫌な人がいると思う。そのため、登校拒否や出社拒否にまで至ることもある。
では、どうして、学校や会社に行くのが嫌なのか?
単に、勉強ができないとか、仕事ができないという理由ではないはずだ。
嫌なヤツがいるからだろう?
いじめっ子や嫌な教師、嫌な上司、嫌な同僚・・・がいるからであるはずだ。

では、連中はなぜかくもあなたにとって不都合なのか?
言っておくが、いじめっ子やパワハラ、セクハラの上司や教師は決してアウトサイダーではない。連中は、学校や会社の正当な価値観の中にいる連中であるのだ。連中の有り様こそ、まさに「ザ・学校」「ザ・会社」あるいは、「ザ・現代社会」である。

アウトサイダーは私やあなたである。
アウトサイダーとは、既存の、あるいは、その場所で承認された価値観の外にいる存在である。
学校では、なぜかテストで良い成績を取り、教師に従順な生徒が良い生徒であるというのがその価値観だ。何の意味もない、馬鹿げた価値観だ。
自分の立場の主張を強硬に押し通そうとするモンスターペアレントもアウトサイダーではない。連中も実を言うと、一般的価値観の中にいるのだ。これは本当である。つまり、学校や一般社会と同類であるのだ。だって彼らは、自分の子供が学芸会で良い役でない(主役でない)と言って文句を言うのだろう?しかし、主役が良いというのが一般的価値観であるのだから、それに従っているだけである。

学校とモンスターペアレントは、相手を駆逐したりしない。相手の存在が自分の存在を脅かさないからだ。
だが、アウトサイダーは一般的価値観にいる連中の存在を脅かす。だから排除や駆逐の行為を取られるのだ。
我々がある力に触れさえすれば、連中を消去できるからだ。これは本当だ。そのためには、いかにアウトサイダーとはいえ、かなり厚く染み付いた一般社会の価値観をふるい落とす必要がある。それは決してモンスターペアレントになるという意味ではない。モンスターペアレントになると言うことは、実は一般価値観に同調するということなのだ。
どう言えば良いのかは難しいが、とにかく高く飛ぶことだ。
具体的に難しければ、まずは少食を実行することだ。そうすれば自然に見えてくる。
だが、少食は一般価値観に反するので、厳しく一般社会から排除される。あなたが若ければ、親や教師の厳しい攻撃を覚悟する必要がある。いや、大人であっても、母親あたりからげっそりするほどの嫌がらせを受ける可能性が高い。
しかし、がんばって少食になることでやがて勝てる。そうすれば、他に何をすれば良いのかを教える私の言うことも理解できるはずである。

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2008.10.03

岡本太郎を読むとなぜ元気が出るのか?

岡本太郎さんの本を読むと、大変に元気が出ることが多いと思います。
ただ、本を読んだ直後に「勇気をもらいました」なんて言って、ちょっとの期間だけハイになるだけでは駄目なんですよ。
だって、「勇気をもらった」ってことは、それまで勇気がなかったわけで、その人にとっては勇気のない臆病な状態が普通だったというわけです。それが異常なことだと気付きもしないのです。
なぜ自分には、それまで勇気や元気がなかったのか?なぜ岡本太郎さんの言葉に我々を勇気付ける力があるのかをちゃんと理解し、勇気がある正常な状態に移行して、それを自然な状態にしなければいけないのですよ。岡本太郎さんをさっさと用済みにしないといけないのです。

では、なぜ岡本太郎さんの言葉には我々を勇気付け、元気付ける力があるのでしょうか?
およそ芸術家であるなら、それが使命でもあるはずなんですが、それが分らないばかりか、人を意気消沈させ、憂鬱にさせる自称芸術家のなんと多いこと!

この質問に答えるには、逆に、なぜ我々は元気がなく、勇気がないかを考えてみれば良いのです。
それは、我々は押し付けられた価値観の中で生きているからです。そして、我々がそんな状況であることにも気付いていない。似非芸術家もまた、押し付けられた価値観の中で生きています。
分りやすく言うと、我々は自分が競馬の馬であると思い込まされているのですね。良い競馬の馬になることだけに価値を感じているわけです。そこで、一流大学や一流の会社に入ったり、オリンピックで金メダルを取ったり、売れるクリエイターになることを目指しますが、そんなのは所詮、競馬の馬として好成績を上げているだけの話です。なぜなら、これらで一般大衆を煽動し、熱狂させ、大きなお金を動かしている者達が必ずいるわけでしょう?彼らこそ、競馬の主催者なんですよ。
岡本太郎さんは、そんな押し付けの価値観よりはるかに上にいる人なんですよ。そして、我々に、芸術や言葉でもって、そんな価値観を破壊して見せてくれたのです。
押し付けの価値観が一瞬破壊された時、青空が広がり、見晴らしが良くなって我々も高く、広く世界を見るのです。その時、「ああ、世界は本当はこうなんだ」ということが分り、それが深い感動の感情となります。ただ、それはほんの一瞬。すぐに馴染みの古い価値観が戻ってきます。いわゆる「現実に帰る」というやつです。でも、それが宇宙の現実じゃない。作られた押し付けの現実です。学校や会社というのは、そういった価値観の下僕ですので、どうしても学校や会社に所属していると、その価値感を叩き込まれる。それは、本来は不自然なものであり、ごく一部の人間の利益のためのものでありますので、それに従っていると元気もなくなり、勇気も出なくなります。

ひきこもりや登校拒否なんて、まあ、いろんなケースがあるとは思いますが、その大半は、これら押し付けの価値への追従を嫌っているだけなのかもしれないのです。少なくとも私はそうです。
で、その押し付けの価値観を受け入れた者は、その価値観に反抗する者を排除しようとします。それも非常に強硬に。そこで、集団的ないじめや嫌がらせが発生するのです。
押し付けの価値観に従っている者より、アウトサイダーたる存在(ひきこもりもその1つかもしれません)の方がずっと優秀で強いんです。でも、弱いと思い込まされているところは絶対にありますね。しかし、本気でやりあえば、やはり我々が強いのですよ。
学校や会社では、どうしても多勢に無勢で我々が不利ですね。
で、どうすれば良いかですが、「引きこもってしまえ」です。
日本最高の思想家、吉本隆明氏の著書「ひきこもれ」(大和書房)や、「自殺するなら、引きこもれ 問題だらけの学校から身を守る法」 (光文社新書。本田透、堀田純司著)をよく読んでください。
そして、何より、岡本太郎さんの「今日の芸術」(光文社文庫)や、「自分の中に毒を持て」(青春文庫)、そして、作品も満載の「歓喜」(二玄社)をお薦めします。
その後、行動して下さい。自らの正義を貫く生き方に移行するわけです。

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2008.10.02

成功する人としない人の確実な違い

何度か書きましたが、私の食生活の現状は、1日1食です。
それは、「絶対に」1日1食で、肉、魚は「絶対に」食べません。
また、間食は「絶対に」しません。
つまり、私の1日1食は、「だいたい」1日1食とか、「あまり」お菓子は食べないというのとは違います。
水野南北の「相法極意修身録」を読み、さらにそれを補足するあらゆる調査を行った結果、運命における食の絶対性を確信したからでありますが、意識改革できる人、それによって成功できる人と、そうでない人との違いは、「徹底的」であるかどうかであることを骨身に沁みて知っておりますので、「絶対」にこだわるのです。

かなり以前ですが、私は、TM(超越瞑想)という、インドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギが世界的に普及させた瞑想を教わりに、マハリシ総合研究所の研修に参加しました。
TMは、ビートルズの4人がマハリシに直接伝授されたことで知られていますが、日本でも、著名な経営者やスポーツ選手、芸術家などにTM実践者が多くいます。
TM研修は、最初の説明会、伝授、アフターサポートとあり、アフターサポートで、受講者の実施状況がチェックされます。
その時、成功する見込みのある人とそうでない人がよく分ります。
TM教師が、TM実施状況を受講者に尋ねます。ある中年の男性は「はい、今のところ、必ず行っています」と答えましたが、別の若い男性は「ええ、だいたい行っていると思います。実施率?え・・・と80パーセント程度ですね」と答えました。
自分で80%と言うなら、おそらく60%も怪しいでしょう。
TMが良いかどうかという問題ではないく、いったんやると自分で決めて研修に参加している限り、絶対に行う人間でなければ何をやっても駄目です。

伝説の日産自動車のセールスマンであった奥城良治氏は、体力強化のため、1日1時間の競歩をやると決め、やはり成功者の常で、絶対にそのノルマをやり遂げました。とはいえ、仕事の都合とか、台風とかで、いかに鉄の意志を持ってしても不可能である時は、翌日2時間歩いて埋め合わせたと言います。彼はそれを借金と読んでいました。会社の社員旅行の日、宿泊先のホテルの周辺には、歩ける道が全くありませんでした。奥城氏は「また借金か」とがっかりしたそうですが、よおく見ると石段があることに気付きました。そこで、石段の昇り降りを1時間やろうとしたのですが、風呂上りだというのに、最後の方では脚を腕で抱えて持ち上げなければならず、汗びっしょりで息も絶え絶えという状態で、同僚社員は彼を奇異の目で見ました。しかし、そんな人だけが成功するのです。

「武士道」の著者である新渡戸稲造は、行水を毎日の行として必ずやると決めましたが、ある日、風邪で熱がありました。迷いましたが、決めたからにはと休まず行い、それを聞いた医者に怒られたようです。しかし、それだけの意思力があったので彼は成功したのです。

水野南北は、人間の運命を絶対的に支配するのは食であり、これを厳しく節制すれば万に1つ違えることなく成功すると保証します。彼の人生そのもの、そして、彼の運命学者としての名声がそれを証明していると思います。
よく、1日1食、あるいは2食にしていると言う方がいます。しかし、「今日はちょっと余分に食べてしまいました」「チョコを食べました」と後悔の念も無く言ってるうちは食を節していることにならず、当然、運命も上向きません。
もちろん、人間、あまり余裕のないことでは駄目かもしれません。水野南北もお酒が大好きで、1日1合(約180ミリリットル。コップに軽く1杯)は飲んだと言いますが、それは最初に決めたことであり、それ以上は絶対に飲みませんでした。
1日1食としているのに、時々もう1食食べるなら、最初から2食とすれば良いのです。あるいは、間食だけは絶対にやめるとか、ご飯をこれまで2杯食べていたなら1杯とし、これを絶対に守れば良いと思います。
考えてみれば、これは当たり前です。例えば、世の中の仕事というものはそんなものです。「1日1食だけど、今日はつい2杯」という感覚で仕事をすれば、大迷惑をかけるか、常識的には即クビです。だってそうでしょう。新聞の配達は、毎日必ず配達されるのが当たり前です。ところが、「今日はつい、夕刊を入れませんでした。テヘヘ」で済むはずがありません。Amazonの配達で、「この間のあの本、つい届けませんでした」なんて話があったら大変です。

現状を脱却し、高い場所に上るには意識の変革が必要です。
その最高の方法が少食です。あるいは、他の優れたノウハウを強力に後押しするのが少食です。本当に成果を上げたいなら妥協は禁物です。
もちろん、それまで大食していた人が準備段階で行うのであれば、何度も繰り返しトライし、何度も失敗するということは当然あると思います。ただ、その期間はあくまで準備期間であり、成果を求めるべきでありません。

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2008.10.01

過去は変えられる

坂本真綾さんの「風待ちジェット」という歌があります。
CLAMP原作のアニメ「ツバサ・クロニクル」の2つ目のエンディング曲でした。
詩は坂本さん自身によるものですが、出だしの歌詞が非常に印象的です。
「気が付いてない、君はまだ。昨日さえ変える力が2人にあること」

よく考えればおかしな詩だと思うはずです。
未来を変える力があるというなら、誰でも納得できるはずです。逆に言えば、過去なんて変えられるはずがない。

しかし、坂本さんはおそらく天才なのでしょう。ほとんどの人が気が付かないことに気付いているようです。
ZARDの「If you gimme smile」という歌に、
「人生の地図にコイン投げて 賭けてみようよ 自分に」
という歌詞があります(作詞は坂井泉水さん)。
皆さんは、コインに運命を任せたことがあるでしょうか?
手塚治虫さんの「ザ・クレーター」という短編集の中の1つに、そんな話があります。ある青年が人生の岐路に悩みます。彼には2つの道があり、どちらを選んでも成功する自信がありました。そうやって悩んでいる時、不思議な人物が現われ、彼にコインを渡し、それでどちらにするか決めろと言います。青年はその通りにし、成功の道を進みますが、途中で挫折します。そして、コインに従ったことを後悔します。
本当は、その後にもっと面白いお話が続くのですが、ここではこんなところでいいでしょう。

もう1つお話します。確か、栗山天心さんの本で読みました。
ある、非常に人生を後悔した年老いた男性の話です。
彼は、若い頃に憧れた少女がいましたが、とてもではない高嶺の花で、告白をトライすることもなく諦めました。ところが、後で、彼女もまた彼を好きだったのだと知りました。

この2人は過去の行動や決断を悔やんでいると思います。
「反対の道を選んでいれば」「彼女に勇気を出して告白していれば」
さて、ここでやっと一番最初に戻ります。
「昨日を変える力が我々にはある」
という話です。
そういった後悔すべき過去を変えることができるのでしょうか?
それはもちろん(笑)。

過去なんて、解釈に過ぎないのです。
そして、過去を解釈しているのは現在なんです。
現在の解釈を変えれば、過去なんて当然変わります。
そして、過去が現在に影響するなんてことは、本当はないんです。

上の話で、青年がコインとは違う別の道を選んでいたら、もっと悪くなったかもしれません。
老人が若い時、あの少女に告白しても、その翌日に振られたか、あるいは、彼女が大変な浮気性で一生苦労したかもしれません。

過去にはいかなる意味もありません。ただ、現在の我々の解釈があるだけです。
もっと言ってしまえば、過去なんて本当はありません。単なる幻想で、実際は現在しか存在しません。我々が解釈することによってのみ存在するのです。
それは未来も同じです。本当は未来も存在してはいません。ただ、やはり我々が解釈すれば未来は生まれる訳です。
ただ、未来の解釈の影響は大きいかもしれません。下手な解釈はできないのです。
未来に対する悲惨な解釈をすれば、未来ではなく、現在が悲惨となります。未来もまた現在なんです。
では、楽しい未来を思い描けば、その通りになるのかどうかということは興味深いことと思います。これは、そうであるとも言えますし、全くそうでないとも言えます。いえ、ほとんどの場合、実現しないのです。
なぜでしょう?既に言いましたが、未来なんて本当はないからです。それが未来だと解釈する限り、永遠に未来に存在する夢でしかありません。
望みがあったとしたら、それは今現在、既にそうなっていると思う必要があります。
政木和三さんは、「願いは過去完了形で感謝すれば叶う」と言ってました。その仕組みについては、発明家の中山正和さんが上手く説明していましたが、長くなるので、また次の機会に引用しましょう。

いずれにしろ、願いを現在のことであるとしてリアルに実感できる精神を獲得することなく、夢を叶えることはできません。政木和三さんも、脳波がシータ波の状態でないと叶わないと言いますし、そのためには欲望を捨てなければいけないと言いました。欲望を叶えるのに欲望を捨てるのですから、ちょっと混乱してしまいそうです。しかし、仕組みが分ればどうということもありません。
ただ、その仕組みが分りにくい理由もあります。どうしても、これまでに頭に叩き込まれてきた馬鹿げた考え方をふるい落とす必要があるからです。それができるのは、社会の中でうまくやってきた人ではなく、社会の中で落ちこぼれてきた人、理不尽な苦痛を強いられた人、変人奇人とされた人、アウトサイダーな人です。よくは分りませんが、イエスが「貧しい人は幸いなり」「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と言った意味もそれではないかと思います。

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